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久々の企画書書き [売文稼業]

年末進行真っ只中。本日夕方を以てして来月売り号が全部閉まる年の瀬の午後、皆々様いかがお過ごしでありましょうか。以下、読者対象数人、ってか、ホントは皆無。全く無意味な雑文でありますので、読む必要はありませんよ。悪しからず。

もうすっかり半隠居状態のへっぽこ三流売文業者やくぺん先生としましても、朝からかなり頭を抱えちゃうような原稿の直しやら、おいおいおいとしか言いようのない追加とか、バタバタと時が流れていく日でありましたが、ともかくもう全部オシマイの時間とあいなり、いやぁ終わった終わった、ってか、ぜぇぜぇと肩で息してぐったり、って感じのこの瞬間でありまする。ふうううう…

さても、これから来月2週目の頭に新年初荷原稿締め切りがひとつやってくるまで、案外とノンビリした時間が広がっている…というわけでもありませぬ。こういうお尻を叩かれるような状況でないときでなければなれないことをせねばならぬ。フリー売文業者の真骨頂、海の物とも山の物とも判らぬ売り込み、出版社編集者様プロモーション用の「企画書」作文をじっくりとやるタイミングなのでありまする。

今、なんのかんので足かけ3年になってしまう共著本が、今度こそ最後の段階に入っていており、まあ逆に言えばもうこっちは「編集者様、全部お任せ、宜しく御願いします」としか言いようが無いのだけど、極めて半端な感じになっている。そんな気分を少しでも盛り上げるために、やるぞやるぞ、久しぶりの企画書、うったるぞぉ、買ってくだされ、編集者様、出版社さまぁ!

というわけで、久々の「企画書」というフォーマット、書き方を忘れちゃってるので、パソコンのハードディスクの中でも滅多に近寄ることのない禁断の空間、ボツだった企画書が山積みになっている「企画書の墓地」を恐る恐る開いてみると…おおお、懐かしきこの世に生まれ出なかった企画たちの群れよ。いやぁ、どれもこれも、本当に愛おしい。涙が出るようだよ、おとーさんは…

さても、何故ダメだったのか、古くは四半世紀から10年くらいの年を経て、出版産業が最悪の氷河期を経て、実質上「出版社という仕組みを維持するための出版というシステム」が再構築されつつあるような気配もある21世紀10年代半ば過ぎの今、もういちどみなおしてみるべーか。やくぺん先生ボツ企画棚卸し日干しでありますな。取材をある程度進めたものもあり、企画段階で全く問題にすらならなかったものもあり…

◆『サイトウキネンの母たち』◆
90年代の半ば、まだなんとなく年に1冊くらいは単行本ってフォーマットがやれそうな感じがしていた頃に着手した企画であります。どこで出版するかはまともに考えることもなく、ともかく「やります」と勝手に宣言して、取材もちょっとですが始めていました。中身は、題名からお判りのように、その頃一世を風靡していた松本のサイトウキネン管の第一世代メンバーのお母さんたちに「なんであんななんにもない大変な時代に息子や娘に音楽なんてもんをやらせようとしたのか」を聞き取りしていく、というもの。具体的には、『黑沼本』の取材の中から生まれてきた構想です。あああ、これは今やっておかないとなぁ、って。
案外と簡単にいくかな、と思ったんだけど、結局、取材を中止してしまった。理由ははっきりしていて、このテーマ、子供のための音楽教室の起ち上げ時にヴァイオリン・セクションの実質上責任者で、齋藤秀雄氏の右腕となって動いたヴィオラ奏者の河野俊達先生がお書きになってらっしゃる本があり、どうやってもそれと被る、ってか、その補強版にしかならない。やるならやっぱり俊達先生との対話みたいな形にするのがいちばんいいだろうし…なんて思ってるうちに、俊達先生がバッファローからDCにお引っ越しになったり、取材対象の方々が取材不可能になっていったり…
一言で言えば、完全な力不足企画でありました。今なら、もうちょっと格好を付けられるだろうになぁ、とは思うものの、なんせ四半世紀とまではいかないまでも、これだけ時間が経つと時間切れ。個人的には、聖路加教会で小澤さんのお母様を送る会に列席させていただいたとき、この企画も完全に終わったと感じておりまする。

◆『日本の音楽祭ガイド』◆
これまた90年代半ば、ムック本なんてもんがジャンジャン出ていた頃に出した企画書。どこに出したか、記憶にないなぁ。まあ、なんにせよ音楽関係出版社とかだったと思いますね、これは。
中身はこれまた明快。日本各地で開催されてる「音楽祭」というものを写真などを沢山いれつつ、纏めて紹介するもの。腕の良い写真家さんと組んで、「とんぼの本」とかをイメージしてたっけ。
なんでダメだったか、要は、「日本のクラシック音楽の音楽祭の本なんて、需要ありません」ってことだったような。ザルツブルクとかバイロイトとかならともかく(まだルツェルン音楽祭なんてなかったんじゃないか、あの頃)、商売にするにはマーケットが小さすぎる。ま、言われてみればその通りだけどさ。
この企画、結果的には流れ流れて『ゆふいん本』にまで繋がっていると言えば繋がってるわけで、その意味では全く死んだわけではなかった、のかなぁ。もうやる気はない企画ですな。

◆『シモン・ゴールドベルク伝』◆
言うまでも無く、御大の評伝。未亡人がお亡くなりになったあと、これはちゃんと誰かが纏めておかないとマズいぞ、と思って企画書を書き、某財団に出版助成のアプリケーションまでした企画です。出版が最も冬の時代に入っていた21世紀0年代のこと、どっかの出版社がやってくれるなど夢のまた夢でありましたし。
幸か不幸か、助成金はあっさり却下。それだけではなく、未亡人ご親族や関係者が「ゴールドベルク講義録」のようなものをやっているという話で、となるとそっちが形にあるまでヘタなことはしない方がよかんべーと引き下がった次第。まだ未練はあります。ただ、関係者がどんどんいなくなってますからねぇ…うううん。

◆『お祭りのつくり方』◆
ある意味、妄想で終わった企画。佃二丁目町会に関わっていた頃、この街の最大のイベントである所謂「佃の祭り」、住吉神社例大祭が開催される顛末を横からと言うか、斜めからと言うか、ど真ん中ではないけど中から眺めることになり、「あああ、これはとんでもないイベントだなぁ」とつくづく思わされ、起きている様々なことを記録するだけで新書くらいは直ぐ出来ちゃうぞ、と思った。
企画としてどこかに出す以前に、こんなことは出来るもんでしょうかねぇ、と周囲の人にそれとなく話すと、「それはヤバイから止めなさい」と言われた。理由はもうハッキリしていて、近代的なイベントマネージメントの視点、いやそれどころか近代的な市民共同体の経理なんぞの視点からしても、祭りにはアヤシいところ、もっとはっきりいっちゃえば「ヤバイ」ところがあり過ぎるみたい。なんせ領収書なんてあるんだかないんだか、という世界です。これ以上は、流石にこんな無責任電子壁新聞にだって記せないない。お判りの方は、もうよーくお判りでしょ。
今や佃縦長屋の居候みたいな住民となり、地上の方々とは一切の縁が無くなってしまった。町会に引っ張り込んで下さったお隣の魚河岸ご隠居もなくなり、路地の家も無人になってしまった。当時の町会長さんは隠居し、通りのお店も閉めっちゃった。遙かシン・ゴジラくらいの視点から見下ろす佃の路地は、もうやくぺん先生には無限に遠い世界…こうなると、こんな企画、到底できっこないっす。

ふううう…死んだこの歳を数えるような作文になってしまったなぁ。まだまだあるけど、もう止めましょ。さあ、ぐぁんばって、形になりそうな企画書を書くぞおお、ゆーちゃん!かくぞおおおおおおおお!

[追記]
わ、27日夜、気楽に企画書弄ってたら、まだ来ないと思っていた単行本一冊の校正が来てしまいました。出版社年末年始休暇に入る前に、社長さんが超特急で出してくださってしまい…しょーがつがなくなってしまったじゃないかああああ!

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