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曲目解説は不要なのか? [売文稼業]

読者対象は業界内部関係者及び同業者さんのみ、それ以外の方は読まずに帰って下さい。時間の無駄です。

昨日一昨日と、ハクジュホールの主催公演を拝聴してまいりました。明治神宮前からハクジュ産業さんに向かう師走のトーキョー、巨大クリスマスツリーの立て込みも始まってたり。
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演奏会の中身は、ひとつは室内管、もうひとつは独奏ピアノとデュオながら、共にテーマは「編曲」です。一昨日は、イギリス人の(多分…)現役作曲家さんがユニヴェルサール出版公認というか、出版社絡み企画でマーラーの未完の交響曲第10番を、私的演奏協会タイプの室内アンサンブルで上演する演奏譜を作り、それを我らがゴールドベルク三勇士が今や立派なN響コンマスにまで出世した白井氏がリードするアンサンブルで日本初演するマーラー愛好家なら涎が出るような美味しい演奏会。実際、聴衆はブルックナーとはまたちょっと違ったやろーばかり、男性トイレは長蛇の列という状況。んで、昨日は、コロナ禍のエリザベートで入賞し話題となった若き超絶技巧派ピアニストの阪田氏が、リスト編曲ベートーヴェン交響曲をハクジュ主催で全部弾いていく、というシリーズ。昨晩は前半には交響詩《オルフェウス》ピアノ版やら、ピアノ協奏曲第2番の作曲途中譜を独奏で弾くとか、極めつけは素性がいまひとつわからないヴァイオリンとピアノの二重奏を、あのバルトークのヴィオラ協奏曲演奏譜を作成し、先頃亡くなったピーター・バルトークと喧嘩になっていたので名高い作曲家シェルリが「リストのヴァイオリン・ソナタ」に纏めたという代物。

演奏については、今時、SNSを漁ればいくらでも大絶賛、熱狂の嵐が出てくるでしょうから、そっちをご覧あれ。ちょっとだけ感想を記しておけば、前者は「なんで指揮者置かなかったんじゃろ?」と思わされましたです。今年はコロナ禍を口実に、なかなか舞台に上げられないこの類いの作品の再現が続き、私的演奏協会の小編成試演のための楽譜に準拠した編曲版マーラー交響曲は4番、10番、《大地の歌》と3作品も聴けるという異常な事態。4番は川崎で第1ヴァイオリン頭のまろさん指揮とまでは言わぬがそれと名前が出ており、サントリー大ホールの《大地の歌》はピンチャー御大がしっかり指揮しておりましたけど、今回は300席の小規模空間のホントの室内アンサンブルでありました。

ハコの規模が小さいというよりも、作品そのもののキャラクターとして、「巨大なアダージョの間に性格の異なる面倒なスケルツォが3つサンドイッチされる」というへんてこりんな作品。このような形で演奏されると、ショスタコーヴィチやヴァインベルクなどが50年代以降に盛んに展開するクァルテットの構成感と室内交響曲の響きはここから直接繋がっているのだなぁ、マーラーがあと10年長生きできていたら「無調の息の長い旋律」という真面目なシェーンベルクには対応出来なかった課題をあっさりクリアーしちゃったんじゃないかなぁ、とアホなことを思ったり。それはそれで大変に面白い。

だけど、まったく「室内楽」ではなく、完全な「小規模室内オーケストラ」です。二つ目のスケルツォとか、終楽章へのブリッジとか、白井氏が後ろを向いて指揮をする瞬間も多々あった。指揮者というお仕事が演奏者とは別に存在する理由はこういう作品のため、というような音楽でした。まあ、指揮者を連れてくるとギャラがとてつもなく必要になるという現実的な問題はあるんでしょうけど、井上みっちーさんなんかに言えば、お宅も近いんだから大喜びで歩いてきてノーギャラだって指揮してくれるんじゃないかい、なーんてアホなこと思ったりして。

別府のいねこさんとの《イタリアのハロルド》で腰を抜かして拝聴することにした阪田さんも、ベートーヴェンのニ長調交響曲をどんなfffでも絶対に響きが濁らない綺麗な音で弾ききり、第1楽章コーダ前では絶対にオーケストラでは不可能な微妙な揺れ(録音だったら阪田さんもやらないでしょうねぇ)などピアノ独奏でなければ不可能な味わいに、へええこういうもんなんだ、と思わされたり。極めて興味深いものでありました。ま、編曲ものとソナタは「こういうもんがあるんですねぇ、べんきょーになるなぁ」としか言いようがないもんでしたけど。

さても、ここまでは枕。以下が本論。

この二日間の演奏会のどちらも、当日配布の印刷物には所謂「曲目解説」と呼ばれる作文が一切掲載されておりませんでした。マーラーの方は、終演後に慌てて地下鉄車内で検索し、ユニヴェルサールの公式ページに編曲者さんご本人による長大な解説がアップされていたので、代々木公園駅から日比谷で乗り換えて月島駅に戻るまでの時間を全部使ってなんとか読み切って、へえそういうことなのね、と理解した次第。無論、編曲者視点の発言ですから「なんでこんな編曲をやろうと思ったのか」「どういう経緯でやることになったのか」などは一切触れられていませんが、まあ、それは判らんでも良い、と仰るならそれまで。こういう「理解のさせ方」もある、と納得はします。

んで、リストの編曲大会は、なんとなんと、午後7時の開演時間に阪田さんがマイクを手に舞台に登場。ほぼ満席の客席に向かい、延々と作品についての説明をなさいました。途中からゲストのヴァイオリニストさんまで引っ張り出され、対談になり、なるほどそういう作品なのね、と聴衆が納得する頃には、もう7時25分くらい。文字通りのガッツリ長い演奏者によるプレコンサートトークになった次第。結果、演奏が終わってホールを出られたのは、時差退場のお願いもあり、9時半をまわっておりましたです。ふううう…

ハクジュホールの方には嫌がられるかもしれませんけど、はっきり言います。これ、ダメです。

昨今の我らが業界を取り巻く経済環境から、コストカットのためにみんなが知っているしどうせ書いてあっても誰も読まないような当日紙配布の曲目解説を廃止する傾向にあるのは、商売上、誰よりも良く知っております。確かに、リストラとしては真っ先に狙われるのも当然だし、わしら書き手側が営業努力をきちんとしてこなかったと批判されるのは致し方ないでありましょう。とはいえ、当日配布作品解説を無くしては困る演奏会というものはあり、一昨日昨日は、正に絶対に当日プログラムに最低限でも作品の素性などが記されていないと困る演奏会の典型例であった。

マーラーの方は、なんせ押し寄せた聴衆が柴田南雄先生やら金子健志さんの著作を暗記するほど読み込み、自分もアマオケでマーラー弾いてる、なんて聴衆ばかりだったでしょうから、解説がなければ勝手に調べるだろう、でも、ギリギリ許されるかも。だけど、昨日のリストの聴衆は、そんなものには興味がない人達が殆どだから不要、というわけにはいかんでしょう。実際、阪田さんもこれはマズいと思ったのか、予定になかったプレトークをこれから演奏するという前になさる決断をなさったわけでして。

阪田さんのプレトークは、所謂ファン向けの娯楽ではなく、中身についての情報を提供する、というものだった。これ、ひとつの作品300字でもいいから事前に阪田さんに書いていただく、若しくは喋っていただいて主催者側スタッフが作文に落とし込む、という作業をすれば済むものでした。

やくぺん先生の感覚からすれば、本人が「いいですよ」と言っても、これだけ負担が大きな演奏が予想される演奏会の前に本人に30分喋らせる、なんて絶対にやらせちゃダメだと感じてしまう。この主催者、演奏家をなんだと思ってるの、ってね。

流石にこれはマズいと思ったか、阪田さんのベートーヴェン=リストのシリーズ、次回《英雄》の回にはプレトークを行うとチラシに告知されていました。一安心、というか、そりゃそーだろーに、ってか。

結論:主催者の皆様、当日プログラム曲目解説リストラは理解しますが、それをやってはいけない演奏会もある。主催者側の見識が問われ、主催者としての評価に繋がる微妙にして重要な問題です。俺はもうあの主催者の演奏会には行かない、と考える聴衆も出てくると心得て下さいませ。

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