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1世紀と10年余が経っても… [音楽業界]

毎日の日課のひとつとなっている「青空文庫」の新作更新を数日しておらず、昨晩、なにやら周囲がバタバタする中で久しぶりに行ったら、興味深い作品がアップされておりました。こちら。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/59298_73052.html

永井荷風の作品(このフォーマットが「作品」なのか良く判らぬけど)の中でも決してメイジャーではないであろう、洋行から戻り半年くらいの秋の終わりから翌年初めまで、あれやこれや言いたいこと綴った日記であります。

帰朝直後の、定職も無くブラブラ、文字通りの高等遊民をしてた30代になったばかりの荷風坊ちゃまが住んでいたのは、誰もが知ってるサントリーホール裏やら、晩年を過ごした京成八幡駅北の田舎ではなく、湘南に引っ込んでいる親の実家の「一番町の屋敷」。イタリア文化会館近くだと思うが、このBlog記事に引用されている記述との整合性はどうなるのやら。
https://blog.goo.ne.jp/asaichibei/e/f24fa89a5940076d8e6a6157370fc4f9
思い立って新橋駅まで行ける、という辺り。ショパンのソナタの「葬送行進曲」楽章を公開で弾いたという青年會館というのも、神宮外苑の日本青年館が出来る前だから、恐らくは丸ノ内とかかしらね。なんにせよ、大川端のやくぺん先生縦長屋の視野に入る中に蟄居なさっていたのでありましょう。

この日記、21世紀は20年代のコロナ禍で鬱々と暮らすわしらが今読んでも、あれこれとイタいというか、頭抱えちゃう、まるで「激辛」とか「毒舌」とか言われる業界関係者のBlogかtwitterの書き込みを眺めてるんじゃないかい、と思うようなものでありまする。まんま引用すると、こんなん。

「劇場は石と材木さへあれば何時でも出來ます。然し日本の國民が一體に演劇、演劇に限らず凡ての藝術を民族の眞正まことの聲であると思ふやうな時代は、今日の教育政治の方針で進んで行つたら何百年たつても來くるべき望みはないだらうと思ふのです。日本人が今日新しい劇場を建てやうと云ふのは僕の考へぢや、丁度二十年前に帝國議會が出來たのも同樣で國民一般が内心から立派な民族的藝術を要求した結果からではなくて、社會一部の勢力者が國際上外國に對する淺薄な虚榮心無智な模倣から作つたものだ。つまり明治の文明全體が虚榮心の上に體裁よく建設されたものです。それだから、若し國民が個々に自覺して社會の根本思想を改革しない限りには、百の議會、百の劇場も、會堂も、學校も、其れ等は要するに新形輸入の西洋小間物に過ぎない。直ぐと色のさめる贋物いかもの同樣でせう。あなたの、大學の方にだつて隨分不平な學者があるでせう。」(1908年12月2日)

いやはや…

他にも、塔之澤に今もある福住楼に行って日本の美とやらに絶望したり、私立音楽学校を創った男がギャラは殆ど出せないが講師陣に名前を出させてくれとムシの良いお願いに来たのに怒りまくったり、いやはやいやはや、の連続でありまする。業界関係者は、是非ご一読あれ。

大川端のノマド場で、足下に「くれないのくれないの」と寄ってくるドバたちを相手にしながら、携帯画面でこのような文章に浸っていると、目の前に広がるトーキョーがみるみる時間の彼方に溶け出し、さあ今日は永代橋の東詰でPANの会、そう五月だもの、って思えてくる…わきゃないわい。

永井荷風という方のバイオグラフィーで今のわしらには最も想像に難いのは、後期ロマン派爛熟期の夢のような時代にマンハッタンでメト通いをして過ごし、マーラーがニューヨークに渡ってくるのと入れ違いのように欧州に向かい、今のわしらにとっても最も人気がある最初期の伝説のアーティストたちが現役バリバリだった欧州に触れる7年だかを20代に過ごしながら、葛飾野の地で独居し寂しく没するまでのその後の半世紀という長い時間に二度と「洋行」をしなかった、という事実であります。

羽田や成田から半日でフランクフルトやらニューヨークに届くのが当たり前だった21世紀初頭の日常が奪われ、たかがまだ1年を超えただけでもこんなにおかしくなりそうなのに、これが半世紀も続く中を生きるって…

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