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コラージュは歴史ではない~《フィデリオ》から《照らし出された工場》へ [現代音楽]

猛烈な颱風が迫り、これはもう日月で新帝都に戻るのは無理なのでは。それでも今晩の野外でのクセナキス上演は強行、というなんとも泡立たしい秋吉台国際芸術家村の朝です。
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昨日はともかくここまで来て、午後から延々と9時過ぎまでGPに付き合い、担当者さんに話を聞き、今日はやることやってあるのであとは流れを視ているだけ、という気楽なんだか慌ただしいんだかよー判らぬ状況。外では小ぶりの雨の中をセキレイさんたちが遊び、まだ街に下りていないめじろんたちが深い緑の中で追いかけっこをしている。山ひとつ越えた向こうは世界の観光地たるカリスト台地なんだけど、ここはどこにでもある中国地方脊椎部分の山の中。夏から秋の鳥さん達に入れ替わる頃なのだろうけど、颱風が行ってくれないとどーしよーもないでちゅん!

昨日の朝5時前に佃縦長屋を出るために、一昨日の初台での二期会《フィデリオ》はホントに眺めただけ。天井桟敷の下手側で、下手舞台や奥で何をやってるか判らず、ピットも全然見えず、という場所で、あの演出ならいかな我らがえーちゃんでも「燃えに燃える歓喜と勝利の大合唱」というわけにはいかず、その意味でお歳なりの新境地(本人にそんなこと行ったら絶対に嫌がるだろうけど)を聴かせていただいたから十分でございます、ともちゃんも冒頭一発、ご苦労様、ってだけに止め、「演出」に関しては「あああ、なんかそういうものも音楽演奏と一緒にやってたなぁ」と馬鹿臭い政権与党の権力争いをシラッと眺めるニッポン国民くらいの感じでスルーするつもりでありました。どうやら、平戸まで真っ正面から観ないと判らない部分も多いという声も耳に入りますもので。

とはいえ、「なんなんだろーねー、あれは…」という気持ちはずっと引っかかっており、そんなところにノーノが1964年という深作歴史イベント・コラージュでは無視されていた重大な年に作られた《照らし出された工場》などという、もの凄く極端に言えば深作演出と繋がるコンセプトとも誤解出来る作品を目の前で練習されたもので、クセナキスの大音響の中でちょっと考えてしまった。
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こういう曲、っても、これだけじゃ判んないかな。ま、関心がある方は勝手に調べてください。「パヨク」ノーノの真骨頂、って曲ですから。
https://www.youtube.com/watch?v=yzcAzCEtAbs

そろそろ朝ご飯に行かねばならないので、後の自分の為のメモとして「感想にならない感想」を箇条書きにしておくと…

※演出家氏による戦後史のコラージュ(戦後史の記述、と誤解してはいけません)が時系列で流れるスクリーン部分と、舞台の上で展開しているフランス革命時代の「脱出劇」(しかしまぁ、これならヴィーンに入ってきたナポレオン軍の兵隊達にも受けるだろうと思って《レオノーレ》の初演をやったんだろうが、実際に似たようなことが日常茶飯事で経験してきてる連中相手にこれやってもなぁ…)とは、基本的に関係ない別物である。「異化」とまでは言わないけど、正に巨大なコラージュ。

※二期会という「歌手の皆さんの上演団体」が、2020年春先からの「歴史の現実」に対しリアリティをもって応える、ぶっちゃけ、歴史の状況を自分のこととしてホントに関与して何かを発信出来るのは、最後の大合唱の部分なのだろーなー。歌手の皆さんがこのように現状を理解しようとしているのか、という意味では、極めて興味深いものであった。

以上です。歴史コラージュですから、ひとつひとつの断片に「意味」を探しても意味はない。まあ、意味探しをやりたかったらやるのは勝手ですけど。でも、ノーノみたいな、何かの結論を導かせるための装置にはなっていない。それが意図なのか、失礼ながら演出家さんの基本的な力不足なのか、それはご覧になった方の受け取り方次第。

どうやら、昨日の舞台の後には演出家さんのアフタートークがあって、雄弁に語られたそうで、それを拝聴すれば「へえ、そうなんだぁ」と思うのでしょう。そりゃ、思うに決まってます。でも、あくまでも演出家さんのひとつの見方でしかないことは、ご自身がいちばん良く判ってるだろーし。

ま、「みんなが勝手にいろいろ議論出来るような仕掛けを作る」というのが今時のクールな演出や舞台ですから(丁度1年前の《Written on Skin》みたいに、悪辣なまでに「多彩な議論の仕掛け作り」に徹した作品こそ、成功作やら傑作やらとして評価される昨今なわけで)、ニッポンという土俵からこういう舞台が出てくるのは、まあ、そうなんだろーなー…

おっと、食堂が閉まってしまう。以上、実はこの駄文、ベートーヴェンはダシで、ホントは一言も記していないノーノの感想…なのかな。それにしても、ホントにノーノとクセナキスやるのか、颱風迫る夕方に。

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ハンスリック

う~ん?確かに「フィデリオ」は、政治的オペラで、第二次大戦アメリカ開戦前のワルターのメト公演、大戦後ザルツブルク音楽祭のフルヴェン、ウィーン再建のベームなど・・・あるけど。劇としてレオノーレ、ロッコ、時空飛びすぎだろう。隣の席の人が、開演中目をつぶっていました。ある意味正解!!
by ハンスリック (2020-09-06 08:51) 

Yakupen

どうも周囲に褒める声ばかりなんで、ちょっと安心しました(笑)。

この演出、ある評論家氏の意見では「コロナで当初の構想が変わってああいう終わり方になったんじゃないの」とのこと。確かに、そう考えると納得は出来ますが…それならそれできちんと纏める力(腕力に近い)が演出家さんに必要になるけど、それは流石に無理だったということなんでしょうかねぇ。

個人的には、《フィデリオ》、というか《レオノーレ》主題の一連のオペラ群は、「政治的」な作品ではないと思ってます。ああいう状況がある意味での日常茶飯事だったフランス革命後の10年くらいのフランスの日常の状況が前提で、初演1年前にベートーヴェンに台本を持ち込んだ興行主は、初演がたまたまナポレオン軍ヴィーン占領から数週間で見物に来るのがフランスの軍人ばかりでも、このテーマなら全然OKどころかタイミング的には大ラッキー、と思ったんじゃないでしょうかねぇ。

by Yakupen (2020-09-08 08:59) 

Yakupen

ちなみに、《フィデリオ》に歴史、戦後史を重ねる演出はドイツの田舎のムジークテアター系劇場では定番パターンのひとつで、「〇〇の劇場で似たような演出を観た」という話はマニアさんの間ではたくさん上がってますね。まあ、それは判ってやってるわけですから。個人的には「日本の聴衆を前提にした戦後史コラージュ」に徹してくれれば、あれはあれで意味があったろうに、と思いましたです。忖度社会ニッポンでは難しいだろうけど…
by Yakupen (2020-09-08 09:07) 

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