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ヴィーンの《レオノーレ》鑑賞のお供に [音楽業界]

本日は久しぶりに佃の勉強部屋に陣取って、来週から動き出したくてむずむずしている業界の関連広報さんやらに面倒なメールを書かねば…と思っていたのだけど、「今日だけのライヴストリームをちょっと眺めて…」という春からすっかり毎日の習慣になってしまっているネット巡回を始めたら…やはりヴィーンの《レオノーレ》はちゃんと視ないとマズいなぁ。こちら。あ、登録していないと開かないかもしれないなぁ。ま、なんとか頑張って下さい。
https://www.staatsoperlive.com/live
まだ丸一日くらいは視られるのかしら。

ベートーヴェン生誕記念250年で大いに盛り上がる筈だった2020年、楽聖の本家本元、天下のヴィーンの世界に冠たる劇場がまず最初に出してきたのが、《エロイカ》や《ラズモフスキー》セットの頃に書かれた、この作曲家唯一の歌劇の最初の版でありました。普通に考えれば、ミンコフスキ指揮&ルーブル楽団でリンクの外の初演を行ったアン・デア・ヴィーン劇場かなんかがいかにもやりそうな企画ですな。ま、経緯はどうあれ、2月の頭からまずはこの《レオノーレ》初稿版の公演が5回あり、この5月には本来なら最終決定稿たる第3稿の《フィデリオ》が出される予定だった。いかにも記念年らしいラインナップだったのだけど、当然ながら《フィデリオ》の方はコロナ禍で劇場が休館になってる真っ最中、上演されておりません。

このプロダクション、ちょっとクセのある若手演出家さんに任され、演奏者も若手中心。いかにも企画ものらしいラインナップではあります。で、やくぺん先生ったら、ぶっちゃけ、「馴染みのない初稿をヴィーン国立歌劇場としては初上演するのだから、今時の才気走った古楽っぽい指揮者かなんかのお勉強っぽい演奏演出なんじゃろうなぁ、さて、じゃあ拝聴してやろーか」とばかりに、なーんにも勉強せずに視聴を始めたでありまする。初演第1稿って、一部の楽曲が失われていたりするわけで、そこをどう補充しているかなども、なーんにも調べずにいきなり聴き始めた次第。

ったらもう、最初の《レオノーレ第2番》なんて序曲からして、モチーフがあっちこっちに行っていつまでも終わらぬながあああああいよー知らんもんが始まり、その途中から奥でレオノーレとフロレスタンが幸せそうな若夫婦やってるパントマイムが始まり、それはそれでああそうですか、なんだけど、幕が開くとレオノーレが歌手と役者の二人一役であれぇ、と思い…最後は、ある意味、死んでいくレオノーレの夢オチ、ともとれる処理の仕方で終わり…

とにもかくにも、いろいろ言い立てればキリがない。まだ視られるのですから、ご関心の向きはさっさとご覧あれ。《フィデリオ》をよくご存じの方であればあるほど面白がれます。

で、当無責任電子壁新聞とすれば、せっかくだからやくぺん先生の世を忍ぶニンゲン体が15年も前にNJPでアルミンク王子が《レオノーレ》第2稿改訂版をセミステージ形式上演したときの曲目解説を、ボランティアで提供しましょうぞ。ほれ。
NJP0503レオノーレ.pdf

ぶっちゃけ、この映像で視られる初稿と、第1幕のロッコ一家の話を中心に短くした第2稿の間にも、かなりの違いがあります。とはいえ、レオノーレとマルチェリーナのヴァイオリンとチェロのオブリガート付きみたいな二重唱とか、第2稿にも含まれるけど決定稿にはないナンバーなどもあり、なかなか興味深い資料にはなるでありましょうぞ。やくぺん先生からのベートーヴェン250年祭へのボランティア参加でありまする。著作権がNJPにあるわけじゃないですから、問題は無いでしょうし。

それにしても、このような特殊な作品の、ぶっちゃけ、興味本位、という言葉でしか言い様がない上演でありながら、いろいろと問題多い台本をまともに読み込んで、絶対に文句言われること必至の舞台をしっかり作り上げてくるなんて、ヴィーンは懐が深いというか、古典芸能の創造性ってのはこういうものなんだと見せつけてくれるというか。カーテンコールでスタッフ陣が出てきたときの壮大なブーイングを眺めるだけでも、価値がありますよ。一昨年の初台も、カタリーナおばちゃんはこれくらいのブーを期待してたんじゃないかしらね。

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