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世代交代の演奏会 [現代音楽]

この数年、「実行委員会」を主催者にする形でこのくらいの時期に開催されてきた「高橋悠治作品演奏会」の第3回が、先程、東京文化会館小ホールを会場に無事に行われました。
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コロナ禍だからって、別にどーってことなくいつものように淡々と、って感じなのは、いかにもこの作曲家さんらしいなぁ。

演目はこんなん。
https://www.t-bunka.jp/stage/8022/

これだけじゃ、全然わからないですよねぇ。ま、この演奏会はある意味、非常にハッキリしたコンセプトを持っているわけで、ぶっちゃけ、「前衛の時代の高橋悠治作品を中心に並べ、作曲家ご本人がご存命のうちに、40代以下のポストモダン以降しか知らない世代の演奏家さんたちに本人を前にゆーじさん作品を演奏する経験を積んでもらおう」というもの。

そもそも高橋悠治作品って、古典派やロマン派の意味での「曲を聴く」というよりも、「高橋ゆーじというオッサンが音をいじくり回すプロセスを追体験する」みたいなところがある。良きにつけ悪しきにつけ、楽譜から出てくる音がそれで良いのか、本人がそこに座ってあの風貌でぼーっとしている姿を視野にいれていないと、なんとも不安なところがある。作品、というより、音を作る行為、って感じ。

ですから、企画、という役職だかが記されてるので実質上のディレクターであろう杉山氏などが中心となり、ゆーじさんと一緒に仕事をしてきた60代以上の長老が若かりしバリバリだった頃を懐かしむのではなく、どかっと下の世代に高橋悠治を演奏するという経験を積ませるイベント。年寄り世代は指揮者さんと、あとは電子再構築をやった有馬さんくらいで、実際に音を出す作業をするのに初演者などはひとりもいない。そのお弟子、って世代ばかり。

なんせ、本日演奏された曲だって、アコーディオンが出てくる曲はうちのお嫁ちゃまが某お茶の水でみきみえさんの担当だったときに今井さんとのデュオとして書かれたもので、うちのファックスでやりとりがされてるのを横目で眺めていた記憶もあるなぁ。そういう世代は、見事なまでに全く参加してない。気持ちが良いくらい。最長老(かな?)の杉山さんだって、指揮者として日本の舞台に姿を見せるようになったのって、今世紀になってからだしさ。

結果、出てきた音楽を新鮮と思うか、あああ古いなぁと思うかは、ま、弾いた方々、聴いた方々次第、ってこと。聴衆は、基本的にはゆーじさんと一緒に歳を取ってきた人達が中心とはいえ、演奏者の世代もそれなりに客席を占めており、「前衛の懐メロ大会」という感じではありませんでした。
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演奏として個人的にいちばん興味深かったのは、一昨年に高崎のホールが新しくなって、アルディッティQが登場し、その舞台で世界初演する筈だった弦楽四重奏曲でありまする。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-11-19
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-11-24
どういう事情でそういうことになったか知らないけど、結果として、アミティQという「若い世代のニューアーツQ」って感じの立ち位置の連中が世界初演することになった。ま、作品は、いかにも高橋悠治らしい、ぐるぐるっとした線をあちこちにポワポワ放り投げたようなもんで、弓を緩めて弾けとか、弦をぐるぐるこするように弾けとか、いかにもな指示がある断片がゴロゴロ並んでいるもの。アーヴィンたちがやったら、恐らくは「この奏法はこんな音が出るんだよ」みたいなアピールを明快にした、もっとメリハリのある「音楽」になっちゃって、このぼんやりフワフワ感が高橋ゆうじ、ってのとはちょっと違った、かもね。それにしても、アミティQはまるでカーターの2番みたいに4人が遠く離れて座り、まるでマイハートQみたいに全員が客席真っ正面向いて座ってたのは、楽譜の指示なのかしら?アルディッティQもああいう風に座る筈だったのかしら。

高橋悠治が「音楽史」の中に納められるのか、それとも、そんなもんあたしゃ関心ありません、ってものなのか、考えさせていただけただけでも、大いに有り難い演奏会でありましたとさ。正直、これだけ規模の大きな電子音とライヴとの絡みなどがあると、オペラシティの地下ではなくて上野小ホールの空間が必要だったと感じられたです。会場が上野になったのは、主催側の意図だったのかしら。

正直、これらの音楽、ディスクで音だけでは聴かないだろうなぁ。

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