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なぜ野外コンサートをするのか [音楽業界]

昨日は朝から横浜赤煉瓦倉庫の向こうというか、海保基地と大桟橋の間の公園というか、まあそういう本来ならば公共の公園スペースを仕切って開催された野外イベントの取材で朝から晩まで浜風に吹かれておりましたです。
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もう新暦神無月目の前というのに、太平洋高気圧が運んでくる南洋の湿った空気ジャブジャブで、昼間はまるっきり夏のイベント。まるでシンガポールのエスプラネード前で向こうにマーライオン眺めてるみたいな空気の中での開催でありました。最初は台風直撃の可能性もあったのだから、無事に雨も降らずに開催されただけ良かったねぇ、と考えるべき何でしょうなぁ。

自分からすすんでノコノコ出かけるようなイベントではなく、ましてやこの日はドビュッシーQが上野でフィリップ・グラスの《ミシマ》を弾いてくれる予定があり、当然そっちに行くつもりだったのだが、編集者様から「取材に行け」と言うご命令があり、新たに医療費貧乏という状況が発生しどんな仕事でも受けないと生活がまわらない貧乏人へっぽこ売文業者、嫌などと言える筈もなく、しっかりお仕事してきたわけでありまする。って、メモは帰路の京急車内でまとめたけどまだ本編作文はしていないから、何も終わってないんだけどさ。

というわけで、中身に関してはガッツリ商売もの、こんな無責任施設壁新聞に記すわけにはいきません。とはいえ、昨晩、夜も8時を過ぎてステージの撤収が始まっている横でとても仕事熱心で真面目な広報のお嬢さんに「いかがでしたか」と尋ねられ、まるで「じゃあ、本気で喋るから君たちそこに座るよーに」と、所謂「上から目線」振り回しで広報さんと編集者嬢にまくし立てたこと、そのものじゃなくて、その話の前提となってる部分を記しておきましょう。
つまり、この作文、読者対象は昨日のイベントの広報さん1名、強いて言えば一緒に居た編集者女史も含めた2名、ってことなんだけどさ。

話は簡単で、「所謂クラシック音楽、とりわけオーケストラの野外コンサートはなぜ開催される必要があるのか?」という基本的なことでありまする。

一昨日昨日と横浜で開催されたイベント、なにやらイベント好きな横浜市だか神奈川県だか知らぬが、横浜フェスティバル実行委員会という自治体も絡むところが共催に名を連ね、「横浜音祭り」という枠にも収められているようではあるのだけど、基本的にチケット販売屋さんのe+さんが主催のメインに出ている。昨今の「横浜市」の動向を考えると、特別スポンサーになっているGALAXY ENTERTAINMENTってマカオだかベースの中国資本の会社がなんなのか、いろいろと興味深いところがあり、いろいろ勘ぐりたいと思ってるそこの貴方の下心などミエミエでありますがぁ、ま、それはそれ。また別の話、ということで、今はいたしませんっ。ともかく、基本的に民間の商業イベントである、ということです。これ、手に入場パスとなるテープを巻かれて足を踏み入れた会場内にまず掲げられた掲示。ここから先は撮影禁止なんだから、これは撮影しても問題ないんじゃろうて。
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炎天下の野外コンサートで傘禁止とか、なかなかしんどいなぁ。ポンチョ、持ってきてないぞぉ。この湿気じゃ、そんなもん着込んだら死にかけること必至だし。

もとい。主催がどーのこーの、って言い立てても、ああそうですかそれがなにか、とスルーされそうなんだけど…実は「野外のクラシック・オーケストラ・コンサート」としては、非常に珍しい事例なんじゃあないかい。

私たちが普通に知っている、ってか、やくぺん先生が世界のあちこちをウロウロする中で眺めてきたり経験してきた「野外のオーケストラ・コンサート」って、基本的には全て商業イベントではなく、公共イベントなんですわ。それが民間団体の主催するものであっても、実質上、自治体が財政的にも運営にも全面的にバックアップする、極めて公共性の高いイベントなんですね。

例えば、ええと、これはセントラルパークの無料野外オペラ
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2012-06-28
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2012-06-26
バレンボイムがアラブ&パレスチナのユースオケを板門店で振った野外コンサートも、商売もんだったのでこんなネタしかない。
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2011-08-16
メルボルンのオペラ・オーストラリア主催の無料オペラコンサートも記事を探したんだけど、どうやら当電子壁新聞には書いてないのかしら。大植えーちゃんがNYPを振ったセントラルパークの無料野外コンサートは、当電子壁新聞開設前だったようだ。大阪城公園での大フィル野外コンサートも、商売もん作文だったのか、出てきませんね。《ローマの松》だかの音源をまんまアップしちゃった記憶があるんだが、あれはなんだったのか。考えてみれば、昨日のイベントに強いて言えば最も近いタングルウッド音楽祭のシェドのコンサートに行ったのも、もう20世紀終わり頃のことだしなぁ。

あまり過去の記事にはないし、それほどとりあげてもいないんだけど、それなりの数経験はしてきて、取材もしてきている「野外のオーケストラ・コンサート」の最大の目的は「オーケストラやらオペラやら、膨大な公金や個人支援金で運営されている金食い虫の公共インフラを、そんなものに関心のない普通の市民やら納税者やらに知ってもらうこと」です。です。ぶっちゃけ、「消防隊の正月出初め式」とか「軍隊の基地公開、空母搭乗、航空ショー」なんぞと同じです。可能な限り多数な人に、最もわかりやすい形で、その存在を知らしめ、理解を深め、うまくいけば気に入ってもらうようにするための広報イベントなんですわ。

だからこそ、普段は数百、多くても3000人くらいまでの聴衆を対象にせざるを得ないクラシック音楽のオーケストラ演奏を、野外で数千人、場合によっては万単位の人を相手に行う。そのために普段は使わないマイクやらスピーカー、巨大な映像投影画面などのテクノロジーを駆使する。テレビ中継やネットでのライブストリーミングではなく、多少は遠かったりちっちゃかったりするけど、とにもかくにもライブで接してもらう。
無論、そんな無茶をするのだから多少の妥協は必要なわけで、風が吹いたら音が揺れたり、よく聞こえなかったり、見えなかったり、あるいはスピーカー真下で五月蠅いほどだったり、生音とスピーカー音がずれて気持ち悪かったり、雨降ってきちゃって大変だったり…あれやこれやいろんなことが起きてくる。

でも、「これだけ多くの人に無料なりめちゃくちゃ安い値段で聴いてもらうんだから、文句言ってもしかたない」なわけですわ。あくまでもイベントとして妥協の産物、なのであります。

さても、昨日一昨日の横浜でのイベント、どうもちょっと様子が違った。ぶっちゃけ、ものすごい誤解されそうな表現と承知で記せば、「野外でオーケストラやピアノやらのクラシック音楽を聴く、ということそのものを目的とする商業イベント」だったわけです。

となると、きっちりしたものを提供しようとすると、ものすごおおおおおくハードルの高い、ものすごおおおおおく技術的な要求の厳しいイベントということになってくる。クラシック演奏家のお仕事とは別の、ホントに大変な技術面のスタッフワークが必要になってくる。それがどれだけ大変なことか、正に「誰もやらないにはわけがある」という有名な格言が大きく浮かび上がってくるわけで…

数万の聴衆を相手にするのではない、昨日の規模の会場(向こうにあるみなとみらいホールの規模とそう違わない客席数だったわけですから)で敢えて商業レベルで成り立つ野外イベントをするなら、まだまだ超えねばならぬハードルは高い、とあらためて思わされたのでありましたとさ。

なんだか主催者の皆様には失礼にして無責任な話になってしまいましたが…ゴメン、そういうもんだからこればっかりは仕方ない。お許しを。

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ハリソン・パロット半世紀祭り [音楽業界]

昨日は、朝一発で集中力が必要な仕事をやっつけたらあとは日がな船と海猫眺めながら「御上がアートやることのやばさ」をボーッともわもわ考えてるだけの日になってしまった。なんてこった。そんなところに、今朝は「コロンビア・アーティスト神話崩壊後に世界のクラシック音楽業界を牛耳る大物音楽事務所の創設半世紀祭り開催」なんてニュースが配信されてきて、民間は民間なりにいろいろ問題あるわなぁ、って思わされるのでありまする。こちらをご覧あれ。
www.internationalartsmanager.com/features/sphere-of-influence-hp-50-years-in-a-day.html
https://www.rhinegold.co.uk/classical_music/harrisonparrott-takes-over-southbank-centre-for-50th-birthday-celebrations/

ちなみに上のURLは、日本には存在していないホントの意味でのクラシック音楽の「業界ニュース紙」のウェブサイトであります。要は、ハリソン・パロットが創設半世紀で、10月6日にサウスバンクで「ハリソン・パロット祭り」をやるぞ、ってこと。これが公式かな。
https://www.harrisonparrott.com/hp50
https://www.harrisonparrott.com/hp50/events/50-years-in-a-day-brahms-chopin-and-debussy

クラシック音楽業界、とりわけ室内楽業界なんぞは前世紀の終わり頃から完全にインディーズ化してしまい、マネージメントも本気で扱わないし(まあ、20世紀から天下のコロンビア・アーティストなんぞは室内楽は担当者の趣味でやることもなくはない、という状況だったわけだけど)、大手レーベルも本気でやらず小規模レーベルでの自主制作若しくは配信がメインだったので、もうなにがあっても驚かない状況にはなっていた。とはいえ、やっぱりメイジャーがないと困る人々もいっぱいいるわけで、21世紀も5分の1が終わろうとする今、世界で中国語文化圏と並び情報発信が容易な英語圏中心というアドヴァンテージをがっつり生かしつつ「クラシック音楽事務所は何をするのか」をわかりやすく打ち出してくれるこのお祭り、なかなか興味深いですな。ニッポンの聴衆とすれば、トッパンや王子が次に誰を押してくるかが見えるお祭りですから、そういう目で見ると面白いかも。

EU分離後に英国拠点の会社がどうするのか、という決意表明でもあるのかなぁ。蛇足ながら、20世紀終わりから世界の室内楽業界を支配した今はベルリン拠点のジメナウアー事務所は、社長のおばさまが隠居し、息子が社長になってます。パロット家とは違う時代への対応なんでしょう。どうなることやら。

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「御上」なしのアーツ助成を目指しましょう [音楽業界]

明日から10日程べったり続く恐怖の秋の取材週間を前に、今日はプラッソン御大の《幻想》なんて娯楽には目もくれずにしっかり溜まっているテープ起こしを始めねばならないのだけど、その前に昨日くらいから起きている我がニッポン国のアートへの公的助成金を巡る騒動について、へっぽこほぼ隠居老人たるやくぺん先生の意見を述べておかないと気持ち悪いんで、あっさりと記しておきます。全く読む必要などないのーてんきな一般論ですから、皆さん、すぐ帰ってさっさと自分の仕事をするよーに!

まず、先にひとつ言っておくと、やくぺん先生みたいな商売をしていると、「出るとあてにしていた助成金が出ず、困ったことになっちゃった」なーんて話は、音楽舞台の組織運営担当者やら芸術監督さんやらから耳にする(ってか、愚痴られる、というか)ことはしばしばあります。今回の愛知とは状況は違うでしょうけど、イベントをやっちゃってから予定していた助成金が出なくなる、ってのは珍しいことではない。
たた、ディレクターさんや担当責任者さんたちとすれば格好いい話ではないし、そんなこと世間のアートファンや音楽オペラ愛好家に言われたところで、「ああそうですか、そりゃご災難ですねぇ、来年、大丈夫なんですか、貴方の組織」としか言えない。だから、とりたて世間に伝えることもないし、「我が芸術団体は予定していた助成金が取れなかったために来年度は大幅に活動を縮小します」なんてプレスリリースを業界内に配ることもない。
つまり、普通は世間では知られることのない、あくまでも業界内の話なわけです。理由はいろいろあるんだろうけど、こういうことは珍しいことではない、ってこと。実際、この数ヶ月でもそれなりに話題となった某舞台作品を巡りそんなことがあったと、某団体責任者さんから聞いてます。

ま、それはそれ。

さても、芸術文化振興基金助成事業のマークを、わしら口さがない連中は大いなる皮肉と自戒を込めて「アートに手枷」と呼んでいます。つまり、それがどんなもんであれ、御上がらみの(この財団は一応は「国庫の税金+民間からの寄付金」で運営されているわけですが)金が回ってくる場合、道に落ちてた金を拾っちゃったラッキー、ってなわけにはいかないことは誰だって判ってる。「忖度」やら「御上へのへつらい」という反応をするか、「だからこそ、我々はこの取り返した金で民衆のために戦わねばならないのだ」と考えるか、それはいろいろです。

冷戦崩壊後の所謂「自由資本主義社会」では、「強制的に集め国庫に納まった金をどうやって分配するか」が立法府の有する政治権力のほぼすべてです。幸い、一応は合法的な身体的拘束や暴力を直接用いるのは極力避ける、もしくは見えないようにする、くらいの謙虚さは、流石に今のニッポン国御上にもあるようですので。だから、「金を出すのだから口を出す」という方法で今の御上をやってる連中が突っ込んでこようとするのは、当然と言えば当然でしょう。
そういう政府で良いという人が全有権者の2割弱くらいおり、今の選挙制度ではそれだけの支持があれば上下院の議席6割以上を抑えられるのですから、これはもう現実として仕方ない。今の御上連中にそれをやるなと言っても、魚に泳ぐな、鳥に空を飛ぶな、というようなもんですから。

「御上」が金を使ってアートやらに口を出そうとするのを本気でやめさせたいなら、方法はひとつ。所謂「芸術助成」のシステムから立法府の権力を排除するシステムを作るしかない。少なくとも組織上は、御上が関与できない人々やら組織やらが「芸術への公金助成」を行うようにするしかない。

普通、そういう組織を「アーツ・カウンシル」と呼ぶわけですね。今、大阪やら東京やらに存在している同名の組織とはまるっきり違うものです。どんなものかは、まかり間違ってこんな文章をまだ読んでる方なら、説明は不要でありましょう。判んなかったら自分で調べなさい。いくらでも調べようはあるんですから。

てなわけで、何を言いたいかと言えば、今回の騒動を起こさないようにしたいなら…文部科学省やら文化庁やら、その下にある所轄の独立行政法人たる芸術文化振興基金やらとは無縁のアーツ助成財団を作って、芸術文化振興基金に入ってるものであれわしらの税金からアートに回る金は、全部一度そこに流れるようにし、その団体が御上とは関係なく運用する。国やら自治体やらが特定の芸術イベントに直接お金を出すことは、制度上不可能にする。芸術への寄付もそこに集まるようにする。そのために、自分らの税金を御上が決めた割合で助成金として助成財団に流すのではなく、芸術支援のための寄付のシステムをきちんと整備し、そっちにお金を入れたらその分は個人であれ法人であれ税金からきっちりさっ引かれるようにせねばなりません。つまり、アートに分配されるように託した金は「国」に集まらないようにするってこと。

今起きてる騒動が、そういう方向に向けた動きへの最初の一歩にでもなれば良いのですが。

こんなときになんの夢物語を言ってるんだ、このボケ、と突っ込んでる方がいっぱいいらっしゃるでしょうけど、とにもかくにも、最終的にはそうするのが最も問題が少ないやり方だろうと思う次第。こういうやり方はやり方で、またいろいろ問題があるのは、それこそ英国の例などから判ってるわけですがねぇ。

さて、今日も元気に働こう。

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アジア・オーケストラ・ウィーク番外編 [音楽業界]

新暦の神無月ともなれば、げーじゅつの秋を彩る文化庁芸術祭が始まるわけで、なによりも我らが御上が年に一度だけ主催するオーケストラ・コンサート・シリーズ、「アジア・オーケストラ・ウィーク」でありまする。なんだか地味自慢みたいなイベントの気もするけど、こういうもんを文化庁が直接(無論、動いているのはオケ連さんですけど)やっているのは、ニッポン・ブンカ・コッカとしては誇りに思っても良いことじゃあないかい。えっへん。

で、今年もこんなラインナップが並んでおり
http://www.orchestra.or.jp/aow2019/
やくぺん先生も福島から取材でお付き合いすることになっておりまする。「自分の文化圏の作曲家の作品をひとつくらいはドッカンと演奏する」って傾向が定着してきているのは、なかなか健全でよろしーことでありますな。ま、また書いても良いようなアホ話があれば、当無責任電子壁新聞に綴ることになるでありましょう。乞うご期待、ってもんでもないかな。

さても、今年はなんと、これでお仕舞いじゃないのじゃよ。裏ネタ、ってか、補遺というか、アペンディックスというか、ニッポン国中央政府は文化庁の招聘ではないけど、新潟県が招聘するこんなイベントがあるのであります。それも、ジャカルタのオーケストラが終わった翌々日というのだから、これはもう「アジア・オーケストラ・ウィーク・アンコール」みたいなもんじゃないかい。
https://www.city.niigata.lg.jp/smph/event/shi/bunka/niigatahaerbin40-1.html
新潟からハルビンって飛行機飛んでるんだろうか、それともみんな春秋航空で成田まで来て、新潟までバスに乗るのかしら。

[後記:なんとなんと、その後、新潟に問い合わせたら、この演奏会、新潟市がやってるんじゃなくて、ハルピン市の文化協会が直にやってるそうですっ!へえええええ、ちょっとビックリでんな。市の文化交流事業だから、当然、市の文化財団がやっていると思ってた。]

ま、そんなこと心配してもしょうがない。このオケも、しっかり地元作品を弾いてくれるみたいなんで、そこも有り難いですな。ちなみに10月11日には武蔵野市民文化会館での公演もある筈なんだけど、なんか、サイトがめっからないぞ。武蔵野の日程表に出てないって…ホントにやるのかぁ?

とにもかくにも、今年は金沢、香港、ジャカルタ、そしてハルビンのオケが10月頭にニッポン各地で聴けますっ。これはもう、祭りじゃわい。

蛇足ながら、釜山では去る週末にこんなイベントがあったそうな。
https://news.goo.ne.jp/article/yonhap/entertainment/yonhap-20190919wow059.html
御上がどうあれ、そんなもん関係ないわい、ってこってすな。

【追記の追記】

今、ご近所のファミマさんで、なんとか武蔵野市民会館公演のチケットを購入したです。
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見よっ、主催に輝く「哈爾浜市政府」の文字っ!

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秋のTOKYOクァルテット祭り開幕 [弦楽四重奏]

ぶっちゃけ、自分への日程メモです。

世界の主要室内楽コンクールをすべて追いかけるというアホな生活からの引退は表明したものの、一応、商売上のフィールドということで、肉体的欠損抱えた爺の老体を新帝都及びその近辺ではウロウロさせにゃならん彼岸も過ぎた湿っぽい秋の午後、皆々様いかがお過ごしでありましょうかぁ。

世間の主催者からは「客が入らなくて困る」と嘆かれ、音楽事務所さんは自爆覚悟の情熱と愛のみで招聘を繰り返す弦楽四重奏ジャンル、それでも「TOKYO秋のクァルテット音楽祭」としか言い様のない状況になってしまうのは、それなりに聴衆の分母があるということなのであろーか?

ともかく、これからチャリチャリと銀座まで行き、まずは天下のタカーチQのインタビュー仕事。本来は某弦楽器専門誌の社内記者さんがやる仕事なんだが、なにやら今週は皆さん出払っているらしく、老体が引っ張り出されることになったようじゃ。

タカーチQ、今回の短い来日の最大の話題は、なんといっても昨年から第2ヴァイオリンに座っているハルミ・ローズ女史のニッポンデビューでありましょう。そー、何を隠そう、お父様はかのジュリアードQ二代目ヴィオラとしてお馴染みだったサミュエル・ローズ氏(その頃にタカーチQのヴィオラだったタッピング氏が今はジュリアードQのヴィオラ、ってのはなんだか不思議だなぁ)。そしてお母様はガリミアQのほぼ最後の第2ヴァイオリンを務め、サイトウキネン管創設時からのレギュラーメンバーとしても知られる矢島廣子さんなのでありますからっ!生まれたときからマンハッタンは120丁目辺り、コロンビア大学にほど近いご自宅にクァルテットが鳴りまくる中で育ったサラブレッドでいらっしゃいます。今や世界の長老団体となったタカーチQの中で、お父様よりちょっと若いくらいの創設以来のチェロ氏と世代を超えたどんな音楽を作るやら。

…っても、明後日のヤマハホールも兵庫も売り切れだそうです。明日の鶴見はまだ数枚あるとのことですので、どうしても聴きたい方はそちらへどうぞ。去る週末には香港島の新しい香港大学キャンパス内ホールで二日間でバルトーク全曲弾いてきたみたいだけど、ニッポンはそういうのやらせてくれないのかなぁ。

もうひとつ、今週のハイライトは、既に月始めから暑い暑い列島に滞在しているアマリリスQ。ひとつの演目で全公演を弾くタカーチQとは対照的に、一体どんだけレパートリーあるんだ、ってあきれる程の多彩な演目でツアーの真っ最中。鶴見はモーツァルトの「ハイドン・セット」ふたつなんて、ありそうでない演目。
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アルバン・ベルクQをうんと真面目にしたような北ドイツっぽいに芸風、赤坂智子女史の自由な音楽が入ってきて、細部がいろいろ面白いところだらけ。なんといっても聴きものは土曜日に湾岸はトリトンで披露されるルトスワフスキでありましょう。超有名曲なのに案外とライヴでは聴けない、貴重な体験を逃すなかれ。

続く日曜日、ちょっとアナっぽいけど、ドビュッシーQが上野でなんとまぁ、フィリップ・グラスの《ミシマ》を弾いてくださいます。招聘元さんに「なんで?」と尋ねたら、やりたいって言ってるから、とのこと。へえええ。
http://artsplan.jp/
案外レアもののフランクのピアノ五重奏もあるし、絶対に行きたかったんだけど、なにやら野外イベントの取材が入ってしまい、ダメそう。台風でも来て中止になってくれると有り難いんだが…とは言えません。なおこの団体、さりげなく捻った演目を来日の度にやってくれて、鶴見ではタン・ドゥンの琵琶コンチェルトのクァルテット版を披露してくださいます。いぇい。
http://www.salvia-hall.jp/event/?id=1557727653-862773

そしてまたその次の日たる来る月曜日には、今、東京拠点でいちばん頑張ってる若手のひとつ、サントリー室内楽アカデミー現役生のタレイアQが、すみだトリフォニーの地下のホールで弾きます。なかなか興味深い演目もあるので、北欧好きは是非どうぞ。あれ、演目が出てないなぁ。
https://www.facebook.com/events/1397824387024550/

んで、月が変わって税金が上がるや、今や北米のタカーチQと並ぶ欧州の巨匠となってしまったハーゲンQが、大曲はトッパンホールで「ハイドンとバルトーク後期」というなんとも味わい深いハンガリー演目(と、言えるのかなぁ)で3日間。これはもう、どうこう言うもんじゃないけど、やっぱりこれだけガッツリとハイドンの作品76をメインに弾いてくれるのは有り難いなぁ。この作曲家は「コンサート1曲目の前座」じゃないと判らせてくれるでありましょうぞ。実は作品76の6をこういう風にメインに据えて聴かせてくれるって、凄く珍しい貴重な機会です。ともかく「何故か弾かれない隠れた秘曲」なんで。
http://www.toppanhall.com/archives/lineup/series1920A.html

まだまだ続く秋のTOKYOクァルテット祭り、来月も話題の(かな?)ヴィジョンQやら、サントリー以来のカザルスQやら、いろいろこの島を目指してやって参ります。さ、そろそろ出かける準備をせねばならぬので、新しいキーボード慣らし打ちのような駄文もお仕舞い。新帝都、なんだか曇ってきたなぁ。

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新川学びの森天神山交流館はどうなるのか? [こしのくに音楽祭]

この10日程、メインパソコンが壊れてサブマシンで作業をしている間、メール連絡が大混乱に陥っており、皆々様には大変にご迷惑をおかけしました。一応、本日からアウトルックが復活し、これまでのメールアドレスでやりとりできるようになりました。ふうう…

さても、へっぽこやくぺん先生が文房具に振り回されている間にも世間ではいろんなことが起きております。すぐにでもお伝えせねばならなかったのは、このニュース。ホントに久しぶりの「こしのくに音楽祭」カテゴリーです。「シモン・ゴールドベルク・メモリアル」でも良いのですが。

まずは、昨年の秋に出た一報。音楽祭でボロメーオQがセミナーを行い、サントリーの室内楽アカデミーが富山合宿を行ったあの懐かしい学びの森交流館が存続の危機、という話。こんな場所。
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2006-09-25
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2007-08-25
今でも「とやま室内楽音楽祭」のメイン会場になってる。なお、この記事の日付は昨年のものですので、誤解なきよう。
https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/PPP/news/101200911/
必要な部分を引っ張ると
「富山県魚津市は、「新川学びの森天神山交流館(以下、学びの森)」の活用に向けたサウンディング調査を実施する。参加申し込みは11月6日まで、11月12日~16日に対話を実施し、12月下旬に結果を公表する。 「学びの森」は短期大学の跡地を利用した多目的研修施設。魚津市では施設のうち稼働率が低い宿泊施設・体育施設・食事施設を2023年度までに廃止する方針だ。一方で、音楽利用を中心とした本館・レッスン棟は引き続き維持する。」

魚津市の財政問題に関しては、こういう記事。これが今年の8月末。
http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/index.html?TID_DT03=20190830182049&MOVE_ON=1

地元関係者の皆様にショッキングだった記事が、こちら。実質、廃止宣言ですね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190912-00000008-kitanihon-l16&pos=4

で、そんな状況だったのが、先週の半ば頃に、生日の森交流館に関しては、話がひとつ動いたようなのです。
http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kitanihon/region/kitanihon-20190918223702

さても、これらの情報だけであの施設がどうなっていくのか、この落としどころが音楽研修施設としての交流館廃止という流れにどういう意味を持つのか、正直、よくわかりません。ただ、事実として、あの場所が今まで通りには維持されそうもない、ということは確かなようです。

ちなみに、現魚津市長は文化についてなんにも知らないし関心もない鬼のコストカッターではなく、「こしのくに音楽祭」のときにボランティアで演奏家の送り迎えなどをしていた方です。お顔を見れば、演奏家の皆さんの中にも覚えてらっしゃる方がいることでしょう。
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2016-04-18
そんな日本では極めて異例な市長さんが、敢えてこういう決断をせねばならない。これが「政治」というものの現実なわけです。

この話、流石に当電子壁新聞としても他人事の顔はできません。続報があり次第、情報だけはアップしていく予定です。関係者の方、情報、お寄せくださいませ。

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秘曲その後 [弦楽四重奏]

新メインパソコンの設定も終わり、当無責任私設電子壁新聞、なんとか生き返りました。もう爺でパワーもないので、のんびりとアップしたりしなかったり。お暇ならまたどうぞ。

さてさて、昨日になりますが、数日前にご紹介した「秘曲」の演奏会、出かけて参りましたです。
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2019-09-17
そのご報告、というと失礼だけど、実際に接してどんなもんだったか、という無責任なお気楽感想であります。

企画構成司会という何でも屋的なタイトルで舞台に登場していらした西耕一氏がプロデュースなさってたこの短い休憩3度含め4時間を超える長大な演奏会、構成はそれぞれ30分強の「ピアノ独奏」、「歌とピアノ」、「電子音楽ライブ」が前半に置かれ、後半はオーケストラ・トリプティークの首席クラスから成る弦楽四重奏の演奏会、というものであります。聴衆は…正直、よく判りません。ってか、全然、判りませんでした。歌曲のところで伊福部昭作曲の幻の釧路女子高等学校校歌、などというものもあったので(今時の常識ではありえへん、ものすごぉくくらああく重おおおおい歌でありました)1940年代終わりの女子高生とおぼしき方々の姿があったり、プロデューサーさんが「ウルトラセブン」音楽リバイバルで力を入れている冬木透作品があったのでそのファンやら関係者の方。それから、新作映画のサントラ音楽のライブ演奏があったのでその関係の方、などなど、200ほどの聴衆は世代も顔ぶれも猛烈に多彩。無論、オーケストラ・トリプティークの団員やら関係者、それに日本の秘曲レーベルとして知る人ぞ知るMittenwaldの社長やら関係者の皆さんやら。
http://www.wakuwakudo.net/catalog_list/mittenwald.html
あ、今回も録音なさってたとのことです。

前半のピアノ、歌、電子音などは、「へえ、こういうのもあるんだなぁ」とボーッと座ってた糠味噌頭。それ以上は言えません。後半のクァルテット作品、ま、ほとんどの作品は「ああ、そーですかぁ」としか言い様がない。簡単に楽譜が手に入るならともかく、これが秘曲であるのは仕方ないと言えば仕方ないだろうな、ってもんでした。繰り返しになるけど、山田耕筰の弦楽四重奏曲やらマーラーのピアノ四重奏曲クラスの「あちゃああああ…」はありませんでした、というのが正直な感想でんな。

そんな中で、これはやっぱり秘曲にするのは不味いんじゃないか、楽譜がちゃんとあれば弾かれても良いだろうに、という音楽はありました。なんといっても、筆頭は深井史郎が20代に書いた《3つの特徴ある楽章のうちの一つ》という、これがホントに作品の題名なのか、って題名の小品。アカデミズムに喧嘩売るつもりで書いたそうで、よく言えば才気煥発、悪く言えばやり放題。でも、これが30分かかる大曲ならともかく、数分で終わるミニチュアとすれば、作曲された1934年という時代の中での存在価値は十分にあると思える音楽でありました。なんせバルトークの5番と同じ年。無論、深井が遙かシベリアを隔てた彼方はブダペストでバルトークがやってたことを知る筈もないし、ああいう構成的なもんではないといえ、例えば数年後のブリテンの弦楽四重奏なんかにも通じる弦楽器使った無茶苦茶さ、ダダイズムというか、モダニズムというか、そういうもんをストレートに音にしてみっちゃった、というもの。絵画の世界での先達古賀春江的な完成度はないものの、へええこういのもあったんだなぁ、と感銘深かったです。これ、楽譜があれば、アンコールでやってもいいんじゃないかしらね。

最大の収穫は、最後に披露された芥川也寸志が1947年に書いた弦楽四重奏曲でありました。桑沢雪子やら吉田貴寿という蒼々たる、ある意味、この時期ならいかにもという連中がラジオで初演し、その後は楽譜が表に出ることなく、90年代に新交響楽団のメンバーがステージ初演しただけ、という代物だそうな。ぶっちゃけ、大傑作《弦楽のためのトリプティーク》の元ネタとなった作品ということで、4楽章ある中の2楽章と3楽章なんぞ、まるまる同じです。冒頭楽章は、最初に演奏された《NHKラジオ「日曜随想」のテーマ》と同じテイストだったり。

正直、「これは弦楽四重奏編成じゃないと駄目」って曲ではなく、対位法が綿密に4つのに声部に張り巡らされ室内楽じゃないとやっぱり…ってもんでもない。弦楽書法の練習といえばそれまでなんだけど、ともかくオリジナルは弦楽四重奏であり、しっかりとした力がある音楽であることは確か。《トリプティーク》でお馴染みのアンダンテの歌の第3楽章なぞ、楽譜がちゃんとあれば明日にでも日本のクァルテットが海外公演するときのアンコールに使いたいんじゃないかしらね。

どうやらまだきちんとした楽譜として世に出せる状況でもないようですが、これは西さんやらにリクエストすれば、近い将来に形になりそうな勢いではありました。

なお、演奏された全作品の中でいちばん有名で、普通の意味での秘曲の黛敏郎《弦楽四重奏のためのプレリュード》は、「可能な限り離れた場所に奏者を配置して」という楽譜の指定通りに演奏されました。この写真で判るかなぁ。真っ暗い舞台の上に譜面台のみ、あしからず。
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エリオット・カーターの第2番の同様な指示とは随分と意味が違うのは、ライブで聴くとよく判る、ってか、ライブで聴かないと判らんわな、これは。

それにしても、昨日は黛の《プレリュード》がこういうちゃんとした形で演奏され、一週間後の次の土曜日にはルトスワフスキの弦楽四重奏曲がライヴで聴けるのだから、TOKYOはなかなか凄い街ではないかいっ!

トリプティークQの皆様、関係者の皆様、貴重な機会、ありがとうございましたです。

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秋吉台続報 [音楽業界]

事実関係に進展があったという情報があるわけではないので、厳密には「続報」ではないのですが、こちらでお伝えした山口県は秋吉台の文化施設存続問題
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2019-08-23
大手メディアでの報道があった後、SNS上でいろいろな方が声を挙げていらっしゃるようです。やくぺん先生が眺める限り、Facebookという媒体から運動にしていこうという声もあるようですので、そちら方面にアクセスがない皆様のために、以下にリンクを貼り付けます。なお、Facebookという媒体は検索機能がほぼ皆無、全ては消えて行ってしまうものですので、こういう「基本情報をどこかにきちんとアップしてそれをみんなに広げていき、共有していく」という作業にはあまり適さないような気もするのですが、まあともかく手っ取り早いことは確かですからねぇ。

ひとつは、金木さんと一緒に秋吉台コンクールの審査員を務めていらっしゃる東フィルのヴィオラ首席、須田さんの書き込みです。オリジナルは、地元山口県の上原さんという方が、過去の経緯などを含め、長大な投稿をなさっております。ここから先にくぐっていけるのかな。
https://www.facebook.com/sachiko.suda.54/posts/2528152260600223
存続に向けたchange.comでの著名集めも始まってますね。
https://www.change.org/p/秋吉台国際芸術村の存続を求めるキャンペーン?recruiter=1002705955&utm_source=share_petition&utm_medium=copylink&utm_campaign=share_petition&utm_term=837626a9f14548b9b30f086bd00e599f&fbclid=IwAR3-hIJqkOso92iglsCIFXryWqdSUzHchcV1Zl94leya5Q2Tk9850K8pk8Y

無論、公共施設を巡る議論ですから、「あんなの廃止してしまえ」という視点の方からの意見にも耳を傾ける必要があるのでしょうが、そういう意見はなかなか見つからない。そのような意見を展開なさっている方のページなどありましたら、お教えいただければ幸いです。また、当電子壁新聞の記事にいただいた岩田中さんのコメントも、「この施設のキモはセミナー」という貴重な意見ですので、ご覧あれ。

ただ、やはり日本というか、世界全体の見方とすれば、ここ秋吉台は「現代音楽のための施設で、それがいろいろ上手くいかず……」というコンテクストで論じられるのは仕方ないでしょう。先頃無事に終了した武生音楽祭が、現代音楽系の大手スポンサーを引き連れてそのまま戻れば良いのに、という声が絶対に表には出て来ない理由も含め、難しもんだなぁ、と思わざるを得ません。なんせ、たかが四半世紀にもならない過去とはいえ、既に検証不可能な様々な神話が生まれている場所なわけですからねぇ。

個人的には、去る5月にも感じたことですが、きちんとしたジャーナリズムが確立していないのが問題なんだよなぁ…と痛感せざるを得ません。我が身の非力さ含み、自戒、反省、諸々の意味です。はい。

なんにせよ、存続なり再建なりを目指すなら、「滞在施設としてのあり方を捨てて成り立つのか」というところから議論を始めねばならないでしょう。同じ山口県とはいえ、岩国みたいに基地の見返りで国費が膨大に投入出来るわけでもありませんし。遙か彼方から他人事のように眺める限り、公益財団法人山口きらめき財団なる今の指定管理者ではなく、「市への譲渡」というところの先に「山口情報芸術センターなんぞを運営する公益財団法人山口市文化振興財団が引き受け最先端のメディアアートを創作する場所として運営する」なんて落とし所が作れるように動くのがいちばん現実的なんだろう、と思ってしまうわけですが
https://www.ycfcp.or.jp/
まあ、誰でも考えるそんなことが出来ないのには、それなりのいろいろな理由があるのでしょうねぇ。

非常に中途半端なリンクの仕方で申し訳ありません。自分のためのリンク確保という目的もありまうので、悪しからず。地元ジャーナリストさんの報告、大いに期待します。

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秘曲たち [現代音楽]

相変わらず写真絵面なしの今どきの媒体にはあり得ない殺風景な紙面が続いておりますが、今週末にかけて新メインマシンの導入が予定され、またフォトショップなど搭載される予定ですので、それまで昔の「ストラッド」マガジンみたいなストイックな文字だらけの紙面をお楽しみあれ。

さても、世の中には「秘曲」と呼ばれる作品があります。要は、それなりに存在は知られているけど、実際の演奏に接する機会が殆どない音楽作品、ということ。前世紀80年代終わり頃からレコードではROCOCOとかマイナーやらインディズ系レーベルでそんなもんばっかり取り上げてくれるところが出てきて、CD時代に入ってもMarcopoloなんぞ妙なもんばっかり出してくるところが出現。ネット時代に入るや、どんなジャンルであれYouTubeの上にはもうありとあらゆる曲が耳に出来るようになった……とはいえ、やっぱりライブとなると話は別。

なぜ「秘曲」が生まれてくるのか、その理由を考えていくとそれはそれでとても興味深いネタなんだけど、それはそれ。とにもかくにも、この週末、一世紀前までは秋ともなれば一面のススキの原の中に狸が跋扈していた武蔵野隅っこは渋谷の谷で、こんな演奏会があります。
https://spice.eplus.jp/articles/253989

お判りになる方は「はあ、あの団体ね」ってお判りでしょう。この類いのものを一生懸命取り上げてくださっている団体がやっている「20世紀半ばくらいの前衛の裏に隠れていた日本音楽史を再発見する」ってちょっと流行のシリーズのひとつでありますな。正直、いわゆるメイジャーなプロの団体にはいろんな意味で手がつけにくいこういう作品、どうしてこうなってるかはともかく、うまい具合に棲み分けが出来ているとも言えるジャンルです。

やくぺん先生的には、やっぱり第4部の弦楽四重奏大会が最大の興味。なんせ、こういうラインアップですから。ほれ。

貴志康一 まつり(1926)
芥川也寸志 NHKラジオ「日曜随想」のテーマ(弦楽四重奏)
冬木透 モロボシ・ダンの光と影(弦楽四重奏)
蒔田尚昊 主題のない変奏曲(ヴァイオリン2重奏)
林光 裸の島の主題によるパラフレーズ(1987/無伴奏チェロ)
上野耕路  樋口尚文監督映画「葬式の名人」より3つのシーン(ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)
黛敏郎 弦楽四重奏のためのプレリュード(1961)
小山清茂 江戸子守唄変奏(1987)
深井史郎 3つの特徴ある楽章のうちの一つ(1934)
團伊玖磨 小学 四、五、六年の音楽(1946)
芥川也寸志 弦楽四重奏曲(1947)

黛敏郎の超有名曲なんかも入ってますが、へえええええ、って感じですねぇ。こういう演奏会の楽しみは、もしも「へえ、なかなか良いじゃん」という曲だったらだったで、「じゃあ、どうしてこれが秘曲になってなの?」という次の疑問が出てくること。かの有名な山田耕筰の弦楽四重奏のように、やっぱりこれは隠しておいてあげた方が良かったんじゃないかぁ、ってのもあるでしょうしね(マーラーのピアノ四重奏みたいに、演奏されるたびに若きマーラーが可哀想にしか思えない、って悲惨な曲もあるわけですし)。

とにもかくにも、お暇でもお暇じゃなくても、この土曜日夕方は渋谷へ参りましょうぞっ。良かろうが悪かろうが、ともかく耳馴染みな音楽であることだけは確かでしょうから。

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BEETHOVEN2020シーズン開幕 [弦楽四重奏]

ババリアの旧王都での恒例のコンクールも今年はなんとチェロ部門で我らが同胞の若者がまたまた優勝!勝った勝ったまた勝った、って花電車繰り出しみたいな(なんだかなぁ、という気分がしないでもない)目出度さの際みに終わり
https://www.br.de/ard-music-competition/participants-and-results/index.html
いよいよ2019-20シーズンが本格的に始まりましたぁ。

このシーズン、なんといっても世界の関心は「ベートーヴェン生誕250年」でありましょー。半世紀ぶりのお祭りで、既にレコード業界なんぞもいろいろ動き出しているようで
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2019-08-01
コンサートステージでも楽聖がじゃじゃじゃじゃーん、と鳴り始めてる。当電子壁新聞の関心の中心たる小編成器楽に限っても、昨日午後、21世紀初頭の水曜日に弦楽四重奏の聖地として帝都の室内楽愛好家を集めた晴海トリトンは第一生命ホールで、ベートーヴェン2020最初のチクルスが始まりました。

なんせこの「第一生命ホール」という名称のヴェニュ、かつてお堀端のGHQ時代にマッカーサーも礼拝に足を運んだ旧第一生命ホールの時代に、岩淵龍太郎率いるプロムジカQ(この団体の最後の頃には第2ヴァイオリンを努めていらした堀伝さん、今や斉藤記念財団の理事さんですからねぇ)が日本人団体としては史上初のベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏を敢行した場所。そのレガシーを継ぐべく晴海に移った際に「クァルテット・ウェンズデー」なる無茶なシリーズを立ち上げたわけでありまするから。

時移り、最盛期には意外に硬派でモダンな、でも「これが俺たちの室内楽だ」って「深淵なる弦楽四重奏の道を究める」音楽をやっていたプロムジカQの21世紀への継承者として(なのか?)現在の第一生命ホールさんが記念年の大役を任せたのが、ウェールズQなのであった。うううん、なにせプロムジカQって、そのあまりの求道性とストイックさからレコーディングを拒否、結果としてまともな録音を殆ど遺していないので、スタイルや趣味を比較するのはほぼ不可能なんだけど、敢えて言えば「周囲がなんと言おうが、俺たちはこういう音楽をやりたいんだ」という明快な方向性があることに関しては、プロムジカQの偉業を継承する団体に相応しいかもねぇ。悪く言えば、「小五月蠅いマニアや小賢しい評論家どもから批判されても結構、俺たちはこういうやり方でいくんだ」ってのがハッキリしている。その意味では、あっぱれと言えばあっぱれ。ベートーヴェンの楽譜からドライヴ感やパルス感を全部落っことし、縦の響きの綺麗さを徹底して追求したらどうなるのか、って実験ですな。

世界にこれしかベートーヴェンの再現がないんだったら大いに問題はあろうが、ありとあらゆる可能性が探求され、それはそれでええんでないかい、って21世紀。こういうのもありなんでしょう。

ちなみに、現時点でオープンになっているベートーヴェン2020の弦楽四重奏全曲チクルスを、シーズン全体にまたがるやり方と集中的にやるやり方を一緒にして列挙すると、以下。

★ウェールズQ(晴海第一生命ホール)
★アトリウムQ(サントリーホール)
★プラジャークQ(鶴見サルビアホール)
★ベルチャQ(札幌ふきのとうホール)

あれ、これしかなかったかな…ま、ひとつの言語文化圏でシーズンにベートーヴェン・チクルスが4つあるなど、特別な年ならではでありましょう。21世紀0年代と10年代の首都圏のクァルテットの両聖地、10年代に始まった溜池初夏の室内楽お庭の恒例のイベント、そして故岡山先生が北の大地に遺した新たな室内楽の中心地と、やるべきところはちゃんとやってるわけでんな。名古屋とか、ないのかしら。

ちなみに、来年5月に開催される大阪国際室内楽コンクールの弦楽四重奏部門では、現時点では参加団体がどういう選曲をしてくるか判らぬも、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲が課題曲に挙げられています。一次予選からファイナルまで全部聴けば、半分以上の作品は網羅することになるんじゃないかしら。

ベートーヴェン室内楽のもうひとつの柱たるピアノ三重奏に関しましては、少なくとも首都圏ではふたつの全曲演奏会が予定されております。そもそもどこまで弾けば「全曲」なのか、案外と面倒なところもあるジャンルなんだけど、そのあたりを含め、まだ発表するわけにいかない某団体の全曲演奏会がアナウンスされたら、またご紹介いたしましょうぞ。

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