SSブログ

21世紀半ば頃の普通のコンサート [現代音楽]

今、15日午後10時過ぎ。実は本日締め切りの大きな原稿、まだ半分ちょっとしか出来てません。小品山積みするみたいな前頭葉のパワー仕事でもあるので、普通の感覚からすれば、昨日から7本やっつけて、あと3本半くらい残ってる、って感じです。

そんなわけで、本来ならばまだこんな無責任電子壁新聞なんぞやってられないんだけど、先程まで溜池で鳴っていた演奏会のことを自分のためのメモとしてでも記しておかないと、完全に落っことしてしまうこと必至。なわけで、半時間だけ、割れそうな頭を動かしますです。

普通だったら先週くらいから、当電子壁新聞では横浜は神奈川県民ホールでやってるFlux Qの演奏会やらシンポジウムで盛り上がり、その流れの中で本日の読響さんの定期もご紹介する、という流れだったのでありましょう。なんせ「どこに行っても60年代マンハッタンの香り漂う一柳先生のお姿」って状況なわけですから。スイマセン、関係者の皆様。なんであれ、こういう演奏会。
https://yomikyo.or.jp/concert/2018/10/594-1.php
オケによっては演奏会が終わるとリンクがなくなっちゃうこともあるので、中身をコピペしておきます。こんなん。

ショスタコーヴィチ:エレジー
ジョン・アダムズ:サクソフォン協奏曲
フェルドマン:On Time and the Instrumental Factor(日本初演)
グバイドゥーリナ:ペスト流行時の酒宴(日本初演)

【関連情報】
下野竜也インタビュー https://yomikyo.or.jp/news/#news-topics-12389
作曲家・一柳慧に聞く20~21世紀のアメリカ・ロシアの現代音楽 https://yomikyo.or.jp/news/#news-topics-12390

中身については、これらをご覧になっていただけば良いわけでして、以下は「感想とも言えぬ感想」でありまする。

ま、終わったところで正直な感想を述べさせていただけば、「あああ、21世紀初頭にもシンフォニー・オーケストラってのは健在なんだなぁ」ってアホなもんでありましたです。それからもうひとつ、これは読響の担当者の方には漏らしちゃったんだけど、「ヴァイグレ社長がやりそうもないところをしっかり拾ったな」って。

このコンサート、作りから言えば「短いそんなに聴いていてしんどくない、気楽に聴いても大丈夫な曲が前奏曲みたいにあって、その後にモダンオーケストラの委嘱で書かれた力の入ったデカい曲が置かれる」ってのをふたつ積み重ねたもの。デカい曲、というのは長さじゃなく(どちらも30分弱くらい、ハイドンやモーツァルトの交響曲くらいの長さです)、中身のこと。マーラ-とかリヒャルト・シュトラウスとか、はたまたショスタコーヴィチのシンフォニーやら交響詩をコンサートのメインプログラムとして演奏するときに必要になるでっかい楽器編成、とはいえ今時のメイジャー・シンフォニーオーケストラとすれば日常的に並べてるようなもので(ちょっぴり電子のスパイスが振りかけられてたけど)、弦楽器が滅茶苦茶少ないとか、打楽器が並ばないほどいるとか、管楽器奏者はみんな持ち替え楽器を抱えて出てこなきゃいけんとか、そういう前衛真っ盛りな頃のシュトックハウゼンとかツィンマーマンとかの妙てけれんなオーケストラではありません。年がら年中マーラーやらシュトラウス聴いてる東京の聴衆なら、「おお、今日もいっぱいいるなぁ」ってお馴染みのデッカいオーケストラの風貌です。

アダムスもグバイドゥリナも、そんなバブリィでカロリー高めのオーケストラを、たっぷりしっかり使います。あんないっぱい弦楽器を並べ、それが24声部に分かれるとかいう無茶をするのではなく、まるでマーラーのアダージェットみたいにべたあああっと弾かせる。たくさん並んだ打楽器も、まるでショスタコの狂気のアレグロみたいにジャンガラジャンガラ鳴る。そういう「21世紀の大オーケストラ」の言葉遣いで、しっかりと音を鳴らし、それなりに言いたいことを言っていく、という作業。

ですから、本日の演奏会、所謂ゲンダイオンガクばかりのコンサートではお馴染みの「転換の時間が実際に演奏している時間と同じくらいだった」という現象は起きませんでした。舞台の様子は、短い現代曲やって、古典の協奏曲やって、後期ロマン派のやたら楽器が入るでっかいシンフォニーやって…って演奏会とまるで違わなかった。そこ、コンサートのあり方としては、結構、ポイント高いかもね。

良いとか悪いとかじゃなく、モダン・オーケストラという媒体をこんなにきっちり、こんなにまともに使い倒し、何の衒いもない。うううん、王道だなぁ!要はこの演奏会、奇妙なゲンダイオンガクを趣味的に並べた、というのではなく、21世紀の今のオーケストラ作品として極めて真っ当なもんをしっかり聴かせてくれた、といういかにもとーきょーを代表するメイジャーオーケストラの定期演奏会らしいものなのであったのじゃ。

きくところによれば、このプログラミング、指揮者の下野さんがあれをやりたいこれをやりたいと言い立てた結果ではなく、下野さんと読響のプログラミング担当者が話をし、いろいろ持ち寄った結果、こうなったとのこと。その意味では偏った趣味ではなく、すごおおおくバランスが良い、これぞ21世紀半ば頃の普通のオーケストラ・コンサートなのであーる、ってことになったのも、なるべくしてだったのでありましょうなぁ。

そういう中に置くと、ショスタコが弦楽四重奏曲を本気で書き始める前にちょろっと書いてた短い弦楽四重奏を膨大な数の弦楽器で弾く序曲みたいなもんはともかく(これだけ弦楽器が多いと、まるっきりエッジが取れちゃう感漂うのは、意図的なんだろうなぁ)、フェルドマンはやっぱり60年代前衛の未完成さ、不完全さ、敢えて言えばいーかげんさをしっかり感じさせてくれたのが面白かったです。

アダムス御大は、協奏曲ってのはどんだけソロが出すテーマで客を掴むかなのに、敢えてそれをやらずにこんだけ空気感を醸し出せるなんて、ホント、老獪極まりないオッサンだこと。

グバイドゥリナおばさまの今風シュトラウス交響詩を前に、わしらがあんまりよく知らないソ連での不遇時代に生活のために書いてた映画音楽とかってどんなもんだったんじゃろか、なーんてどーでも良いことを考えたり。終わったあとには、「さあ、これからいよいよショスタコの交響曲4番が後半かな」って感じちゃったのは、決して皮肉ではありませぬ。2006年のフィラ管での初演って、恐らくはこの曲がプログラムの前半にあって、後半にはこの巨大管弦楽を駆使する大曲があったんだろうなぁ、それってなんだったんだろー、なーんて溜池から新橋に向かう都バスの中ですーっと思ってましたとさ。

とにもかくにも、4日間みっちり練習し、この演目とすれば驚くほどたくさんの聴衆をしっかり集めた演奏家・関係者の皆様、お疲れ様でした。ホント、べんきょーになりましたです。

読響の皆々様、次はヴァイグレ社長に本気出して貰って、リームやらヴィドマンやらがメインで、その前にピンチャーとかマントバーニーとかの短い曲がくっついたような、今回すっぽり抜け落ちてたライン河畔から無謀な剛速球投げ込んでくるみたいな無茶をお願いいたしますです(考えてみたら、そいういうのって、アルブレヒト御大の頃とかにもそれなりにやってたような)。お疲れ様でした。

nice!(2)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽