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山根三銃士元気です [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

このところなにやら新厄偏庵が様々な謎の生命体の野宿場所と化しており、ふと気付くと朝までブルーレイ眺めて寝転がってる奴の足が出てたり、わけのわからんことになっとる。御陰でこの数日の締め切り関係原稿が押せ押せになっており、そこにもってきて八王子・町田に通わにゃならん作業が続いており、もうグチャグチャであーる。いやはや。

んで、そんななか、やっぱり地元トリトンさんの演奏会はチャリチャリ5分で行けて良いなぁ、なんせ開演の10分前に庵を出ればOKだもん、なんて晴海に向かったら、松原かっちゃん率いるプレアデスQのベートーヴェン・サイクル最終回とあってか、なんだか上野の森が引っ越してきたような客席。おお、なんとそこにいるのは、日本国を離れている筈の山根三銃士ではないかぁ!片割れならともかく、3人纏めておるじゃあないの!

やあやあ、お元気ですか、以下、立ち話の近況。

まずは仙台制覇以降、すっかり日本でも名前が知られるようになったピアノの津田裕也氏。「ええ、ベルリンにいます。ちょっとだけ帰ってきてるんです。パスカル・ドワイヨン先生のクラスで、あの学校はいろんな先生のマスタークラスがあるんで、とっても勉強になります。」

続いては、レッジョで飯喰って以来のチェロの門脇大樹氏。個人的には11月末の八王子を受けて欲しかったんだけど。「パルマからアムステルダムに移りました。いや、古楽にはまったとかじゃあないです(笑)。ビルスマ先生のレッスンを受けられるかもしれない、ということで。」

そして、ミュンヘン大会ヴァイオリン部門第2位という世間的に判りやすい結果を出した御陰ですっかり有名になった…のかわからぬ、様子はまるでいつもどーりのとっぽい風の我らが白井圭氏は…あ、事務的な連絡事をバタバタしていて、近況を尋ねるのをすっかり忘れてしまったぞ。なんであれ、たまたまちょっと帰国してるだけで、ヴィーンにいることは変わらないそうですが。

以上、「流離う若人」となり修行中の山根三銃士、再び極東の島国で雄叫びを揚げるのか、はたまた遙か異国の地に切り込んでいくのか、乞うご期待であります。

ついでに、というとなんだけど、ゴールドベルク山根先生が「ストリング」に連載していた「ゴールドベルク発言録」を纏めた著書が単行本の形で世に出ました。こちら。
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http://www.amazon.co.jp/20%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E5%B7%A8%E4%BA%BA%E2%80%95%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF-%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%B1%B1%E6%A0%B9-%E7%BE%8E%E4%BB%A3%E5%AD%90/dp/4901998498/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1255922298&sr=1-1

中身に関しましては、「ストリング」連載中のオリジナルを読まれていた方はお察しのように、「全く裏の取りようのない記述が9割を占める回顧録」です。データとしてどこまで信憑性があるのか相当に危険な部分はあり、我々が歴史的事実として知らされているナチス政権獲得直後のフルトヴェングラーの動きやらとはちょっと違って感じることもあるでしょう。
基本的には「自伝」を読むときのスタンスで接する必要がある著作ですので、そこんとこの微妙さが理解できる方なら、是非お読みなさい、と申し上げます。ある意味、精神的な意味での「R18」本ですね(大演奏家の自伝とか、大音楽家に極めて近しい人が書いた著作とかは、未公開の日記でもない限り、書かれていることの事実関係はデータとしての信憑性は極めて低く、その人の状況への対応とか意見とかをを読むべきなのである、というのは常識です)。本に書いてあることは全部ホント、と思っちゃうようなナイーブな方は、絶対に読んじゃダメ。ま、そんな奴は当電子壁新聞は眺めてないだろーけどさ。

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一読者

一ヶ月たってしまいましたが、質問させていただいてもいいですか?

もし渡辺先生がこの本の編集を担当なさる場合は、
明らかに事実と異なることがわかった場合、その部分を削除なさいますか?
それとも、注をつけるのですか?

もしよろしければ教えてください。


by 一読者 (2009-11-28 11:12) 

Yakupen

一読者様

小生が編纂するならば、「ゴールドベルクが何年頃に誰々に語ったこと」とはっきり判る形で提示します。はっきり言えば、自伝というのは嘘をついても良いことになってます、ってか、自伝は嘘で自分のやったことを正当化するために出版するものである、という基本的認識が一部の文化にはあります。ゴールドベルク氏はそんな文化に属している方ですから、それはそれで認めなければなりませんから。

つまり、「この人の言っていることは9割9分は嘘だろうな、でも、本人はそういう風に後の世には思って貰いたいと考えてるんだな」というところが自伝が伝える最も重要な情報なのであります。あくまでも一般論ですけど。

by Yakupen (2009-11-28 12:18) 

Minochan

嘘、という言葉に抵抗を覚える人は、「正当化」と読み替えれば納得していただけるのでは?それが大巨匠であれ、わたしたちのような一庶民であれ、自分がやったこと、関わったことについて、自分の見方と他人の見方に大きな隔たりを見つけて愕然とすることに変わりはありません。そのとき、口をつぐむのか、自伝という手段で敢然と(あるいは猛然と?)アピールするのか、くらいの違いです。
 それを嘘というのか、その通りと思うのかは、書いた当人たちにシンパシー(同情ではなくて、共感という方の意味で)が持てるかどうか、でしょう。そこから先は、読み手の自由。そして、嘘というのも、これぞ真相と言うのも、読んだ人間のスタンスと責任ということになるでしょう。
 人について書くことの難しさは、人がひとりでは生きていない、他者によって輪郭線を定義される存在でもあるから、なんでしょうねえ。輪郭線の内側の意志が輪郭線を書き換えようとしたときに、外側の意志との共鳴がおこって、存在しなかった響きが生まれて…そのvisionをfancyとよぶか、lieというか…あるいは、伝説の誕生と呼ぶか。
 この例はとても分かりやすいので、今後どういう風に流布されていくか、興味深いものがあります。ちゃんちゃん。 
by Minochan (2009-11-28 14:39) 

Yakupen

「他人の抱く自分像にどう対応するか」という議論はとっても面白く、ぶっちゃけた話、小生が今の商売をやってるのは、そんな辺りの興味深さ故である、とも言えちゃうくらい。

ゴールドベルク氏に関して言えば、もうこれは今だからオープンにしても良いことでしょうけど、例えばStrad誌に盛んに書いていて、ゴールドベルクのヨーロッパでの復刻盤のブラームスだかにライナーノートを書いている英国人大物弦楽器評論家T.P氏(当電子壁新聞にも時折出演)の記述に対して、御本人は「あれは電話かけてきてちょっと喋ったことをいろいろ書いているだけで、嘘だ」と仰っていたそうです。←この「そうです」がまた問題で、誰からの伝聞なのか、当電子壁新聞の読者ならばお判りになるだろうと思って書いているわけですけど。

事々左様、そんなわけで、小生としますれば、この山根先生本は、「奥様がゴールドベルク氏からの伝聞を伝えたもの」という風にうけとるのが最も正しい扱い方だと思っています。で、ここに書かれた内容が新たなゴールドベルク伝説の基本となるか、という問題ですけど、これはもう応えはハッキリしている。なりません。なぜなら、日本語での出版だからです。これが英語で出版されていれば、新たな伝説の礎になったことでありましょう。つまり、T.P氏などが読めない言語ではダメ、ということです。残念ながら、事実だからしょーがないです。

ちなみにT.P氏は、小生と顔を合わせる度に、「黒沼と真理の本はいつ翻訳が出るんだ」と10数年来言い続けています。しぶとい奴だ!

by Yakupen (2009-12-01 10:15) 

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