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21世紀のジングシュピール [現代音楽]

昼前からミュンヘン厄偏庵に入り、このツアー中に絶対に入れねばならぬ原稿の最後のひとつを入れ、一応、終わった終わった状態。んで、さっきからずっと雪野原になった教会裏の原っぱに面した葉っぱの落ちた木立で、近くにお住まいになってるシジュウカラさん(みそ・みそ・みそ…くらいで鳴いてら)やゴジュウカラさんたちが来ては遊んでるのを眺めてます。この木の下の方には栗鼠さんがお住まいなんだが、冬はどうなさってるのかしら。少なくともさっきから姿はまだお見かけしてません。探すドングリもないしねぇ。

裏のスーパーに行き、夕飯の食材だけをちょろっと買い込み(とはいえ、水とか買わざるを得ないんだよなぁ、どーするんじゃ)、夜はベルリンのマネージャーさんから「ミュンヘンにいるなら今日はヘラクレスザールでメタ4があるよ」と連絡があったんで、ま、まるっきり緊張感なく出かけましょか。もう土曜の朝7時には羽田に到着しちゃうんで、洗濯をする気もないし。

さても、そんなノンビリした瞬間に、どーでも良いことを記します。昨晩見物したウィドマンのオペラ「バビロン」について。
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以下、ホントに関心のある方以外、読んでも時間の無駄です。悪いことは言わぬ、もう読むのは止めた方がいーですよ。

2012年にバイエルン国立歌劇場の委嘱作として出されて、指揮は無論ケント・ナガノ、演出は今や世界で引っ張りだこの人気パーフォーマンス集団ラ・フラ・デルス・バウスということになれば、これはもうただ事ではない。やっつけ仕事じゃあない本気のプロダクションです。

中身については、とてもじゃないけどこんないーかげんな電子壁新聞でダラダラ書き切れるもんじゃあない。本気でご関心のある方は、バイエルン歌劇場に「当日プログラム冊子売ってくれないか」と連絡すれば、€7で舞台写真からリブレットから、ウィドマンの演説までいやんなるくらいしっかり入った冊子を送りつけてくれるんじゃないかしら。ダメモトでやってみてご覧なさいな。

一応どんなもんかざっと説明すると…題名通り古代のバビロンを舞台に、亡命ユダヤ人ながらバビロニアの司祭王に気に入られ、ぜーレとイナナという精神と肉体の愛を象徴する両方の女からも愛されるもてもてのタムーが、なんのかんので生け贄にされることになる。王は泣く泣く殺すのだが、イナナはバビロンの売春婦たちと一緒に死の世界に赴き、死神(司祭王の一人二役)の前でストリップをして例外を認めさせ、生き返らせる。でもこれじゃあ天地の摂理がおかしくなるので、二人は宇宙船に乗せられて空に送られ(!)、新たに7つの星が世界の運行を司ることになり週が生まれました…

って、こんなあらすじ書いても何だか訳が判らんでしょ。書いてるやくぺん先生も、ホントにこれでええんかい、と思ってるわけだしなぁ。この間に、バビロンの都の大祝祭らんちき騒ぎとか、それを眺めるエゼキエルとユダヤ人の葛藤とか(エゼキエルがノア物語の解釈で悩んだりします)、あれやこれやの脇筋が挟み込まれる。

音楽は、ぶっちゃけ、ウィドマンお馴染みの「何でもあり」です。第1場最後のタムーとイナナの愛の二重唱なんぞリヒャルト・シュトラウスかと思わされる瞬間もあるし、バビロンのらんちき騒ぎはヨーロッパで土曜日の夜なんぞにどっかの公園でやってそうな下品で安っぽい舞踏音楽だし、神様が合唱でなんか歌うときは「モーセとアロン」みたいだし、イナナが死神に歌う歌とかまるで民謡みたいな素朴なもんだし。ドイツ語が滅茶苦茶聞き取りやすい、とても歌らしい歌も彼方此方にあります。でも、オーケストレーションはそれらいろんな要素がぐちゃぐちゃになって歪んでしまったような響きで、打楽器の扱いが案外と素朴なのを除けば、いかにも今風の複雑な音響。
そうそう、打楽器の音色が今時の作曲家としては意図的に素朴にしてあるのは、様々な世界中の言葉が穿たれたブロックを積み上げて築いたバビロンの巨大建築が最後の最後でホントにひっくり返り、舞台にぶつかってもの凄くでっかい打楽器を鳴らした効果を上げるためなんじゃないかな。マーラー6番のハンマーを100倍くらいにしたような音ですわ(崩したブロックがオケピットや客席に転がり落ちてこないように、舞台の正面に巨大サッカーゴールのような網が張られます!)。音楽的にはこの超巨大打楽器がいちばん印象的だった、なんて言ったら怒られるかな。

上に記したいーかげんなあらすじからもお判りのように、1場の肉体の愛の場面は「タンホイザー」だし、タムーが生け贄として殺される前の火と水をくぐり抜けるイニシエーションなんぞは「魔笛」を思わぬのは不可能だし、らんちき騒ぎは「地獄のオルフェウス」だし、地下に行って死んだ愛人を連れ戻すのは「オルフェオ」だし、真ん中のバビロンの間奏曲というところで歌とクラリネットが舞台でひとりの役者のように振る舞うのはシュトックハウゼンの「光の木曜日」だし、新たな世界の創設者が宇宙船で飛んで行っちゃうなんて「光の金曜日」だし、はたまた宇宙船の動きなんぞは「浜辺のアインシュタイン」を連想せずにはいられなかったし…もうお話もあれやこれやのてんこ盛り。無論、そんなこと百も承知で意図してやってるわけで、見物する者が100人いれば100通りにお話の意味や象徴性や教訓を得るであろう、もうロールシャッハテストみたいな作品、といえましょーぞ。

で、トータルでこりゃなんなんねん、と言われれば…そーですねぇ、多分、ヴィーンで200数十年前にシカネーダー一座が「魔笛」を出したとき、詰めかけた一般庶民にはこんな感じのものにみえたんじゃないかなぁ、という気がしたです。なんでもあり、いいとこどり、内容から技巧からてんこ盛りの現代のジングシュピール、ってところかしら。些か盛り込みすぎで前半でもう充分って気もしたけど、もっとやれぇとエールを送る人もいるんだろうなぁ。

こういう作品になると、CG映像をいろんな舞台上のものに重ねていくラ・フラ・デルス・バウスの過剰で情報量の多い演出はそれほど気にならず、まあこれはありだろう、と思わされました。イナナと一緒にらんちき騒ぎを仕切り、冒頭と最後には全体の枠組みを回顧する蠍男の動かし方など、なかなか上手いでないかいと感心しましたね。

蛇足ながらもうひとつ。爆笑させてくださりながらも、なーるほどねぇと思わされたのは、何回か出てくる「バビロンの合唱」というところで、字幕がドイツ語じゃなくてバビロニアの象形文字だったこと。おいおいおい、だーれも読めんぞぉ!って、この手があったか、って感じですな。小ネタだけどさ。

まあ、3時間半もの長丁場でこれでもかと観させられると、ウィドマンという語法がよく判らぬ作曲家の在り方も、こういうもんなんだろうと納得させられることは確かです。なーるほど、第3弦楽四重奏なんてのは、このオペラでのバビロンの祝祭の場面みたいなもんなんね、とか思えてくるし。

ぶっちゃけ、ミュンヘン以外に持って出ることはあり得ないし、他の劇場が取り上げるか何とも判らぬ。でも、演出は他のやりようもいくらでもあるだろうし、やってみたいというところは出てくるかもしれませんね。
少なくともバイエルン国立歌劇場としては、あの大失敗としか言いようのない「アッシジの聖フランチェスコ」よりは百万倍も立派で、結果的に成功作かどうかいまひとつ何とも言えぬウンスク・チンの「アリス」よりも全然楽しめる娯楽ではありました。「オペラは死んだ」などと思ってらっしゃる方、ライブに接する機会があるのなら、€100くらいなら全然価値はあると思いますよ。

小生の周りはどうも定期会員の方達ばかりだったみたいで、歌手と指揮者には大いに喝采が送られてました。ウィドマン御大、出て来ましたよぉ。
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どうなるのかなぁ、と思ったら、大喝采でした。これホント。

さても、明日はフランクフルトに移動して、ライマンの「幽霊ソナタ」です。明後日は「ドクター・アトミック」。戦後のオペラ三連発、今日は遥かマドリッドでウィリアム・ボルコムの新作も初演されているんだけどなぁ。流石にピレネーの向こうは遠すぎた。

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