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パンチャス氏逝く [演奏家]

年の瀬に連日のろくでもないニュースで、ちょっと嫌になってしまうのだけど、ギトリス翁とは対照的に日本のみならず世界でも殆ど報道がないようなので、当無責任電子壁新聞くらいには大きな訃報として記しておきます。

アジアユースオーケストラ(AYO)の創設者で、香港在住(多分)のアメリカ合衆国(多分)の指揮者リチャード・パンチャス氏が、お亡くなりになったそうです。

といっても、クリスマス休暇の真っ只中とはいえFacebookは9月に「カリフォルニアからやっと香港に戻れます」という書き込みがあったっきりで更新されておらず、日本語のAYO公式サイトにもなんの情報もなく、ソースが「書いてあることはかなりやばい、信じるなぁ」で有名な世界一早耳の業界ゴシップサイトSlipped Discなんで、ちょっと危ない気持ちもするんですけどぉ…一応どこから引っ張ってきたかわからぬオーケストラ総監督の引用まんまが張り付けてあるし、元メンバーの方がフェイスブックで情報を挙げていたりしますから、まさか訃報の捏造はないでしょう。
https://slippedisc.com/2020/12/orchestra-founder-dies/

リンク先が消えちゃったら困るから、総監督さんのステートメント、張り付けさせていただきます。

Dear AYOers and friends,
It is with deepest sadness and a broken heart that I inform you our beloved Mr. P has left us this morning due to the complication caused by pneumonia.
Over the past 25 years I worked with Mr. P side-by-side in AYO to create special opportunities to the young people. Going through rough time and good time. Experiencing many adventures. Before his departure, Mr. P wished all of the AYOers to carry on his mission to nurture the young people. He wanted to tell you all how much he loved you and missed you. He wanted so much to be there in 2022 to conduct the AYO’s 30th anniversary concert with all of you.
Mr. P is my best friend, my mentor and my boss. Life ahead without him will never be the same.

発足時期がPMFと微妙に被っているので、初期においては両者の混乱もかなりあったこの団体、毎度ながらのメニューイン御大の名前は出ているものの、実質上はポンチョス氏がほとんど一人で、組織のバックとかもなく、返還前の香港を拠点にスタートしたアジア圏の若手を集めるユースオーケストラです。PMFや、はたまたフロリダのニューワールド・シンフォニーや兵庫のPACオーケストラみたいな、「プロフェッショナル一歩手前のオーケストラ専門家育成団体」に特化していたわけでもなく、もうちょっと「アジア圏のよく弾けるアマチュア若手のサマーキャンプ」みたいな緩い感じでした。卒業生には勿論プロのオーケストラ奏者になっている方もたくさんいるのでしょうが、例えばドイツで活躍するオペラ演出家の菅尾友さんなども、AYOでヴァイオリンを弾いていらっしゃって、さっそくフェイスブックに訃報を挙げてらっしゃいます。

90年代半ばくらいには、わしらのような連中まで香港に呼び寄せてキャンプの最初から見物させ、日本ツアーにも同行させ、なんて派手な動きをなさっていた。香港併合後はどうなることやらと周囲には思われつつも、併合のときはいろいろ記念のお仕事もやってたようだが、その後は大陸とは関わってはいたものの、そっちへの積極的な展開というよりも、インドシナ半島から極東部までの各地での展開をしっかりと続けていた(なんせ、いかにもありそうなロン・ユー先生の名前など、全く出てきませんから)。指揮者としては、英国植民地だったわけで起ち上げにこういうことが好きそうなメニューイン翁を引っ張ってくるのは当然としても、以降はPMFみたいな超有名スター指揮者を看板にするわけでもなかった。セルジュ・コミッショナーとか、ジェイムス・ジャッドとか、なかなか渋い味わい深い方々を招聘し、地味な仕事はパンチェスおじさんがやる、というやり方をしてた。確か、カザルスホールに盛んに来ていた頃のシュナイダーじいちゃんも指揮してたような気がするが、ちょっと調べが付かないなぁ。

どんどん本土と一体化し、昨年だかには経済でも北京政府大プッシュの隣の深圳にも追い抜かれ、政治的にも日本では民主化運動弾圧ばかりが伝えられ、NYTの東アジアヘッドクオーターもソウルに移動したと伝えられる香港が、このような国境を越えた活動の拠点としてどうなっていくか、やくぺん先生なの視点からすれば、この団体などが眺めていて最も空気が判る組織だったんですけど…カリスマおじさんを失い、ますます見えないことになりそうだなぁ。ご関心の向きは、8年前のこのインタビュー、ご覧あれ。「ミュンヘンのオケの奴が、20年のうちにヨーロッパのオーケストラ団員の3割はアジア系になると言ってるよ」なんて、冗談じゃないですからね、実際。
https://www.youtube.com/watch?v=EPspA5ql-yE

正直、この方がどのような考えで、何を最終目標に、この団体を生涯の仕事としてやっていたか、あたくしめはいまひとつ、いや、いまみっつくらい判ってません。故人の業績をきちんとまとめてくれる方が出てきて欲しいものです。もういらっしゃるのかも知れないけどさ。

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