SSブログ

2021年のショスタコーヴィチの弦楽四重奏像とは [弦楽四重奏]

去る木曜日晩に鶴見のサルビアホールでエクが初レパートリーとなるショスタコーヴィチのシリーズ第1回として第1番から第3番の演奏会をなんとか無事に終え
IMG_1484.jpg
そのオマケ企画たる司会タイムキーパー仕事もなんとか恙なく完了、さても新帝都にはまた緊急事態とやらが出るそうで5月は三度の仕事スッカラカンになりそうだ、なんてボーッと思ってたら、この商売始めてから難しさではトップとも言えるであろう無茶な仕事が入り、先程までバタバタしておりました。

なんせ、コロナ禍で楽屋取材は一切出来ないのが原則の中、演奏会当日、既にGPが本番会場で始まっている時間に「取材やれないかな、締め切り明日、2ページ空けて待ってるので」などというウルトラ無茶ぶり。慌ててマネージャーさんに電話し、掲載誌取りにチャリチャリと都心まで走り、そのまま会場までチャリチャリと戻り、マネージャーさんに泣きつき…結果としてなんとか取材OKが取れ、人々が慎重な楽屋詣でをせんと並ぶのを押しのけ裏に入れて貰い演奏者と共演者に3分間インタビュー。頭下げっぱなしでチャリチャリと佃縦長屋に戻り、作業をしようとするも頭が動かずぶっ倒れ、翌日土曜日はどうしても必要な資料を漁りに上野文化会館資料室に行き、奇跡的に必要な59年前の資料現物を手にすることが出来て、なんとか時間内に初稿を入れる。以降、日曜日は写真をいただくやりとりやらなにやらあり、先程、上がってきたゲラのチェックをして戻したところでありまする。平時の週刊誌取材じゃないかい、これって。いやはや。

そんなわけで、ホントならば週末にはアップしておきたかったネタが今になってしまいました。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏についての、今時の学問レベルでの定説について、ちょっとだけ。「書いてあることは嘘ばかり、信じるなぁ」をモットーとする当無責任私設電子壁新聞としては異例な、珍しくまともな話です。

エクの20世紀作品シリーズは、これまでも作曲家さんを呼んだりしてプレトークを行っていました。今回、ショスタコーヴィチ・サイクル開始にあたり、まさかロシアから関係者を招聘し話をお願いするなど零細NPOにはとても不可能。じゃあどうするか、ということになり、「せっかくショスタコーヴィチが生きていた頃は知らない世代で、これまでに弾いたショスタコーヴィチは8番と14番、それにピアノ五重奏曲くらいのエクが始めるチクルス。若い頃にショスタコーヴィチQに10番を習ったことはありますが…というショスタコ専門家ではない常設団体やるのだから、新しい世代の研究者の方に最新のショスタコーヴィチ研究の中での弦楽四重奏のあり方について喋って貰おうではないか」ということになりました。

作曲者没後そろそろ半世紀、かの20世紀最大の偽書のひとつと認定されている『ショスタコーヴィチの証言』以降、西側ではいろんなショスタコーヴィチ像が出てきている。弦楽四重奏の創作に関しても、飛び抜けた著名曲たる第8番の「ドレスデンを訪れたとき…」という誰がどう聴いても眉唾っぽい定説は完全に揺らいだし、なんといっても4番以降はヴァインベルクとの関係を知らずには議論が出来ないというのがこの10年ほどの常識になっている。

そういう21世紀20年代の視点から、ショスタコーヴィチの15曲を弦楽四重奏文献の歴史に位置付ける新たな常識、せめてその入口くらいは確認しようではありませんか、ということです。

で、白羽の矢を立てたのが、この春から国立音楽大学准教授に就任なさったロシア・ソヴィエト音楽専門家の中田朱美先生だったわけであります。一昔前ならばソヴィエト音楽といえば一柳富美子先生の独壇場だったわけでありますが、そろそろ演奏者同様に研究者も世代を交代していく頃でしょうからね。

以下、京浜東北線が鶯谷で人身事故を起こしてJRも代行の京急もオソロシー三密状態の中を駆けつけて下さった愛好家の皆様の前で行われた20分程の本番前プレトーク内容を記します…ってなればいいんでしょうけど、ゴメン、録音してません。内容の詳細なメモを記したくても、司会とタイムキーパーをやってて、メモを取ってませんっ。

というわけで、結局のところは「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」電子壁新聞の本領発揮、迂路吠えで大事なポイントを、おぼろげな記憶の彼方から最も重要なひとつふたつを記します。客席にいらっしゃった皆様からの「おいおい、そうじゃなかったぞ」という訂正、修正がありますれば、どんどんお寄せ下さいませ。よろしくです。

中田先生のお話の中でなによりも印象的だったのは、「ショスタコーヴィチの弦楽四重奏は交響曲などでは言えない内面を吐露したものだ、という認識は間違っている。弦楽四重奏は私的なばかりのものではなく、ショスタコーヴィチは弦楽四重奏曲であれ大丈夫か慎重に状況を見て発表していた」という内容のコメントであります。そもそも、ロシア・ソ連では弦楽四重奏は音楽のあり方の中では決してメイジャーなジャンルではなく、ショスタコーヴィチは第5交響曲での命に関わるような批判のあと、まずはピアノ五重奏で様子を見て伝統形式の室内楽への当局の反応を探ってみた。で、これは大丈夫なジャンルだと判断し、弦楽四重奏に着手した、とのこと。

へえええ、なるほどねぇ、いきなり、今までの曲目解説を全部捨てなきゃならんかな、と思わされるような話でありました。今後、4番以降はユダヤ主題の問題(2番にもちょろっと出ているとのこと)、そしてヴァインベルクとの関係など、興味深い話が次々と出てくることでありましょうぞ。

エクのショスタコ・チクルス、音楽そのものはパシフィカQなんぞ以降の、何度もベートーヴェンなどの演奏を重ねてしっかり古典演奏の技術と弦楽四重奏演奏に必要な和声感や音程感が身に付いた今時のまともに弾けるモダン楽器の「常設団体」の再現で、隅から隅まできっちり見えて技術的な破綻は皆無、というものであります。時代は変わってるなぁ、と感じされられる一晩でありましたとさ。次回が1年後になるのは、諸処の事情で致し方ないとは言え、待ち遠しいぞ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。