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追悼:ピーターといた風景 [演奏家]

長野市芸術館、ってか、要は長野市役所庁舎の1階に座ってます。長野市が自前のオケのコンマスさんを実質上のプロデューサーに立ち上げた弦楽四重奏団の旗揚げ演奏会を拝聴に参ってますです。

ここに至る途上で、ピーター・サーキン氏の訃報を知りました。どのくらいピーターと関係があった方なのか知らないけど、ともかくトマシーニ御大がNYTの主筆として追悼文を書いていらっしゃいます。なんか、音楽評論家というよりも、ちょっとアメリカのローカル紙の追悼文みたい…でもまぁ、これはこれ。
https://www.nytimes.com/2020/02/01/arts/music/peter-serkin-dead.html

正直、恐らくは小生とお嫁ちゃまの間では、その方が亡くなったということがホントの意味でただ事ではないと感じるであろう数少ない方の一人でありました。ですから…かえって、あんまりこんな無責任私設電子壁新聞でどうのこうの書き立てる気にもなりませぬ。ともかく、事実として、ピーターが逝ってしまった。うん、しんじゃったよ、ピーターが…

音楽家、というよりも、音楽との時間は、自分が生きている時間の流れとはちょっと別の、時系列がぶっ飛んだ引き出しの中にパッケージにされて入ってるようなところがある。この一報に接してから、ピーターと過ごした(っても、もう殆どは聴衆として遙か彼方のステージ上にいるピーター氏と音を通して接していただけなんだけど)時間のあれこれを、ピーターがいた風景のあれこれを、冬なのに雪のひとつもない、まるで秋の終わりのような信州の晴れた空の下を車窓に眺めながら、ぼーっと思い返していた。始まりは、これ。1990年だったようだ。撮影は、ほったさん、かな。勿論、力丸くんパパです。
IMG_3110.jpg

古めかしいフィラデルフィアのアカデミーの天井桟敷から、遙か下の方でヒンデミットの協奏曲を弾いている豆粒のような勇姿。

考えてみればやくぺん先生が生涯で数度しか座ったことないNHKホールの1階から、エーリッヒ・ベルゲル指揮のN響さんの前でモーツァルトの若い頃のコンチェルトをぶかぶかなんか呟きながら披露していた後ろ姿。

ベルリンのフィルハーモニーで、眺めていてもちっとも面白くないアバドとの練習をぼーっと眺めながら、ピーターもブラームスの2番の協奏曲ってのはいろんな意味で大変だなぁ、なんて無責任に思いながら終わるのを待っていたときのまったりした空気感。

そう、ベルリンといえば、なぜかピーター様のご指名で武満のCDジャケットのためのインタビューををするためにベルリンまで行かされ、皆様ご存じ、自由大学ホール真ん前のホテル・エクセルシオールに泊まり込み、毎朝、今日はインタビューが出来るかファックスで連絡が来るのを待っていた。どうしてあんなことになったかわからないけど、今日も結局インタビューがないと判ると、バスの乗り放題券で統一後数年の工事現場のようなベルリンを歩いてまわっていたっけ。そういう風景の向こうにも、ピーターがいた。

そうそう、お嫁ちゃまとの結婚式だか新婚旅行だかの当日が、文化会館小ホールでピーターがベートーヴェンの後期3つを弾く、という凄い演奏会とぶつかって、夫婦して涙をのんでいた、なんてアホな記憶もあるなぁ。いやはや…

ボストン響のカーネギー定期が小澤氏指揮独奏ピーターで演目はリーバーソンの第2ピアノ協奏曲だったんだけど、案の定というか、作品が出来ず、驚くなかれ武満の《riverrun》と《アステリズム》になり、狂喜乱舞したこともあったっけ。
そういえば、小澤氏がボストンを辞めたあと一度だけ復帰したときの独奏もピーターだったっけ。あのときは、ホントに遠くから手を振るだけだった。
その小澤氏が来ない北京のサイトウキネン・フェスティバルでは、ピーターが独奏する《合唱幻想曲》のコンミスに、富山のニックのセミナーを受けていた学生さんが座っていたこともあった。あれもまた、ピーターのいる大切な風景のひとつ。

そんな、いろいろに刻まれた風景が、もう、これからは増えることがない。それが、人が世を去る、ということ。

これから長野で始まる新しい弦楽四重奏団は、どういうわけか、Riverun弦楽四重奏団というそうな。これが最後の、ピーターが向こうにいる風景…なのかな。

ピーターさん、いろいろ、ありがとうございました。まだしばらく、あたしたちは、こっちにいます。


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へびのくりん

ここ数か月間NYマネジメント会社のwebで,真っ白なままの彼のスケジュール表を見るのが本当に恐ろしかった。もう再びblue peterが揚がる事はないんだ…。
私はつねづね,シェーンベルク作品集以来ご無沙汰になっていた彼のソロアルバム発表を夢見ていた。1/7コンマミーントーンを綴じ具にルネサンス期の小品を基本セットとし,後はバッハから現代までの作品を自由自在に組み替える加除本の様なプログラムを再現できるアルバムは,CDという形式では限界があるだろうと思っていた。
一方彼はCDアルバムに見切りを付けたのか,You Tubeへの露出が目立つようになった。Julia Hsuと組んだ連弾プログラム,Bard Conservatoryの学生達と組んだthe Mozart Project,そこには彼自身が手掛けた編曲作品もあった。かつて彼は,対位法や和声の原理がバッハ~ショパンの時代の様にはもう教えられていない現状を嘆いていたが,そうした企画の意義はおろか活動自体の報道さえ,国内ではついぞ見つからなかった。
2018年6月にはとうとう彼自身がYou Tuberデビューしてしまった。Brunswickの路上ピアノでバッハの小品を普段着で演奏するシリーズで,鳥の声や車の音が入ってもそれが心地良い(途中スマホが落下しても演奏を続け,演奏後に苦笑いで下を覗きこむテイクの閲覧数が一時期一桁多かった)。2017年8月に広島で「明子さんのピアノ」を演奏したことが新聞報道されたが,その時と同じ親密に語りかける様な彼の姿,雨が土にしみ込むように心に入る音が今はなつかしい。
by へびのくりん (2020-02-05 22:30) 

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