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町会詰め所跡 [ご当地五輪への道]

箱崎の東京シティエアターミナルのシティバンク銀行ATMが廃止になり、なんとこの銀行、とうとう山手線北東地区から完全撤退してしもーた。この辺には商売になる金持ちが住んでないと見切ったんだろうけど、中国やシンガポールではもの凄いシェアの銀行なんだから、東京東北部にゴッソリ住んでる中国人学生なんかは困るだろーになぁ。いやはや。

んで、もう未完原稿は持って歩くと腹を据え、出発30時間前にネットで貧乏人席にチェックインを済ませ、ああぁあ一足遅かったか、仕事が出来る席が取れなかったぁ、と嘆きながら、これまでだったら箱崎でリムジンバスに乗る前にシティバンクから出してたユーロ現金をつくるための日本円を引き出しに、西仲通りの某大手邦銀ATMまで、降り出した冷たい雨の中をサンダル突っかけてチョコチョコ向かうです。

と、来月末からは新厄偏庵への最寄りの地下鉄出入り口となる月島駅6番出口向かい、かつて佃二丁目町会詰め所があったところが綺麗に整地され、タイルなど貼られ、詰め所の跡形もなく、でっかくドカーンとオリンピック誘致巨大ペナントが掲げられております。ご丁寧にも、どなたが書いたらやら、「佃二丁目町会」ってサイン入り。なんでやねん。
SN3G0002のコピー.jpg

すっかり寂れた佃大通りを凌駕し、リバーシティに向けての我が町内最大の繁華街となってる佃仲通りの入りっ端。下の記事の真ん中当たりが、解体直前、在りし日の町会詰め所の風景。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2008-11-15
さてもこの細長い町会詰め所、なんでこんな仮設建築があったのか、お判りかな。解体直後のこの写真なら、ははぁ、と納得する方もいらっしゃるかな。
008.jpg

地下鉄有楽町線が開通する前、はたまた佃大橋が架かる前から新佃地区に土地勘ある方なら、もうお判りじゃろて。そもそもこの詰め所の跡地には、新佃島と月島を隔てる堀割の船着き場に向け、現佃仲通りと月島西仲通りを繋ぐ橋の北詰から水辺へ下りていく細い坂道があったのじゃ。佃大橋が架かり、堀割が埋め立てられ、新佃島と月島がひとつの巨大な人工島となったとき、不要になった坂道をかさ上げした。結果生まれた道沿いの中途半端に細長い空き地に、町会詰め所が仮設されたそうな。なんせ昔は道だったので、あんなに細長かったんじゃな。

去る日曜日にはオリンピック誘致市民マラソンが島を跨いで越えていった大川向こうから晴海先端に到る大陸橋の下には、この前のオリンピック前までは、佃と月島を隔てる水が流れてました。その名残が、この佃二丁目町会詰め所だったわけです。以下の写真をじっくりご覧あれ。商船大学の方から渡ってくる相生橋で佃に入り、初見橋で月島に抜ける清澄通りの電車道がある。その北側に、もうひとつ橋が見え、橋のたもとの運河には船も浮かんでいる。そこに向かっていく細い坂道が、町会詰め所になったところ。下のURLがオリンピックの前年で、まだ佃大橋はありません。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M288&photono=49
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MKT636&courseno=C9&photono=23
この写真だと、もうしっかり町会詰め所の細長い姿が写ってる。新旧厄偏庵もあるし、佃オフィスの安マンションもまだ立派に輝いて建ってるぞ。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/79/ckt-79-4/c12b/ckt-79-4_c12b_16.jpg
1964年のオリンピック前に建った詰め所は、次のオリンピックを見ることもなく取り払われた。この場所にそんなものがあった記憶など、瞬く間になくなるだろう。

都会に住むとは、そういうこと。「遺せ」なんて言っちゃいけない。それが音楽ホールだろうが、郵便局ビルだろうが。

ちなみに、現在の佃二丁目には、船着き場は一切ありません。単なる、東京駅銀座から最も近い田舎町。

新佃 出口探せぬ 水の上

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