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あらためてメンバー交代について [弦楽四重奏]

昨日は鶴見でドーリックQを拝聴させていただきましたです。ううん、10年代前半くらいには、やくぺん先生は「今、若手で聴く価値があるのはこいつらだけだ」と断言していた団体だけに、いろいろ考えさせられることが多かった公演でありましたです。以下、結論のないグダグダした駄文ですので、読んでも時間の無駄になるだけですから、もうここで止めるよう忠告いたしまする。

今や21世紀10年代後半の関東首都圏に於ける弦楽四重奏の聖地と呼ばれるサルビアホールなる余りに特殊なヴェニュ、シーズンともなれば2週間に1回くらいは世界のいきの良いクァルテットが聴ける響きの良すぎる特殊な空間となっていることは、今更説明など必要なないでありましょうぞ。

さても、昨日のドーリックQを含むこの先月から今月にかけての3回分のチラシが、こちら。
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渋い、と仰られる方もいらしゃるかもしれないけど、やくぺん先生にはきら星に見えますねぇ。なんせ、1991年ロンドン大会でメニューイン翁が絶賛し優勝したヴィーハンQ、大阪で優勝しその足でレッジョに乗り込んで前回大阪優勝のベネヴィッツQと死闘を繰り広げ余りにキャラが強すぎて一部の審査員から嫌われて連覇はならず2位となったドーリックQ、そして言わずと知れた大阪第2回の覇者ヘンシェルQ、ですから。正直、これらの団体が「みんなが知ってる現役バリバリ最高峰レベルの団体」と人々に認識していただけない現状は、ひとえにあたくしら関係者の力が足りないからでありまして、大いに反省せねばならないとは思っておりまする。ハイ、すいませんです。

ま、それはそれとして(ちっとも、それはそれ、じゃないんだけど…)、このチラシに並ぶメンバーの顔を眺めるに、うううん…と腕を組んで考え込ざるを得ないのも事実でありまする。

なんせ、ご覧のように、ヴィーハンQのチェロとしてにっこり微笑んでるのは、かのプラジャークQのチェロ君その人。ブリテン島にーちゃん4人だったドーリックQも、なんと半分がフランス系と中国系の女性。ヘンシェルQもお馴染みだった顔ぶれの中に、太ったおにーちゃんがいる。つまり、それぞれに20余年と10数年という時間の長さの違いはあれど、各団体を世に出したコンクールのときと同じ顔ぶれで会社を運営しているところはひとつもなし。ひとりくらいは代わっているのが当たり前、ってのが現実なのであーる。

職業上、やくぺん先生は原則として「弦楽四重奏団は団体としての人格が基本で、メンバー交代は当然である」という立場を取らせていただいておりまする。だってさ、一応、弦楽四重奏が団体を名乗る限り、演奏メンバーとは別に音楽監督がいるオーストラリアQみたいな極端な例はともかくとして、本来論ずるべきは個々の奏者ではない。つまり、プチオーケストラでありまする。ベルリンフィルとかN響とかいっもう年がら年中メンバーは入れ替わっているわけだし、エキストラ奏者だって常にいっぱいいるわけだし、10年もすれば団員は4分の1くらいは入れ替わってしまうもの。弦楽四重奏団もそういうもんと思うべし、ってこと。善し悪しではなく、ひとつの立場。クァルテットの側も名乗る以上はそういうもんだと腹を据えて欲しい、という淡い希望を込めて、でありまするが。

日本の室内楽ファンの皆様がメンバー交代に極め敏感であるという現象は、ぶっちゃけ、ワールド・スタンダードからすればかなり特殊です。これまた善し悪しではなく、現実としてそう。

そもそもニッポン列島拠点の団体の場合、弦楽四重奏のメンバー交代というのは起きる必然的な理由が殆どない。だって、メンバー交代が起きる最大の理由は、ぶっちゃけ、収入と生活の問題。日本の弦楽四重奏は、音楽的にやれると思った連中が実質手弁当で集まり、持ち出しで年に数回の演奏会を行うのが実情。そんなこと、当電子壁新聞を立ち読みなさっているようなすれっからしの皆様なら、口には出さなくてもご存じなことでありましょう。
上手くいっている方はオーケストラとか学校の先生とか定期収入を確保する、上手くいっていない方はスタジオとか臨時編成オケとか、まあ、いろんな方法で稼いでくる。で、弦楽四重奏はそんなつらい音楽家人生の魂の泉、純粋な情熱をぶつける特別な場所である。そうであれば、これは解散もメンバー交代もない。やりたいときにその団体の名前で集まれば良い。←批判している訳ではなく、そういうものだ、というだけのことです。

ひなみに世界の若手団体が米国合衆国を目指すのは、「弦楽四重奏として学校が4人を雇う」レジデンシィのシステムが1980年代終わり頃にはっきりと確立し(誰がそんな制度を作ったかも判ってますが)、それがいろんなレベルで存在しているから。結果、弦楽四重奏として完璧に生活が保障されるポストがいくつか存在いている。存在しているからです。これもトランプ政権になってからはちょっと危なくなってきているところがあるが、ま、まだそれなりに続いている。

もとい、そういう米国型システムとはまた別に、ワールドワイドなメイジャーレーベルが録音をばらまく形でプロモーションをし、年間に70回とかのきちんとギャラが出る本番を重ねることで弦楽四重奏で喰っている数少ない旧来型のメイジャー常設団体というものは、ホントのこと言うと今や世界にどれだけの数あるかわからないけど、その代償にとんでもない生活を強いられる。「年がら年中同じ奴らと顔つき合わせ、嫁や子供よりも一緒にいるので、もういい加減に嫌になってくる」とか、「年間に4ヶ月から半年くらい家を空けていて、まともに家屋や子供と付き合うことが出来ない」とか、人としての生活の問題(今風に言えば、「ブラック企業」ということ)が常に起きてくる。
常設弦楽四重奏団という言葉が「決まったメンバーでやる弦楽四重奏団」という意味で、それが稼ぎの中心にあるわけでないなら、こんなブラックな生活を敢えてする必要などない。好きでやってるのだから、音楽的な違いが出てきて集まって一緒にやるのが苦痛になったら、もうやらなきゃいいだけのこと。

以上、あくまでも一般論でありまして、プロムジカとかマリカルとかはどうなんだ、ハレーだって随分交代したじゃなか、と言われれば…ま、それぞれが興味深い別の話になるので、今はしません。それは老後の楽しみに…って、もう老後じゃんかぁ!

もといもとい。実は今、サントリーホールの前の吹き曝しのテーブルで木枯らしと呼ぶにはまだちょっと早いんだろうが十分に冷たい風に晒されており、もういい加減にこんなどーでもいい与太話を止めたいので、ながあああああい前置きの結論に飛び込むとぉ…

どうも、21世紀の10年代も終わりの今日この頃、「常設弦楽四重奏のメンバー交代」の意味がちょっと違ってきてるのかなぁ、と感じさせられるんですわ。

ぶっちゃけ、メンバー交代が極めて難しい団体が増えてきているような。良くも悪くも「この4人のメンバーじゃないとやれない」という芸風を結成初期段階から表に打ち出し、「団体としての個性」を最初から売り物にする連中が目立ってきた。その扉を開いたのがエベーヌQで、ちょっとキャラは違うけどドーリックQは正にそういう団体。その後、ヴィジョンQとか、いろいろ出てきている。

弦楽四重奏の団体としての個性なんぞ、20年やってやっと嫌でも出てきてしまうもの。「個性的であろう」と思って作ろうとしても、上手くいくものではない。かつて何度も大物プロデューサーが弦楽四重奏団を作ろうとしてことごとく失敗しているのは、理由がないわけではない。それがちょっと違ってきたのかしら、と思わんでもない。どうしうそうなのか、理由はいろいろあるんでしょうが。

要は、「どーリックのメンバー交代は、まだしばらく結果が出てくるのに時間がかかりそうだなぁ」と思った、というだけのことです。ヴィーハンQやヘンシェルQのような「メンバー交代」のあり方とは対極にあるわねぇ、ってこと。

それだけを言うために、なんでこんなにだらだら綴るんねんっ、アホだぞ、この書き手は。

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