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たびの終わりに北関東のスタバでマンハッタン厄遍庵を思う午後 [たびの空]

世界史に「以後の世界経済を変えたコロナの年」として記録される2020年唯一の2週間の国内ツアーの最後、遙か佃縦長屋勉強部屋から天気が良い日には姿が眺められる関東と東北の境は白河の関まであと一歩、東北新幹線が頭の上を通過するJR西那須野駅から延々とバイパスを真っ直ぐ歩いて半時間ほど、那須野が原ハーモニーホールに来ております。
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ここ、バブル後に竣工された頃は、某著名音楽評論家先生が何故か館長だか顧問だかをなさっていたこともあり、その頃に尋ねたこともある筈なんだが、ホントに久しぶりに訪れたら、こんなところだったっけ、と思ってしもーた。なんだか周囲はこの季節なら百舌さんやらヒタキの方々が縄張りを巡って歩いてるようなノンビリした田舎だと思ってたら、うううむ、駅からの道は単なる地方の郊外。バイパス沿いに車屋や拉麺屋、そしてコンビニの隣にはスタバまであるわいな。
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どうやらこの辺りでは思いっきりオシャレな場所のようで、いるのはここは渋谷カロッポンギか、って若い子ばかり。勤労感謝の日の午後、まるで地方都市の図書館みたいに参考書積み上げてお勉強してる奴も。入口に、「今日は勉強しないでください」って張り紙があって、意味が分からんと思ったのだが、こーゆーことだったのね。

思えば昨晩は、京都駅新幹線口前のスタバで、同じようにパソコン開いて「京都の観光地は三密の危機」と騒ぎ立てられた観光客がお土産満載で新幹線に吸い込まれていくのを眺めてたっけ。

ニッポン列島、狭いんだか広いんだか…

2週間前の日曜日に北九州は黒崎でベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲1日で演奏会というとてつもないイベントで始まったコロナの年唯一のツアー、京都でのエクの五重奏、静岡での長老らの《ガリツィン・セット》全曲、その間に初台のナショナルシアターでの世界初演なんてもんも挟み、富山から名古屋、びわ湖とまわる葵トリオのツアーも無事に終了。そして最後は、アンコールのようにちょっと北関東、やくぺん先生大川端ノマド場からヘリを出して貰えば30分くらいの関東外れで、どうやら木枯らし一号ではないか、って北からの風に赤くなった葉っぱが飛ばされてるのを眺めてます。

実質上の世界第一線取材から引退を表明したら実質上の鎖国状態になってしまい、神様は「お前がちゃんと見てこなかった奴らを、これからはしっかり眺めるのじゃ」と仰っているような今日この頃。ツアーの最後は、思えば10数年前の大阪大会で聴いて以来、驚くなかれ一度たりとも聴いたことがなかった昴21Q。あのベネヴィッツQが文句なしで勝った年に、確かセミファイナルまでは行ったのかな、あのときの連中でどれだけが今日まで生き残っているかは知らぬが、「団塊の世代」一斉オーケストラ退職後に次々とそのポジションを得ていった世代らしく、今はN響やらのメンバーになってるようです。
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[追記:大阪のあと、昨年まで同じメンバーでやっていて、広響コンマスだったりN響だったり。で、N響で指揮も始めてるヴィオラが昨年辞めて、なんとまぁ、シェンクさんにドイツで習っていたというヴィオラが加わったそうな。どうやらチェロさんがこの辺りの方で、年に一度、この会場で演奏会がやれるらしいです。]
んで、聴かせてくれるのは、《アメリカ》と、作品127。この先なーんにも予定が入っていない、お嫁ちゃまの扶養家族必至のやくぺん先生に、「まだまだこれから始まりなんだよ」と仰ってくれるような、変ホ長調の和音がまたどっかーんと響いて、半月のツアーが閉じられる。

日差しがあるからなんとかなるもの、日が陰ったらひたすら冷たい風になりそうな北関東のからっ風に吹かれ、刈り取りも終わった田んぼの中のバイパスを風に吹っ飛ばされる雀たちに頑張れと呟きつつ歩いてくると、お嫁ちゃまから連絡が。なんと、やくぺん先生のマンハッタンの定宿、マンハッタン厄遍庵が廃業になったとのこと。これとか。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-01-11
うううむ、思えば20世紀最後の10年くらいから、いったいどれだけあの宿に寝泊まりしたことか。恐らくは、全部を数えれば半年くらいにはなるんじゃないかしら。社長が交代し、でもカウンターで働くにちゃんたちはいつも同じで、JFKからズルズル荷物を引っ張ってきたり、はたまたボストン辺りから誰かの車に乗せて貰って表に乗り付けたり、どんな形であれ到着すりゃ、「はーい、やくぺん先生」と迎えてくれ、サインひとつで部屋が出てくる。クリスマス季節のどうしようもなく混んだタイミングで飛び込んだときだって、カウンターにいた知らないねーちゃんが部屋がないというのに、奥からイタリアンの二枚目店長が顔を出し、いよぉ、って顔をし、ねーちゃんに頸を縦に振ると部屋が出てきたり。世界がインターネットで繋がる前は、到着するや「スピルバーグくん」と呼んでたにーちゃんがあちこちから来ている連絡物や広報資料をごっそり出してきて、さあ仕事しろ、って顔をする。

向かいのアパートにはかつてはミドリさんが住んでいて、ブロードウェイの世界一のスーパーに向かうとスワナイさんが彼氏と歩いてたり、エレベーターの中で上海Qの先代のチェリストにばったり出くわしたり。南にはトスカニーニとホロヴィッツが住んだアパートが聳え、その向こうの72丁目をセントラルパークの方まで行けば、バーンスタインのアパート。そう、林光さんが名曲ヴァイオリン・ソナタ《72丁目の冬》を書いたのもこの辺りという。

北関東の木枯らしに吹き飛ばされるムクドリの群れたちを眺めながら、マンハッタンの家がなくなったことを哀しむ。

あと1時間もしたら耳にする《アメリカ》は、なにか特別にきこえるかしら。

秋のたびの終わり。実は、昨晩、人生最期の大きなたびの始まりを告げる連絡もあったしさ…

楽聖が 往けと背を押す Es-dur

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