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前衛の時代がやってきた! [現代音楽]

田植えが始まり夕方に別府から由布岳を下ってくるクネクネ道からはまるで盆地全体が巨大な池になったような光がまぶしい皐月の終わり、宗主国大元帥一行が我が物顔で跋扈する新帝都の皆様はいかがお過ごしでありましょうか。

相変わらず過剰な感染対策を誰もやめようと言えないままの公立ホールロビーに近寄りでもしない限り、すっかりコロナも終わったかに思える昨今、我らが零細業界もどうやら二年間封印されていたいろんなものが一斉に吹き出しているようで、夏から先のいろんな日程が出始めている。そんななか、ある方から「もう売り切れになりそうですよ、切符買いましたか」という連絡をいただき、慌てて昨日購入したのがこちら。
https://aichitriennale.jp/press/item/Europeras3%EF%BC%864_flyer.pdf
へえ、名古屋は栄の立派な劇場のオペラハウスではなく演劇用スペース(なんでしょ?)で、ケージの《ユーロペラ》、アルメイダ劇場でやるために縮小した版の方の上演だそうです。日本初演、って、サントリーの夏のゲンダイオンガク祭りでやったのは5だったのかな。記憶にない…

こんなもの、ケージ作品には必ずお布施を払って参上する数十人のマニアさんくらいしか需要はなかろうから日程入れはまだ先の話と思ってたら、なんとなんともう売り切れ間近という。オリジナル版がどんな作品か、まあ、こちらを眺めておくんなせぇ。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2018-06-23
わずか4年前の話だが、なんだか大昔に感じるなぁ。ふうう…

名古屋には舞台衣装やセットや専属歌手や裏方がちゃんといるまともな歌劇場が存在している都市ではないので(ってか、日本には新帝都含めそんな歌劇場はありませんから)、ケージの本来の意図たる「歌劇場という極めて近代ヨーロッパ的なシステムそのものを脱構造化する」という作業は出来る筈がない。で、ロンドンの下北沢みたいなところが元気満々だった頃に、オペラハウスではないところでこの作品を再現するというまるっきり矛盾したことをやろうという奴がいて、それに茸爺さんがホイホイ応えた縮小版の方での上演なわけですね。こんなもん、日本じゃやれっこないと思ってたら、そういうことね。

まあ、正直、飽きる為に行く、つまらない、眠い、馬鹿馬鹿しい、と思わせてナンボの作品ですから、ホントなら2公演あるなら2回付き合わなきゃいけんのだーけど、とてもそこまで良い人になる気はない隠居の身、ともかく土曜日の方だけを眺めてみましょか、ということでありまする。

んで、明けて本日は、こちら。こっちはメンツから考えても、さっさとチケット購入しないとホントに瞬間蒸発の可能性があるぞ、ってもん。
https://phoenixhall.jp/performance/2022/10/30/17583/
なんとなんと、《浜辺のアインシュタイン》の短縮版音楽のみ上演、というこれはこれでありな企画です。今、ニッポン列島でやるならこういうメンツが出てくるんだろうなぁ、という人達がズラリと並んでますから、ある意味で「安心して聴いていられるグラス」になることは確実。舞踏がいないと成り立たない「宇宙船のある原野」辺りが大幅カットされるんでしょうから、どこでトイレに行ったらいいか困るんだけど、ま、それはそれ。こちらのチケットは、今、押さえましたです。

ちなみに、こんな無責任電子壁新聞眺めてる方は、勿論、この3週間前に横浜で上演されるこっちは、とっくにご存じですよねぇ。
https://www.kanagawa-kenminhall.com/d/50th-opera1
正直、どこからどうみても舞踏が中心で「ロバート・ウィルソン」は台本作家(としか言い様がない)に過ぎない舞台だろうことはスタッフ・キャスト表から目に見える横浜版ですので、舞踏は横浜、音楽は大阪、というふたつでひとセットと考えるべきでしょうね。それにしてもウィルソン&グラス版がどんなもんかは全然判らないのは、しょーがないけどさ。

てなわけで、なんだか妙に「前衛の傑作」が並ぶコロナ後のニッポン列島、五輪で都の海外文化交流予算が底を突き中止になってしまったあの作品が当初の予定通り来年2月に池袋で上演されていれば、20世紀後半に「オペラ」の意味を根底から問うた一連の歴史的作品が揃い踏みのニッポンだったんだけどねぇ…と嘆きながら、ミソラソミソラソ脳内に繰り返し11月14日のパリへと向かうやくぺん先生なのであろー。

もう「ポストモダン」は古い、今やぐるっとまわって「前衛の時代」がやってきたっ!

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