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誰も歌詞が判らないオペラの演出って [現代音楽]

シンガポール経由で無事に早朝の真夏の東京湾岸に戻ってきました。佃オフィスに到着するや、時差30分で夏休みでもなんでもないアデレードの歌劇団公報さんから連絡が入り、チェーンメールでやり取りし、無事に凄く良い舞台写真を3枚提供していただきました。無論、こんな無責任電子壁新聞になんて絶対に掲載しません。ちゃんと来月売りの「音友」をご覧下さいませな。

さても、機内で寝るのが下手なやくぺん先生、今日は時差というよりも半徹夜明けみたいな感じで誰も居ない厄天庵で文鳥様の巣になりながら、寝ようとすると突っつかれて寝られないでいます。要するに、ぼーっとしてる、ってこと。いやはや。

これではいけない、せっかく三部作の2つについて、感想とはとても言えぬような駄文を記したんだから、《サティアグラハ》で締め括らないわけにはいかぬ。そんなこんな、海胆頭でどーでもいいことを記しましょうぞ。

ええ、今回のグラス初期三部作のチクルス上演、演出が舞踏畑の方であることがはっきりしたときから、いちばん難しそうなのがガンジーかなぁ、と思っていたわけです。この作品、ある意味、ってか、良くも悪くも「動く活人画」ってところがあるわけですよね。ガンジーが無抵抗非暴力思想(今の日本ではいちばん流行らない、若い人達なら、中国の脅威を前に何をサヨなお目出度いことを言ってる、なんて鼻で笑いそうな考え方ですね。実際、ガンジーって、日本の若いに人は知ってるのかしら?)を作り上げていくプロセスを、史実を時系列をバラバラに並べている。ガンジー博物館に行って、指定されている順番を無視して滅茶苦茶に展示を眺めてしまった、って感じ。

その意味では、「オペラ」として最も簡単そうでありながら、演出はもの凄く難しい。そもそも、「史実を伝える」という必要があるのか、という《浜辺のアインシュタイン》的な問題をまだ引き摺っている。訳の判らぬ言葉で歌っていても、ちゃんとステージ上の物事が時系列で進んでいた《アクナトン》とはまるで違うわけですわ。

そこにもってきて、歌われているのはサンスクリット語。聴衆の、そればかりか役者も演出家も指揮者も、何を言ってるのかネイティヴ言葉として判る奴はひとりもいません。当然、歌われている言葉の内容と舞台のシークエンスは直接はなにも関係していない。強いて言えば1幕1場と、3幕3場はなんとか関係あるかも、というくらい。つまり、19世紀から20世紀前半のオペラをコンヴィチュニーにガッツリ習うセミナーなんてもんでやってるようなことは、一切出来ない。さー、どーするどーする…

結論から言えば、この演出も、当然ながら圧倒的に舞踏優先でした。この作品ではこれまでの2作のように「オペラ・バレエ」みたいな扱いが出来るほど舞踏団が出て来るわけではありません。冒頭のインド神話の戦場のシーンや、2幕1場のガンジーが南アフリカに戻って来た港のシーン、はたまた3幕1場のニューキャッスル大行進のシーンなど、舞踏というか、モブの動きが大いに期待される場面はあるとしても、やっぱり歌手の比率は非常に大きい「オペラ」ですわ。これがアンコールでの出演者勢揃い。歌手、合唱団、舞踏が同じ比率で三位一体、って感じですな。
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じゃ、それこそコンヴィチュニー・オペラ・アカデミー的な意味での「演出」は専門ではない演出家さんが何をやったかと言えば、歌手を踊らせたんですね。演技ではなく、振り付け。あちこちで出て来ては抽象的な舞踏を舞うダンサー達もいるのだけれど、主役級の歌手さんたちは場面のシークエンスにそれなり沿った演技、ってか、パントマイム、ってか、ぶっちゃけ舞踏と言う方が相応しい動きを伴いつつ、ちゃんと歌わねばならない。1幕3場の政府発行のインド人証明書を焼いちゃうシーンとか、2幕2場の新聞印刷所とか、最後のガンジーの悟りの独唱の場面もそうです。合唱団と役者が、ダンサーと同じ動きを要求され、歌わねばならない。これは大変ですわ。小規模な練習スタジオでの上演から10年もかけてこつこつ積み上げて来たハウスのプロダクションじゃなければ、ちょっと出来ない仕事でした。

舞台として印象的なシーンは、2幕2場の「インドの声」新聞社のシーンですね。ここで、舞台の上から印刷された新聞が延々と振ってきます。ヴィーンでコンヴィチュニーの《ドン・カルロス》が出た時、ポーサが連れてきたフランドル独立派が5階からビラ撒く、ってのがあったけど(1列目にいたあたしゃ、やらされた!)、あれを思い出した。シークエンスの間、延々と降ってたから、相当な量になったんじゃないかな。これ。
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英語圏だから、この内容、聴衆はそのまま読めます。

それから、やっぱり、最後の「夕暮れの歌」。初期グラスが書いた最も有名で綺麗なアリアなわけですが、ガンジーが歌っている間、舞踏団がずっと動いていて、最初から最後まで一切変更のなかった舞台奥の斜面ステージにガンジーを頂点にピラミッド型に座り、仏陀座りの姿勢になって静まる、ってのは、それなりに感動的だったとも言えるでしょう。

ただ、批判ではないのだけれど、そのような舞台の結果として、「ガンジーの非暴力抵抗主義の誕生」が「理解されたか」とか「納得したか」と問われれば、ううううん、どーだろーねー、としか言いようがなかったことも事実であります。とはいえ、前の2つの舞台を眺めてきて、この演出家の語り口に親しんだ聴衆というか観衆には、まあこういうのもありだろーなー、と納得させられるものではありました。はい。

本日、やっぱり急な気候の変化でかなり疲れていて、頭がパーです。ともかく、やっぱり予想通りに舞踏中心の演出であり、そもそも言葉と演技がイコールで結びつかないこの特殊な作品にあっては、そこまで割り切ったやり方は決して無茶ではない、ひとつの有効な解決策であると感じさせたことは事実であります。

最後の舞台を眺めていて、あああ、これは舞踏系の人の演出だ、そうそう、あのサイトウキネンが北京でやった《青髭》だとか、ロラン・ペリーだとか、そういう系統の演出を思い出しましたね。そう考えれば、大いに納得がいくわけでありますな。

てなわけで、ホントにメモ書き程度でありますが、こういうもんでありました、というご報告でありました。なお、事実関係のレポートは「音楽の友」10月号に、この作品をオーストラリアはアデレードという場所でやった意味の考察は「アッコルド」に、そう遠くないうちに書くことになると思います。請うご期待、とまでは言いませんけど、お暇ならそのときにどーぞ。

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