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サーリアホの《余韻》は室内オペラではない…そうです [現代音楽]

新暦の水無月に入ったと思ったら、ボーッとしていた時間がいきなり動き出したか、昨日からあちこちでいろんな事が起き始め、この商売を初めて30年近く、一ヶ月に締め切りが一本もないという驚異の完全失業状態だった5月が嘘のようなキツい日程の締め切りが並んでしまい、うううむ、あたしの守護神様ったら、いろいろお忙しいとは思うけどさぁ、もうちょっとバランスを考えてちょーだいな、と文句も言いたくなるもんじゃ。

なんせ、昨日からは週末の柿の木坂での本番に向けて遙か西の彼方の国立では加藤訓子さんのクセナキス・プロジェクトが最後の練習に入り、今日明日と実質上の公開GP。それとまるっきり平行し、日曜日の本番に向けて東の上野ではサーリアホのオペラ《余韻》の舞台上での仕込みが始まっている。んで、昨日はサーリアホ作品のスタッフやら出演者、はたまた作曲家も集めてこんなイベントがありましたとさ。
https://www.t-bunka.jp/cms/wp-content/uploads/2021/04/210601_r.pdf
ワークショップとされてますが、結論から言えば、実態は「記者会見」みたいなものでありました。

前半は日曜日の本番にも出演するフルートとカンテレの奏者さんが舞台に登場し、短いサーリアホの作品やら、カンテレは即興などを披露。まあ、演奏会というよりも「登壇者ご紹介」って感じです。そんなのが半時間ほどあり、小ホール舞台上中央に巨大なスクリーン、上手側に椅子が3つ、下手側に椅子2つが持ち出され、中央には来日隔離も13日目で明後日のプローベからは上野の杜にやっと来られるサーリアホ様ご本人がオンラインで、上手側にはフルート奏者、指揮者、演出家が座ります。反対は司会者さんと通訳さん。で、司会者さんが登壇者に質問し、一問一答という感じでサーリアホの音楽やら、日曜日に日本初演される作品について話がされる。

以下、その語られた内容を記すべきなんでしょうか…これは困ったぞ、とずーっと感じておりました。というのも、語られている内容が、まだ客席にいる聴衆のほぼ誰もがちゃんと耳にしたことがない舞台作品についてだからです。

正直、このイベント、まずはGPの映像なり過去の録音なり、はたまた会場に居る出演者(合唱団も客席にいると紹介されてました)なりが舞台の上からちょっとでも良いから日本初演を迎える作品の一部なり、さわりなりを披露してくれて、今時だから過去の舞台上演の映像をちょっとでも良いから観せてくれて、あああなるほどそういうもんなのか、と最低限の作品に対する具体的な情報を得た上で、議論がされるのだろうと思ってました。

だけど、そういうのは全く無く、いきなり能との関係のことやら、演出のことやら、カウンターテナーを使うことやら、中身について語られる。

ぶっちゃけ、なんだかちっとも判らんねん。

舞台上の皆さんは、もう数週間もひとつの作品に取り組んで来ている現場の方々ですから、語ることはたくさんあるのでしょうし、いくらでも語れる。聴衆とすれば、噂はいろいろ聞いているけど一度も見たことないゴジラという生き物について、ゴジラを飼育したり長く研究してきている方々の議論を眺めている、って感じかしらね。

おいおい、みなさん、ちょっとでいいからせめてゴジラがどんな格好しているか黒板に絵くらい書いて下さいな、ゴジラの尻尾の先が裏にあるんならちょっとだけでも良いから見せて下さいな、って気がするばかり。

うううむ、そういう聴衆の気持ちを盛り上げ、日曜日への期待を高めるのが目的の会だったのだ、と言われるなら、ああそうでしたか、としか言いようはないけどさぁ。

ぶっちゃけ、もの凄くストレスが溜まり、大川端の縦長屋に戻ったら、慌ててYouTubeをひっくり返し、アムステルダムで上演されたときのピーター・セラーズ演出のトレーラーやらを眺めたり

https://www.youtube.com/watch?v=kMxbhf6btYg&t=49s
やたらと元気なセラーズ御大の演説を眺めたり
https://www.youtube.com/watch?v=oonN06GkIhY
なんとか消化不良感を解決すべく深夜に至ったのであったとさ。

ま、そんな中でも、興味深いこともありました。コロナ下の公共施設使用時間制限が厳しいらしく、どうしても午後9時には終えねばならぬ、って感じな慌ただしい空気漂う中で成された客席との質疑応答で、どうも作曲科らしい若者と、自らがチェリストであると名告った青年のサーリアホ氏への直接の質問と、それに対する返答は、いろいろな意味で興味深かったです。中身そのものというよりも、サーリアホ氏の応え方、質問へのアプローチの仕方に、へえええええ、と思わされたのでありました。なるほど、流石にメイジャーな作曲家として世界を歩いている方だな、って。

全体のやりとりの中で最も重要だった発言は、サーリアホ氏が「この作品では室内オペラを書こうとしたのではない」と仰ったところでした。もしも自由な記者会見なら、あたしゃ、ここを突っ込みたかったなぁ。

だってね、この《Only the Sound Remains》って、エズラ・パウンドが英訳した死んだ平家の琵琶名人の亡霊と羽衣盗まれた天女と、ふたつの能台本をバリトンとカウンターテナーのふたりを登場人物にダブルビルのオペラとしたものなんだが、オーケストラは弦楽四重奏とフルートとカンテレと打楽器とエレクトリシャン、それに声楽四重唱の合唱だけなんですわ。恥ずかしながら、やくぺん先生ったら、昨日まで日曜の日本初演は小ホールだと思い込んでました。この編成で、空間はあの上野の大ホール。で、それを作曲者は「これは室内オペラではない」と仰るんよ。

これって、最大の突っ込み所じゃあないかい!「それってどういう意味ですか、こんな小編成で、敢えて大ホールでやらねばならないのはどういうことなの?」って、誰だって質問したいでしょーに。実際、ネザーランド・オペラでのセラーズ演出も、あの運河横のいつもの劇場が舞台だったようだし。

さあ、貴方も日曜日、上野の大ホールに行きたくなってきたでしょー!
https://www.t-bunka.jp/cms/wp-content/uploads/2021/01/210606_m.pdf

ちなみに、パウンド訳は、ネット上にありました。なんと「羽衣」にはイェーツの序文が付いてる、ってなんか凄いもんです。さあ、みんな、急いで勉強しなさいっ。
https://www.gutenberg.org/files/8094/8094-h/8094-h.htm
http://jti.lib.virginia.edu/japanese/noh/PouTsun.html

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