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弦楽三重奏を聴いてみよう [演奏家]

昨晩は、ちっとも秋らしい天高く馬肥ゆる空とならない中を、遙々東京都下三鷹なんぞまで足を運び、ロータスQの3人が奏でる記念年のハイライトのひとつ、ベートーヴェン弦楽三重曲作品9一挙全曲演奏を聴かせていただきましたです。
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当然小ホールと思い込んでいたら、コロナ対応で一人空け席の大ホール。ロータスの皆さんにとっても武蔵野のロイヤルな聴衆にとっても、1000席を越える大ホールで弦楽器3本だけのアンサンブルって、これまでもこれから先もそうはない経験なんじゃないかしら。

なんせメロスQやアマデウスQにガッツリ習っている世代(ううむ、今や長老感が漂いますね、こんな経歴にも)ですから、今時のピリオド奏法や古楽器の弾き方を前提にした若い欧州のアンサンブルの一部にあるような「大ホールでは全然ダメ」ということはなく、どんなに物理的に音が小さくても暫く付き合っていればそれなりにちゃんと聞こえてくる今時の「音楽ホール」の特性と相まって、音が小さくて判らないということは全くありませんでした。無論、来る木曜日のサルビアホールみたいな環境とはまるっきり違うでしょうけど。マネージャーさんも延々と歩いてセッティング。なんせトリオだし、立って弾いてたから位置調整もいつもとは違うし。
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一挙全曲演奏とはいえ作品9は3曲しかないし、どれも真面すぎる古典派4楽章を踏襲した文字通りの作品18の露払いみたいな位置付け。ましてやスケルツォやメヌエット楽章はホントに短いものもあるので、休憩含め8時半過ぎには終わってしまう。でも中身はもの凄く充実しるので、もうこれで充分と感じさせてくれる一晩でありました。

とはいえ情けなくも、最初に演奏されたト長調作品では、慣れない大空間に響く楽器のバランスやら響きやら音量やらに聴衆のこっちが戸惑っているうちに終わってしまった、というのが本音。うううん、もう一度全部やってくれ、とはお願いできないしなぁ。やっとしっかり聴けたニ長調とハ短調しかなんのかんの言えんのではありまするが、誠に立派極まりない再現でありました。立派、というのは、「この音楽がどういうもんで、どういう限界があるかをしっかり判らせてくれた」ということ。

正直、合わせも達者なソリストが力任せに自分の声部の魅力を最大限に聴かせてくれる、という音楽ではありません。その結果、この作品独特の「非力なエンジンで限界までギリギリに突っ走らせてる」感がはっきり聴こえてくる。ネガティヴな印象ではなく、ああこの楽譜はこういうもんなんだ、と納得させられながら、であります。ともかくぎっちりと線で埋め尽くされ、書き込み過ぎちゃった線画みたいな圧迫感すら感じるほど。ニ長調のアンダンテ楽章でも、このメディアでは歌をたっぷり奏でてる余裕なんかないぞ、って割り切った歌の楽章だし。そのギリギリ感がひしひしと伝わって、なんともスリリング。んで、それなりに演奏されるハ短調作品になると、アレグロの冒頭楽章でも音色的にちょっと違うことをなんとかやろうとしてみたり、息の長い旋律が書きにくいことを敢えて逆手に取ろうとしてみたり。スケルツォ楽章なんかな妙に填まった感が漂って、かえって拍子抜けだったり。

ともかく、若者を終わろうとするベートーヴェンくん、敢えて自分に課した厳しくも無茶な課題の中で、ギリギリやれるところまでやってみた、という音楽であることがよーく判りましたです。ああ、これはもう一生やらんでいいなぁ、とベートーヴェンが思ったのも納得しちゃったりしてさ。

音楽を楽しむという意味では、後のこの作曲家さんがお得意とする「最後に向けて大きく盛り上げていく音による壮大な物語」みたいなもんが一切ありません。その意味で、「人間の意志の勝利」みたいなヒロイズムとはまるっきり無縁。とはいえ、ロココ趣味ともちょっと違う微妙な立ち位置なんで、味合わせ方として扱いにくい作品群であることは確かだなぁ、とも思わせてくれました。

この作曲家の弦楽四重奏や室内楽を熟知している方であればあるほど面白がれる、貴重な演奏会であります。木曜日の鶴見は、モーツァルトの晩年の傑作がいかに奇跡的な超名曲かが逆に良く判るんじゃないかな。売り切れだそうですけど。ちなみに、モーツァルトはIIJさんが無料ストリーミングのライヴをやってくれるようです。
https://www.iij.ad.jp/news/concert/2020/1026.html

ベートーヴェンをガッツリ聴きたいお暇な方は、週末土曜日に名古屋までどうぞ。GOTOもあるでよぉ!
https://munetsuguhall.com/performance/general/entry-2052.html

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