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「ガスパール・カサド展」本日10時オープン [カサド・コンクール]

久しぶりに湾岸に戻ってきた。さても、数時間寝て、また大江戸線と京王線乗り継いで遙か八王子、で、午前10時から、「いちょうホール」第1展示室で「ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール八王子」付帯事業「ガスパール・カサド展」が始まります。夕方6時前になんとか仕込みが終わり、理事やらボランティアの方に内覧会、1時間半も演説してきて、頭クラクラです。ふうう。
展示作成最中に、NHKBSと八王子のケーブルテレビが収録に来て、延々と展示品を撮影したりしていきましたので、いずれ、放送するんでしょ。報道ならば権利関係に問題はないので、まあ、いいんでしょうねぇ、良く知らないけど。

さても、この「カサド展」がどんなものなのか、今の海胆頭では説明できんので、コンクール当日プログラムでの紹介用に書いた原稿の没稿を貼り付け、紹介させていただきます。なんでボツったのかというと、これまたアホな話。国際コンクールの公式刷り物なので、英文表記も必要なんです。そのことをすっかり忘れていて、原稿を入れたあとに「あ、英文入れなきゃ」ってことになって、慌てて長さを半分にしたんですな。だから、最終決定稿のロングヴァージョンです。後半の、展示会の経緯説明は決定稿にはありません。内容的にはそっちの方が大事なんで、なにとぞお読みあれ。
こんなもんやってますんで、コンクール覗きついでに見物してくださいな。入場無料ですけど、ドーネーションなさって下さりたい方は、よろしくおねがいしますです。

                          ※※※※

                       「カサド展」について

 ガスパール・カサドというチェリストは、1897年(明治30年)にカタロニアのバルセロナに生まれ、1966年(昭和41年)にマドリードに客死した。2つの世界大戦に世界が激動する時代に、スペインからの分離独立を指向する故郷を離れ、ムソリーニ政権のイタリアを拠点に活動。戦後もイタリアのフィレンツェに居を構えた。青年期と晩年の平和の時代には、急速に発達する交通機関を縦横に駆使し世界を飛び回る、文字通りの世界的巨匠チェリストとして活躍する。1959年に昭和初期の日本を代表する女流ピアニスト原智恵子と結婚したことは、ヨーロッパ音楽は遙かな憧れの本場物だった戦後日本の音楽愛好家に衝撃を与えた。戦後のある時期、カサドという名前は、日本のクラシック音楽ファンにとって、最も馴染みのある、特別な名前でもあったのである。
 とはいえ、カサド没して既に40年の時が過ぎた。夫人原智恵子が日本に戻り、八王子にほど近い多摩丘陵で没してからも既に数年が経っている。オールドファンには懐かしいチエコ&ガスパール・カサド・デュオを知らない音楽ファンや若いチェリストも多かろう。「第1回八王子ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール」開催にあたり、「カサド展」を開催する理由は、「カサド」や「カサド夫人」を少しでも身近に感じて貰う手がかりを示すことにある。カサドは、復刻盤CDに記されたブランド名でもなければ、素敵なチェロ小品を書いた作曲家の名前だけではない。生き延びるだけでも困難な時代を、チェロだけを抱いて必至に生き延びた、音楽だけにしか関心がない男の生き様なのである。

 「カサド展」開催までの過程を手短に記す。カサド未亡人原智恵子は、カサド没後もフィレンツェで生活を続け、1990年までその地で夫の名を冠した国際チェロ・コンクールを主催した。同年にイタリアを去り日本に戻る際、亡き夫の遺品も日本に持ち帰った。それらの資料の殆どは、八王子市に隣接する東京都町田市の玉川学園に寄贈され、以降、同大学教育博物館で保存管理されることになる。膨大にして専門的な資料故、未だに全ての整理はされてはいない。
 初夏以来、カサド・コンクール・スタッフが数次に亘り玉川大学に赴き、原智恵子寄贈資料の調査を行った。その結果、これまで未調査だった資料から、大戦間時代のカサド宛書簡類が纏まって発見された。今回の「カサド展」で紹介されるドキュメントは、古い靴箱の中に納められた内容が中心となる。使用済みパスポートを中心に、誰かが意志をもって保管した思われる興味深い書簡類ばかりである。
 とりわけ貴重なのは、パウ・カサルス管弦楽団の公式封筒を用い同管公式便箋に記された、1925年から1929年のパブロ・カザルスからの私信であろう。カサドの同郷の師匠カザルスは、現代チェロ奏法を確立したこの楽器の歴史で最も重要な存在である。今回公開する、師が最も嘱望した同郷出身の弟子に宛てた4通の書簡は、些か複雑な関係を巡ることになる同郷の師匠と弟子の大戦間時代の交流を、生々しく伝える歴史ドキュメントだ。なかでも、カサドが作曲し師匠に献呈した名曲「親愛の言葉」を巡るカザルスの発言は、未だ定説がないこの作品の生い立ちを推察する上で、極めて貴重な一次証言である。
                         (「カサド展」資料調査担当 音楽ジャーナリスト 渡辺和)


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