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司令塔のない《ゴールドベルク》 [演奏家]

葛飾オフィス撤収作業も4週目に入り、「親父の家の処分片付け」仕事はキャンプ用品や発電機などまで突っ込まれた裏の物置の中というオソロシー難物を除けばほぼ8割が修了。今週からは「オフィスの仮移転」作業も本格化しております。なんにせよ、あと1ヶ月は当電子壁新聞は開店休業状態が続きます。忙しいとか疲れているとかいうよりも、この歳で大荷物運びやら書棚解体やらの作業を延々とやっていると手が動かなくなり、キーボードがまともに叩けなくなる。で、どうしても最低限入っている商売作文やら事業連絡などのために腕のパワーを回さざるを得ず、こんな一銭にもならず逆に仕事の支障にしかならぬ「書いてあることは嘘ばかり、信じるなぁ」の無責任私設電子壁新聞まで文字通り「手が回らない」状況。ま、広告も取ってないし(iPhone版ではやたらと広告が出てくるのだが、So-netさんが何をやってるか良く判らぬ、あたしゃ一銭も貰ってないぞ!)、お許しを。4月以降は滅茶苦茶暇…なのか、転居探しで金が出て行くばかり状態になるのか、うううむ。

もとい。そんな中でも、どうしても顔を出さねばならぬ演奏会はある新帝都トーキョー地区、本日はこんな演奏会に行って参りましたです。
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思えばいつからの付き合いになるのか、藝大学生時代のアガーテQが由布院音楽祭に出たときからか、その前からか、もう記憶が無い。その後、勃興期の地域創造のアウトリーチ実験でちょっと過去にない形でのスターとなり日本全国のホール関係者にファンを作り、あの音程に厳しい耳がオケなんて音程悪い集団でやっていけるのか心配されながらも札響セカンド頭に10年近く(かな)も座り続け、オケの人気者となり、地域のファンも増やしていったヴァイオリニストの大森潤子さんが、演奏活動記念年ということで、近しい人やファンの前でやってお祝いした、というかなりプライヴェートな感じの演奏会。これはいかないわけにはいかんじゃろに。

お馴染みエクの下ふたりと共演するシトコヴェツキー版《ゴールドベルク変奏曲》がメイン。この共演者の選択といい、演目といい、とても興味深いですな。

だって、わしら音楽のシロートからすれば、例えばエクがセカンドが交代するというとき、丁度札幌を辞めることになっていた大森さんなんて、最適な人材に思えるわけですよ。付き合いも長いし、世代も一緒だし、どういう音楽をやるか良く知っている。人間的にもエクが札幌定期をやるときには聴きに来たり、打ち上げにも来たりしている。「弦楽四重奏をプロデューサーや演奏家じゃない音楽監督が作る」というようなやり方をするなら、どう考えても真っ先に連れてきそうなベストな選択に思えるでしょうねぇ。

だけど、エクも大森さんも含め、みんなそう思うけど、「弦楽四重奏」として常設でやっていく団体としては、現場とすればちょっと違う、という選択になる。へえ、そうなんだぁ、と思うけど、その選択は理解出来なくもない。仲が悪いとか、価値観が違うとかじゃないのだけど、誰もそれは考えない。

これがプロの音楽家の関係なのだなぁ、とあらためて、今更ながらに、思うのでありまする。そう、弦楽四重奏はプロデューサーが作るものではない、オーストラリアQしかり、カザルスホールQしかり。敢えて業界内タブーを口にすれば、コペルマン時代の東京Qしかり。昨今のアルテミス…とは言わないけどさ。なんであれ、フェスティバル的な団体ならばともかく、所謂常設団体は外部プロデューサーには作れない。

って、話がまるで関係ないところに行ってるんだが、ま、無責任電子壁新聞だからそれはそれ。本日、近江楽堂での演奏ですが、とても興味深かったです。

なにせ《ゴールドベルク変奏曲》という楽譜は、チェンバロ奏者やらピアノ奏者さんが生涯をかけてしゃかりきで真っ正面から挑んでくる大作でありまする。名曲とはいえ、なんせ調だって7割程は固定されてるもの凄く限界の多い世界での1時間を越える変奏ですから、今のコンサートホールに座っている聴衆を前に披露するとなると、あれやこれやの仕掛けをして、その演奏者なりに作り込んでいかねばならない。基本、ソリストというか、ひとりの演奏家がやる限り、いくらでも設計図はひけるし、完璧に創り上げてくることも出来るわけですな。わしらは、いつもはそういう演奏をライブでもディスクでも聴いている。

本日の演奏は、三人の演奏家に拠るアンサンブル版でした。指揮者も、勿論、いません。全体の造りを指導監修する先生がいるわけでもありません。ほんまもんの室内楽です。

そういう演奏でこの編曲楽譜を聴くと、「ああ、わしらが普段聴いてるこの曲の再現って、もの凄く演奏家の個性で作ってきてるもんなんだなぁ」と感じさせられる。逆に言えば、「ゴールドベルクって、こういうもんだ」と思わされる、ということ。普通なら、折り返し半分に向けてひと盛り上がりあり、後半頭一発ドカーンと再開。最後のアリア前にウルトラ超絶技巧発揮のクライマックスがやってくる、という造りの1時間ちょいになる。グールドの影響で演奏するようになったモダンのスターピアニストだけでなく、そんな作り込みの極北にいらっしゃるような道夫先生だって、やっぱりそれなりの「個性」が嫌でも感じられる。

ところがどっこい、三人の個性、というか、二つの良く判った低音に個性的な上声が乗っかるアンサンブルで耳にすると、そんな過度の作り込みとは無縁の、淡々と流れる時間の中でじっくりと関連性が成熟していく過程が、すごおおおおく感じられる。

冒頭のアリアでは、「あれ、この曲ってこんなにソプラノが聞こえたっけ」と思ったんだけど、1時間ほどの長い旅を終えて戻ってきた最後のアリアでは、まるで違うバランスで聞こえていた。耳なしやくぺん先生ったら、終演後に裏で「最初と最後のアリアって、全く同じ譜面なんですよね?」なんてアホな質問をしてしまったくらい。三人が50数分の音楽を一緒にすることで、同じ楽譜があそこまで違って響くものなのかと、アンサンブルという音楽の奥の深さに驚嘆するのでありましたとさ。

だから室内楽は面白い。うん。

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悪いのはキースじゃなくてリヒャルト君だと思います! [演奏家]

引っ越し騒動の真っ最中、こういうものを見物に行って参りました。
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ホントに久々、昨年は一度もやってないんじゃないかって、「感想になってない感想」ですぅ。

ま、一言で言って、「余りにまともだったんでビックリ」であります。

世間の人はどうだか知らんし、世間がどういう評価をしているかなんぞ関心も無いけど、少なくともやくぺん先生にとって、《タンホイザー》という作品はヴァーグナーの普通に上演されて何種類もの演出を目にしてきている舞台作品の中では、最も始末に負えない難物。ぶっちゃけ、《オランダ人》と《タンホイザー》は若いリヒャルトくんの強引なまでのパワーが炸裂している音楽はなんとでも格好付いちゃうけど、話は真面目に考え始めると何が何だかよー判らぬ。納得行くとか行かないとか以前、バタバタと終わるけど、あれってつまりなんだったの、って感は否めない。「現代的なリアリティ」という言い方をすれば、恐らくは話としては遙かに荒唐無稽な《リング》にだっていくらでも多層的な意味が見いだせるものの、このヴィーナスの国と東西独国境辺りの田舎のお城での歌合戦、それに遙かローマの滅茶無慈悲な教皇様のお話ったら、どこにどう「リアリティ」を感じれば良いのやら?ホントに始末に困るお話なのが正直なところ。

本日の二期会さんの舞台、このカンパニーが盛んに組んでいるストラスブールの劇場、フランスの筑波大学みたいなものがありEUの議会がある知的レベルはやたらと高い場所だけど、ハコとしての規模は上野よりも遙かに小さな舞台のために随分前にキース・ウォーナーが作ったプロダクションで、今回はコロナで外国人歌手は一切無し、ウォーナー御大は来られず助手が来て本人はリモートで参加、という作り方だそうな。ま、ストラスブールと同規模のフランクフルトの劇場で散々この作品をやってるヴァイグレ御大がニッポン長逗留の最後に指揮台に立っているわけで、音楽的には破綻のしようもない。数日前の公演では「歴史的な大事故クラス」の歌手陣だったとの噂も飛び交ってましたが、本日はそこまで酷いことはなく、何も知らずに舞台に接すれば、「ふらりと入ったドイツのそこそこの規模の都市の市立劇場で、年期は入ってる歌手や合唱団はちゃんと判ってる舞台で、歌手は座付きの人達ばかり」って舞台を眺めたみたいな感じ、でありまする。

なによりも感心したのは、第2幕の歌合戦に舞台があって、客席があって、その間を歌手達が行き来して客席巻き込んですったもんだ繰り広げる、ってプロセスがきちんと判るように描かれていたこと。ちゃんと整理が出来てない、歌手が勝手にやってるだけの舞台を散々観させられる場面ですからねぇ。正直、この歌合戦場面で舞台が設営されているのを眺めたのって、初めてですわ。所謂「お城の大広間」でやるのが当たり前ですから、エリザベートが「うぁお、ホール万歳!」って歌うのが妙に納得いったりして。他の奴が歌ってるとたまらなくなって突っ込んでしまう性格の悪い、ってか、ニンゲンが全く出来てない失礼極まるタンホイザーくんの無茶苦茶さがよーく判る。これじゃみんなが怒っても仕方ない、ってね。

問題は、最後の救済の部分で、序曲のときから見えていた巨大なオブジェの上からぶら下がったエリザベートの遺体に向けタンホイザーがよじ昇っていく、って終わり方。あれはなんじゃ、そもそもなんでヴィーナスは上手のソファに転がってるんじゃ、なんなんねん?

まあ、どう考えても「なにがなんだか良く判らない」って終わり方としか言いようがない。でも、やくぺん先生とすれば、この終わらせ方には、「だってこの作品だもんね、しょーがないじゃん」と納得してしまいしたです。はい。ウォルフラムがノンビリ夕方の星を歌ったり、タンホイザーが苦労話から自暴自棄になってる裏で、さっさとエリザベートが自殺しちゃってるところをどうやって描くかは、エグい舞台を出す今時の演出家さんたちならば腕の見せ所になるわけだが、キース御大はその辺り、なんにもしない。だって、何かしたくても、リヒャルトがどうすれば良いかのアイデアをなーんにも出してくれてないんだもんさ。やりよーがないじゃないのよ。

その意味では、この作品の最後の訳のわからなさをそのまんままともに示した、さあ、リヒャルトはこういう風にして話に決着が付いたっていってるんだけど、俺に出来るのはここまでです、皆さんどーかね、って潔さ。演出としては、非常に「納得のいく」ものではありました。作品としては…納得なんていくわけないだろーにっ!

1,2幕で上の方でいろいろ人が動いていたり、ちょろちょろ少年が出てきてたり、キース御大、なんかいろいろやろうとしていたけど、ま、それはそれ。そこを突っ込みたい奴は突っ込んでくれ、ってかね。

そんなこんな、2月《タンホイザー》、3月《ローエングリン》と《ヴァルキューレ》、4月には《パルシファル》と、コロナ禍の中にありながら謎のヴァーグナー祭りになってるニッポン列島、初っぱなを飾るに相応しい、久しぶりに二期会さんが見せてくれた極めてまともな舞台でありましたとさ。関係者の皆様、お疲れ様でした。

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3月の指輪 [音楽業界]

昨年イースターから初夏のロックダウン期には、もう目が潰れる、視力が明らかに落ちる、って程に世界中からの配信のオペラ舞台を眺めまくっていたけど、オフィス撤収が決まった頃から画面を数時間も眺めるなどという作業はまるでやる気がなくなり、もうZoomコンファランスなどを見物に行く気もなく、ホントに隠居爺になりつつある今日この頃。それはマズいだろうと思いつつも、相変わらずあちこちから「こんなんやるぞ」という連絡は来ても中も開けずに、はいはいそうですかぁ、と削除しちゃう状況。うううむ、現役復帰が出来なくなりつつあるぞ…

そんな中、これくらいは世間に知らしめないとマズいかな、って情報です。先程、サンフランシスコ対日戦勝記念オペラハウスの広報さんから送られてきたリリース。ほれ。
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https://sfopera.com/opera-is-on/ringfestival/

3月の頭から3週間くらい、完全ヴァーチャルで《指輪》フェスティバルをやるそーな。一種の教育プログラムなのか、なんであれ有料で2018年のサイクルが順番に全曲放映される。このサンフランシスコの《リング》、ヨーロッパでは凄い田舎まで情報が流れるニッポンのヴァーグナー・マニア業界の中にあってすっかり無視の北米系なんで、あまり知られてないかも知れませんが、恐らくはWebイベントとしての作り込みは期待出来るんじゃないかしらね。英語だからアクセス出来る人も多いでしょうし。3月9日には、アレックス・ロスが出てきて喋るんだなぁ。16日の「21世紀のリング」というレクチャーは、関心のある人はみんな視た方が良いんじゃないかしらね。

イースター明けまではまともに世界中のオペラハウスが動いていないような状況で、こういうやり方で盛り上げていくのはおおいにあり得るのでしょうね。なんせこの劇場、大きな新作初演などが出るときには、新書本一冊くらいの量の充実した特設Webサイトをつくるところですから、これくらいはお手の物、ってかな。

演出は、神様たち、なかなか楽しそうだしぃ
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ブリュンヒルデの御就寝をみんな映像で観てるのかな、コロナ時代の先取りみたいだなぁ。
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てなわけで、ニッポンでは初台で《ヴァルキューレ》、マドリッドでは《ジークフリート》が出てる3月の指輪、貴方のPCでもじっくりお楽しみあれ。それにしても、サンフランシスコはなんでこのタイミングでやるんだろーか?

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オフィス移転現状報告 [売文稼業]

今月に入り、オフィス移転作業が本格化。当無責任電子壁新聞をアップしている時間がまるでなくなっております。というか、指先がもうボロボロでキーボードを打つ力が入らず、最低限の商売作業しか出来なくなってる、というのが現実。歳は取りたくないものでありまする。

さて、で、関係者の皆様に、現状報告です。やくぺん先生の世を忍ぶ仮の姿の中の人に仕事振っても大丈夫か、って方々向け。

★3月最終週をもって葛飾オフィスは完全退去します。住民票は葛飾から佃に戻します。とはいえ、現時点でも商売関係の郵便物の連絡先は全て佃にしてありますので、皆様の連絡先を変更いただく必要はありません。無論、メールなど電子関連の連絡先は世界のどこに居ても同じですので、今まで通りです。

★4月からは、基本、佃が拠点となります。ただし、オフィス最終転居先決定の締め切りが3月頭から1年なので、いずれにせよ最終的には新天地に移転します。Mちゃんが学校があるあと6年は、国保の関係で、佃に住民票を置くことになると思います。

★仕事関連資料は、現在も借りている月島の倉庫にもうひとつ部屋を借り、そちらに納めます。
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佃から葛飾オフィスに往復する電車賃の20日ぶんくらいでしたので、ま、長期でなければ、葛飾オフィス維持のための固定費を考えるに妥当な額ではあるでしょう。葛飾オフィスにあった書籍、書類、楽譜、音響映像資料、それにオーディオ関連ハードウェアは、原則として全てそちらに仮移動します。なお、サブカル系資料の殆どは、その類いの研究をする博士課程留学生が出現したため、仮に上野に移します。
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博士後期は2年ですから、研究が終わったらそのままその研究者さんが故郷の南米某国に持ち出すか、やくぺん先生新オフィスに戻されるか、なんとも判りません。まんま寄贈するにも、特殊過ぎる資料ですからねぇ…うううむ。昨日箱詰めをしましたが、多分、まんだらけとか専門の場所にもっていけば、総計で100万円単位になる「お宝」なんでしょうが。いやはや…

★4月以降暫く、徒歩5分の場所とはえ、手持ちの書籍、楽譜や音資料、映像資料は常に簡単にアクセス出来る状態ではありません。ですが、今はそれらをぶちまける類いの単行本はやってないし、殆どの資料が必要な仕事もネット環境が整った状況ならほぼ問題なくやれますので、貧乏なあたしにこれまで通りにお仕事、下さいませな。問題は、佃縦長屋シン・ゴジラ視線の勉強部屋が、緊急事態宣言下で厳しい利用制限があり、実質、殆ど使えなくなっていること。どこでノマドするのやら。倉庫に机持ち込むかぁ…実際、倉庫にいくと、そういうノマドやってる人がいて、管理会社さんも非常時とあって黙認してるそうな。ううううむ…あそこに1日居るのは辛いなぁ、大川端とはいえ窓無しだからなぁ。

なお、3月2週まで、葛飾オフィスでは文房具
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工具
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お皿、花瓶、香炉
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キッチン家庭用品、着物、等々、さあなんでもタダで挙げるからもってってくれ大セールを行っています。期間はあと1ヶ月弱ですっ!関心のある方は、メールなりfacebookメッセージなりで連絡してください。


以上、要は、お仕事を下さる編集者の皆様、業界団体、音楽事務所などなどの皆様には、一切ご迷惑はかけずに通常業務を続けられておりますので、よろしくお願いします。とはいえ、今月から来月は流石にバタバタなので、膨大な量の急ぎ仕事は無理です。スイマセン。ちなみに、オフィス移転先の話は、全く進んでません。緊急事態継続で、「東京からの人に遇うなんて滅相もない」状態が続き、まるで動けないままです。いやはやいやはや、どうなることやら。

さて、本日は二度目のCDレコード売りでお茶の水へ。JR浅草橋駅の乗換が大荷物には絶望的なんで、日暮里経由でいくしかないなぁ。メトロ町屋駅も意外にダメだし、新御茶ノ水の深い深いエレベーターを出たところからディスクユニオンまでが、案外遠いしなぁ。毎度毎度、歳は取りたくないものじゃ。

[追記]

本日2月18日午前、古い友人のバリトン歌手さんが巨大柿の木下に来訪。工具類をごっそり運んでいってくださいました。興味深いのは、「カバーの付いた鋏や鋸は有り難いのです」って情報。なるほどねぇ、腰のベルトにさして、そこから引っ張り出せるカッターとか、しっかりした皮のカバーで包まれた鋸とかは、サロンにオペレッタの舞台を仮設したりする現場作業にとても有り難いそうな。意外だったのは、普通には売っておらず、ある意味とても貴重品の医療用精密鋏やらカッターは全く要らない、とのこと。なるほどねぇ。

てなわけで、大量のカッター類、鋏類、事務用品類、それにA3が切れる巨大紙カッターが、無事に現役復帰として葛飾を去って行きました。まだまだ細かい工具類はたくさんありますので、お暇ならどうぞ。

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蜜柑の木が荒川放水路を越える [葛飾慕情]

葛飾オフィス撤収最終日まで1ヶ月と少しと迫った神武天皇降臨節、大陸は春節のお祭りが始まり、いつもなら春も近いワクワク感も漂ってくる冬の最中、葛飾巨大柿ノ木下シジュウカラ・レストランのお客様の待合室となり、季節になると公道に取ってくれよと突き出した実を巡って道行く近くの中学生とやくぺん先生の微妙な心理的な駆け引きがなされていた蜜柑の木が、先程、京成電車に揺られて荒川放水路を越え、ほんまもんの下町の軒下へと引き取られていきました。

いつから植わっていたか知らないけど、樹齢半世紀を誇る巨大柿の木ほどのものではなく、数年前にここ新開地葛飾をオフィスにせざるを得なくなり佃の路地から移ってきたやくぺん先生としてみれば、昔なじみというよりも、312でセシウムがまき散らされ、親父が死に、寝床を失った若い者が住み込み、練習場を求めて若い弦楽四重奏団が上野から通い音出しをし、そしてコロナでの自主隔離お籠もりでの実質1年の爺初心者やくぺん先生別居一人暮らしをしていた21世紀10年代の秋を彩ってくれた葛飾オフィス最強の生命体のひとつでありました。隣には梅桃が花やら実を付け、仲良く並んでいた。これが昨年の税金頃の梅桃のお姿。
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葛飾オーガニック蜜柑を引き取ってくれたのは、オフィス転居先の最有力候補となっている(コロナの緊急事態で移転作業は実質ストップ状態なんですが…)遙かな地が出身の若奥さんで、蜜柑が実ると中学生に盗まれる前に穫り入れをしてはシロップにして、分けて下さっていた。こいつを切り倒すならもっていってうちで鉢植えにします、と仰ったときは冗談だと思ったんだけど、どうやら本気のようで、それなら是非とお願いした次第。

当然、車で乗り付けると思ったら、板前さんの旦那さん連れてなんと京成電車で来るという。おいおいおい、なんなんねん。んで、この葛飾オフィスに数年住み、ヤンキー海鷹の塒たる米軍基地で潤う某自治体のホールオープニングの仕事に遙々ここから荒川放水路、大川、六郷川越えて通ってたおにーちゃんも懐かしい蜜柑の移植とあればお手伝いしましょうと、はるばる東海道ひとっ飛びしてやってきてくれた。かくて、こんなことになったわけで…

ともかく、作業開始じゃわい。
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当初は梅桃も運ぶ予定だったのですが、流石に京成電車に乗せるにはなぁ。
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てなわけで、蜜柑だけが荒川放水路を越えることになり
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掘ってみると、この実質巨大な鉢植えみたいな環境で蜜柑と梅桃が仲良く共存するため、両者の根っこが深く強く絡み合っており、愛し合うふたりを引き剥がすような心に痛い作業が延々と続くことになったのであーる。作業中は写真どころではなかったので、二本の木が深く愛し合っていた証を映像に納めることは叶わなかった。

かくて、鯉卑近の作業修了。新開地葛飾で育った蜜柑は、まるでゴルフバッグか釣り道具入れ、はたまたファゴットでも運んでいるのか、という風にひょいっと京成電車に乗り、葛飾の地を離れていきましたとさ。
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数時間後、新天地に至りました、という連絡がありました。ほれ。
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明日からは、葛飾巨大柿ノ木下シジュウカラ・レストランのお客様の待合室がひとつなくなってしまい、メジロンたちがヒヨちゃんから逃げていく場所がひとつ減ってしまったけど、作業の最中も頭の上でメジロン一家は「この林檎は俺のでちちちちぃ!」と元気に喧嘩してたから、なんとでもすることでありましょう。

葛飾オフィス最終撤収まであと42日!今年は町工場前の公道に、梅の花は咲かず。

春節に 香る梅なく 日は暮れる

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新しい日常のための舞台劇 [音楽業界]

今年2021年はストラヴィンスキー没後半世紀の記念年でありまする。一昔前なら、「さあ、著作権がフリーになるからジャンジャンやれるぞ」という記念年だった没後半世紀なのに、いつの間にやら没後著作権がドンドン伸び、地域の特殊事情などもあるし、今やもう訳が分からぬことになっており、実利的なお祭りではなくなってしまったのが残念であります。

なんにせよ、「没後半世紀」というのは、その創作家さんがホントに社会的なアイコンとして定着しているかを判別するひとつの指標としては便利な長さではあります。というのも、このくらいの時間が経つと、その作家さんと直接の知り合いだったり、演奏へのアドヴァイスを貰っていたり、あるいは創作に関わっていたような人は流石にもう世を去っている。再現芸術の場合、もう「作家を知っている」というアドヴァンテージがある人もいなければ、逆にハンディキャップのある人もいない。みんな横並び一線で楽譜なり戯曲なりに取り組めるわけですな。とはいっても、まだまだ半世紀前ならその時代の空気を知っている人は山のように生き残っていて、リアリティを感じられる人も多い。若い頃にどっぷり浸った、なんて人も、老人になったとはいえまだまだ文句を言ったり、あれまぁと驚いたりも出来るし。

「20世紀の音楽史に最も影響力があった作曲家のひとり」と言われ、まあそうなんだろうなぁ、とみんななんとなく思ってるストラヴィンスキーが、没後半世紀の厳しい歴史の洗礼を受ける年…の筈が、なんとまぁコロナ禍が始まってまる1年になろうというのに収まる気配すらなく、庶民にとっては実質鎖国ニッポンの音楽業界も、組織を維持するために無理しても公演を作らねばならぬオーケストラやオペラはぐぁんばってるけど…という惨状。ちっとも記念年の盛り上がりなどないのは、皆々様お感じのとーりでありまする。

そんな中、コロナ騒動が一段落付いたように感じられた昨年の初夏くらいから、みんな想い出したように取り上げているストラヴィンスキー作品がありまする。そー、今から100年ちょい昔、第1次大戦末期から直後の戦乱とスペイン風邪で劇場なんてまともに機能しなくなっちゃった状況を前提に創り出された、《兵士の物語》でありまする。

どういう経緯で創られ、どのように上演されてきたか、ま、いろんな人がいろんな風に語っている作品ですから、調べたい方はてきとーに調べて下さい。舞台の規模が小さいだけでなく、かなり造りが緩いアングラ上演向けの作品だから、上演史をきっちりフォロー出来ている研究などは存在しないでしょうけど。

実際、昨年の初夏くらいに欧州の劇場がおそるおそる再開したとき、最初に新作プロダクションとして出てきて話題になったのが、シュトゥットガルト歌劇場が駅の東辺りの公園で野外劇として上演した《兵士の物語》でしたっけ。
https://www.b-academy.jp/hall/play_list/060055.html
ううむ、いかにもな演目だなぁ、と納得したものでありました。

鎖国ニッポンでも、たまたまか予定してか、日本フィルが気鋭のメディアプロデューサー落合陽一氏とコラボする秋の演奏会でも、この作品を取り上げました。これがまぁ、会場にいては起きていることの半分も判らないインターネット中継に特化したプロダクションだったようで、芸劇に座ってたやくぺん先生には評価のしようがないものでありましたっけ。これもまた、コロナの新たな日常の中での舞台、なんでしょうねぇ。
https://www.classica-jp.com/event/17586/
https://www.tpam.or.jp/program/2021/?program=76

ストーリーだってあるんだか無いんだか、テーマだってどうにでもなる、それどころかメインが音楽なのか舞踏なのか、演劇なのか、それすらどうにでもなるなんとも自由な設計図でしかない《兵士の物語》というミニ総合芸術作品、コロナの時代の制約や新しいテクノロジーなどをいくらでも持ち込める。舞台制作ばかりか鑑賞にも様々な制限制約がかかりまくる2021年には、ストラヴィンスキーの舞台作品の中では、《道楽者の成り行き》やら《夜鳴き鶯》やらを遙かに凌駕し、世界中でいろんなやり方で上演されることでありましょう。

そんなひとつの事例が、明日、現在ニッポンのどこよりもコロナ対策が厳しく、公共文化施設の活動に制約がかかっている地域のひとつ、横浜市で示されます。こちら。
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https://peatix.com/event/1695057

本来ならば今日明日のかなっくホールでの公演だった筈が、一般のライヴ鑑賞はなく、明日のネットでの配信チケットのみになったようですな。ご覧のように、「狂言と舞踏と音楽」というやり方での再現で、コロナ対応に関してはこちらが詳しいのかな。
https://peatix.com/event/1652455/view

まだまだ配信チケットは申し込めるようですので、お暇な方は是非どうぞ。1時間くらいの作品ですから、ツルッと観られますよ。

かなっくホールがどこにあるか、なんて説明はしなくても良いのは、なんか寂しいなぁ。

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チェロはギャグなのか? [弦楽四重奏]

今月に入ってから葛飾オフィス撤収作業が本格化、連日「オフィス引っ越し」以前の「親の古い家をたたむ」作業に明け暮れ、まだ自分のものには手が付いてません。あと48日!

そんな中、本日はボロボロの体を鞭打って、この冬のメインイベントのひとつ、エクのベートーヴェン作品18一挙全曲演奏の日でありまする。今、新浦安駅前のドトールで、午後6時まで保たせるための食物を突っ込んでます。なにしろ緊急事態が宣言されている千葉県、演奏会を宣伝したくても出来ない状況でしたが、もうあと40分で最初のヘ長調作品が始まるから、良いでしょ。

今からとても新浦安に行けない、という皆様は、浦安エクの替わりに、というと失礼だけど、こんな動画をご覧あれ。ほれ。

ミルウォーキー州はマディソン、アムトラックでシカゴからミネアポリスに向かう途中の大学町ですな、ここの大学で、なんとなんと1950年からずーっとレジデンシィをしているプロ・アルテQのベートーヴェン・チクルスのライヴ映像、多分、まだ見返し動画で簡単に観られると思うんですけど。

とんでもない田舎だけど、確かマルティヌーが亡命していた場所で、立派なホールもあるんですねぇ。この団体、ご存じの方はよーくご存じのように、大戦間時代にベルギーで結成され、なんのかんのあって遙かアメリカ合衆国は中西部にまで流れ着き、以降、メンバーを交代しつつ延々と続いている。アメリカのゲヴァントハウスQ、ってなもんでありまするな。真っ当な20世紀後半タイプのアメリカン・クァルテットの音がしてますねぇ。

この映像、なにが興味深いかって、やっぱりチェロさんのお姿でありましょう。「ああ、2020年から21年のシーズンって、こんなだったんだなぁ」と後の時代にギャグとして笑えるのか、それともこれがホントに新たな常識になっちゃうのか。凄い世界に生きてるものでありまする。

さても、浦安音楽ホールに向かわねば。今、ホールに向かうエクオヤーズさんにご挨拶もされました。まるで一足早く春が来たようなうらうらした土曜の午後、若きベートーヴェンのモーツァルト&ハイドンへの挑戦状を、たっぷり堪能しようではないかぁ。終演は日も暮れた6時前とのこと。

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高関健ベートーヴェン作品127を振る! [弦楽四重奏]

敢えて断固として「弦楽四重奏」カテゴリーなのじゃ。

来る日曜日、隣には今やっと話題の東京オリパラ選手村跡地(?)を臨む晴海は第一生命ホールで、こんな演奏会が開催されます。
https://ensemblefranc.jp/

いつもこの会場で演奏会をなさってる、ジュネス卒業生のエリートアマチュア合奏団さんの定期演奏会、コロナで昨年の初夏の演奏会はやれなかったらしいが、この冬はなんとかなさるようです。

この団体、さりげなくなかなか凄い指揮者さんが、普通のオケの定期ではなかなかやれないし、なぜかモダン系をやってくれる常設のプロ小規模弦楽合奏団が存在しないトーキョーとしては貴重な、しっかり骨のある演目をガッツリ聴かせてくれてる。で、今回は、恐らくは生誕250年記念だったのでしょうねぇ、なんとなんと、あの現代日本を代表する最高峰のオタク系指揮者(褒めてます!)高関健指揮で、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲!それも、選りに選って作品127を披露してくれるというではないのよ、皆の衆!

ベートーヴェンの弦楽四重奏を弦楽合奏でやるという試みは、指揮者さんがすげぇやりたくて楽譜を自分で作っちゃうというマーラーやバーンスタインみたいな例から、隠居した元名弦楽四重奏奏者が指揮者になって自らの芸を若者やオケに伝授するというアレクサンダー・シュナイダーやらシャンドル・ヴェーグみたいな例まで、いろいろあります。録音も、前者の名指揮者の事例を中心にそれなりに積み上がっておりますし、NYPのデジタルライブラリーに行けば、ミトロプーロスが作った巨大弦楽合奏用の譜面が観られる筈。バーンスタインのヴィーンフィルでの録音なども、その楽譜を使ってたという話ですな。

まあ、ともかく曲が強いからどんな演奏でも感動的に聴こえる作品132や、弦楽合奏で指揮者がいる方が整理されて見通しが良くなく傾向にある《大フーガ》なんぞはともかく、やっぱり鬼門は作品127でありまする。実際、所謂著名指揮者で作品127の大オーケストラ版を録音している例って、ないんじゃないかしら。弦楽四重奏奏者あがりではない例としては、たしか、何故かペライアが指揮してるディスクがどっかに会った筈なんだが。

実演でも、10年くらい前かなぁ、寺岡さんが大阪響を振ってこの曲をやったことがあり、わざわざ遙々聴きに行ったことがあったっけ。
http://sym.jp/publics/index/216/
ああ、大震災の直前かぁ。ぶっちゃけ、楽屋で「なかなか大変ですよね、この曲は」という話をした記憶が。

ともかく、弦楽合奏だと下の響きがないフワフワ感がやたらと目立ってしまうこの作品、そんな難しさは百も承知で知性派高関けんちゃんが挑むわけですから、勝算が無いはずがない。この冬のトーキョーで、いちばん面白い演奏会のひとつとなるであろうことは確実じゃ!

なお、コロナ対応で当日券は出ないそうなんで、さあ、チケットぴあに急げ!

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アルデオQのヴィデオ [弦楽四重奏]

どうやら今回の緊急事態宣言という名の「従順なニッポン国民の皆さんてきとーに自粛警察やってね」宣言は、我らが業界では小規模イベントに大きく響いているようで、お陰で夜も出かける場所がなく、しっかりオフィス閉鎖作業に専念出来るのは有り難い。なんと素敵な御上のもとに生まれたことよ。ふううう…

ってなことばかり言っててもしょーがないので、たまには情報ネタ。アルデオQの最新情報ですう。

ある意味で現ヴェールズQの別ルート団体、あの団体の独特さを理解するためにはこちらも押さえておかないとね、とも言えなくもない団体でありまする。なんせアルデオQさんのマネージャーさん、いつもこまめに情報を下さっており、エベーネみたいな「国際的」スーパースターとはちょっと違うフランス拠点の連中がコロナ下でどういう活動をしているかが垣間見えて有り難いことであります。んで、いつもの「コンサートがなくなりました」って案内の中に、こんな告知がありました。フランスのドキュメンタリー映像作家 Thierry Augé に拠る"De quelles vois êtes-vous la beauté ?" なるヴィデオ作品でありまする。
http://www.lahuit.com/en/node/330

アルデオQがベートーヴェンの魅力を語る、という中身らしいし、一応、英語のサブタイトルは付いているようですがぁ…果たして日本の再生マシンで観られるかは知りません。ゴメン。

今時、配信ではなくきちんとパッケージとしてこういう「作品」として映像を出してくるのは、珍しいといえば珍しい感じになってしまいましたな。それにしてもプロモーションの映像で弾いてる作品135の緩徐楽章、今時のフランス最先端の若手が弾きたがる響きはこういうものなんだ、ってのがとても良く判りますね。確かにヴィオラさんがヴェールズ時代にバーゼルで学んでいたことはどういうことだったか、いろいろ納得は出来ますな。逆に言えば、日本拠点の若手団体で21世紀に入ってからの欧州若手の音の趣味を最もストレートに反映しているのがヴェールズ、ってこと。

ま、ご関心の向きは、頑張って取り寄せてみてくださいな。あたしゃ、次に巴里かボルドーに行ったときに…って、いつのことなんじゃろかのぉ。

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