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消毒液と体温検査カメラの向こうのト短調 [音楽業界]

この記事は、去る2月28日金曜日の午後2時からすみだトリフォニーホールで行われた新日本フィル演奏会から戻った直後に記したものです。ですが、その瞬間、このように「コンサートはこのように慎重な手順を踏んで行われてますよ」という類いの情報を、いかな当無責任私設電子壁新聞たりといえども出すべきかどうか、様子をみることにしておりました。

その後、様々な形で演奏会を行う努力が成されています。ま、なにをやろうがなんのかんの言う人はいるわけですから、歴史的な記録として、このパンデミック騒動で「226アベ要請」直後の大混乱初期に、こような形のことがあったことを記録することは意味があるだろうと考えました。で、最低点の事実のみに記事を削り、アップいたします。なお、今は3月5日。クローズのコンサートを行いネットでライブ配信する、というひとつの逃げ道がつきつつある位の状況です。

あ、今も、東京春音楽祭から連絡が来ました。なんせここ、インターネット配信のパイオニア、ここが本気出せば、一気にいろいろ動きそうですね。

※※※

本日も、びわ湖ホールの《神々の黄昏》キャンセルのニュースで朝が始まり、午後2時過ぎにとうとう東京・春音楽祭からムーティ・プロジェクトの延期が発表され(中止、ではありません)、午後4時頃には一昨日に金沢の演奏会がキャンセルになっていた作曲家ヴィドマンの演奏会キャンセルの連絡がトッパンホールから来ました。さても、来週の日曜日、朝一のキャンセル出来ないANAの切符があるのだが、どーするべーかなぁ。だーれもいないと話題の京都見物でもしてくるかぁ…って、観光音痴のやくぺん先生が京都でホントに関心があるのは、御所の水場のやまちゃんやキクイタダキさんなんぞちいさな飛ぶ方達だけなんだどねぇ。

そんななか、新日本フィルは話題の(?)平日昼定期を決行するという。これはどんなことになるやら、眺めてこなければなるまい。ってわけで、チャリチャリと大川沿いに走り、錦糸町に向かいます。錦糸町周辺は、自転車で来る人が激増なんでしょうねぇ、いつもは問題なく駐められる駐輪場がどこもいっぱい。暫くぼーっと待つことになったけど、ま、それはまた別の話。

んで、トリフォニーホールの入り口に向かえば、なんと、コンサートサービスさんが大量のチラシを配る日本独自の風景の先に、机が並べられ、消毒薬が置いてあります。
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こっこでシュッシュ、としないと、先に行かせてくれません。向こうにチケットもぎりのおねえさんがたがいらっしゃる。んで、その奥では、なんとなんと、体温を測定するマシンが入り口に目を光らせているではありませんかぁ。
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後ろから眺めると、こんな。
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すげえええ、新日本フィルだかすみだトリフォニーホールだか、こんなマシン持ってるんだぁ、と吃驚したら、公報さん曰く、「高いリース料払って借りたんです…」

演奏会は、イタリア人の生きの良い指揮者さんが自国の状況も状況でキャンセル。ヴィオラの長老大山さんがポディウムに立たれました。
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ひとむかしまえの、重厚なシューベルトやモーツァルトのト短調。会場は、正直、500名くらかしら、無論、この時間の演奏会ですからご隠居ばかり。客席からは、「プログラムが良いからねぇ、モーツァルトの40番聴いて死ねるなら本望」なんて無茶苦茶な声も聞こえたり。

この演奏会、明日土曜日もあるそうです。ともかく、演奏会をやろうとする側も、懸命に準備しております。ご安心ください…とは言えないけどさ。

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キャンセル続報 [売文稼業]

自分のことになってきたので、「音楽業界」カテゴリーではなく「売文家業」ネタにします。

先程、某主催者さんから、来月前半のコンサートをキャンセルする、という連絡が来ました。その中に、やくぺん先生が世を忍ぶ仮の姿の人間体に変身してやらねばならなかった人前に出てのお仕事も含まれています。つまり、昨日の我らがそーりの「要請」で、ひとつやくぺん先生の収入がなくなった、ということです。

売文家業としては、本日午前中に終えねばならない原稿と、必要な資料を佃縦長屋に置いてきてしまったので戻ってやらねばならない今月末締め切り仕事が、影響を受ける可能性があります。まあ、五分五分、かなぁ。

流石にブラックホールの如くそこが見えぬ暗黒さの我が業界とはいえ、やっちゃた作文仕事のギャラはなんとか捻り出すでしょうが、その先のものに対しては、これまで既に行った作業の労力と必要だった投資を含めた経費は、キャンセルになった場合には当然、誰も払ってくれません。フリーはそれが当たり前です。現在のニッポン国は、時間で身体を拘束されないで生きていくとは、それだけ大きなリスクが必要になってくる社会と判ってやってきたわけですから、文句を言う筋合いではない(無論、その文句を引き受けるのは、決断したそーり大臣のいちばん大事な仕事のうちなのは言うまでもないけど…)。

とはいえ、裏方業界はやってなんぼの仕事形態の方がたくさんいます。仕事がなくなる=休みになる、というわけではない。仕事がなくなる=収入がない、というだけのこと。少なくとも百万単位の数で、なんらかの影響を受ける人が出てくるでありましょう。結果、お金を極力使わない、ということになり…

というサルでも判る「売文家業」ネタの当たり前の愚痴はこれまで。以下、「音楽業界」ネタ。昨晩からの動きで興味深いこと。来日し、この島に到着したばかりだった北欧のオーケストラが、演奏を一切せずに帰国しました。こちら。
https://slippedisc.com/2020/02/virus-panic-orchestra-flies-to-japan-and-is-sent-back-home/?fbclid=IwAR0Vusl9FPXSHRd3JDCVgjc7UiX80o2xNSsxyGmsA6pyV9TZiNjwLfwmTNk
この記事、いろんな意味で昨日の我らがそーりの「要請」が世界の常識ではどう見えるのかが判って、非常に面白い。

どこに居るのか知らぬこの書き手さん(個人的な面識などない方です)が、オーケストラからの情報として記すに、
"Today at lunchtime, local time, Japan’s Prime Minister announced that all concerts in the country will be cancelled from today and 14 days ahead to prevent possible spread of the so-called corona virus (covid-19). "

ニッポンのそーりのアナウンスメントが「要請」であり、「命令」ではないとは一言も書いてません。そりゃそうで、そんな巨大な忖度システム前提の用語の使い方など、ニッポン社会を知らない人に判るはずがない。このようなストレートな、一切のニュアンス無しの記し方をするのは誠実でしょうね。

だからなんだ、と言われればそれまで。だけど、こういう細かいことの積み重なりが異文化間摩擦、越えられない言語のバリアー、ってもんになっていくのであろーなー、という現実を目の前にする報道であるぞよ、ってこと。

さあ、今日も頑張ってはたらこー!今こそ一致団結、国難をのりきろーではないかああああっ!現状によって仕事が増えて増えて、稼げて稼げて笑いが止まらない方だって世間にはいるんだろうし、そんな方にあやかろーっ!←爆笑必須の空元気也っ!

[追記]

27日昼前に、またひとつ、某現代音楽の大物作曲家兼演奏家が中止が今決まった、という連絡がありました。小生が関わっているのはその次の月の演奏会なんですが、ホントに五分五分って感じですね。

てなわけで、これはもう後の記録の為に、2020年2月27日昼過ぎの時点までで、やくぺん先生が自主的にキャンセルしたり、キャンセルになった演奏会を列挙しておきます。自主的、というのは、やくぺん先生の人間体は高齢者と同居しているため、家族に不安を与えるような場所への立ち入りを自主的に取りやめた、ってことです。これはもう、究極のファミリーマーターですから、どうこう言うもんではない。

★2月19日東フィル《カルメン》(オペラシティ)←自主避難
★2月22日芸劇プロデュース《椿姫》(東京芸術劇場)←自主避難
★2月28日新日本フィル定期(すみだトリフォニーホール)←マネージャーの意向で指揮者来日中止、現時点では日本にいた指揮者に交代し演奏会は決行予定
★2月29日《シッラ》(神奈川県立音楽堂)←文化庁からの通達で公演中止
★3月1日松尾コンサート(大手町よみうりホール)←「多くの参加者がお集まりになる会場での実施は感染の恐れが有る為、よみうり大手町ホールでの「第27回マツオコンサート」を中止させていただきます」という松尾財団の発表は、一連の中止騒動の中では飛び抜けて早い決定。会場がなべつねルームの真下の日本の情報コントロール本丸中枢となれば、いろいろ勘ぐるなと言われてもねぇ……
★3月5日香港フィル大阪公演(シンフォニーホール)←アジアツアー中止
★3月7日日本フィル定期(サントリーホール)←理由の公式発表はまだ無し
(★3月9日都内某ホール主催の室内楽演奏会は、出演演奏家の別公演の中止が先程決まった)

なお、東京都中央区晴海近辺のアウトリーチは軒並み中止とのことです。

おおお、閑散期といえ、こんなに影響があるんだぁ!上野の大物の状況が一両日中に出てきて、このリスト、どっと増えそうだぞ。

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2020年2月26日の現状:総理のイベントへの要請 [パンデミックな日々]

2020年2月26日午後、日本国総理大臣が「安倍首相は26日昼、新型コロナウイルス感染症の対策本部を首相官邸で開き、多数の観客が集まるスポーツ・文化イベントについて、主催者に対し、今後2週間は中止や延期、規模縮小などの対応をとるように要請する方針を明らかにした。(讀賣新聞オンラインより)」
https://toyokeizai.net/articles/-/332921

この事態で、昨日までと状況が一気に一変しつつあります。本日夜の時点で東京文化会館はこんな告知が出るくらい。
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で、のちの時系列確認のために、現状を記しておきます。無論、狭い狭い所謂「クラシック音楽業界」の話ですので、万単位を動員するポピュラーなどの興行の世界の話ではありません。そっち方面絡みのまとめはこちらにあるようですので、ご関心の向きはご覧あれ。
http://www.pia.co.jp/t_pia_info/real/

既に先週から、いくつかのイベント(演奏会)中止などの話が出ていました。それらは「日本に行くと、帰国してから2週間公式な場所に出たり出来なくなる可能性がある」という外国人出演者の不安が基本でした。それに対し、いくら「日本は道ばたで人が倒れたりしてないから大丈夫」と言ったところで、相手の御上の判断ですから、どうしようもない。「そうですか、仕方ありませんね」というしかないわけです。
そんな状況で、出演予定者が来日を取りやめることになり、結果としてイベントが中止になっていました。つまり、それがどのような状況であれ、ステージなり雛壇なりに登場する人の都合や意思によって中止や出演者変更が決定されていた。勿論、そうではない例もあったでしょうが(最も早いキャンセルのひとつだった「墨田5千人の第九」など)、多くの事例がそういうものだった。かんまーむじーく直方や、新日本フィルなど、規模やジャンルが違うものの、いくつかの事例がありました。それぞれ、主催者側は難しい判断があったようです。

本日、総理大臣からの「要請」が出て、状況が一変しました。中止を決定するのは、出演者ではなく、主催者や会場になったのです。出演者がそこにいてイベントをやる気満々で、聴衆も自分なりに気をつけて会場に行き、行けない奴は自分の責任で行かないことにしていた場合でも、どういう判断であれ主催者がやらないと決めたり、イベントをするための会場そのものが閉鎖になったりするようになった。

判断の場所が変わってきた、ということです。 後の記録に、具体例を挙げておくと…

※2月29日サントリーホール 慶応ワグネル演奏会←「本日 2 月 26 日に発表された、政府による「大規模なスポーツや文化イベントなどについて、今後 2 週間程度、中止か延期、または規模を縮小するよう要請する考え」を受け、再度開催を検討いたしました。主催者といたしましては、ご来場を予定されている皆様、演奏会関係者の皆様、そして当団員の健康面及び安全面を第一に考慮した結果、2 月 29 日の演奏会の開催を中止し、感染の今後の拡大防止に努める判断をいたしました。」
http://www.wagner-society.net/images/about_229.pdf

※2月29&3月1日神奈川県立音楽堂 オペラ《シッラ》←「文化庁より、公演の実施について中止等の対応を図るようとの通知を受けたことによるもの」
ttps://www.kanagawa-ongakudo.com/info_detail?id=1432

慶応ワグネルは主催者判断(実情はどうだったか、いろいろな話は流れていますが、なんであれ公式リリースはそうなってます)。県立音楽堂の場合は、はっきりと「文化庁が通知してきた」と記してます。開催されるイベントも、当然、たくさんあるでしょう。それらがなぜ開催出来ているのか、開催することにどのような目が向けられるか、興味深いところです。例えばこちら。
https://www.nbs.or.jp/publish/news/2020/02/2020-6.html
うううん、なんでここはやれるんだ、と考えてしまうなぁ。文化庁はNBSには通知しなかったのか、そんなの知らんと突っぱねたというだけなのか?

ちなみに、新日本フィルのサイトに、「ホール」を主語に判断の流れの纏めが見られるようになっています。便利なので、貼り付けておきます。
https://www.njp.or.jp/news/14463

なにはともあれ、226に新しい意味が出来てしまった日かもしれません。雪は降ってないけど、トーキョーは半端に寒い曇り空の日でありました。

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今なにを成すべきか [売文稼業]

今世紀になって最も無茶な商売原稿作成量となった20年代最初の年の最初の月、隠居前だったら香港からパリ、ハイデルベルク、アムステルダムといつものように弦楽四重奏業界を追いかけてまわっていた筈の厳冬期の始まりにずーっとこの極東の島国に籠もり、ひたすら作文生産作業を続けていた頃から、なにやら世間は怪しい雲行きとなり、あれよあれよという間にニッポン国を実質上やってる企業さん連合がおやりになる世界大運動会関連以外(!!!)の公的なイベントは自粛、街に出るにはマスク着用義務、って奇妙な風景が広がっております。やくぺん先生におきましても、なんせ世を忍ぶ仮の姿の人間体とすれば家に高齢者の家族がおるもので、可能な限り不要不急な危険箇所への接近を避けねばならず、チョンさんの《カルメン》、芸劇が主催する現在のニッポン文化圏では唯一のぶっ飛んだクロスオーバー演出が許されるオペラ新演出シリーズの《椿姫》と、堂々たるラインナップを熟慮のあげく訪れないことになりました。スイマセン、チョン・ファミリークラブの皆様!ゴメンナサイ、芸劇裏方スタッフの皆々様っ!

そんな中、当初は当電子壁新聞でも可能な限り情報を拾おうかと思ってもいたわけですが、ぶっちゃけ、これまた熟慮の結果、原則、触れていません。

というのは…今起きているパンデミック騒動、やくぺん先生がこの業界に関わる前から眺めれば70年代半ば過ぎくらいに始まり、業界に直接関わるようになり内部のいろんなことがある程度見えるようになった80年代終わりくらいから初期高齢者の初心者隠居爺になっちまうまでの間に何度か起きた戦争、紛争、テロ、パンデミックなど業界を震撼させる「事件」の中にあっても、ちょっとフェーズが異なるところがあると感じられるからであります。

ぶっちゃけ、情報伝達、です。

街往くほぼ全ての人がポケットやら懐やら鞄の中に情報伝達端末を確保し、その気になればその瞬間にその場所から世界中の不特定多数、それもわしらの業界が相手にする単位の百からせいぜいが数千のレベルではなく、ちょっとした発信源さんでも最低でも万単位に向けて文字データや映像、画像までが校正校閲、無論検閲なく(多分…ってか、我々末端庶民はそう思っている)、という状況が生まれている。なんせ道を歩いていて何かが起きれば逃げ出す奴は半分、あとの半分はスマホ取り出し近くに寄っていき、なんか書き込み始めたり、写真を撮影したり、はたまた現場からSNS上でライブ中継を始める奴も出てくる、って世界ですからねぇ、西暦2020年の我らが地球は。

湾岸戦争のときも、911のときも、イラク戦争のときも、SARSのときも、新型インフルエンザのときも、既に当無責任私設電子壁新聞が機能し始めてからの311&312のときも、このような状況はありませんでした。我々末端一般庶民情報消費者に提供されるのは、マスメディアを通して流されるある程度以上の校正校閲、はたまた検閲を経た「情報」、それもデータというよりもインテリジェンス化されたパッケージの情報でありました。それに、世界各地を動き回っていたり、政府関係はとのコネクションがある音楽業界関係者からの口コミたれ込みなど、校閲検閲はないけれどデータもインフォメーションも、ましてや情報としての価値判断を含めたインテリジェンスとしてもどれほど評価すべきか判らぬもんが周囲をうごめき、それらから状況を自分らなりに総合的に把握していたわけでありまする。

2020年、その状況が決定的に変わっている。ひとつは10年代後半以降、日本国の官製情報への信頼度が著しく低下している状況が当たり前になってしまったこと。ぶっちゃけ、今の御上はデータレベルで事実を隠匿破棄するとみんな思ってしまい、御上の情報に対しては旧共産圏や香港、シンガポール並みの注意が必要になってしまっていた。そこにもってきて、究極の口コミ伝搬システムのSNSというものが既存メディアよりも遙かに重要な情報伝達、獲得のシステム中枢に陣取ってしまった(だって、日経は機関投資家の株価コントロール媒体、讀賣とNHKは政府官報状態ですからねぇ)。その結果、情報へのリテラシーが不可欠な媒体を通して世界を眺めることになってしまっている。なんせ当電子壁新聞のモットー「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」がどういう意味なのか判らない、なんてオソロシー方もいらっしゃるみたいだし。まあ、一国の国家首脳が校閲校正なしで瞬時に情報発信してしまう時代ですから、おそろしや…

面倒になってきたのでもうそろそろ止めるけど、要はそういう状況下では、「プロの校正校閲してませんよ、裏取ってませんよ、裏は取れませんよ」と一万回繰り返してもまだ足らぬ当電子壁新聞みないなへっぽこ媒体ですら、裏が取れないネタを流すのはあぶない、と判断しているということ。みんながみんな「人前に出るにはマスクをせねばならぬ」って同調の空気を漂わせているのに、どうして情報面では「人前に出すには害毒拡散の危機を防ぐ努力せねばなりませんよ」って風には成らぬのかなんとも不思議だけど、ともかく今は情報の多様性やリダンダンシー確保としての側面よりも、不要不急の情報伝達は避けましょう、って方が大事かなぁ、と思う次第でありまする。

って、ながぁああい前置きをして、これだけは後のために記しておくべき現状。時事通信さんが出している報道(どこが伝えているか、を常に配慮せねばならないなんて、典型的な報道の自由下位国の風景なんだけどねぇ)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020022100627&g=soc
この「東京都は21日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、22日から3月15日までの3週間、都が主催する500人以上の大規模な屋内イベントは、原則延期か中止にする方針を発表した。」という報道で、東京都としての発表のリリースなどはなく、TBSさんに拠れば
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3910739.html
「21日、東京都で新型コロナウイルスの対策本部会議が開かれ、都が主催する屋内イベントについて、大規模なもの、食事を提供するものは、原則として延期または中止される方針が示されました。」って。主語の「東京都」ってのは誰なのか、誰の下した判断なのかはもうちょっとは判るようにはなってるんだが、やっぱりこの都議会を経ていないから条例ではない「方針」ってのがどういう拘束力を持つのかは良く判らない。なんにせよ、結果として「都」よりも「市区町村」レベルでの自主的な中止の動きが目立ってるなぁ。ちなみに、本日東京都が指針を出すという話が関係者から伝わってきているので、やっと安心してこの記事を記している次第。

いちばんの問題は、イベント主催者側はともかく末端消費者側とすれば、「誰が主催者なのか」なんて考えてないし、知らない、ってこと。「都」が中止を決めても、じゃあ「東京都歴史文化財団」はどうなるのか、「東京都交響楽団」はどうなるのか、「都民響」はどうなるのか、共催イベントはどうなるのか、なんだか良く判らぬ。何より困るのは、都が主催やら共催していても実質上は民間に乗っかってるだけの名義イベントはいっぱいある。そういうものの中止の判断に東京都は財政的な責任が取れるのか…

ちょっと考えただけで、もう頭はクラクラしてくるぞ。

ともかく、小生らの出来ることは、後の人が今の状況を出来るだけ客観的に時系列で眺められるようなデータをきちんとしておくことしかなだろーなー、と思う如月も終わりの春の空なのでありましたとさ。面白い時代に生きていたなぁ、と思えるのか…

[追記]

「売文家業」というより、「新佃嶋界隈」ネタなんですが。本日夕刻、こんなリリースが電通から出ました。
https://www.dentsu.co.jp/news/release/2020/0225-010021.html?fbclid=IwAR3YAOwyIVf5MOv4UBOEZxOCakJ4qUrc2TgM1H-F0JWe7V0DgyvqhIOdhTI
実質上、新橋の電通ビルの封鎖宣言ですな。

いつも、佃縦長屋の勉強部屋から、シン・ゴジラ視点で眺めている新帝都のスカイラインの中、それも感覚的には大川向こうの直ぐのところが、今回のパンデミック騒動で封鎖になりました。先頃の羽田新夏の着陸ルートをテストする夕方、東京タワーの上の着陸機を眺める電通ビルの勇姿。
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いよいよ日常インフラ維持を本機で心配すべき状況かもしれませんねぇ。今は葛飾にいるのですが、佃からの移動は基本、しばらくは自転車。それより遠くは、原則、行かない。

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統営音楽祭現時点では… [音楽業界]

このところバタバタしており、当電子壁新聞にまで手が回っておりません。スイマセン。

とにもかくにも、報告。あくまでも非公式な、統営音楽祭CEOからの個人的な連絡に拠れば、来月末から開催予定の音楽祭の開催は五分五分、とのことです。

現時点での非公式な見解ですので、フェスティバルのホームページをご確認くださいませ。特記事項はまだないようですが。
http://www.timf.org/kr/
これ以上は残念ながら、いかな当電子壁新聞と言え、記すことは出来ません。お許しを。

ともかく、人間あっての音楽です。無理をしないようにいたしましょうぞ。

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ヴァン・デァ・パルスの弦楽四重奏曲 [弦楽四重奏]

関心のある方はほぼ皆無であろうお話。

明日、なんの因果かレオポルド・ファン・デァ・パルスのお孫さんだかご親族だかの方にインタビューをする、って仕事が入って、慌ててこれから勉強をせねばならないのだが、ともかく音はかのCPOの交響曲第1番と交響詩集しかないわけで、いくらなんでもこれじゃ困るなぁ、と21世紀の人類のアルヒーフたるYoutubeを眺めたら、案の定、ぞろぞろ出てくるぞ。

んで、やっぱりありました、5曲だか6曲だか存在する弦楽四重奏曲の音の一部が、ちょっとだけ聴けます。演奏しているのは、なんとなんとなんとぉ、ファン・デァ・パルスQというのだから、もうこれは北欧系レーベルに頑張ってくれ、としか言いようがないですな。ほんのちょっと。これ。

ぶっちゃけ、シンフォニーやら交響詩と同じです。まあ、趣味や嗜好があるでしょうからどうこう言う気はありませんが、「なるほどね」って感じのものでありますな。

てなわけ、本日はバタバタ泥縄なんで、面倒くさい連絡仕事などあっても無視します。悪しからず。

それにしても、パルスの交響詩《春》がお似合いのうらうらした陽気だなぁ。まだ如月だろーに。

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唐津の日本フィル [演奏家]

広島からの春秋航空が午後10時15分前に成田にタッチダウン。成田周囲の住民の反対押し切り強引に運用を11時までにしたので悠々なのかと思ったけど、土曜の夜というわけでもなく京成電車で葛飾オフィスまで戻る道は相変わらず限られ、なんと各駅停車上野行きで延々と1時間25分かけて葛飾オフィスに戻っています。広島まで戻れるわい。コートを来ていると汗が出てくる、まだ税金に手を付けていないとは思えない如月半ばの千葉の夜。

さても、昨日から今まで、佐賀県は唐津から広島と駆け足で回って戻って参りました。広島はがっつり商売もん取材なんでこんな場所に記すわけには来ませんけど、唐津は長期的なスパンの取材といえばそれまでながら、今は「見物に行った」としか言いようがない。目的は日本フィルの九州ツアーの唐津公演の見物であります。
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日本フィルという団体は、1973年の分裂後に、日本全国に「日本フィルを聴く会」みたいな任意団体を組織し、中央や地方の音楽事務所やプロモーターが関わる興行とも、はたまた今は当たりな「地方ホールの主催事業」として公金を投じた演奏会とも違う、「ボランティア主催者による招聘」というのを組織し地方公演を行う「市民活動」をしてきました。今時の若い世代が生理的に拒否反応を示す「シミン」でんな。
時代的には労音活動がもうピークを過ぎ、民音や音協などのアンチ労音系鑑賞団体の活動も必然的に鈍っていた70年代後半以降であります。もうちょっと早ければ地方労音などに乗っかる可能性も合ったのでしょうが、日本フィルの市民運動って、ちょっとそれから時代が遅れた。「あの頑張っている日本フィルを助けよう」、というノリの主催団体が日本各地に出来てきたときの話です。

最盛期は北海道演奏旅行、東北、はたまた関西から四国なども「日本フィルを聴く会」のツアーを行っていたわけだが、だらしない70年代が過ぎ、ぼーっとしているうちにバブルの時代となり、日本フィルも資本財界との大和解も成ったりして、組合どころか市民活動も特殊な「プロ市民」と認識されるような空気になっていき、組織が維持できないところが出てくる。で、東北ツアー、関西ツアー、北海道ツアーなどは終焉を迎えることになった。無論、この辺り、地方オーケストラの充実という背景もあるのだが、どうも今回の唐津でいろんな地元の方に話をきくと、そんなに話は簡単ではないみたい。以上、ちょー短い「日本フィルを聴く会」地方組織の背景説明でありました。

おっと、話が先に行ってしまったぞ。もとい。ある意味、「歴史的な使命は終えた」と言われても仕方ない「日本フィルを聴く会」主催による地方ツアーですが、なぜかどうしてか、九州だけは生き残ってしまった。このところは毎年2月くらいに、九州各地で2週間ほどの日本フィルのツアーが行われており、今年2020年で45回目だそうな。

ぶっちゃけ、やくぺん先生の関心は、この「なんで九州だけ?」なんですね。お判りの方はお判りのように、その裏には『クラシックコンサートをつくる。つづける。』やら『ゆふいん音楽祭35年の夏』などの著作の系列の関心があります。要は、「弦楽四重奏」「現代オペラ」と並ぶ、やくぺん先生のお仕事としての本職のひとつ、ってこと。現時点では全く持ち込む媒体もないし、単行本にするというもんでもないしねぇ。助成金出版が狙えるネタでもないしなぁ。

今年はたまたま広島での取材があり、おお、その頃は日本フィルが九州ウロウロしてるじゃんかぁ。それに、昨年秋の記者会見を某Web媒体に紹介記事を書いちゃったので、書いちゃった以上、眺める責任があるわけだしさ。完全赤字だけどねぇ…

※※※

ま、そういう「売文家業」ネタは、またそれはそれ。で、今年の日本フィルさんの九州公演、前首席指揮者のラザレフ御大が率い、演目もプロコフィエフの《ロメオとジュリエット》組曲のラザレフ版という楽器がいっぱい使われるような大曲を連れて歩いている。ほかにも、堀米さん独奏でベートーヴェンのでっかいヴァイオリン協奏曲とか、ブラームスの第2ピアノ協奏曲とか、「九州各地の実行委員会の皆さん、日本フィルが皆さんの大好きな名曲もって皆さんの町にやってきましたよぉ」ってのとはちょっと違う。そもそも数年前には、唐津でもマーラーの5番やったりしてるみたいだし、普通の定期と違わんものをやってます。

昨日バレンタインデーの唐津市民会館公演は、丁度ツアーの後半の始まるところ。宮崎に始まり、鹿児島、熊本、そこから九州の北半分に向かいいきなり北九州、大分までで5公演。そこからは佐賀福岡長崎の辺りを、マチネ乗り打ち含めまた5公演。繰り返しますが、これらの各地の演奏会は、佐賀やら大牟田あら宮崎やら大分やら唐津やら福岡やら長崎やらの行政が税金でやってる公共ホールの主催公演などではありません。ボランティア主催者が仕切る完全な民間公演で、あくまでも公共ホールを借りているだけ。九州ツアー全体を統括する連絡係みたいなものはありますが、福岡にいるその事務局長さん(という名前なのか)も普通の某大手企業サラリーマンさんのボランティア。公金は一切投入されてません。だから、ホールが主催する九州交響楽団公演とかN響公演とかとはお値段も違うし、市の公報に宣伝が掲載されたり、駅や町中張りポスターがこれでもかと貼ってあったりはしません。

だけど、どういうわけか、やくぺん先生が停まった宿のフロントのオッサンは「ああ、日本フィルですか」と知っているし、唐津市役所隣のバスセンターのカフェのマスターも「7時からでしょ、大丈夫、急ぎますから」って演奏会があることを知っている。どうも唐津市民会館大ホールには九響が来ることなどなく、オーケストラといえば年に一度の日本フィルだけだそうな。へえええ…

もう面倒になってきたので、「コンサートレポート」みたいなことはしません。手短に。

開演前、再来年からの建て替えが予定されているというくらいの古びた、二昔前の1000席くらいの市役所裏の市民会館前には、熟年中心の聴衆が列を成す。みんな基本は車移動で、隣の神社の駐車場も兼ねているのか、会館前には広い駐車場がある。
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館内は見事なまでのバリアフリー前様式で、どこにいくのも階段だらけ。さほど稼働率が高くないのか、最近はどこもひたすら充実させるカフェとかレストランはなく、周囲に食い物屋がないのが困る。唐津って、原発マネーで潤う隣の玄海町が合併を拒否したお陰で、行政区としては今はそれほどお金が豊かじゃないのでしょうねぇ。原発マネーが落ちていれば、福井のホールくらいのものは簡単に建ったんでしょうが。おっと、話が別になるところであったぁ。

半島が向こうにある唐津は、九州北部のあちこちの古い町と同様に、昔は豊かな場所だったと良く判るところ。徴用工なんかがどういうものなのか、ある世代以上は実感として知ってるような場所です。どういうわけか、そういうところの常として、「文化活動を自分で主催する」一般市民がポコポコ出てくる。堀米さんが軟弱さ皆無でガッツリとベートーヴェンを弾き(うーん、ホントに不思議な曲だなぁ、このニ長調の協奏曲って)、アンコールを2曲やり、その後にラザレフ御大が全く響かないホールにドッカンドッカンと管楽器打楽器爆発させる《ろめじゅり》やって、最後に客席煽りに煽る古典交響曲ガボットだか《ろめじゅり》だかどっちか良く判らんやつやって、大盛り上がり。花持ってきた女の子たちを「みよ、これはお前らの唐津日本フィルを聴く会の代表だぞ、さあ拍手しろぉ」ってポディウムに立たせちゃう元社長お馴染みの大パーフォーマンスまでやって…
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客の高齢化は否めないし、なにせ唐津の実行委員長さんをやってきた方は80代半ば。だけど、どうやら、今はまだまだ動ける世代の事務局長さんが後を継いでいるようで…って、こういう話もまるっきりゆふいんと同じだなぁ。翌日の大牟田(昨日まで熊本と信じてたアホでしたっ!)マチネを控え、多くの団員は博多に戻ったけど、唐津に陣取る猛者達は11時を過ぎるまで打ち上げで盛り上がっておりました。
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長老団員さんに拠れば、昔は朝の3時4時までだったという。これもゆふいんと同じじゃわい。

てなわけで、報告にもなってない報告だけど、いろんな意味で「なるほどなぁ」と思わされた唐津の夜でありました。

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クルターク《エンドゲーム》北米初演はなんとNYP [現代音楽]

このところバタバタで世間のことすら良く判っていない中、久しぶりに眺めたNYPから来た毎度毎度のリリースで、来シーズンのプログラムが発表されてました。ま、毎年、キング牧師誕生日から春節の始まりくらいに出てくるものですから、いつも通りってことなのでしょうな。んで、ダラダラと眺めていたら、おおおお、こんなニュースが。
https://nyphil.org/concerts-tickets/2021/kurtag-endgame?utm_source=wordfly&utm_medium=email&utm_campaign=mktl_20200212_2021seasonannouncement_mg&utm_content=version_A&source=34905

2021年6月10日と12日、NYPの定期演奏会で、クルタークの《エンドゲーム》が上演されます。どうもホントに「上演」のようで、クレア・ヴァン・カンペンClaire van Kampenの演出、指揮はヤープ社長でんな。カンペンさんって、ちょっとネットを眺めただけだけど、ベケットなんぞの専門家というわけではないし、オペラ演出の経験もないみたいだし、どういう流れで出てきたかよーわからんけど、ともかく、あの旧エヴリ・フィッシャー・ホールでやるようだなぁ。

この作品、やくぺん先生がえらそーなことをふんぞり返って言わせせていただけば、オペラ作品としては決して成功しているとは思えない。世界中のメイジャーメディアや偉い評論家の先生は大絶賛で誰も悪口言う人はいないし、無論、やくぺん先生だって表のメディアにはそんなネガティヴなことは書いてませんが(悪辣な、と言えば言えっ!)、クルターク自身のリブレットがベケット作品の基本的な構造をいくつか壊していて、少なくともスカラでのアウディ演出がその部分に対しては全くケアをしていなかった。まあ、これはこれ、とアウディ御大は判断したということなんでしょうねぇ。

ハッキリ言えば、オペラというよりも《ベケットの「エンドゲーム」からのいくつかの場面》みたいな演奏会形式ヴァージョンを作って、それをあちこちのオケが演奏することで音楽そのものの評価をまずきちんとして、そこからまた舞台に戻していく、という作業が必要なんじゃないかなぁ、と思っているです。

今回の北米初演、メトとかヒューストン・グランド・オペラとかではなくニューヨークフィルの定期、というのは、その意味では正しい判断だと思います。一昔前ならレヴァインかスパーノ辺りがタングルウッドの学生オケで演奏会形式上演する、とかが最初の手の付け方だったのでしょうし、個人的にはなんとなくサロネンがサンフランシスコ響就任記念かなんかで演奏会形式上演するんじゃないか、と思ってた。ま、これもありかな、ヤープ様、ってのがちょっと意外だったけど。アジア初演は初演のシュタンツ様がソウルフィルの現代音楽シリーズで演奏会形式上演、って期待してるんだけど…日本のオケには期待してません(ヴァイグレ&読響さんにはちょっとだけ期待してるんだけど。大野氏はクルタークとか中央ヨーロッパ系メイジャーもんには意外に冷淡だしねぇ)。ことによると、最近の勢いでは台湾の方が先かもね。

不思議なのは、英語題じゃなくてフランス語の題名がそのまま出されていることで、まさかフランス語版でやる、ってことなのかしらね。それはないだろーなーとも思うわけだが…。ま、なんにせよ、まだ16ヶ月先だから、毎月のクルターク積み立てでもしましょか。このところ、マンハッタンに行く理由は全然なかったんで、久しぶりだなぁ。

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若い弦楽四重奏三題 [弦楽四重奏]

2020年1月を今世紀開闢以来の猛烈な作文作業量へと追い込んだ大騒動も終わり(出来上がったものに大量の誤植発見…うううう)、滞っていた日記、写真処理、各種細かい連絡事項も昨日の夕方で全部当面の処理が済み、やっと日常が帰ってきたと思ったらもう如月半ば。税金やらにゃならん時期じゃないの。っても、1月に物理的に限界を突破した作文作業の間にやらねばならなかった取材が膨大なテープ起こし二つ含め、取材メモ4つが手が着いていないという日常業務としてみれば甚だマズい状況は続いているわけで、シン・ゴジラ目線の勉強部屋でボーッとしているわけにもいかぬ。これだけ働いてなんでこんな…と預金通帳をじっと眺める有様なのには、もう今更どうこう言いますまい。ふうううう…

「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする当無責任私設電子壁新聞も、普通の状況ならばお伝えしていたであろうあれやこれやをボコボコ取り落としており、だからといって広告収入もゼロならサブスクライブでもない無責任媒体ですから、フォローせねばならぬ責任もないわけで、まあしょーがないよねぇ、というだけ。とはいえ、流石にそれじゃまずかろーに(何故マズいのか、そこは面倒だから問わないでくれ給え!)、ってわけで、最低限のフォロー。

「世界中のメイジャーな弦楽四重奏コンクールや音楽祭には顔を出す」という生活からの引退を宣言して半年と少し、この1月だって、これまでなら香港の室内楽音楽祭、パリのクァルテット・ビエンナーレ、イレーネおばさまの若手支援団体選出コンクールも兼ねたハイデルベルクの春音楽祭(なんせ、あの韓国のお嬢さん4人組に最初に手を伸ばしちゃった場所ですからねぇ)、そして第2回アムステルダム弦楽四重奏ビエンナーレ、と今までなら1月の2週くらいから2月頭まではずーっと極東の島国を離れており、既に今の段階でベートーヴェンの弦楽四重奏全曲を様々な団体で2サイクルくらいは聴いていたであろうネタ仕込み超ハイシーズンであります。そんな生活からの現役引退宣言したら逆に作文仕事が40代の頃みたいに振ってきた、という訳のわからん状況でんがな。いやはや…

実質的な如月第一週となる先週、2日日曜日、4日火曜日、6日木曜日と一日おきに新帝都首都圏の外れの方まで足を伸ばした若手(結成時期が、という意味)弦楽四重奏団三連発のプチご報告でありまする。ぶっちゃけ、読者は自分です。引退宣言はしたといえ、自分ちの近くの釣り場で起きてることくらいは眺めに行かないと体がなまってしまうし、ホントになにも判らなくなっちゃいますからねぇ。だから、商売もんではない、あくまでも自分のためのメモ(今、本屋さんで売ってるだろう「O楽のT」誌の「年間コンサートベストテン」などというケッタイなイベント記事や、世間には出回らない日本演奏連盟さんが毎年出してる「演奏年鑑」の「室内楽」総括記事を書くための、老化した脳対応の防備録みたいなもの、なんせ日記も崩壊していたんで)。家の前の路地に張り出しちゃってるんだから他人様が読むのは勝手だが、どうこう言われても知らんよ。毎度ながら、そこんとこはあしからず。

ホントは3つに分ける内容がひとつなんで、不必要に大きいかもしれないなぁ。なんせ、いつもは途中まで書いて放棄、後からサルベージュしてメモ書きした日の日付でアップ、ということをするんだが、それすら出来てなかったんで。ま、いーか。既に記憶も曖昧だしなぁ。

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まずは遙々善光寺のお膝元は長野まで赴いた、Riverrun弦楽四重奏団でありまする。こちら。
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ご覧のように、結成旗揚げ公演とはいえ、当電子壁新聞を立ち読みなさっていらっしゃるような皆様には、説明不要なメンツ。チェロはライプツィヒの方で、このクァルテットのためだけに主催の長野市の文化財団が招聘なさったそうな。なんと太っ腹なっ!

この団体にははっきりプロデューサーがいて、セカンドを務める東フィルコンマス氏がそのご当人だそうな。ぶっちゃけ、長野市が数年前に市役所改築を行ったとき、新幹線が長野駅を出て富山方面に向かう直ぐの線路脇に大小ふたつの音楽ホールも併設してしまった。
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やはり松本への対抗意識があったんでしょうねぇ(単なる憶測だけど、誰が考えてもそーだわなぁ)、そこに座付きオケを作り、今や日本の指揮者としては小澤征爾以上に世界に最も売れてる指揮者たる久石譲氏を引っ張り込み、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏をやり録音までしていた。
https://tower.jp/item/4928788/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%EF%BC%9A%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E5%85%A8%E9%9B%86
この団体のコンマスなどをしていたのがセカンドさんで、どういう流れがあったか知らないが、オケはオケで館との関係は終えたようだけど(なのか?よーわからんわい)、「メイジャーな作品とミニマル系現代作品を紹介する」というオケの精神をクァルテットに落とし込んだ団体として、今年から3年の活動をすることは決まっているとのことでありまする。この辺り、間違いがあったら、関係者の皆様、コメント欄にでも突っ込んでくださいね。よろしくお願いします。

奏者のそれぞれには学校や音楽祭やセミナーやらでクァルテットをやっていた仲間、みたいな関係はなく、あくまでもセカンドを軸とする個人の関係で集まった、所謂「フェスティバル・クァルテット」でんな。とはいえ、日本拠点の方々の経歴は説明は不要、チェロさんはアマデウスやらに習っているというので、どんだけお歳なのかと思ってしまったら、そこそこ若いじゃないかい。

目出度い起ち上げ演奏会とあってか、今時の小ホールらしいきっちりした音響の会場にはほぼ満員の聴衆が詰めかける。それも、マニアっぽい人や関係者じゃなくて、普通の長野のお客さん。先に言っちゃえば、この演奏会の最大の吃驚は、きっちり隅々まで当日プログラムの解説を客席で読み、演奏家の喋りを含めしっかり舞台で起きていることを1音も漏らすまいという熱心さで聴き入る聴衆でありました。流石真面目な長野、今やこんな空気は新帝都首都圏のブッ弛んだ聴衆にはないぞぉ、と頭が下がるばかりでありましたです。はい。

わざわざ激安高速バス乗って出かけた最大の理由は、「古典の発生からロマン派、現代まで」みたいなプチ音楽史っぽい頭の良さそうなプログラムの真ん中に据えられた、キャロライン・ショウの弦楽四重奏曲だったわけでありまする。ま、「なるほど、スコアを自分らで読んでいくとこういう風になるんだなぁ」ってのが正直な感想。一昨年の秋にブルックリン図書館でアタッカQがサラッと弾いちゃったのと比べると、あちこちでガツンガツンしているのは当然で、「まあ、ペルトとかシュニトケとかやってたオケが母体だから、こういう選曲もあるんだろうなぁ」なんて勝手に思い込んでいたのとはちょっと違っており、その違った感がとても面白かったですな。これはもう、行って聴かないと判らんわい。

演奏そのものは、ハイドンは、なんというか、敢えて誤解を恐れずに言えば、「アレクサンダー・シュナイダーQのハイドンのモダンアップグレード版みたいなものを久しぶりに聴いたなぁ」って感じ。こういうハイドンもあったよねぇ、って妙な懐かしさ。《狩》はソナタ形式をきっちり見せるための細かい作業に徹する、というんじゃなくて、曲の完成度に任せた、というか。いちばん面白かったのは最後に据えられた《アメリカ》で、なんせ名曲のくせに演奏する団体が自分なりの処理をしないとあちこちぶっ壊れるところがある(つまり、若い団体だと「誰に習ったか」がもろに判っちゃう)ちょっと不思議な曲ですから、ソリストとしての力がバリバリにある人が本気で弾くと、「へええええええ!」と思わされる部分がいろいろと出てくる。ヴィオラさんバリバリいっちゃうとか、第1ヴァイオリンのフレーズの読み方が同じソリストがこの曲をやるときでもミドリさんなんかとはまるで違うなぁ、とか、滅茶苦茶楽しい20数分でありましたとさ。こういう楽しみ方が正しいのか判らないけど、こればかりはしょーがないもんね。

終演後は大拍手。来年も同じ頃に、スメタナやらヤナーチェクやらを演奏する予定だそうな。無論、3年目は武満であることは言うまでもないでありましょう。願わくば、本公演の前にいくつかクァルテットとしての活動が出来れば良いのでしょうが、それは来年以降のスタッフの頑張り、それに聴衆の側から「もっと聴きたいぞ」という声が揚がるかなのでしょうねぇ。ぐぁんばれ、長野市民!

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さても、続いては遙々青葉台はフィリアホールまで東急に揺られたチェルカトーレQでありまする。
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この団体に関しましては、昨年連休前半の秋吉台コンクールで3等賞になったサントリー室内楽アカデミーの若い連中、と言えば、もう説明は不要でしょう。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-04-28
この演奏会、フィリアホールが若手支援の公募という形で昨年だかから始めた新しいやり方で、横浜市が各区に建てた「それぞれがハッキリ特徴を持ったローカルなホール」展開作戦のひとつ、東急のホールではなくあくまでも横浜市の公共ホールとしての企画として、若い団体に企画を公募し、フィリアホールでの演奏会の財政的な支援をする、というやり方だそうな。レジデンシィとかではなく、あくまでもこのコンサートの為の支援、ということのようです(違ってたら突っ込んでね、関係者の皆様)。

なんであれ、ホントの意味での若い団体が、ハーゲンQやらも演奏会を行う首都圏のちゃんとした会場の舞台で一晩のコンサートを行えるわけですから、こんなに有り難いことはない。で、当然のことながら、やたらと力の入ったプログラムになるわけですは。ほれ。
http://www.philiahall.com/html/series/190204.html
ハッキリ言って、1曲多い、かな。《狩》なくてもよくね、ってか。客席は、チケットの売り方がそうだったんだろうけど、ここは青葉台じゃなくて洗足のホールか、って思うような楽器を抱えた奏者と同世代の若い方で溢れ、フィリアホール周辺の熟年音楽好きは思ったほど姿はありませんでした。平日の夜、終演が凄く遅くなりそうな長そうなプロ、というのもあったんでしょうかねぇ。便利といえば便利(あたしゃ、ちっとも便利じゃないけどさ)な場所なんで、天覧席にはこんな方のお姿も。
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なかなか怖いなぁ、この状況は。学校の定期試験みたい、とは言わないけどさ。

中身に関しては、「あああ、この世代の連中には、もうバルトークの合わせが難しい、なんてことはまるっきりないんですねぇ」、ってのに尽きます。良くも悪くも、バルトークの5番という世界のメイジャーコンクールでもいろいろと神話伝説が伝わる難物を、とても余裕がある演奏で響かせてくれる。そう、何よりも、響きがあるたっぷりした音楽に聴かせてくれちゃうわけですわ。「僕たち、こんな難しい曲やってますよ」ってアピールは皆無。21世紀に入ったばかりの、タカーチュQ前世紀にリンカーン・センターでやった全曲演奏会のときに、「ああ、バルトークでアンサンブルの楽しさ、って音楽をやる時代になったんだなぁ」と新世紀を感じたけど、そんなんがもう学校出て直ぐの人たちのやることになってきている。そんな時代になってるんだなぁ。

モーツァルトやベートーヴェンは、ともかく戦ってみたぞ、という演奏。特に作品127は、第2楽章の変奏曲一点突破で来たのは判るし、よく歌ったと爺さんは褒めてあげよう、と思わんでもないが、やっぱり作品全体のフワフワした不思議感をどうするのか、風船フワフワ飛んでっちゃって上手く手にフィットしなくて、ってもどかしさは仕方ない。この曲はこういう曲なんだ、と開き直れるには、まだまだ手練手管が必要なんでしょうねぇ。何をすべきか、いろいろ指導してくれる大長老が周囲にいくらでもいる、という現状を利用し尽くして欲しいものであります。

※※※

新進気鋭団体三連発の最後は、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのQアマービレでありまする。場所は、昨年同様に上州の空っ風吹き荒む桐生です。こちらが昨年のお話。そうか、百里から行ったんだっけ。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-02-01
今年は新帝都は天樹足下から東武線特急りょうもう号で延々、この冬でいちばん寒い、やっと冬らしくなった空の下、遙か渡良瀬川挟んだホールとは反対の市街地にある駅に到着したら、おやまぁ、皆さん、ご一緒だったのね。
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今年はしっかりマネージャーさんもついていらっしゃって、いよいよメイジャーへの道を歩んでるなぁ。

なんせ昨年の秋の終わりに、NYのヤング・コンサート・アーティストのオーディションに合格、その直後に横浜みなとみらいでやった演奏会がたいそう完成度が高く、若手団体の中ではもう誰が聞いても明らかに一歩抜け出しちゃった感があり、個人的には「おおおお、久々の真性パウロニアQが出てきたぁ!」と判る人には判る感想を抱いた。とはいえ、若い団体というのは、失礼を言えば、コンサート毎の当たり外れがはっきりあるわけで、どのくらい安定した結果が出せているのかしら、というのが桐生詣での最大の目的でありました。

もう長くなってきて疲れてきたので、最低限のポイントだけ記すと、「なるほど、メンデルスゾーンの作品80はそうきましたか」ってのが正直な感想。
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作品18の4で、昨年くらいからどんどん自力を発揮してきているセカンドさんの力をバリバリに見せるのも賢いやり方。で、やくぺん先生の耳には未だに若手と言えば今を去ることもう四半世紀も昔、ロンドン大会で圧倒的な演奏を聴かせたステファニー・ゴンリー率いる今は亡きヴェリンジャーQ(「クァルテットでは食えないので解散します」という衝撃の宣言をした団体であります。続いていれば、今頃はベルチャQのポジションにいた可能性は高いわなぁ、うううううん…)の衝撃的な再現が残っているわけだが、戦えばステファニーとも戦えるであろう篠原さん、ああいうウルトラ・ヴィルトゥオーゾ作品としての処理ではなく、どうやって弦楽四重奏の中に己を納めていくか、拘束具の付け方というわけではないが、どうやって「ソリスト」の上手さではないものをやっていくか、本気で取り組んでいる。つまり、派手派手イケイケではない作品80だった、ということ。

ちょっと意外だったけど、これはこれでとても納得いく流れで、なるほど、この人たちは今、そういう辺りにいるのね、ってのはよーく判ったです。

以上、最後は急ぎ足になったけど、先週のそれぞれに立ち位置が違った若手三団体一気聴きのご報告でありましたとさ。さて、明日は鶴見でQベルリン東京。こっちは、もりや氏の拘束具がすっかり外されつつある、次の段階に入った準若手のご披露でありますな。

トーキョーにいるだけでも、いろいろ聴けるなぁ。松尾のオーディションって、すっかり忘れてたけど、いつだっけか?

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アマチュアオケの成すべき仕事 [音楽業界]

フライハイト交響楽団というアマチュアオーケストラの演奏会を拝聴して参りましたです。場所はすみだトリフォニーホール、演目はなんと、ツェムリンスキーの交響曲変ロ長調でありまする。

アマチュアオーケストラ、というのは、ある意味で日本の西洋クラシック音楽文化の受容度というか浸透度の高さを最も端的に表しているジャンルで、極めて特殊な、でももの凄く深い広がりを持っている。恐らくはまともに研究は成されていないだろうし、状況を網羅的にきっちり把握している人はだーれもいないジャンルでしょう。まあ、ぶっちゃけ、ご本人達が自分らのことしか関心ないし、なんせ忙しいんだからそれで十分でしょ、って世界ですから。

まあ、目の前に見える状況を皮相的に眺めるだけでも、日本というか、東京首都圏のアマオケというのは極めて特殊な団体でありまする。今、ここで訳知り顔にどうのこうの論ずる気もないし、そんなことできっこないわけだけど、一つだけハッキリしているのは、「21世紀20年代初頭の東京首都圏に於いて、後期ロマン派タイプのモダン・オーケストラ作品のある種の作品は、アマチュアオーケストラが演奏するために存在している」という事実。とりわけ、19世紀後半から20世紀末くらいまでの「前衛」とはちょっと違うところにある管弦楽曲、ぶっちゃけ、ベートーヴェンやらブラームス、チャイコフスキー、ブルックナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、なんぞの正統派オーケストラ作品をベースに、その周囲にあるブルッフだとかカリンニコフだとかレスピーギだとか、はたまたチェレプニンだとか伊福部昭だとか、もっとこっちに来ると芥川也寸志だとか團伊玖磨だとかの作品、要は後期ロマン派のオーケストラ曲が普通になんとか演奏出来れば頑張れば手が出せるような作品ですな、これらはアマチュア・オーケストラの大事なレパートリーになっている。

プロのオーケストラの場合、集客を考えるとなかなか手が出せないけど、アマオケの場合は指揮者やオケの演奏委員会だかに声のデカい奴がいて、「これ、絶対良いからやろう!」とか叫んで、みんながなんかしらないけど俺にも出番がありそうな曲だからやってみるか、ってことになると、やれちゃう可能性がある。なかには、ショスタコとかシベリウスとかその周辺の作家を弾きたいから集まってきて弾く、という猛者の集団みたいなオケもあるし。

このフライハイト交響楽団という団体がどういう経緯でツェムリンスキーの交響曲、っても有名な《叙情交響曲》やら《人魚姫》、ちょっとは有名な《シンフォニエッタ》じゃなくて、この20代の若書き交響曲を演奏しようではないか、ということになったかは、知りません。ぶっちゃけ、本気で知ろうと思えば知る方法はあるけど、まあ、それはどーでもいいでしょ。

てなわけで、今、しっかり40分もかかる大曲を拝聴し、ダラダラと押上駅まで天樹眺めながら歩き、京成電車乗って葛飾オフィスまで戻ってきて、慌てて明日の朝のゴミ出しに向けて柿の木の枝払いをして一息ついているところでありまする。そうねぇ、寒い北風の中、高枝切り鋏でじょきんじょきんしながら、頭の中でツェムリンスキーの妙なる響きが鳴りまくっていたか、と言われると…うううん、そういうんじゃないなぁ。でも、凄く面白かったです。

冒頭の管楽器が一斉に吹き鳴らす序奏からして、どうも弦とのバランスはどうなってるんだい、って音楽が始まり、ツェムリンスキーという人は所謂「オーケストレーションの名人」ってこの時代にキラ星の如く並ぶ人気作曲家とはちょっと違うんだわなぁ、と思わせてくれる。このアンバランスさってか、ゴツゴツっぽさは、なかなか味わい深いぞ。この曲、変ロ長調て♭二つの調性、管楽器吹かせる為じゃないかぁ、と思ってしまったぞ。若きシュトラウスとかみたいな「うぁあああオーケストレーション上手!」ってんじゃないし、シュレーカーとかフランツ・シュミットみたいな色彩感とも違うし。確かに「ブラームスとヴァーグナーの真ん中」という当時からの評価は納得がいくものでありますな。こういうバランス感って、著名オーケストラの商業録音とかじゃ判らないんですよねぇ、綺麗に整理されちゃうから。正に、ライブじゃないと判らない部分。第2楽章のティンパニー、管の皆さん煩くないかぁ、とかもね。で、この作品の最大の聞き所は、なんといっても第3楽章のオーボエのカデンツァでありまする。演奏なさっていたのは、なんとなんと、某公共ホールのスタッフのOさんでありまするっ!GPで楽器に事故が起き、慌てて渋谷まで往復し、本番にはギリギリ飛び込んだそうな。そんなバタバタを全く感じさせない堂々たる吹きっぷりでありました。ほれ、禁断の大喝采隠し撮りっ。
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なんせこのカデンツァ、なんのことはない、次に「前奏曲と愛の死」が控えている《トリスタン》の第3幕の牧童の笛じゃないかぁ、って思わせてくれたのは、本日最大の収穫でありました。なるほどねぇ。無論、かつて「《英雄の生涯》のコンミスもやっちゃうホールの裏方さん」として知る人ぞ知る存在であったYさんがコンミスを務めているわけで、終楽章のブラームス4番を連想するなと言われてもほぼ無理な変奏曲では、彼女のきっちりしたソロも聴けたしさ。

いやぁ、いろんな意味で、日本のアマチュアオーケストラがしっかり社会的な役割を果たしツェムリンスキーの創作の根っこにある大事な部分を天下に示してくださった、大いに賞賛すべき演奏会でありました。皆々様、ご苦労様でしたです。お疲れ様でした。

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