SSブログ

世界でひとりしか演奏できない作品 [現代音楽]

夏の終わり頃に病人認定され、当面は遠くにいけない体になったお陰で、ホントに久しぶりにトーキョーという場所で開催されるいろいろな演奏会やらイベントを眺めるようになり、まるで20世紀終わり頃に戻ったみたいだなぁ、なんてノンビリ感じる隠居初心者でありまする。なんでまだ年金貰えないのか、納得いかんぞぉ!

最大の変化は、このところご無沙汰気味だった小規模な、敢えてぶっちゃけた言い方をすれば「マイナー」とか「インディズ」と表現するのが最も相応しい「ゲンダイオンガク」系の演奏会や新作オペラに足を運ぶ機会が増えたことでしょう。まあ、余りにしっかりと確立した蛸壺業界だけに、今更横から眺めて何を言ったところで何が変わるわけでもないし、蛸壺に入ってない方々には全く関心がない、室内楽やら弦楽四重奏以上に関心がないせまああああああああああぃ特殊なジャンルなんでねぇ。

とはいえ、そんな狭く特殊なジャンルでも、ってか、狭く特殊なジャンルだからこそ、内部にはしっかりとヒェラルキーみたいなもんがあって、メイジャーとマイナーはハッキリしている。昨晩は50代から60代くらいのいろんな地道な活動をなさってる作曲家さん達が集まって弦楽四重奏の新作を発表するという地味ぃな演奏会に参上し
IMG_1697.jpg
演奏していた千葉期待のチェロ奏者Iくんから「なんで来たんですか」みたいな顔をされたり(作品は、「ああ、これ緩徐楽章はアンコールとかに使えるじゃん」という曲がひとつあって、作曲者さんの経歴をみると、それなりになるほどね、と思わされる方だったりして)。んで、本日は「ゲンダイオンガク」とカタカナ書きの差別用語で語られる類いの、正統派メイジャー系演奏会に行って参りました。場所も正統派メイジャー系、ああ堂々のゲーテ・インスティテュート、ましてやかつて黒い服着た髪の長い美女がむさ苦しいアーティスト系怪しげな親父と連れだって集まった(←この偏見発言についてこられる方は、オッサン認定ですっ!)ゲンダイオンガクの巣窟たる草月会館の裏手。今は新帝がお住まいになる御所の南なんで、高橋是清邸宅跡なんぞで日暮れ過ぎにコンビニの肉まん食ってると職質されちゃう場所なんだけどさ。

そんなこんなで、見物に参ったのはこの演奏会、ってか、シリーズ。
https://www.goethe.de/ins/jp/ja/sta/tok/ver.cfm?fuseaction=events.detail&event_id=21648741
ゲンダイオンガクの演奏、即興にも方法があって、やり方をみんなで議論して…って、今も残るダルムシュタット国際現代音楽祭の伝統、ってイベントです。
IMG_1723.jpg
実際、先程の無伴奏ヴァイオリン(正しくは「ヴァイオリンとエレクトロニクスの二重奏」ですけど)演奏会で作品が披露された作曲家の中にも、30代から40代くらいの人で「ダルムシュタットで学ぶ」って懐かしいというか、「ちゃと東大出ました」みたいな経歴が記されている方もおりましたです。

このジャンルといえば、もうなんといっても圧倒的的にアーヴィン御大の存在が光り輝いているわけでして、実際、ディロンの無伴奏曲など、もう誰が聞いても「これはアーヴィンに頼まれて書いたな」としか思いようがない。そんな中で純粋に作品として面白かったのは、オーストラリア国籍の中国系作曲家らしいリザ・リムという方の《蘇頌の星図》という曲。今時常識となった様々なヴァイオリンの特殊奏法、特にグリッサンド系の奏法と伝統奏法のバランスが絶妙で、それなりに音楽に形があって楽しめるもんでした。考えてみたら、中国系作曲家さんでこの類いの現代ヴィルトゥオーゾ系無伴奏ヴァイオリン曲って、聴いたことなかったかも。胡弓を筆頭にグリッサンドや平均律音程と無縁の単線音楽の膨大な広がりがある文化圏からは、まだまだこのジャンル、新しい響きの発見がありそうな気がしますね。

もうひとつ、すっかりお年を召された感じの松平先生が70年代終わりに書いた《アキュミュレーションズ》なるヴァイオリンと電子音の共演作品は、一発アイデアだといえばそれまでだけど、面白かった。要は正に題まんまの「ライヴ・エレクトロニクス」で、無伴奏ヴァイオリンを演奏するのを拾い、30秒遅らせたその演奏録音を次々と重ねていく、というもの。ものすごい濃密な響きになって、いやぁ、ある意味バブル期っぽいゴージャスな響きになるんですわ。これ、ライヴで聴かないとわかんないだろうなぁ。

そして本日のメインイベントは、最後に置かれた足立智美というヴィデオアート系の作曲家さんの《甘い16才・日本 ビリアナ・ヴチコヴァのための》という作品でした。この作品を説明し始めるとなかなか面倒で、だけどその作品が生まれる経緯そのものが作品というところもあり、説明しないわけにはいかんのだがぁ…

本日の演奏者たるヴチコヴァという40代後半くらいのブルガリア出身のヴァイオリニストさん、今でこそゲーテ・インスティトゥートでソロ演奏会があって100人くらいの音大作曲家学生やら作曲家さんやら現代音楽関係者、愛好家がやってくるドイツの伝統現代物の専門家として知られているわけだが、バブル時代のニッポンではお茶の間にまで知られた存在だったのでありまする。なんとこの方、15才のソフィアだかで学ぶ学生時代に、明治ブルガリアヨーグルト・プレミアムのテレビコマーシャルに出演し、超絶美少女がパガニーニ弾いてブルガリアヨーグルトを美味しくいただくお姿が日本中に流されていたのでありますよ。このYouTubeに落ちていた1988年懐かしのCF集の最初に出てくる奴です。このお嬢さんが、今は立派なおばさまになっている。
https://www.youtube.com/watch?v=ExvLcsH2W9c

で、この作品、ヴァイオリニストさんが引っ込んで、なんとこの白いブラウスに着替え、髪の毛を後ろに結んで登場する。おもむろにヴァイオリンにピックアップマイクを付けて、タブレットを手に、たどたどしい日本語で「私は15才のときに学校に日本の広告会社の人が来て、オーディションがあって、コマーシャルに出ました」という経緯を話し始めます。で、このCFが後ろのスクリーンに流される。それから、日本でそのコマーシャルフィルムを見て、自分は作曲家になろうと思った同世代の子が語っている内容を、ヴァイオリニストさんが語る。なんと大人になってベルリンに来たら、あの彼女がゲンダイオンガク業界にいてビックリ、って。んで、そこからが本編といえば本編で、コマーシャルフィルムをあれこれ加工した映像作品(映像だけではなく、音楽やナレーションもそのまま加工している)に、30年後の元超絶美少女、今は美人のおばさまヴァイオリニストがライヴの演奏を重ねていく「ライヴ・エレクトロニクス」作品となっていく。

ま、話だけきくと、これまたアイデア一発もんだろうとしか思えないのだが、なんとなんと、ここで起きてくる「時間のズレ」とか「断片化された過去と現代の響き合い」みたいなものが、ものすごい叙情性を醸し出すんですなぁ。一種の私小説みたいな、なんか小説なら今時の芥川賞なんかで喜ばれそうなもんだぞぉ、ってね。無論、その時代を生きていた人たちには、あの頃の自分は…なんて爺くさいこっぱずかしくて他人様には言えないようなあれやこれやの記憶も重ね合ってくるし、ましてやここはかつて「ゲンダイオンガク」を聴きに通ったドイツ文化会館であり新草月ホール、向こうにはたくさんのカナダの現代音楽を聴かせてもらったカナダ大使館だってあるじゃあないかい…

音楽というアートを叙情的にしたかったら時間を操れ、という鉄則をあらためて見せつけられたような、考えようによってはヴィデオアート作品の王道が展開したのでありました。

この作品、最大の問題は…これだけのインパクトを与えるには演奏者がヴチコヴァ女史以外にはあり得ない、ってことなだけどねぇ。ま、それはそれで良いのかな、永遠の再現性を求めているわけじゃなのだし。

高橋是清公園界隈、21世紀の10年代が終わろうとする秋も、まだまだ面白い。まさか近辺に弦楽器専門雑誌の編集部が出来ようとは思ってもみなかったけどさ。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。