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第10回大阪大会中止 [大阪国際室内楽コンクール]

残念なお知らせです。2021年3月30日午後4時、日本室内楽振興財団から、以下のようなリリースが出されました。
http://www.jcmf.or.jp/news/detail.php?news_id=99

必要な部分をコピペしますと、以下。

※※※

2021年5月に延期開催を予定しておりました第10回大阪国際室内楽コンクール&フェスタについて、開催中止の決定をいたしましたことをお知らせいたします。

2020年の開催延期発表以降も、本年5月の開催に向けて準備を進めてまいりました。
しかしながら、長引く新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の世界的な流行により、海外からの参加団体及び審査委員の来日、そして国内での活動の見通しが立たない状況です。
このような現状において、本年5月に、安全・安心、そして公平性を保った開催が困難であることから、大変遺憾ではありますが開催を中止することといたしました。
事務局といたしましても苦渋の決断となりましたこと、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

参加を予定されていたすべての団体の皆様には、これまでの努力に心から敬意を表しますとともに、開催実現に向けてご支援いただきました皆様に心より感謝申し上げます。

尚、次回の開催時期・内容については、今後検討してまいります。

今後とも日本室内楽振興財団にご支援賜りますようお願い申し上げます。

2021年3月30日
日本室内楽振興財団

※※※

いろいろ思うところはありますけど、国境を越えた感染拡大を防止するという理由は当然としても、「コンクールとしての質を維持する」という視点からも、妥当な決定だと思います。

個人のコンクールと異なり、コロナで自粛だから自分の家でひたすら練習する、なんてことは不可能な団体競技。いくら参加予定者の皆さんは「レベルは下がってない」と仰ろうが、やはり結果を過去歴代の優勝団体入賞団体と比較されざるを得ない厳しいメイジャー国際大会です、今回はこういう状況だからレベルが下がっても仕方がない、というわけにはいかないでしょう。「参加することに意義がある」(死語?)オリンピックの場合は、どうやらそれでも良いと思う方々がたくさんいらっしゃるようですけど、高水準の室内楽コンクールはアンサンブルの絶対的な質を保証するのが究極にして唯一の目的ですから。

以下の参加予定団体は、「幻の第10回大阪に参加を許された団体」として、ディプロマを差し上げても良い期待の団体です。当電子壁新聞をお立ち読みの皆様、くれぐれもこの若い連中をよろしくお願いいたします。当面は、春の終わりから初夏の鶴見の若手シリーズにいらっしゃい。

アイオロス・クァルテット(アメリカ) Aeolus Quartet, USA
カオス弦楽四重奏団(オーストリア) Chaos String Quartet, Austria
カリスト・クァルテット(アメリカ) Callisto Quartet, USA
クァルテット・インテグラ(日本) Quartet Integra, Japan
クワチュオール・アコス(フランス) Quatuor Akos, France
ジュビリー・クァルテット(イギリス) Jubilee Quartet, UK
ゾラ弦楽四重奏団(アメリカ) Zorá String Quartet, USA
チェルカトーレ弦楽四重奏団(日本) Quartetto Cercatore, Japan
ほのカルテット(日本) HONO Quartet, Japan
バローデット弦楽四重奏団(アメリカ) Balourdet String Quartet, USA

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区役所がいちばん混む日 [葛飾慕情]

なんと、まだまだ続く「葛飾慕情」カテゴリーじゃ。「新佃嶋界隈」でも良かったんだけど。

先程、朝から丸1日かけ、葛飾区から住民票やら印鑑証明やらを中央区に移動し、オフィス移転が法律的にも終わりました。あとは鍵を次のオーナーさんに渡すだけ。

と記すと、なんてことないどーでもいい話なんだけど、いやはや、参った参ったの1日でありました。当電子壁新聞を立ち読みの皆々様が引っ越しをしようというとき、「引っ越しは年度末最後の月曜日だけはやめておけ」というご教訓として、酷い目にあった1日をお伝えしましょうぞ。

今月唯一の締め切り原稿が明日まで。ではさっさとやるべき事を終えて午後からは原稿に専念しましょうぞ、と決意し大川向こうの中央区役所を凝視する朝。と、旧葛飾オフィスの引き出しにひとつ忘れ物をしてきたらしいと判明。マズい、まだ今日なら鍵があるから、慌てて拾ってこないと。退去が土曜日で、向かいの町工場がお休みだったのでご挨拶もしていないし、ま、お引っ越しの神様はいろいろと気を遣って下さっておるなぁ。

てなわけで10時前に佃の縦長屋を出て、歩いて大川越え、聖路加の足下で柿の木の葉を朝に掃除してくれていた隣の町工場に持って行くお饅頭30個を購入。さても、まずは中央区役所でさっさと転入手続きを済ませてしまいましょ。
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流石に年度末最後の月曜日の午前中。三密回避なんてどこの話じゃ、って人の群れです。暫く待って、番号が呼ばれ、「転入と印鑑証明と…」とお願いする。と、既に郵送で済ませてある葛飾区への転出届が、まだ処理されていないという。どうやら郵送での処理が山積みで、まだ手が付いていないらしい。こりゃ困ったぞ。しょーがないなぁ、どうせ葛飾まで饅頭持って行かねばならなかったんで、それなら直接今から葛飾区役所に行ってきましょかね。

かくて銀座一丁目の桜を眺めながら浅草線宝町駅まで歩き、地下鉄から京成電車で葛飾区のC級グルメタウンとして名高い立石駅に到着。区役所までのタカラビニール本社前の満開桜を眺め
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N国の困った国会議員を誕生させた区議会裏の区役所に到着。受付番号をいただくと、なんと100人近い待ち状態。
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1時間くらいはかかります、とのこと。これなら先に巨大柿の木下に行って用事を済ませてこようかい。

既に空の家となって2日目の柿の木は、先の運命も知らずに緑生え出し、枝をおうち作りに用いようと物色する鴉さんがお仕事ちゅー。
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おや、やっとやってきたとホーホーさんも降りてくるので、忍ばせてきた佃のセレブなブンチョウさんの喰らい残しをぶん撒いてやる。ゴメンナサイと、と他人のものとなった家の鍵を開けて忘れ物を物色、向かいの町工場にお饅頭持ってご挨拶をし、最後の最後に、忘れてた表札の取り外しをし
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これでホントにバイバイと、短い距離を京成バスに乗って区役所に慌てて戻る途中、車窓からモーツァルト像にもバイバイ。
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1時間もかからぬ最後の引っ越し仕事を終え戻ったら、受付待ち番号は30くらいしか進んでない。こりゃ2時間以上かかるぞ、と真っ青になる。午後3時からオンラインでの面接があるお嫁ちゃまは、とても待ってられないと先に佃縦長屋に戻ることになり、あとはひとりでやらにゃならん。うううむ…

かくて純粋な待ち時間は2時間と20分程。やっと転出作業を終え、マインバーカードなんぼのもんじゃいの住基ネットのパワーで転出証明は不要(このプリントアウトを待っていると更に1時間はかかります、とのことでありました)。2012年春からまるまる9年を過ごしたことになる葛飾区に法律的もサヨナラを言い(本籍は残ってるけどさ)、京成立石駅から蔵前駅で大江戸線で乗り換えて月島駅に至る。大川向こうの区役所は激混みになるから、と午前中に中央区役所のおねーさんがこっちにまわるよう入れ知恵してくれた出張所で手続きし
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午後の4時半過ぎには、無事、晴れて東京都中央区民に復帰したのでありましたとさ。転出するときの住所は二丁目の路地の長屋だったから、法律的には初の佃縦長屋住民でありまする。

以上、あらためてご教訓:ニッポン国で引っ越しをするときは、年度末最終週月曜日の書類提出だけは避けよ!

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さらば葛飾! [葛飾慕情]

如月始めから、殆ど何の仕事もせずに専念すること約7週間、今、葛飾オフィス&巨大柿の木下期間限定シジュウカラ・レストラン&親の実家の撤収作業を完了。最後の細かい荷物を段ボール箱4つに詰め込み、オリンピック型タクシーに強引に乗っけ、月島の倉庫に向け出発しました。
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あとは、次のオーナーさんに鍵を手渡すだけ。柿の木の下で営業部長さんに鍵を渡し亡親父に見せつけるように握手でもしようと思ってたのに
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-11-30
ちょっと拍子抜け。そのかわり、ってか、母が没してからは秋から冬にかけて膨大に公道に散りまくる柿の葉を掃除してくださっていたお隣さんに、長くお世話になりましたと佃は田中屋さんの佃煮、穴子とか海老とか浅蜊とか高級品ばかりを詰め込んだ折を持ってご挨拶に行き、なんとお返しにバームクーヘンをいただいてしまい恐縮しまくって戻ってくると、柿の木裏の雀のお宿になってる銀木犀からほーほーさんが翼を振り、ご挨拶してくださいました。
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暴れ川だった中川に放水路が出来、巨大公団や新区役所、武道館や公民館も完成、やがて水戸街道と環七が交差するジャンクションにもなるという新開地の中の新開地たる青戸というまだ町ともいえぬ場所に、親父と喧嘩した親父が職業軍人娘の嫁と乳飲み子を連れ千葉の東外れから移ってきたのは、60年安保の頃。京成電車の青砥駅と水戸街道の間の原っぱが広がる辺りのアパート暮らしに始まり、オリンピックの前には公団横のお米屋さんの裏の貸家に移り、ヴェトナム戦争北爆華やかなりし頃に、水戸街道沿いの工場の社宅だったというこの場所に土地代800万円也で自宅と仕事場兼用の家を建てた。隣の一角には、親父がこの土地に移ってきた理由の、叔父さんの町工場もあった。敷地の隅っこにあった柿の木はまだ小さく、向かいは土管が転がる原っぱで、セイフーチェーン社長豪邸の向かいには、直ぐにボウリング場が建てられた。

とき移り、永遠に工事中じゃないかと思われた京成電車のジャンクション青砥駅から目白、有楽町線が開通してからは池袋経由護国寺、学部時代は遙々武蔵境まで通っていたやくぺん先生も、流石に院に上がり予備校講師で喰っていくためにこんな遙か荒川放水路彼方から多摩県東部まで通うのは不可能で、微妙な関係にあった母親に半分勘当されたような形で葛飾の地を去る。それから四半世紀と少し、結婚式にも来なかった母親が天樹が伸びていくのを眺める病院で没し、311の年の秋には、嫁の父が没し家族が佃に移ってくるという正にその当日に、隠居して柿の木の下に独居していた父親も追いかけるように没。「この家を売らずに有効に使ってくれ」という遺言を遺されてしまう。かくて、佃から住民票を葛飾に移し、約30年ぶりに葛飾区民となる。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2012-06-08
それからはなんのかんのなんのかんの。かつての商売部屋だった不必要にがらんとした柿の木の下スペースでは
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サントリーアカデミー一期生を中心とする藝大連中の若い弦楽四重奏団が練習場に使ったり、嫁の信頼出来る同僚だった若者が住み込んでくれて遙か厚木基地の横に新しく誕生するホールの起ち上げ仕事に通ったり。やくぺん先生は佃の路地の長屋と、お嫁家族が住む縦長屋、それに葛飾セーフハウスの3つの寝場所を持つ生活となること数年。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2013-08-22
流石に経済的な負担が大きく、2015年には佃の地べた長屋を完全撤収。ここ葛飾をオフィスとすることになる。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2015-04-16
誰も居ないがらんと広いだけの家の、親父お袋妹らが使っていたデカいテーブルの上に資料を広げまくって、「ゆふいん本」と「つくるつづける本」をやったのもここ。後者の共著者H先生との対談は、編集者さんを交え、この柿の木下スペースでやったっけ。

そうこうするうちに築半世紀を過ぎた家はそれなりにガタが来て、親父の仕事部屋の床は抜けそうになり、巨大柿の木の葉っぱが落ちまくる雨樋は詰まり、物干し台は落ちそう。向かいの町工場側の窓は開けると閉めるのに一苦労、銀木犀側に出る裏木戸は台風でやられ…

流石にどうしましょうか、と真剣に話を始めたのが2019年の始め頃。なんのかんのなんのかんの、あれやこれやと策を弄したものの、これはもう建て替えて嫁の家族まるごと佃の縦長屋から葛飾に移り、終の棲家とするしかないか、ということになり、豊洲の大手Pホームさんと話を始め、設計図も出来、実印持って運河沿い事務所を訪れパンパンとつき、手付金を入れたのが2020年2月のこと。さても、大阪のコンクールの頃には家の解体が始まり、年末には佃を離れて嫁もその家族も葛飾区民になるのかぁ、とオリンピックもその先のアベ憲法改定騒動も無縁な年になりそうだと思ってたらぁ…世界がコロナになってしまった。

Pホームさん、家の解体やら建築の話が全て止まってしまったらしく、数週間しても、数ヶ月して五輪で大騒ぎだった筈の夏になっても、なんの音沙汰もなし。コロナ禍の緊急事態が始まるや、米寿を迎えた義母もいる狭い縦長屋に大人4人が住むなど家庭に感染リスク高すぎと判断、やくぺん先生は葛飾の廃棄が決まった柿ノ木下に実質一人暮らしの別居状態を続ける。その後もPホームさんからは何の動きもなく、半端な状態にしびれを切らした我が気丈なお嫁ちゃまったら、とうとう夏の終わりにはぶち切れて机を叩き、全て話をキャンセル!もう世間もこうなんだから数十年前に夢のように語っていた隠居後プランを多少早めに発動してしまおう、と葛飾の家処分&田舎転居作戦に変更したのが去る秋の初め。なんのかんのなんのかんのなんのかんので柿の実が落ちきる頃には買い手が付き、移転先について受け入れ先と話を始めたは良いが、2021年になるや再びの緊急事態で、受け入れ側不動産屋が「東京からの人なんて滅相もない」となり…

あとはもういいでしょ。てなわけで、もう充分に「有効に使った」と判断してくれるであろうと成田空港アプローチ下の親父の墓の前で手を合わせ、今日に至った次第でありまする。

撤去騒動が始まって以来、この舎を訪れ、親父がため込んだ工具やら食器やら、はたまたお袋が育てた蜜柑の木やら、使ってやろうと持って行ってくださった皆々様、ありがとうございます。親父も使えるものが新たな場所で使われているのを、大いに喜んでいると思いますです。

そして、当初の建て替え計画ではなんとか維持するためにPホームさんを困らせた巨大柿の木も、新たな芽を吹き始めているけど次の秋の実はなく、柿の木の枝を食堂とする冬場限定シジュウカラ・レストランも、本日で完全閉店。お食事を提供してきたフィーダーを全て撤去。
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残った食材は全て柿の木下にばら撒きました。この冬は最後の大盤振る舞いでスーパーの見切り品バナナを常時出していたので、すっかりグルメになってしまった若いヒヨちゃん四人組軍団
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佃のセレブなブンチョウの食い残しを喰らいまくってくれた雀たち
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小器用な雀が揺すって落としたご飯がなくなると、ほーほーと唄ってご飯がないよぉとアピールなさる、すっかり居着いてしまったホーホーさんご夫婦とひとりもの
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そして、メインゲストのシジュウカラさんご夫妻。
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さらば、葛飾巨大柿の木下の小さな飛ぶ方々。次の冬はここには何もないけど、なんとか頑張って生きていっておくれなさいな。あ、それからついでに、上空を行き交う機械鳥たちにも、さらば。
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とはいえ、移転先も実は目の前に我が陸軍の基地があって、裏山にはヤンキーミサゴも舞うときがあるんだけどさ。いやはや。

桜満開の今、もうメジロンたちにサヨナラを言えないのがちょっと残念でちちちぃ。

さてもさても、当電子壁新聞が自然消滅の日までしぶとく続くと思われた「葛飾慕情」カテゴリーも、多分、これが最終回。さらば、ホーホーさん、シジュウカラさん、ヒヨちゃんたち。そしてさらば、銀木犀と、巨大柿の木。
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ちゃんと種は確保してあるので、君の遺伝子は遙か西の地で大きく育ち、実を付ける…まで、あたしゃ命があるとは思えぬわい。

さあ、しばしの休息を経て、Go West!

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緊急告知:ゆふいん新公民館オープン記念演奏会決定 [ゆふいん音楽祭]

事実関係の告知のみ。
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来る6月27日午後2時、湯布院町新公民館のオープンを記念し、町民の小林道夫氏を中心とする由布院音楽祭馴染みのメンバーが特別演奏会を開催いたします。

ピアノ小林道夫、ヴァイオリン川田知子、そしてチェロは河野文昭のトリオ。演目は未定です。現時点では、ピアノは旧公民館から移管されたカワイをきちんと再調律、音楽ホールの備品として機能するように調整し、使用する予定となっております。

制作は旧音楽祭スタッフ。「ゆふいん音楽祭」時代には望んでも叶わなかったちゃんとした音楽が聴ける、提供出来る可能性のあるホールの誕生を祝います。

詳細は追ってお伝えします。まずは、一報まで。

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ブラスバンド文化のまらろく [演奏家]

高崎駅、新幹線の待合室で、15分後にやってくる東京行きを待ってます。明日朝の9時から葛飾オフィスの書籍&家財道具が豊洲の倉庫に移動するというとんでもない日に、のこのこ遙か高崎までやってきた次第。こんなん。
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関東圏では、昨年226アベ要請以降初となるマーラーの後期本格大規模作品の上演、果たしてホントにやるのか、心配ではありましたがぁ、忙中閑ありで明日に備えハンマーで頭ぶったたかれておくべぇか、と遙々来たぞ高崎へぇ。

裏番組に、遙か横浜は紅葉坂上で還暦の巨匠の創作を振り返る大イベントがあり
https://www.kanagawa-ongakudo.com/detail?id=36776
業界関係者の殆どはそっちに行ってるだろー。やくぺん先生も、職種的に、県立音楽堂さんから招聘がかかってはおりました。有り難いことでありまする。とはいえ、この引っ越し疲労の海胆頭、山のようにいる方々にご挨拶したりするのはとても無理。で、こっちならだれもおらんだろーに、と駅の荻野屋で峠の釜めし定食喰らい
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新装成った高崎芸術劇場に向かったら…長老評論家のTさんにバッタリ。こっちですか、と苦笑する。天井桟敷なんぞにはだれもるまいと、地震にビックリしながらすわっていると、オペラとアジアの専門家となりつつある金町のK先生が隣の隣に座ってるではないかぁ。うううむ、まらろく吸引力、畏るべし!

この演奏会にわざわざやってきたもう一つの理由は、指揮者さんにあります。大井剛史さん、って指揮者、まだ「若手」と言って良いのでしょうが、やくぺん先生が斎藤秀雄賞の下選考委員などというオソロシーことをさせていただいていた頃、指揮者部門で何度か話題になったけど、川瀬氏などの影になっちゃって…というくらいの歳回りの方。そのときにいろいろ言った責任を感じているのだが、このコロナ禍で日本在住若手指揮者総浚え状態になっても、更に若い世代のもっと目立つ派手目な指揮者さんたち大活躍の中にあって、しっかり仕事はなさっているものの、それほど表に出てくる感はなかった。

とはいえ、知る人ぞ知るブラスバンド世界では若き巨匠でありまして、そっち方面の方は知らぬ者なし、って人材であります。そんな方が、なんとマーラーの6番をやってくれるという。これはもう、聴かぬ訳にいかんでしょ。

今、やくぺん先生以外は誰も乗ってない新幹線が、北関東をお江戸に向けて突っ走ってます。高崎から上野はあっという間なので、いきなり結論から言っちゃえば、マーラーの6番に関心がある方は、明日の午後3時からの桐生文化会館シルクホールというところでもう一度演奏があるので、是非ともお出かけあれ。これまで聴いたことがないまらろくが聴けますよ。

コロナ禍だから、なのかは知らないけど、弦楽器は第1ヴァイオリン12人、第2ヴァイオリン10人、ヴィオラとチェロは8人、という弦楽器はこの作品としてはギリギリの小編成。管は小さくしようがないから、結果として、極めて管にバランスが偏ったオーケストラになってます。ギャルドに弦を入れた、とまではいわないけど、どかああああっと弦楽器がいっぱいに入るいつものまらろくを考えると、かなり変わってます。

考えてみれば、この曲って、特に終楽章では重要な部分が殆どブラスバンドになる。終楽章の大暴れが始まる前、序の最後の辺りとか、なによりも最後の最後、心臓に悪いffffがオケ全体に鳴り響く《悲劇的》の極みの前の最弱音とか、重要な部分は管楽器の合奏になる。そういう部分での管の音の練り合わせ、響かせ方が、これまで聴いたことないくらいの練れっぷり。恐らくはマーラーも聴いていなかったであろうような、見事な響きのコントロールになってる。

いやぁ、これを聴きに行くだけで、新幹線に乗る価値はあるよ、皆の衆。

無論、海千山千の指揮者が作りに作る演奏を繰り広げている楽譜です。弦のレガートが大きくうねって押し寄せるとか、細かいモチーフの変化を見せるとか、そういうのは期待してもダメ。ともかく、21世紀ニッポンのオーケストラ文化を支えるブラスバンドという広大な裾野からマーラーを眺めると、こういう風に響くのだなぁ、というのはよーくわかる。

これはこれで、あり。

さあ、お彼岸の雨の日曜日、暇してる奴は東武線乗って桐生へGO!もしかしたら、これが21世紀のひとつのマーラー…かな?

あ、大宮駅だぁ。速いなぁ、シンカンセン。え、やっぱり東北新幹線、停まってるんだ。上越は大丈夫でした。

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業務連絡:葛飾オフィス撤収に伴い [売文稼業]

業務連絡です。

2021年3月19日朝、葛飾オフィスのインターネット回線が撤去されました。月末までは、携帯ルーターでのネット対応となります。要は、家に居ながら野外ノマド状態です。動画などの大きなデータなどを送ろうという方は、まず事前にメールで連絡くださいませ。来月以降の暫くは、大川端シン・ゴジラ目線の勉強部屋が基本の仕事場となります。ネット環境はあるけど、毎度ながら電話は取れませんので、スイマセン。

昨日、仕事資料が月島の倉庫に移動。日曜日には本屋の引っ越しといわれている膨大な本とちょっとの家財が豊洲のロッカーへと搬出される葛飾オフィス撤収&親の家解体も山場、今月は一本も原稿入稿をしてない状況ですので、そんなデータ送付などあり得ないでしょうけど。ちなみに日曜に寝床が搬出され葛飾オフィスには寝泊まりが不可能になり、完全ノマド生活初日となる月曜日は、いきなり今月唯一の取材仕事で関西1泊です。頭が動いてない。

巨大柿の木は運命も知らずか新しい芽を吹き始めるイースターも近い今日この頃、ヒヨちゃんのスーパー見切りあたったバナナと蜜柑も、今朝全ての在庫がなくなり、これでオシマイとなります。この冬は、大好きなバナナを常時出してやっていたので(スーパーの見切りコーナーで、黒くなったバナナはいちばん売れない商品なのだぎゃあああ!)、若いヒヨちゃんたちがすっかり周囲に居着き、バナナや蜜柑が朝に出ると、ちゃんと並んで喰らってました。案外、礼儀正しい奴らだぎゃあ。
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シジュウカラさんは月末まで閉店記念大好きな肉のハナマサの割れカシューナッツを振る舞っておりますので、セルフサービス状態でいらっしゃいませ。
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葛飾巨大柿の木下シジュウカラ・レストラン、閉店まであと10日でつつぴぃ!

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アーカイヴの商品化について [音楽業界]

日本フィルさんから、こういうリリースが発表されました。
https://japanphil.or.jp/news/jporecordings

「楽団自主レーベル「JAPAN PHILHARMONIC ORCHESTRA RECORDINGS」を設立」というヘッドラインで、今世紀初頭のメイジャーレーベル崩壊後はベルリンフィルやらロンドン響やらを筆頭に、世界中のオーケストラがこぞってやってる「自分の持ってる音源を自分で商品として世に出す」というやり方の日本版ですな。

っても、殆どのマニアさんは、「そんなの、N響だって都響だっていくらでもやってるし、俺は大阪交響楽団のブラームス交響曲全集持ってるぞ」とか思うでしょうねぇ。

今回のニュースの最大のポイントは、「楽団自主レーベルを創る」というところにあります。日本フィルだってこれまでにミュンシュやらあけさんやらの録音が商業ディスクとして出ていたし、あけさんのシベリウス全集とか、とじさんが冒頭ファゴットを吹いてる伝説のマルケヴィッチ《ハルサイ》とかは、もうこの作品演奏史上の定番ディスクでしょ。逆に、こういう形で出てこない演奏の方が貴重と言われるくらいだった。

ところがそれらは、あくまでもデンオンとかエクストンとか、はたまたナクソク(日本フィルさんはあったっけか)とか、既存のレーベルが「ねえねえ日本フィルさん、あのハルサイ、音、あるんでしょ。商売にしませんか」と話を持って行き(かどーかは知らんが、日本フィルから商売として持ちかけるとは思えない)、いろいろと面倒な法務的手続きはレコード会社さんが責任を取る形で出していた。

アーカイヴ録音の利用としては、ライバル(なのかなぁ、今更…)のNJPが、「墨田区にふるさと納税してくれると、そのお返しにNJP定期のライヴ録音を差し上げます」なんて例があり
https://www.njp.or.jp/patronage/furusato-tax
一部マニアさんの間では貴重な音源として知られているわけでありますが、ま、ある意味、これをもっと直接的にオケがやる、ってのが今回の趣旨でありますな。

とはいえ、レーベル創設して商品化というのは、どの楽団もやろうと思えばやれるけどやらないには訳がある。列挙していけば一冊の本が書けそうなくらい、問題が山積み。それをどうクリアーしたかは知らんが、ともかくやってみよう、というのはいかにもこの楽団らしいところでありまする。ちなみに日本では、松本のサイトウキネン音楽祭が自主レーベルを創り、確か《幻想交響曲》を出した筈だが、録音する予定だった《ベアトリーチェとベネディクトゥス》が指揮者交代で録音も流れ、結局、自主レーベルとしては最初の1枚を出しただけで立ち消えになってしまったような。その辺りの経緯、詳しい方は教えてちょ。

この日本フィルレーベル、個人的にはやはり「アールQ&ベニー・グッドマンのモーツァルトくらご」が超目玉なわけで、うううむ、これを最初に出して来たかぁ、と腰を抜かした。何を隠そう、やくぺん先生の手元には黒沼さんの音源のカセットテープがあり、本日、オフィス引っ越しの最中、引っ越し屋さんに間違って処理されたり紛れたりしては大変なんで、葛飾から月島の倉庫にそれら資料の一部を手運びすべく詰め込んだところ。
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こういう貴重な一次資料って、扱いが大変なんだよねぇ。巖本真理Qのボウイングが入った譜面も、新天地にオフィスを開いたら纏めた方が良いんだろうがなぁ…

って、他人様の「過去の資料の扱い」が無性に気になるオフィス引っ越し真っ只、目の前には世に出しようのない貴重なライヴのDAT録音(諸事情あって、いかな当無責任電子壁新聞でも、どんなもんかを明かすわけにはいきませぬ。「某国内レーベルが全て録音し、商業化する予定もあった大企画」とかも…と言えば判る方には判るかな)が倉庫に移動すべく山積みなってる中に埋もれるやくぺん先生でありましたとさ。日本フィルさんも、いろいろと面倒なことがあるでしょうけど、ぐぁんばっていただきたいものでありまする。

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初台の《ヴァルキューレ》はあれこれ「画期的」なのじゃ! [音楽業界]

家の撤収、オフィス引っ越し騒動もいよいよホントにギリギリのタイミングになってきているなか、311災害10周年とはまるで無関係に、初台の「ヘルシンキ版フリードリッヒ《リング》」から《ヴァルキューレ》のみの単独再演初日があり、なんのかんので珍しくも芸術監督というこの劇場の書類仕事をなさっている方が指揮をなさるというので、出かけて参りましたです。

チケット発売が日本とは思えないギリギリだったのだけど、それでもキャストが決まっておらず、結果としてこんなことになった。
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そー、一部の専門家マニア筋では「こんなの学生オペラ発表会以外では観たことない」と呆れ驚かれた、ジークムントが1幕と2幕で別のキャスト、という世界の主要国首都の国立オペラハウスとしては空前、画期的なダブルキャストとなった次第でありまする。

ま、正直、やくぺん先生とすれば、引っ越し疲れの合間に一服の清涼剤、1幕後半と2幕の死の告知から先、それに最後の最後でりーう゛ぉーーーーる、と叫んでるのを眺め気分転換をはかり、完璧睡眠のつもりで€70弱くらい払って天井桟敷まで登ってったわけでありまする。もう、まるっきり根性座ってない、無責任聴衆じゃわい。

とはいうものの、ヴァーグナーはヴァーグナー。1幕のイタリアオペラみたいにリリカルなジーグムントさん登場から冬の嵐が過ぎ去るくらいまではガッツリ寝てしまったけど、2幕の夫婦喧嘩は北京のカラヤン演出再現版以来の立派なフリッカ奥様ですっかり起きてしまい、その後も根性入らないままにダラダラ眺めてしまいました。メイジャー劇場では画期的な主役級歌手の二人での歌い分け、思ったよりも違和感ない、というか、違和感たっぷりなんだけど、「名前すら定かではない男が、ジークムントと名告った瞬間から人が変わったように決然とした立派な男となった」って話が妙に納得がいくキャラクターの変化で、マジ、ヴァーグナーのテノールが常に人材不足なのを逆手に取って意図的にそういう演出をやってみるのもあり得るんじゃないか、と本気で思わされた次第。いやぁ、べんきょーになるなぁ、我らが初台のハウス。

もうひとつ、このプロダクションの画期的なところは、「途中休憩でロビーでの一切の飲食禁止、主催者側からの飲食提供一切無し」というストイックなご決断。なんせ、ヴァーグナーといえば、「幕間に何を喰らうか」が最大の議論となるわけで、当電子壁新聞でもレギュラーで取り上げているネタでありまする。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2009-04-09
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2017-11-30

会場に水すら売っていない状況で、どうやってこの長丁場を乗り切るか。現実問題、持ち込んだペットボトル飲料を隅っこでこそこそ飲んだりしていても、レセプショニストさんが吹っ飛んでくるようなことはなかったようだとはいえ、やはりねえ。

で、みんな散々困り、向かいのカレー屋さんやら蕎麦屋さんに突っ走る、コンビニに行列作る
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等々。それにしても、45分の幕間、ホールのロビーになんにも売ってないヴァーグナーって、ホントに前代未聞であります。どの主催者も、この時間を利用していかに売上を伸ばすかで頭を捻っているってのにさぁ。

初台の《ヴァルキューレ》、フリードリッヒ御大の「瞬間瞬間の場面はそれなりにきっちり筋が通るように処理されているけど、全体として何をやりたいか今ひとつ判らぬ」最晩年の《リング》の一端を眺め、画期的な舞台に触れるまたとない機会でありましょうぞ。客席半分(でも、ひとり空けじゃない)ながら、最終日はまだお高い切符が残っているとのこと。お暇な方は、是非どうぞ。

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続・葛飾下町三十六景 [葛飾慕情]

存在証明です。葛飾オフィス撤収締め切り、今月の頭に当初の月末予定が実質春分の日に繰り上がり、そこからはもう、大騒ぎ。当無責任電子壁新聞どころか、表の商売仕事も弥生入りしてからは一本もやっておらず、今、原稿を書いた演奏会が中止になっていたのを別の連絡のついでに知った、なんて情けない有様。それにしても、今年に入ってから原稿を書いたコンサートはひとつとしてちゃんとやられたものはなく、ひとつは緊急全面改定、ひとつは半分になった。で、今度はキャンセル。これじゃあ、主催者さんとしても原稿依頼なんて怖くて出来ないわけで、やくぺん先生同業者の皆さん、一部例外を除き実質失業状態なのも当然であるなぁ、いやはや。

昨日はテレビ回線の撤収があり、そもそも地上波は視られなかった葛飾オフィスは「マスメディア」から隔絶された状況となって、東京大空襲メモリアルも311から10年も、世間でどんな風に報道されているかまるで判らぬ。これはこれで気持ちいい。考えてみれば、90年代頃から外国にいると日本のことがそれほど判らず、世間がどうなっているかあまり気にしないという生活だったわけで、それほど困ることもないんだけどさ。

仕事の連絡メールすらいくつか放り出してある現状、こんな無責任壁新聞に綴るなにがあるわけでもない…と思ったら、先程、続報をすべきものが発見され、これはご報告せにゃなるまいて。最後に手を付けた裏庭のイナバ物置から出てきた、こんなもん。
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そー、これぞ正に、正真正銘「葛飾下町三十六景」のハイライト、下総の国と柴又を結ぶ矢切の渡しなのであーる。この話の続き。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2021-01-19

別にちゃんと調べたわけではないけど、未だにこの「葛飾下町三十六景」がどんなもんなのか判ってない。どうやら流石に新開地葛飾だけで三十六の麗しい風景を埋めることは不可能だったようで、春の上野やら、都電荒川線やら、京成沿線はみんな自分ち、って葛飾中央部に住む区民の感覚まんまの内容だったようでありますな。恐らくは、帝釈天風景とか、堀切菖蒲園の菖蒲とか、季節の良い頃の水元公園とか…うううむ、もう他に考えつかぬぞぃ。ま、そんな中でも、矢切の渡しは名所中の名所。親父が額に入れてかけていたみたいなのも、ま、判らんでもない。

既に法律的には他人手に渡った葛飾巨大柿ノ木下オフィス(オーナーの好意で無料で住まわせて貰っている前オーナー、というのが数日前からの現状)、親父が爺さんと喧嘩して千葉は九十九里近くの実家に居られなくなり、一足先に東京に出ていた弟を頼り弟が町工場を建てた新開地葛飾の真ん中に出てきて、大型団地が出来てこれから人口が増えて発展するだろうという場所で仕事を始め、それなりに成功することになる歴史が始まってから60と余年。オジサンのゴム工場はもう既になく、そのオジサンも、疎遠だったその下のオジサン(我が親父のやくぺん先生の代で最も出世したその息子たる従兄弟くんも、数週間前に某大手新聞社長を追われてしまった)も亡く、葛飾の地に残っていた最後の足跡も消えていこうという春の朝、空っぽの玄関に置いてじっくり眺めるに誠に相応しい風景なのであーる。

千葉から来た奴は、全部たたんで渡しに揺られ、成田空港アプローチ下の墓へと戻っていく。

都会というのは、そういう風に使えば良い場所。荒川放水路東の葛飾が「都会」かどうかは、なんとも微妙だけどさ。

さても、この地で学部時代くらいまでを過ごし、母親と大げんかして勘当されて追い出され(なんせ、母親はあたしの結婚式にも来ていない)、親父の死後に「この家を有意義に使ってくれ」という困った遺言でオフィスをここに移さざるを得ず、なんとも半端な住み方をしてほぼ10年、やくぺん先生ったら江戸川越えて東には戻らず、数ヶ月後には大きく西に向かい、最後の引っ越しをする予定。

荒川も 大川も越え 我往かんっ!

寅さんが間違ってヴィーンに行っちゃった地に向け、Go West!

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葛飾オフィスあと4週間 [葛飾慕情]

三月弥生の朝ぼらけ、今日も今日とて壮大な燃えるゴミを巨大柿の木下区ゴミ収集スポットに出し、食い物がないだギャーと叫ぶヒヨちゃんずに呆れる新開地葛飾なのであーる。

昨日如月晦日午前中にひとつ原稿を入れ、そのOKが直ぐに来て、今、手元に締め切りのある原稿がひとつもなくなりました。まだOKが来てない初稿が入っただけの原稿がひとつ、金曜日には浦安の喋り仕事最終回はあるものの、やくぺん先生この商売を始めて30余年、ここまでスッカラカンに仕事がなくなったのは始めてかも。恐らくは4月5月は収入がほぼゼロになるのだろうなぁ。ううううむ…

2月頭から本格化した葛飾オフィス撤収作業も、「家の中をスッカラカンにして退去」の期限まであとまるまる4週間。「親父の家」破棄作業は、まあ8割方目安は付いた(家電、大型粗大ゴミ、そして物置の処理は未着手)。「葛飾オフィス」退去移転に関しては、やっと先週から始まったばかり。ともかく、コロナで予定している最終着地地点受け入れ先が「東京からの人に遇うなんて滅相もない」という状況で、1月からまるで動いてません。で、当面は半年を期限に佃縦長屋近くの大川沿い倉庫に資料関係は全て持ち込むことにし、去る土曜日に四畳半ちょいくらいの大きな部屋に契約変更、既に入っている40箱程の資料を新倉庫内に移転しましたです。
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残りの、やくぺん先生がコロナ家庭内感染を避けるべく自主隔離していた一人暮らし用の家財道具と、緊急ではない美術とか日本文学とか古い取材資料などは、みんな纏めて「お引っ越しだけどまだ行き先が決まらない方向け一時お預かり」に任せることになる。これって、光熱費基本インフラ維持費などは不要とはいえ、結局、葛飾オフィスを維持するのと金銭的にはそう変わらない

目の前に積み上がったスターバックスのドリップ珈琲が26個。1日ひとつで、この山がなくなるとき、いよいよさらば葛飾。さっきから、雀どもがご飯ないぞぉ、と騒いでるけど、去る秋に逝った佃のセレブなブンチョウさんのために用意されていた高カロリーご飯の残りは、もう昨日で尽きました。シジュウカラさんのご飯はまだあと1ヶ月分くらいはあるけど、雀たちへのレストラン営業はもうオシマイ。なんせ、数日前に最初の荷物が上野の某研究室に動いていくときには
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なんとレストランの騒々しいお客さんをご飯にしようとチョウゲンボウさんまで出現
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柿の木周辺を大パニックに陥れた。もう春なんだから、みんな、あちこちご飯も出てくるだろう。柿ノ木下に来ればなんか食い物があった夢のような場所ももうオシマイ、来年の冬も、頑張って生きていくんだぞ、葛飾の雀たち!

あと28日、ぐぁんばろー…

椿落ち 梅も香らず 春来たり

[追記]

やっと葛飾オフィスからの実質「退去」の日程が決まりました。3月21日春分の日に、荷物が東京湾岸2カ所に仮移動し、葛飾オフィスはスッカラカンになります。一応、最終的な退去引き渡しは29日だかなんで、最後の週はシジュウカラレストランにご飯をやるだけのために佃から葛飾まで通うことになるのかな。

てなわけで、実質、予定より1週間繰り上がったため、これから3週間、地獄の日々です。急ぎの仕事はやれません。ゴメン。21日の野平指揮ニッポニカ、この春、いちばん興味があったコンサートなんだけど、流石に引っ越し当日では聴きにいけないわい。すごおおおく残念。よっぽどオリンピックはあたしには無縁なんだなぁ。
http://www.nipponica.jp/concert/next_concert.htm

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