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ミニマル音楽の終わらせ方 [現代音楽]

爽やかなんだか湿っぽいんだか良く判らん新帝都に戻って参りました。また10日くらい、滅茶苦茶演奏会場にお通いする日々です。

んで、本日は早速、遙かトーキョーの西の外れ、もう多摩県との境ギリギリ、最近はなんだか知らんけどトーキョー西地区のゲンダイオンガク拠点みたいになっちゃってる杉並公会堂地下深く潜った小ホールに参った次第。目的はこれ
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…って、ポスターの写真でも貼りたいところなんだけど、なんせ今時の小規模手打ち演奏会はポスターもなければチケットも電子化されていて紙では存在しない有様で、仕方ないから公式のFacebookページらしいところから演目と出演者だけコピペすれば、こちら。

★テリー・ライリー/Taboo Danzas(2002)  *日本初演
★フィリップ・グラス/Music in Contrary Motion(1969)
★トム・ジョンソン/ナーラヤーナの牛(1989)
★近藤譲/Standing(1973)
★鈴木治行/円周(2022/委嘱新作)  *世界初演
クラリネット:岩瀬龍太 ギター、バンジョー:山田岳 ピアノ:川村恵里佳 語り:鈴木治行

主催者の作曲家兼声の出演という鈴木氏に拠れば、ミニマル音楽の様々な有り様を示すのが目的の演奏会とのこと。

まあ、主催者さんだかプロデューサーさんのお考えはどうあれ、遙々内藤新宿の彼方まで出かけた最大の理由は、ひとえにトム・ジョンソン作品にありました。この曲、その筋ではそれなりに有名な、ある意味、超有名といっても良い曲で、アイデア一発勝負という意味ではかの《4分33秒》にも匹敵する作品です。

ミニマル音楽の最大の難しさのひとつは、「どうやって終わりにするか」であるのは皆様容易に納得なさるところでありましょう。だって、極小の要素を延々繰り返す、ということは、音楽に於けるベートーヴェン的な起承転結のドラマ性なんぞは存在しなくなる、ということ。無論、ソナタ形式なんぞの終わり方もあり得ない。ただダラダラと、打ち寄せる波を永遠に眺めているように時間が過ぎていく。音楽そのものが終わる理由がどこにもない。

で、トム・ジョンソンなんて真面目だか本気だか判らぬよーな名前のこのアメリカ人さん、数の理屈に音楽、というか、繰り返しを乗っけた。短い音型を(この曲の場合は音型とも言えない極小の音たちの塊)何度繰り返すか、理由をでっちあげた。で、それだけが音楽、ってよーなもの。

どっかに日本語の解説がないかなぁ、と探したけど、案外無いなぁ。ええい、Youtubeにアップされてる沢山の映像の中で、いちばん判りやすいもんをアップしちゃいましょう。問題は、ナレーションがギリシャ語だ、ということ。

要は、ねずみ算ならぬ牛算、牛の子供がどんどん増えていく、その牛の数だけ音が繰り返される、というものです。これじゃ全然判らんなぁ。

なんとこの作品、7月16日には芸劇でノマドも演奏します。関心のある方は、こちらへどうぞ。
https://www.borncreativefestival.com/nomad
不肖やくぺん先生も、牛さんを勘定するために牛久委絶叫大会の盆地から遙々新帝都に戻ってくる予定。さあ、貴方も一緒に牛の数を勘定してみましょー。

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