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『バイエルの刊行台帳』という本 [音楽業界]

「音楽業界」なのか「売文家業」なのか、ちょっと微妙な話。

もう何年前になるのか、安田寛先生の著作『バイエルの謎』がベストセラーになり、この類いの書物としては珍しくも数年で新潮文庫にまで入ったという驚異的な事件(としか言い様がない)がありました。当電子壁新聞でも無論、そこまでの大騒ぎになる前に話題にさせていただきましたっけ。ああ、もう9年も前の今頃だったのかぁ。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2012-05-27

月日は流れ、世界がとんでもない状況になっているこの春、前作の正当な続編たる『バイエルの刊行台帳』が出版されましたです。こちら。
https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail_sp.php?code=212590

早速、読ませていただきました。っても、周囲あれこれバタバタで、一気に読み上げるというわけには行かず、大川端ノマド場でドバや子雀と遊びながら、はたまた本書に曰く「2%の富める大作曲家」の中にあって最も神格化された大バッハ先生の最も神格化された《ブランデンブルク協奏曲》全曲なんぞの演奏会を前に遙か天樹を眺める公園で、
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ダラダラとちょっとづつ、拝読させていただくことになったのでありまする。

で、以下、正直な感想を申します。快刀乱麻、って感じで「バイエル」という存在の秘密をスッパリ暴いた感があった前作と比べますと、今回の続編は、「ミステリー」としてはちょっと難しいです。ハッキリ言っちゃえば――以下ネタバレ、と記すべきなんでしょうけど――本書を敢えて娯楽ミステリーの知的エンターテインメントとして読むと、最初に掲げられた今回の謎、「何故マインツのショット本社の回廊にバイエルの肖像画が掲げられているのか?」という疑問に対するタネ明かしとして、そのわけを綴った社長の手紙が出てきたとか、当時の新聞記事が発見され関係者の発言があったとか、そんな意味での明快な答えは示されておりません。

無論、本書を謎解き娯楽エンターテインメントとして読む方が悪いんで、そもそもそういうもんではない、というだけのことなんですけど。

本書は、「何か正しい正解を教えて貰える」本ではありません。2020年代の頭くらいに、日本語文化圏の読者にとって所謂「西洋音楽史」がどのようにあり得るのか、ひとつのあり方を探っていくプロセスを記述したエッセイです。

その意味では、現代の音楽学の流れや、誤解覚悟で言えば「流行」がどのようなものなのか、良く判る書物です。ふたりの共著者が、「私」というまるで今時のラノベみたいな一人称単数人格を仮構し、「バイエルが出版され、受け入れられた状況」を、ショット社から譲渡され今はミュンヘンのオペラハウスの向こうの州立図書館に納まるオリジナル資料を紐解いてあたっていく。そのプロセスで、「私」はあれやこれや考えた、というもの。最終的に、ロマン主義的な「英雄中心に語られる歴史」の問題性(このような言い方はなさってませんけど、つまりそーゆーこと)が、この先の「私」のテーマとして浮かび上がってくる。いろいろ判ったものの判らないこともいっぱいあり、何故判らないかはなんとなく判ったような…

売文業者として技術的に最も興味深かったのは、「共著」という形をとりつつ、「私」という登場人物を出して記述するスタイルをお採りになったことでした。前作は安田先生が語っている以外に誤読のしようがなかったけど、今回は共著となり再び登場した「私」は果たして前作の語り手と同じキャラクターなのか?なんだかまるで「記述構造そのものが謎解きの最大トリックだった」という類いのミステリーみたいな言い方ですけど、やはりどうしてもそう感じてしまうのは、前作からの愛読者とすれば致し方ないでありましょう。お許しあれ。

ま、そういう作文テクニックの問題はそれとして、へえええ、そーなんだぁ、と思いながらページを繰っていく限りは、興味深い時間を過ごせることは確実であります。

それにしても、やっぱり気になるのは、「バイエルは超一流の売れっ子編曲者だった」という本書で明かされる事実の裏にある「編曲はやった者勝ち、出版した者勝ち」という歴史状況が、バイエル没後半世紀ちょっとして守銭奴リヒャルト・シュトラウスの大活躍で著作権なるものが確立し、まるでなくなってしまう、という史実。本書で論じられようとした、はたまた次の書物で論じられることになるであろう「作品のコミュニズム」としての音楽史の見直しは、つまるところ現代日本の「YouTubeに溢れる素人のリミックス作品VS悪のラスボスJASRAC」みたいなところにまで繋がるのか…

バイエルという人を軸に、いろいろあれこれ前頭葉を刺激される著作であります。前作程気楽に「必読」というのはちょっと難しいかもしれなけど、知的刺激を受けたい方は是非お読みあれ。

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