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ヴァイオリン・ソナタ《運命》 [演奏家]

昨日は午前中に家族の急逝という思いもかけない事態があり、出かけても聴いているだけの精神的なパワーがあるか疑わしい中を、ともかくこういうものをちゃんと聴くのが俺が神様にまだ生かして貰っている理由なのであろうとぐぁんばって、上野の杜は藝大奏楽堂に出かけて参ったでありまする。流石にお嫁ちゃまは無理でした。そりゃ、仕方ないわね。

ホントは当電子壁新聞でも事前に宣伝したかったのだけど、学内&関係者限定非公開イベントになってしまったため、そういうわけにもいかなかった演奏会。こういうもんです。
https://www.geidai.ac.jp/container/sogakudo/93604.html

第2回となっておりますが、いずこも同じ第1回はコロナ禍でキャンセルになってしまい、実質上第1回。4回シリーズが3回になってしまい、随分と長いコンサートになってしまったそうな。なお、藝大奏楽堂は既に有料入場者を入れたコンサートも再開しており、週末だかのオルガン演奏会は目出度くも売り切れだそうであります。

上の公式URLを眺めていただければお判りのように、要は「ベートーヴェン生誕250年記念落ち穂拾い集」のひとつ。ホントならこのようなアカデミックというか、趣味に走ったというか、よほど興味がある人じゃないとわざわざ会場まで来ないだろう、って演奏会は、たくさん予定されていたんでしょうねぇ。なんせ「ベートーヴェンではない人が編曲した管弦楽曲の家庭用室内楽版」を並べたわけですから。

演奏家は、ご覧のように永峰先生以下、藝大だけでなく国立音大の先生なども加わったアンサンブル。永峰先生が集めたメンツだそうで、一昨日にハクジュでトリオ弾いてた人とか、先週荻窪で弦楽四重奏弾いてた人とか、2020年の東京首都圏の現役バリバリばかり。

大きな奏楽堂にパラパラと聴衆がばらけ、舞台上には空気清浄機らしきもの(なのか?)が取り囲む中に音楽家達が座ります。
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来週には天下のヴィーンフィルがチャーター便でやってきて天下のサントリーホールで満員の客席を前に演奏するというのに、藝大はとっても慎重だなぁ。

まずは《エグモント序曲》から。っても、ヴァイオリンとチェロ、それにピアノ連弾、って妙な編成。だってさ、このような同時代の編曲って殆どが連弾で、どんな複雑な管弦楽曲でもともかくこの形に落とし込んでどんなもんか知る、というものばかり。そこに弦楽器ふたつ入るわけですから、なんだろうなぁ、響きが豊かになるというのでもないし、ま、とても聴きやすくなることが確か。ただ、正直、モダンなピアノで大ホールでこの楽譜を鳴らすと、どうやってもチェロのバランスはおかしくなります。それはコンサートをプロデュースした沼口隆准教授も百も承知で、これはこれと思って聴いてくれ、と舞台の上から仰っておりました。

大事な家族に不幸があったというのにわざわざやくぺん先生が上野までやってきた目的は、続くJ.アンドレなる作曲家がヴァイオリンとピアノの二重奏のために編曲した《交響曲第5番》ハ短調op.67 にありました。なんのことない、ヴァイオリン・ソナタ《運命》ですわ。こういう楽譜が出版されて、欧州各地の家庭で弾かれていたんですねぇ。演奏を担当した都響で矢部ちゃん隣に座る吉岡麻貴子さん曰く、「技術的には難しくないかもしれないですけど、譜捲りがしにくく、なによりもパワーが…」とのこと。

なんせ丁度一週間後の日曜日は、遙か北九州は黒崎で午後から夜までベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲を1日で聴こうというやくぺん先生とすれば、こういう楽譜が音になる以上、聴いておかないわけにはいかんでしょうに。ま、感想は…へえええええええ、ですかね。「なかなか興味深い」としか言いようがないもんでした。ピアノ編曲にオブリガートのヴァイオリンが付いた、というもんではないにせよ、ううううむ、なんだか摩訶不思議なものを聴いた、という感じでありました。吉岡様、お疲れ様でしたです。

後半の九重奏版交響曲第2番は、この編成なのにホルンが2本入るとか、フルートとヴァイオリンのパートが入れ替わった箇所があるとか、いかにもプチ交響曲って響きの箇所と、おっとぉそりゃ無理でしょ、って部分とがまだらになった音楽。一応、リースというこの中では最も知られた名前の音楽家が編曲を担当しているわけですけど…ま、なにより若きヴィオラ名手ふたりがやたらと過剰な仕事をさせられるのが印象的でありました、って情けない感想かしら。とはいえ、流石にオケマンばかりを集めた室内楽とあってか、案外とそれっぽい盛り上がりで終わりましたとさ。

さあ、この演奏会、無性に聴きたくなってくるでしょ。そんな貴方の心を見透かしたかのように、東京藝大さんは来る12月2日からこの演奏会をWebで配信してくださるそうな。詳細は未定だそうですので、ご関心の向きは、足繁く藝大ホームページを見にいってくださいな。

死んでから200年近くも経つと、ポケットの中にこれらの作品の映像と音がみんな詰まっていて、世界のどこからでも聴けるなんて、楽聖は想像だにしなかったでしょうねぇ。尤も、この頃まで自分の曲が演奏されているかどうかなんて、まるで関心はなかったろうけどさ。

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