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人生初通勤 [葛飾慕情]

無内容な駄文です。読んでもホントに意味ないですよ。

本日、老い先短い我が人生で、初めての「通勤」をしましたです。

勿論、大学院時代以降に某予備校講師などをしていた頃は、深大寺厄偏庵から多摩地区某所まで自転車で三鷹駅までエッチラオッチラ行って、中央線乗って出かけていたわけです。とはいうものの、週に何日か、午後に立川方面下りで出かけ、夜遅くに上り電車で戻ってくるわけで、まあ、とても通勤と言えたものではない。嫁ちゃんが地獄のような中央線でお茶の水まで通っていたことを考えれば、郊外散策みたいなもんですわ。

それ以降は、オフィスというか仕事場というか、資料があってそこに連絡が来て、商売もんの作文をする、という空間は、藝大学生の通り道たる根津の三段坂下でも、タモリ倶楽部日本踏切大賞にノミネートされた西武線三叉路踏切脇の目白でも、基本的に寝床と一緒だった。今世紀に入って佃に居を移し、初めて「オフィス」が分離したのだが、初代佃オフィスは路地の初代佃厄偏庵の窓と糸電話で連絡が出来る場所。その後に転居した2代目佃厄偏庵は再び住居とオフィスが合体したのだけど、数年後に諸事情でマスオさん生活をすることになり、住居部分は大川端リバーシティのハイライズ低層階に収まり、厄偏庵は佃オフィス&もぐら荘になっていた。こんな空が見える場所。
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これが過去最大の移動距離がある住居とオフィス分離で、なんと徒歩⒌分!面倒だなぁ、とは思いつつ、途中の佃公園やら大川を臨むベンチでシジュウカラやめじろん、佃堀の鷺やシギ、はたまた上空の米軍猛禽類や大韓航空「ナッツは袋」号などを眺めることも出来て、まあ、それはそれで広いお庭みたいなもんだった。

そんなこんな、この数年にいろんなことが起きて、佃オフィスを撤収することになったわけであります。最大の理由は、アベノミクスの目指す金をドンドン流して経済活性化という戦後レジュームに真っ向から対抗し、可能な限り金を使わない生活をするため。出来るだけ出費を抑え(取材費用などは嫌でもかかるんだから)、貨幣経済から離れた状況に身を置き、仕事を可能な限り選べるようにする、若しくは金にならないけど意味のある仕事を中心にしてもなんとか生活出来るようにするためです。

とはいえねぇ、本日、新オフィスたる葛飾厄偏舎(「葛飾オフィス」という言い方はしませんけど、「セーフハウス」どころか既にいろんな奴らが出入りする場所になっちゃいそうな気配が漂ってるんで、「葛飾セーフハウス厄偏舎」から「葛飾厄偏舎」と改称します)に初の通勤をしてみて、あらためて実感したです。

通勤って、凄いエネルギーと、凄い資金が必要なんだなぁ。

毎日1時間弱、地下鉄2本、若しくはバスと私鉄乗り継いでただ移動している。で、それだけのために毎回401円も取られる。これって、とんでもないエネルギーと資金の浪費に思えるなぁ。このエネルギーを移動ではなく地元活性化に使えば、首都圏の生活環境は大いに改善されるのではないかと思うことしきりでありまする。

鉄道だって、建設にも維持にももの凄い膨大なインフラが投下されてるわけで、こんなもん通勤というやり方を止めればどれだけ無駄がなくなることか。

などとアホなことを思いつつ、明日はなんとか自転車で通勤してやろうと目論み夜も更ける大川端。

明日天気になーれ!

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