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アメリカ合衆国が欧州に出来ること [演奏家]

いくらでもある過去3週間の弦楽四重奏漬けネタから。かなり微妙な話で、あくまでも「書いてあることはみんな嘘、信じるな」をモットーとする当電子壁新聞でのネタですので、そのつもりで。決してどっかに引用したり、言いふらしたりはしないこと。よろしーかなぁ。

アムステルダムのビエンナーレ何日目だか、毎日お昼前には、マスタークラスとか公開リハーサルとか、はたまた作曲家の演奏家を交えたトークとか、そういう時間が用意されておりました。そんなイベントのひとつとして、エマーソンQのヴァイオリン奏者フィリップ・セッツァー氏が地元の若い弦楽四重奏にマスタークラスをする、というのがありましたです。
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正確に言えば、マスタークラスじゃないなぁ。複数の弦楽四重奏奏者を集め、セッツァー御大は第2ヴァイオリンに座り、楽章事に若い奏者を入れ換えながらヴェーベルンの作品9をきっちり解説しながら通しで演奏する、というもの。なんせ各楽章スコアで1ページの超短い曲ですけど、こううやり方で全部通すと、しっかり1時間半くらいかかる。その辺りの時間管理も流石だなぁ、なんて思ったりして。

で、この公開お勉強セッションで、セッツァー氏がいろいろ喋ったわけですよ。作品の中身については、ちゃんと入口で聴衆全員にスコアが手渡され、それを追っかけながら聴ける。「ヴェーベルンのこの曲では、主旋律部と伴奏部がはっきりある」とか、「この部分は猛烈にリズムが難しい、どうやって練習すればいいかといえば…」とか、「第4と5曲は簡単だから…」なんて身も蓋もない発言とか、ま、とてもとても面白い。

それはそれとして、なによりも興味深かった、というか、へええええ、と思わされたのは、まず冒頭一発、セッツァー御大が語り始めたことでした。「私はユダヤ系で、その私がヴェーベルンについていろいろ語るのは…」って。え、と思うでしょ。どーやらセッツァー御大、ヴェーベルンを語るにおいてある種のタブーになっている、ってか、殆どみんな語ることのない、「ヴェーベルンはナチスのシンパであった」というところから話を始めたわけですわ。ヴェーベルンはとても状況に左右されやすい人だった、彼のナチスに対する態度というのも時代の空気に流されたようなもので…って調子。

へえ、そこからかい、でしたね。やくぺん先生のようなノンビリした極東の島国の住民とすれば、ヴェーベルンを語るにそこから始めにゃならんのか、と驚いてしまうわけですよ。でも、セッツァー氏には、それが必要だった。語るのがアムステルダムという場所だからなのか、いつもそうなのか、それは判らないけど。

新ヴィーン楽派の3人の「人となり」を説明するのに、こんな比喩を語っておりました。曰く、「ベルクに「おはようございます」というと、大喜びで周りで飛びまわって、おはようおはよう、と人なつっこくしている。ヴェーベルンに「おはようございます」というと、耳を押さえて、そんなに大きな声で言わないでくれ、としゃがみ込む。シェーンベルクに「おはようございます」というと、それはどのようなコンテクストでどのような意図で言ってるのかね、と問い返してくる」って。

テープを回していたわけじゃなく、もう1週間も前の話を記憶で書いているので、この通りの言葉で仰ってたわけじゃ無いだろうから、雰囲気だけ判ってください。でも、なんか、とっても納得するでしょ。聴衆も爆笑でした。

ついでに、なんかの拍子でヴェーベルンの殺され方の話になった。皆様ご存知のように、煙草を吸おうと家の外に出て火をつけたら、戦後進駐してきた米軍の兵士に不審な行為と思われ何かを言われたが、英語だったので判らずぼーっとしていたら、兵士は規定に従い不審者と判断しヴェーベルンを銃撃し、ヴェーベルンは殺された、という史実ですね。この話にはまだ続きがあって、ヴェーベルンを撃ち殺した米兵はチェロ弾きだったそうな。いくら軍命令に従ったからといえ、自分がしてしまったことに大いに悩み、精神的におかしくなり、酒浸りになり、数年で亡くなった、という。これ、知りませんでした。誰でも知ってることなんだろうなぁ、ちょっと恥ずかしいけど、知らないまま死なないで良かった。うん。

これらの話、極めて具体的なヴェーベルンらの人となりから楽譜の読み方まで、考えてみれば1951年生まれのセッツァー氏が直接知る筈がない。なんで彼がいろいろ知っているかと言えば、その師匠フェリックス・ガリミアから散々聞かされた、ということ。3人の作曲家の人となりについても、ガリミア先生が仰ってたことだそーな。新ヴィーン楽派の室内楽に直接関わり、ナチスに追われて北米に渡り、今の音楽史で「楽園への追放」と言われる状況を担った代表的な人物でありますな。

やくぺん先生も一度だけ、いろんな状況で大変にご機嫌が悪いときにインタビューさせていただいたことがあるだけなのだが、ガリミア先生はジュリアードやらラサールやら(でしょ、違ったらゴメン)、はたまたエマーソンやらに、大戦間時代欧州の「演奏伝統」をきっちり伝えた。そういう人達は多くはユダヤ人だったりしたため、多くがソ連かアメリカ大陸に逃げた(イギリスに逃げた連中が、アマデウスQを作ったりしているけど)。戦を離れた平和な、自由な場所で、大戦間時代、はたまたそれより前からの「伝統」を、若い世代に伝えた。戦後なにもなくなった欧州からわざわざ北米に留学し、それらを学んだ者らも、アルバン・ベルクQを筆頭に、いくらでもいる。

セッツァー氏のヴェーベルンについての言葉の向こうには、常にガリミア御大の存在がある。そして、それを、今の若い欧州やアジアの学生らに伝えようとしている。

なるほどねぇ、これがアメリカ合衆国が欧州に出来ることなわけか。エマーソンQが偉いのは、グラモフォンからいっぱいCDが出ているからじゃあなくて、そのやっていることの後ろに付け焼き刃ではないしっかりとしたバックグラウンドがあるからなのであーる。

ヨーロッパにとって「歴史的な情報に基づいた演奏」は、自分らがぶち壊してしまった「伝統」はそれはそれとして、その遙か向こうに遡ることで己のアイデンティティを確認する作業なんだよなぁ、なんてあらためて思ったりもして。

それにしても、かのトランプ大統領様は、「アメリカ」がそういう機能を果たす場所である、あった、ということは、特になんとも思ってらっしゃらないのでありましょうねぇ…嗚呼。

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