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ひとりの指揮者と四十数年 [演奏家]

今回、春節休暇期間を温泉県盆地ではなく新帝都で過ごしている理由は、町内観光地や駅、バスセンター、スーパーマーケットに溢れるアジア圏観光客さんたちを避けるためではなく、一昨日の都響マデトヤ交響曲第2番と、昨日のNJP道義自伝オペラを見物するためでありました。スイマセン日本フィルさん、伊福部行けなくて…

とにもかくにも、昨日午後、賑々しくも目出度くもすみだトリフォニーホールに満員の聴衆を集め、井上道義(ほぼ)自伝オペラ作品が無事に初日を終えたわけでありまする。
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https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2022-10-24
同業者さんの顔もそれなりに見えたので、一晩経って朝起きて、あっちこっちのSNSやらに感想が溢れかえっているだろうと思ったら案外そうでもなく、やっぱりみんな「さてもどうしたもんか」と困ってるのかな、と苦笑を禁じ得ないのでありまする。ま、そりゃそーだろーねぇ、ホントに商売でなんか書かされなくて良かった。当「感想になってない感想にすらなりそうもない感想」は、俺はもうweblogに書いちゃったからダメです、と編集者さん封じの先手でもあるわけでして。

んで、もう全く率直に「感想になってない感想にもならない感想」をあっさり記せば…「ああああ、指揮者さんってのはホントに特殊な生命体なんだなぁ」に尽きまする。
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NJPさんは昨年秋からカーテンコールの写真撮影がOKになったとはいえ、まさかカーテンコールでここまでアピールする奴がいるとは思ってなかったでしょうねぇ。

本人もなんども仰っているように、この「作品」は、指揮者井上道義氏の頭の中で響いている様々な音のコラージュというか、引用というか、ひとつの方向に向けた総まとめというか、そんな「創作」。全ての再現芸術は永遠の二次創作だ、という箴言を引っ張り出すまでもなく、その意味では正しくもの凄く素直で、王道の「創作」行為でありますな。で、その中身は、まあなんというか、私小説というジャンルがあるのを下敷きに喩えれば「私オペラ」というか「私音楽劇」です。似たものを敢えて探せば、リヒャルト・シュトラウスの《インテルメッツォ》とか、くらいかしら。ホントは「シュトックハウゼン《光の木曜日》みたいなもの」と言いたいところだが、そんな例を出してを「はぁ?」と呆れられてオシマイになりそうなんで…

要は、己の出生の秘密とその事実を知った己の葛藤を「音楽劇」という形に昇華させたもの、です。そうであることはもう数ヶ月前というか、数年前の構想時点から判っていたわけで、そこまで個人的な内容をこんな大がかりな舞台にしちゃったわけで…だからこの作品の創作物としての最大のポイントは、どういう作品かとか、どんな音楽かとか、貴方がそれで感動したかとか、そんなことではない。こういうことをやっちゃった井上ミッチーという人がいる、それを目撃し、瞠目する、ってのに尽きる。

なんせね、音楽的にいちばん充実しているのが2幕最後の「艦砲射撃で傷ついた父親を助けてくれるように、母親が上陸してきた米軍医療兵に懇願し、(観ようによっては)女性としての魅力を最大限に利用して夫を助けて貰い、壮大なバレエシークエンスで二人は男女として結ばれ、主人公が生命を得る」という場面。いやぁ、こんな無責任私設電子壁新聞とはいえ、記していても、流石にこりゃヤバいだろと感じざるを得ないシーンでありまする。その後に、数ヶ月前の記者会見での粗筋説明ではなかったもっとハッキリした言葉での絵解きみたいな短い朗読シーンも加えられたりしており、暗示や仄めかしではなく誰が観てもあのバレエが何だったか判るようになっていた。

ううううむ、これをやっちゃうのが「芸術家」なんだなぁ。

70年代終わり頃に1年の休養開けでハーフ顔の長髪から丸刈りにしたお姿で登場し、就任したNJP監督としてクセナキス《ノモスγ》の鮮烈な演奏を聴かされたときが最初の大インパクトで、以降40数年、カザルスホールのハイドン交響曲全曲自分で振るなんて企画持ち込み起ち上げたけどシカゴ響から朝比奈さんキャンセルの代役頼まれそっちにいっちゃう騒動(佐渡氏東京デビューはこの為だったんじゃないかしら)やら、自分で踊っちゃうコンサートオペラやら、最近では大阪フェスティバルホールでの天下の大植&佐渡をカメオ出演させちゃったバーンスタイン《ミサ》やらあれこれあれこれ、なんのかんの凄いもんからトンデモなものまで、この人のやることを遠くから眺めて来た。そういえば、誰も言わないけど、昨年8月の名古屋の《ユーロペラ3&4》にも、しらっと客席にいらっしゃらなかったっけか。

個人的にも、西伊豆の生アヒルがガーガー歩いてるご自宅行ったり、朝っぱらの空港ラウンジでバッタリお遇いしてこれから北朝鮮に第九を振りに行くといわれ冗談と思ったり(マジで、ギャグだと信じてました…)、指揮者さんという職業の方とは可能な限り距離を取りたいやくぺん先生外の人としてはMAXなくらいに「よく知らん人」ではない程度では接してきた。このオペラだか音楽劇だかの話も、西伊豆のお宅で初めて聞いたような。

ともかく、そうそう、俺はこういう人と同じ時間を生きてきたのだよなぁ、と思い続けた2時間半でありました。正直、そういう引っかかりがない方には、このステージが「作品」としてどういうインパクトがあったか、よーわからんです。後に残るかなんて、ご本人は一切考えてないんだろうし。

もの凄く勝手なことを言えば、この素材をみちよし氏というアーティストを越え再演する価値がある普遍的な「作品」として遺すつもりなら、NJPの関係者たる久石譲さんと共同作曲して音楽が薄い部分を加筆し、ジブリで今は亡き高畑勲監督で2時間弱くらいのアニメーション作品にする、ってのが最も理想的なやり方なんだろうなぁ…なんて絶対に不可能な妄想に耽ったり。「昭和」という時代をシンボリックに扱いたいオペラ演出家などが出てきたら、素材として発見される可能性はあるかもしれないだろーが。

関係者の皆様、お疲れ様でした。

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