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基本ギャグ系《マクベス夫人》 [音楽業界]

メトの《ムツェンスクのマクベス夫人》を見物して参ったです。演出はグラハム・ヴィック御大で、メトではこの作品は20年くらい前にこの演出が出ただけで、その後、10年くらい前にイケイケGO-GOだった頃、メトでドンドン偉くなっていく頃のゲルギエフが出して、今回はそれ以来の再演とのこと。

《カタリーナ・イズマイロワ》じゃなくて、《マクベス夫人》です。ショスタコ・マニアさんならいろいろ細かいことが判るのだろーけど、あたしゃ、よーわからんです。ただ、オケなんかが荒々しくて下品っぽい方のヴァージョン。キャストなんぞは、ま、知りたい人はメトのwebサイト見て下さい。必要な情報は全部挙がってるでしょ。
http://www.metopera.org/opera/lady-macbeth-of-mtsensk-shostakovich-tickets

さても、ぶっちゃけ、《クリングホッファー》は何が起きるか判らぬ、複数公演押さえないとアブナイかもしれぬ。その間に見物するに値する演目はないかしら、ということで他の仕事との兼ね合いを考えつつ時期を選び、その結果、たまたま見物できただけ。極めてお気楽な気分です。それだからこそ、バルコニー席の1列目、せっかくだからと100ドルもする切符を買ったですよ。巨大なメトも、一番上の階とはいえ1列目正面まで出るとそれなりにちゃんと観えるもん。

この舞台、長方形の箱を対角線で半分に切ったものを横にして押し込んだみたいな中で全て動くので、高さがそれほどある演出じゃないけど、それでも第2幕なんぞは上の方にいかにもヴィックっぽい玩具っぽい都市のジオラマみたいなものが置かれたりして、そこで何をするわけでもないけれど、あれはファミリーサークルだったら見えないなぁ、絶対。

《マクベス夫人》という作品、もうこれは作品そのものの性格として、ギャク系で攻めるかシリアス重厚ロシア・オペラ路線で行くか、それとも上手い具合に折衷的な舞台をつくるか、はっきりした方針が必要な舞台であることはオペラ愛好家の皆さんはご存知の通り。《カタリーナ・イズマイロワ》だとロシア系で突っ込むのが正統派なんだろうが、敢えて《マクベス夫人》の楽譜を用意するのはそれなりの考えがあるわけでしょーし。

んで、今回の演出、ずっと出てるものだから今更どうこう言うもんじゃないんでしょーけど、ちゃんとヴィック御大も来ててきちんと作り直してて、指揮者もメト初演のコンロンが凱旋っぽい感じで再登場なんで(ゲルギエフじゃなくなったのは、なんかいろいろ今のロシア情勢と関係ありそうですねぇ。ゲルギエフ様、メトの首席客演だかのポスト、いつの間にか外されてるぞ)、全体のプロダクションは良く判ってる人達がきっちりやってる。

なにしろヴィック御大ですから、基本はポップでキッチュです。長くででっかい間奏曲はメトのダンサーがしっかり入って踊りのシークエンスになってて、そういう辺りもキッチュ路線。3幕の警察のシーンなんかは、もう完全にギャクでした。ロシアオペラって、最終的に「起きていることを誰が主人公ということもなく神の視点から俯瞰する」みたいな独特の舞台との距離感があるけど、この作品でもなんかみんな操り人形芝居みたいなギャクっぽさで、ちゃんと脇役達がそれをやれてて、飽きませんでしたです。あ、舞台は1950年代くらいにされてて、イズマイロワ家はテレビとか冷蔵庫があるし、亭主は車で出張に出ます。殺した亭主の死体も、車のボンネットの中に詰め込んでおいたり。

ただ、そうなるとやっぱり最後の幕、極めてロシアっぽいダークな場面を、それまでの雰囲気とバランスを取るのが難しくなるんだろーけど、流石に巨匠、第8弦楽四重奏最後のチェロ独奏でも歌われるこの作品最大の聴かせどころのカタリーナのアリアくらいからは、バカっぽさの中に悲劇っぽい空気をちゃんと漂わせてましたね。この微妙な悲劇と喜劇の配分っぷりは、演劇畑の人も勉強になるんじゃないかしら。初日なんでちゃんとカーテンコールに出て来たヴィック御大。やくぺん先生とすれば、一昨年のバーミンガムでの《光の水曜日》以来かな、この人の舞台は。
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残念ながら映像収録はないんですよねぇ、うううん、まあ、今の松竹系でやってるメトライブの「三越劇場」っぽい聴衆には観たくもない作品、ってことなのかしらねぇ。

それにしても、こういう悲劇一辺倒ではない舞台でこの作品を眺めさせていただくと、あらためてスターリンがしてくれたことの罪の大きさを感じざるを得ません。この作品を最初に、全4部作で描かれる「ロシアの女性の歴史」チクルスがどういうものになったのか、もう残念この上ない。ショスタコはそれなりに先を考えていたのかしら。19世紀の抑圧された女性の悲劇は、最後は社会主義ソヴィエト下での女性の解放の話とかになったんでしょうかねぇ?それともまるで違う、文化も背景も違う世界の女性の生き方が描かれたのかしら。極端にソ連まんせーじゃない形で完成していたら、フェミニズム視点からの巨大サイクルということで、20世紀で最も意味のある連作オペラになった可能性があったろーになー。

なお、聴衆がいちばんうけてたのは、指揮者のコンロン氏だったんじゃないかな。考えてみたらこの人、ニューヨーカーなわけだし、パリ・オペラ座であれだけの経験を積んでるんだから、レヴァインの後釜の声があっても良いと思うんだけど…どーなんでしょうねぇ、LAオペラはそんなに忙しい訳じゃなかろうしさ。聴衆は明らかに、なんか期待してる感じでした。

てなわけで、明日はいよいよ《クリングホッファー》の2回目見物です。1回目は時差が酷い時間で、1,2幕は起きてるのがやっと状態だったけど、流石に今度は当電子壁新聞になんか書きます。お待ちあれ。

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