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解脱への道 [音楽業界]

初台で《パルシファル》を見物して来たです。ま、あちこちに感想が直ぐに挙がってるんでしょうから、当無責任電子壁新聞は好き勝手なことを記します。自分へのメモでんな。

いやぁ、一言で言えば、「クプファー先生、やっちゃったねぇ」ですね。そもそもこの巨匠演出家が初台のオファーを受けたときから、どういうことなんだろーなー、と思っていたわけだが、こういうことだったんね、って感じ。

恐らくは、これまでの長い演出家人生で、何十回となく演出してきた作品でありましょう。いくつも名舞台として知られているものもあるし、映像にもなってるのがあるんじゃないかしら(リンデン・オパーの演出って、この人で映像になってなかったかしら)。なんであれ、そういう経験を積んだ方が、バイロイトという特殊な場所とか、毎年のイースター頃のヨーロッパのデカイ劇場とか、そういう場所でずっと不満に感じてたことを、遥か極東の島国、復活祭のコノテーションなど一切ない神無月(これは意図的ではないだろうけどね)、そしてなにより一応は仏教国で聴衆の9割までが恐らく死ぬときくらいは仏教徒、という状況での新演出です。そりゃ、「よし、あれやるならここっきゃないでしょ」って思ったんじゃないのかしら。

ぶっちゃけ、ヴァーグナーの好きな方には刺激的な言い方になっちゃいますけど、《パルシファル》って、ホントは宗教音楽でもなんでもない。無論、受難曲ではない。ただ、3幕が聖金曜日ということになっていて、モンサルバートの聖杯騎士団は言うまでもなくキリスト教世界にある、ま、似非宗教音楽、みたいな捉えられ方をされることになってる。

だけどさ、あの舞台で行われてることがホントにキリスト教(の礼拝)なのかと正面切って問われると、誰だって困るでしょ。キリスト教系カルト、って言った方が正しい世界にしか思えないのがホントのところ。こんなこと絶対に口にしちゃいけないんだろーけど。クプファー先生だって、普通に生きてる(普通かどうか知らないが)ヨーロッパ人として、ずっとそう思ってたに違いない。この結末で何が救済なんじゃ、ってね。演出家なんだから、はいこうなってます、ってト書きに書かれてることをそのまま受け入れるようなおバカなわけないんだからさ。

さても、で、以下はネタバレなんでご覧になってない方は読まない方がいいんだけど、気にせず平気で書きます。舞台は極めて説明的に、ひじょーに判り易く進みます。3幕の聖金曜日の場面なんかがちょっとあっさりしてるなぁ、とは思うけど、まあこういうのもありだろう、ってくらい。ただ、冒頭前奏曲から、ひとつだけ怖ろしく違和感のある要素が見えてるんですね。

ぼーさんが3人出て来るんです。

そー、ぼーさんです。坊主です。僧侶です。仏教の教えに帰依した聖職者さんです。で、ちらりちらりとパルシファルの道行きにパントマイムで出現しては、導いたり、助けたりしてるんですわ。

カンの良い方はお判りでしょ。そーです、この演出、最後の最後にとんでもない結末が待ってます。アンフォルタスから仕事を引き継いでグラールを開帳したパルシファルは、「救済者に救済を」と全ての仕事を終えると、なんとなんと聖杯と聖槍は空中に放置し勝手に光り出すままにして、その横で袈裟着て、これでホントにええんかいなと怯んでるグルネマルツと、何考えてるかまるで判らぬクンドリーにも着せて、さっさとどっかに行こうとするんですわ。なんのことはない、「パルシファルさん、モンサルバートでのお役目を済ませると、出家してどこかにお去りになってしまいましたとさ」って結末。残された聖杯騎士たちは、起きてることが判らずぼーぜんとする奴、倒れ込む奴、中にはグルネマルツみたいにおずおずと出家したパルシファル尊師に着いていく奴らもいる。

つまりクプファー先生、「聖金曜日の王の世代交代に拠る蘇り」ってフレーザーの『金枝篇』的な話じゃなく、「閉塞感に包まれたひとつの社会を終わりにして新しい道に歩み出すことこそが蘇り」という話にしちゃってるんだわさ。解脱、ってのはあくまでもそのための手段でんがな。

いやああああ、やってくれたねクプファー先生!これ、いっかいやってみたかったんだろーなー、でも絶対にヨーロッパじゃ出来ない。仏教国のナショナルシアターからのオファーがあったとき、おおおおしやっちゃえぇ、と小躍りしたんじゃないかしら(小生、新国立劇場が出してるクプファーの演説なりの広報資料も全く見てませんし、当日プログラムも買ってませんから、御大御本人がなんか言ってるかもしれないけど、知らんです、悪しからず)。

正直、カーテンコールでクプファー御大が出て来たとき、ブーが飛びまくるんじゃないかと心配しましたね。恐らくタイの国立劇場だったらブラボーの嵐だろーが、日本ではどーなんだろー、これが受け入れられるかどうかびみょーだなぁ、って感じてた。結果からすれば、東京の聴衆の皆さん、心が広かったですね。

無論、このようなやり方をする根拠としては、ヴァーグナー自身が何度も試みた仏陀だか仏教に関するオペラの構想があり、それが《パルシファル》という作品の根っこにあるのだ、なんてクプファー先生は言い立てるんでしょうし、それは確かにその通り。あたしゃ、これはこれでありだと思いました。やっちゃったねぇ、とちょっと呆れはしたけどね。

てなわけで初台の《パルシファル》、まだ何回も公演がありますから、お金と時間のある方はどうぞ、という宣伝で終わっておきましょか。

追記:web上のあちこちに公式GPでの写真が流れ始めました。で、参考までにひとつ無断で拾ってきました。ご覧あれ、やっぱ、まんまぼーさんやねん。
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Yakupen

台風の中、ミュンヘン・バッハ管の指揮者ハンスヨルグ・アルブレヒト氏にインタビューをしてきて、本編じゃない雑談で「今、トンでもない《パルシファル》を東京のナショナルシアターでやってて、クプファー演出なんだが、それがなんと坊さんが出て来てね…」って話をしたら、「あ、それ、ありありあり、みたああああい!」と盛り上がってました。やっぱり「オペランヴェルト」は東京に記者を送るべきですな。
by Yakupen (2014-10-06 17:12) 

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