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最後のクァルテットは元気モリモリ [弦楽四重奏]

ヒロシマ原爆忌の週末、温泉県盆地から豊後の山、筑後から肥前の原を過ぎ、遙々有田の谷の彼方のニッポンJR最西端の駅佐世保まで日帰りして参りました。キューシュー島はホンシューや半島からの玄関口たる福岡帝国から鹿児島に向けて南下する、はたまた「裏九州」と言われようが日向灘を宮崎に向け進む方策はそれなりに用意されているのだけど、大分から長崎へと公共交通機関で横切るのはとんでもなく大変。海岸線から特急でも40分以上かけて標高500メートル登ってくる我が盆地からだと、JR優等列車をほぼ待ち時間ゼロで乗り継いでも、最寄り駅を午前9時過ぎに出て佐世保駅到着は12時半くらい。

到着した高架駅は、車窓左手に佐世保軍港が広がる基地の街だけど、駅目の前にあるのは離島に向けた民間小型フェリーなども出ている生活港としてのターミナルなんで、JR横須賀駅みたいにいきなりヘリ空母いずもがドカンと鎮座し、ヘリポートがあり、「おおおおお、基地のゲート前に着いてしまったぁ」って感は希薄。たまたま本日は日本海軍側施設がオープンハウスで、艦艇公開やら関連装備展示なんぞをやってる「ニッポン軍夏祭り」状態。埠頭のショッピングセンター前ではニッポン海軍軍楽隊の演奏会も準備されてます。
inabanorikovc@gmail.comへええヒロシマ忌にお祭りやるんだなぁ、我が軍は、とちょっとビックリ。そういうもんなんかいな。

ま、それはそれ。で、本日のお題はこちら。
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正に横須賀は京急汐入駅から横須賀芸術劇場までと同じくらいの距離のところ二、佐世保ハルカスという大小ホールを備えた芸術センターがあります。JRからそのまま繋がってる松浦鉄道を挟んで港とは反対側で、マリンコ雷電専用ヘリ空母アメリカやら揚陸艦ニューオルリンズなんぞの巨体は鉄路と高速が丁度シールするような建て方となっているのは、横須賀芸術劇場からはどう頑張っても空母ロンや第七艦隊旗艦ブルーリッジは見えないのと同じ。

いかにも「基地があるんでうちはお金がありまして」って感じありありの素晴らしい設備の上層階に、所謂バブル期「室内楽専用」タイプの中ホールが設置され、そこを拠点に「レジデンス弦楽四重奏団」という触れ込みでアルカス・クァルテットという団体が活動していました。いました、というのは、本日の演奏会開始前に、実質上この団体の創設から関わって来た担当の方が舞台に登場し、「一昨年は出来ず、昨年は川崎さんが来日出来ず三重奏、やっと3年ぶりに弦楽四重奏ですが…」と前置きし、この団体の活動は今回で最後、と報告なさった次第。

遙々福岡などからもやってきていた熱心なファンの皆様はご存じだったのやら、それほど「えええええ」という感じもなく、サラリと本番に突入し、ファーストはオタワのアートセンター管(ピンキーの指揮でCBCからいっぱい録音が出てましたねぇ)コンマスの川崎息子、ってか、今やすっかり立派なオジサンの川崎洋介、ヴィオラは言わずと知れた柳瀬省太、チェロは見かけに似合わず(などと言ったら中様に殺されそうだが)高い歌を繊細に奏でる辻本玲。そして、なんとなんとセカンドは我らが西野ゆか様、そー、エクファーストのゆか様なのでありまするよ。

定期演奏会でエクが大いに語っているのをお読みの方は、ゆか様がいつだったかベートーヴェン作品132について大いに語った際に「この曲はセカンドをやってみたい」と仰っていたのをご記憶でありましょうや。あれ、って書きながら、そう言ってたのは吉田嬢のような気もしてきたけど…まあいいや、なんにせよエクのファーストとしてこの作品をもう何十回と弾いてきている隅から隅まで知った方が、敢えて隣のパートを担当する。そういえば、20世紀の終わり頃、最初期の「プロジェクトQ」結果発表会だったかなぁ、ともかくまだエンカナさん時代のエクがこの曲を演奏したのは、個人的には第1期エクの頂点だったという記憶があるのだが…ファーストセカンド交代制だったあの頃のエク、ゆか様がどっちのパートを弾いていたか…ううううむ、記憶にない。

とにもかくにも、これはもう何を置いても聴かねばならんでありましょーぞ。

ちなみのこの団体、10年代初め頃に結成されたとき、まずは川崎氏のファーストというところがスタートで、川崎氏の強い意向でこのメンバーが集められたとのことです。担当者さんによれば、西野さん招聘にはそれなりの躊躇はあったそうですけど、ま、幸運にもエクはサントリー室内楽アカデミーの初代講師として教えるという仕事に本格的に関わるようになったときで、年に1度、1週間ほどを集中的に過ごし練習しアウトリーチをし(コロナ前の年は米軍基地にも行ったとのこと)理想的な会場で本番をし、という経験は弦楽四重奏というものをより深く知る上でよろしいのではないか、ということだったのかしら。

そんな弾くだけなら黙ってても出来ちゃうような人達を集めた今回の「最終回」プログラム、まさかヒロシマ忌に合わせたわけではあるまいハイドン《十字架上の七つの言葉》抜萃に始まり、20世紀半ば杉のアフリカン・アメリカ作曲家ヘイルストークのいかにもなテーマによる変奏曲、こんな曲じゃ。
https://youtu.be/_KEdcLKVlkk
そして団の締めくくりに相応しい作品132、という堂々たるプログラム。

とはいえ演奏は、最後、という言葉で期待するような「万感の思いを込めて」とか「永遠に続くような静かな祈り」とかよりも、きっちりガッツリどんどん弾いて、妙な感傷が入る余地なんぞ微塵も無し、というものでありました。なるほどねぇ、これがプロ達の「最後の言葉」なんだなぁ。無論、西野さんはいろいろ仰りたいことはあったようですけど、これはこれ、と割り切れるのが正にプロ。大いに興味深い音楽でありました。大枚払ってSaseboまで来た意味は大いにありましたとさ。

こういう「最後」も、ある。スタッフ、演奏家の皆様、お疲れ様でした。

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