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急告:「ゆふいん音楽祭2024」チラシ置いてやろうという方求む! [ゆふいん音楽祭]

「ゆふいん音楽祭2024」チラシ、数日でも置いてやろうという方、連絡くださいませ。〆切は本日7月22日午後4時くらいまでです。
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さあぁああ、泣いても笑っても「ゆふいん音楽祭2024」の週がやって参りましたです。盆地の朝もすっかり夏、昨日は麻生帝国では猛烈なスコールがあったが、流石にこれで梅雨明けなんじゃろか?
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いよいよこの週末土日開催に迫っているとはいえ、関係者高齢化&現役世代オーヴァーツーリズムで疲弊状態の現在、町内張りポスターもなければ、レギュラー開催時のように実行委員が福岡や北九州など道夫先生の潜在的聴衆層がいらっしゃる場所にこまめにチラシを持って宣伝することもならず。昨日は遙か福岡は天神まで「小林道夫がこれを弾くのぉ、知らなかった!」と仰りそうなかつての日帰り聴衆層がそれなりにいらっしゃるだろう九響弦楽アンサンブル演奏会にチラシを抱えて行き、有難くもロビーに置いていただいたんじゃが…
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皆さん、挟み込みチラシは眺めていらっしゃるもののそんなチラシがあるなど気付かないようで、ごっそり持ち帰る年寄り青春18きっぱー溢れる寂しい久大本線最終列車なのでありましたです。
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てなわけで、このご隠居爺アヒルのお腹半分くらい積み上がったチラシ、あと1週間で壮大な紙ゴミとなってしまうわい。
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本日、レターパッドで町の郵便局で送れば、キューシュー島内なら水曜には届くでありましょう。水木金だけでもうちの喫茶店に置いてやろう、店舗の壁に貼ってやろうという方は、ご連絡くださいませ。ボランティアいただける方先着1名様に、土曜日のチケット、提供いたしますっ!今時珍しい実券じゃぞっ!

土曜日は「ゆふいん祝祭クァルテット」が明るい変ロ長調で夏のブラームスをベルチャッハなら由布盆地に響かせ、日曜日は一期一会の神がかりのバッハが聴けるでありましょうぞ。

さあ、今日からオフィスアワーなら電話はいつでも繋がる、由布院観光総合事務所まで即電話じゃ!0977-85-4464

メールで「〇〇曜日に何枚欲しい」と送れば、対応可能じゃ。当日精算という懐かしい昭和が戻ってくるのぉ。
info@yufuin.gr.jp

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豊後竹田にストルツマンがやってくるっ! [演奏家]

もう完全にローカルネタの宣伝です。

やくぺん先生蟄居する温泉県盆地から南西に山ふたつ(なのか?)越えたお隣の市たる豊後竹田は、いかにも今時の「公共ホール主催の文化活動」が極めて盛んに行われておりまする。コロナ禍の最中にはここを拠点に「Taketa室内管九州(現Rentaro室内管九州)」が立ちあがったり、公共施設があることを利用した民間の試みもいろいろあり、世間的には人口減少やら高齢者比率日本一やら、ニッポンの将来を憂える際に面白おかしく取り上げられる場所ながら、不思議と「ブンカ」やってるんですわ。我が由布市のように市に文化振興課がなく公的なブンカへの支援なりがほぼ皆無という今時は例外的な地方都市の住民とすれば、山の向こうは凄いなぁ、と驚きつつ竹田上空を熊本空港に降りていくちっちゃな点みたいな定期便を眺めていたり…

豊肥本線が豊後竹田駅を出て、立派な鉄道橋で渓谷を越えて行くと直ぐ左手に、なんとも立派な公共ホール「グランツたけた」が見えてくる。さても、名曲《荒城の月》創作に霊感を与えたとも言われるこの町に、大スターがやってくるぞおおお、ほれぇえええ!
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https://www.city.taketa.oita.jp/glanz/koenjoho/kouenlink/4/10058.html

おおお、一瞬、新帝都は池袋西口に聳えるシンフォニック・ジャズの殿堂は芸劇の告知かと思ってしまったでしょ。なんせ最大のウリは、「狭間美帆がストルツマンの嫁さんのミカ・ストルツマンのために作曲したマリンバ協奏曲をRentaroオーケストラ九州と日本初演」ってんだからねぇ。

このRentaro室内管、昨年はポール・メイエとモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第1番を大分で披露しちゃったり、なんだかシラッとトンデモな企画をやっちゃってる。ま、このイベントは一種のバックバンド的なお仕事であろうけど、この室内合奏団がなければ竹田でやることもなかったじゃろし、立派な会館というハードウェアだけじゃなく、こういう実際にアクティヴに動いている文化ソフトがあることは大事だわなぁ。だって、結成数年でポール・メイエとリチャード・ストルツマンと共演している室内アンサンブルって、プロフィルだけ見たらどんなメイジャーな団体なんじゃ、と思うなという方が無理じゃて。

この演奏会、ジャズ系フュージョンでは当たり前なのかもしれませんが、演目は告知されておりません。すすり泣く演歌ギリギリのストルツマン翁の至芸で、廉太郎の旋律が秋の古都に響いたりしそうな…

残念ながらやくぺん先生は新帝都隣の港町でエルザのひとり芝居を眺めている予定の日なんじゃが、皆の衆、紅葉が始まった竹田や九重を愛でながら今や自在な境地に到ったストルツマン御大の至芸を堪能してはいかがかのぉ。豊後竹田ってどこだか知らんけど東京や大阪から行ってやろうじゃないか、という方は、大分空港ではなく熊本空港からのアプローチをお薦めしますです。熊本空港から阿蘇突っ切って東に抜け豊後の国に入ったところで、空港からバスもありまするっ。

ちなみにRentaro室内管、9月末の定期演奏会ではこの団体十八番のファリントン編曲「小編成アレンジ版傑作交響曲シリーズ」として、なんとなんと20数名編成でのシベリウス交響曲第2番を披露いたします。いやぁ、どうなるんじゃろのぉ。請うご期待、というか、怖い物見たさというか…
https://www.facebook.com/profile.php?id=100070789429144

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大陸で起きてることなんて誰も知らない… [音楽業界]

一度は引退宣言をし、撤回したとはいえ、世界中全てに情報が渡っている筈もなく、ずっと連絡メールなり、プレスリリースを定期的に送りつけて下さる世界各地の個人やら主催団体さん、はたまた音楽事務所さんなどがおります。コロナ禍やらトランプ米大統領就任ウクライナ切り捨てまでは終わりそうもない戦争を経て、それぞれ生き残っていたりいなかったり、2020年代は丁度1世紀前の第1次大戦からその後の混乱期をなぞってるようにしか思えぬのぉ。全面核戦争がやれないから大国同士の直接の衝突がないだけで…

てなわけで、せっかく送りつけられるリリースを右から左にゴミ箱に放り込むのも失礼なので、ひとつご紹介しておきましょう。最近は台湾に関してはいろんな「悪い人」たちが足繁く通うようになり、オーケストラやオペラに限れば何が起きているかそれなりに見えるようになってきた(室内楽はまだまだじゃがのぉ)。とはいえ、10年代後半から情報鎖国とまでは言わぬも、SNS(民衆の口コミ)の力を誰よりも知る御上が統治し実質上の御上の情報管理体制がキッチリ確立されつつある大陸の情報は、案外と入ってこない。

んでこれ、「中国の新芸術家協会かはたまた梶本か」と呼ばれ、今や中国でのベルリンフィルやヴィーンフィルのレップとなり、台湾も市場に収めんとし(中国と台湾は敵対していると信じてる方もいるようですが、経済はベタベタですからねぇ)、サントリーが放り投げたら日本のヴィーンフィルのレップだって取りたいと虎視眈々の勢いのウープロモーションさんの7月リリースです。ま、サントリーさんはヴィーンフィルとすれば単なるレップではなくて年金基金の提供者ですからパトロンみたいなもので、商売の付き合いではないですけどねぇ。まんま貼り付けます、ほれ。
https://wupromotion.com/index.php?option=com_acymailing&ctrl=archive&task=view&mailid=179&key=63197110708921b9f6ea9d2f86c5ccb8&subid=9345-8fedbbc68f36229d644314b523574637&tmpl=component

いかがで御座いましょうか。まずは先月終わりに恙なく開催されたユジャ・ワンをゲストに迎えたベルリンフィル上海レジデンシィのご報告。それから、そのまま居座ったらしいベルリンフィルの12人のチェリスト達公演について。それから、ベルリンフィルの前に行われたメータ指揮フィレンツェ五月祭管中国ツアー、ドレスデン聖十字架合唱団中国ツアー、等々。

まあ、正直、それらは「ああそーですかぁ、バブル期ニッポンと同じじゃのぉ」でオシマイなんだけど、興味深いのはその先。自分らで中国の外に出していく団体演家として紹介されているのが、広州ユース管のブダペスト公演、澳門ユース管の「東欧古都ツアー」でルーマニア、ブルガリア、ギリシャで4公演やるとのこと。

へえ、こういう仕事をしてるんだなぁ。まあ、広州響のユースオケは、一頃は「中国でメイジャー・オーケストラが抱える唯一のユースオケ」なんて宣伝の仕方をしていたわけですから、それこそ帝王ロン・ユー様のご意向とあらば音楽事務所如きがお手伝いさせていただくことはあるのでしょうけど、澳門のユースオケのツアーなんて、どういう仕組みでやれるんじゃろか?

とにもかくにも、ウー若社長(上海万博で先代と交代したから、もう若社長でもないわい)、バリバリでんねん。頑張っておくれなもし。なお、スマホで情報を得たい方は、以下をどうぞ。Facebookでは、ベルリンフィルの上海レジデンシィの様子などがアップされてますよ。
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ってもねぇ、ここキューシュー島の温泉県盆地にオフィスを移してからのやくぺん先生とすれば、長崎から一晩で租界に到着する上海航路はなくなったとはいえ、頭の上を浦東から関空羽田成田千歳への定期便がガンガン飛び、板付からその気になれば春秋航空で1時間、新帝都に向かうより近い上海なんだけど…縁遠くなってしもーたのぉ。結局、上海Qのツァラヴァス最終公演も行かなかったし。半島は気分的には広島くらいの距離なんじゃが、東シナ海は遣唐使遣隋使を阻んだ荒波、未だ立ちっぱなしじゃのぉ。

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「お祭り」に広報宣伝は必要なのか? [ゆふいんだより]

今、深夜の盆地を久大本線沿いにチャリチャリと走り、温泉県盆地観光地町の中心近くの郵便局までレターパックを投函に行って参りましたです。

演奏家が集まるまであと1週間となった盆地の温泉町、とはいえ今年はポスターを作らなかったから音楽祭気分はまるでなく、見えているのは来月末の映画祭の告知ばかり。そんな状況を漏らしたら、湯布院町とはまた違う形ながら観光地としての悩みを抱える福岡西の某人気観光地の方から「この週末のイベントにチラシ撒きますよ」という有難い連絡があり、慌ててレターパックに一掴みのチラシ放り込み
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封をして、明日朝8時に収集する郵便局前のポストに放り込んだ次第。
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なんせ、観光地と反対の田圃の中の我が集落近くのポストは、週に2回(!!)やってくるコミュニティバス停留所の隣ながら、収集は1日一度。これじゃ日曜日に届くやら判らん、ってね。

定住人口1万人を切る温泉県盆地の田舎町、その中には先鋭対艦ミサイル部隊の兵隊とその家族まで含む基地の町ながら、昼間はその倍くらいのインバウンド観光客さんで溢れ、ある瞬間に「湯の壺街道」という由布岳に向けて駅から真っ直ぐ金鱗湖に向かう裏道など、第一言語は韓国語で、それから北京語、広東語、日本語、タイ語、インドネシア語、タガログ語…って感じかなぁ、というような状況。博多からの特急や高速バスは1か月前の予約開始の瞬間にアッという間に世界中からの予約で満席で、日常使いの地元民は「公共交通はなく、車がないと生きていけません」という大都市圏以外の現代ニッポンと同じ状況。正に今、京都などで話題となってる「オーバーツーリズム問題」が起きてる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/af6f0b4d62ed1bae54c60e34a191de721dff789d

なんせアベ政権以降、ニッポン国御上の文化政策は「いかにアートで商売するか」が最大の目的になったのは関係者の皆様ならよーくご存じの通り。大声では言わんけど「青少年不良化防止対策としての文化政策」なんてベネズエラみたいなことを隠れテーマとしている自治体もあるけど、基本は「暇な年寄り住民へのサービス」若しくは「地域活性化のための手段としてのブンカ」なのでありまするな。

ところがここ温泉県盆地で半世紀前からやってる音楽祭は、ちょっと違う。最初の数年は「地震で壊滅したと風評が流れた温泉地の復興街興しイベント」として観光協会が主導で九響合奏団の野外コンサートなどで始まったんじゃが、数年経ってその目的を達成したのか、地元の実行委員に放り投げられた。

以降は、温泉観光協会の若い経営者さんと地元の音楽好きが手弁当でやって2009年まで毎年続いた。バブル期以降の公共自治体の文化財団が経済基板を支え運営を行い、上手くいけば客など呼び込んで地域を活性化しようという「夏の地方音楽祭」とは、そもそも趣旨が異なる文字通りの「田舎の夏祭り」だったのであります。ぶっちゃけ、今、都市部で大流行のコンサートスペースでの個人音楽サロン運営なんぞと同じですわ。なんせここ由布市は、大分県各市に存在する公共文化スポーツ財団などが主催する公共文化イベントが、一切存在せず。「公共セクター」という視点からすれば、大分各地どころか、ニッポン広しといえどいちばん遅れた町なのでありまする。

てなわけで、専任担当者などもおらず、組織だってあるんだかないんだか。たまたま町に小林道夫先生がお住まいなんで、隣に住んでる元実行委員長と話をして、昨年からは現都響コンマスで大分出身の水谷氏を中心に中身を決め、老舗ということで映画祭と共に公共から細々と出ている補助金と、あとは元実行委員長が旅館やらをまわって資金提供を仰ぎ、総予算数十万円規模で行っている小さなイベント。出演者にギャラはあるけど、某先生はそれをそのまま提供資金にまわしちゃいますから、実質ボランティアですわ。それでも、チェンバロを持ってくる、調整する、演奏家の足代、等々でそれぐらいの額はあっという間になくなり、今年はポスターを作れなかった、って有様じゃわい。

やくぺん先生ったら、佃の祭りが例大祭のときには5万円だか取られていた地域住民の資金提供を細々とやるくらい。さらに、元実行委員長から「年寄りはアドヴァイスだけで勝手に動かないように」と釘を刺されている半分住民のやくぺん爺さんったら、この春に現役復帰宣言をしたお陰で、全国誌やらWebに宣伝をしなければならない頃にずーっと動き回っていてなにも「アドヴァイザー」的なことをやれていなかった。ううううむ…

ま、なにはともあれ、来週の週末、「ゆふいん音楽祭2024」、開催します。土曜日夜は、藝大フィルコンマスを辞した玉井さん、実質の監督我らが水谷キャプテン、読響コンマスに就任した元気一杯戸原くん、それに重鎮とこさん、という顔ぶれの「ゆふいん音楽祭2024祝祭弦楽四重奏団」の演奏会。そして日曜日は、小林先生が全曲チェンバロの前に座り大バッハの《半音階的幻想曲とフーガ》、ガンバソナタ、ヴァイオリンソナタ、そしてチェンバロ協奏曲第4番を披露する、というあり得ない午後でありまする。こんなん、一歩間違うと「91歳の巨匠の幻の演奏会」などと大騒ぎになりそうだけど、幸か不幸かそういうことはまるっきりなし、まだチケットありますよ。

ホントに聴衆として聴いて欲しい人達は、夏の観光シーズンの真っ只中で大忙しでコンサートどころではない、町往く人にチラシを撒いても日本語では読める人もいないし、当日にはここにはいない…それでもどうして音楽祭をやってるのか、恐らく、21世紀20年代ニッポンのアートマネージメントや劇場イベント経営の視点からすれば「トンデモ」としか言いようがないこの「ショーワ」な音楽祭。ま、「音楽祭」じゃなくて「夏祭り」として考えれば、ニッポン列島各地で起きている「お祭りが続けられるのか」という問題と全く同じなんだけどねぇ(何を隠そう、かの佃の祭りだって、佃住民だけでは全然やれず、流浪のお祭り好きの助っ人が神輿担ぎにやってくるからやれてるんだけどさ)。だって、人口1万切ってる集落の夏祭りなんて、全国に向けた広報、やるわけないでしょ。

九重連山の上から、月が盆地を照らす。
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あの向こうは豊後竹田なんじゃが…山ふたつ越えて公共交通では2時間以上。キューシュー島って、山で隔てられた島の集まりみたい、陸続きのインドネシアなんだわなぁ。あの山の向こうの隣町から、お祭りに来る奴なんていやしないわい。

ま、なるよーにしかならん、じゃろのぉ…

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ゆふいん音楽祭2024まだチケットあります [ゆふいん音楽祭]

ゆふいん音楽祭2024、あと実質10日と迫りましたぁ。

本日午後、梅雨の終わりの雨が上がって猛烈に蒸してきた盆地を元実行委員長さんがやってきて、今年の当日プロが出来たと置いていったです。
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土曜日のゆふいん音楽2024祭祝Qの曲解は、人気音楽評論家青澤隆明氏の執筆。そして日曜日の曲解は、なんとなんと豪華なことに小林道夫先生ご本人が書いておりますっ!これはもうそれを読むためだけに由布院まで来る価値ありでしょうに。

両日ともまだチケットはあるそうですので、「こんなレアな演奏会、売り切れちゃってるだろーなー」なーんて諦めてた方も、急いで由布院観光総合事務所に電話予約を!メールでも受け付けるそうです。

電話番号:0977-85-4464

メール:info@yufuin.gr.jp

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夏の新潟弦楽合奏祭り [演奏家]

宣伝です。来る8月3日土曜日午後、新潟が誇る文化の殿堂はりゅーとぴあの大きなホールを会場に、こんな演奏会がありますです。
https://classic-niigata.org/

なんでやくぺん先生が縁も縁もない新潟の団体をご紹介するかというと、この団体って、年に一度のペースで夏の時期に平山、鈴木、上森をコアメンバーに新潟県ベースで活動していた「TOKI弦楽四重奏団」の発展型なんですわ。このクァルテットの活動は気になっていて、取材もしたことあるんじゃが、東京での公演は聴いていても地元での活動は全く接したことがなく、なんか失礼してるなぁ、と思っていたのでありまする。要は、「弦楽四重奏」カテゴリーの親戚でんがな。

なんせ、メンバーはこういうメンツ。へえ、この方、新潟の人だったんだぁ、という顔ぶれもおりますな。なんといっても、コンセルトヘボウ管副主席ヴィオラの小熊さんが目玉かな。里帰りのときは、故郷飛び越えて東京に到着してたんだなぁ…って、シベリア横断ルートが閉ざされた今は、それもないか。
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この演奏会、室内管規模の弦楽オーケストラというありそうでないイベントであるばかりか、やはりなんといっても演目でしょう。メインに来るのがエルガーの《序奏とアレグロ》であることから判るように、基本はTokiQのメンバーがコアとなる合奏協奏曲集みたいなもの。オランダで活動していた人達が結成した団体とはいえ、英国で埋め尽くされた演奏会ですわ。日本各地に存在する「室内管」の場合は、どうしても管楽器メンバーの存在を無視できませんから、こういう弦楽合奏ばかりのプログラムは組みたくてもなかなか組めない。英国系弦楽合奏ばかりで埋められたプロの室内合奏って、案外と激レアかもね。

んで、実質上の監督たる平山さんが猛烈にプッシュするのは、ティペットの《コレルリの主題による協奏的幻想曲》。ご本人曰く、「ともかくもうこれがやりたくてやりたくて」だそうです。

どんな曲なのか、今時はあっという間に音が引っ張ってこれるんで、ほれ、ご覧あれ。ボストンのジョーダン・ホールでの若い人たちでの再現ですな。懐かしいなぁ、ホント、昔は俺んちだった会場じゃわい。

東京からも余裕で日帰り出来ますので、英国音楽に関心のある方、弦楽四重奏をコアとした音楽の形に関心がある方は、新幹線代借金しても行く価値ありじゃわい!

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居候アナグマといる夏休み [ゆふいんだより]

ちょこちょこと荷物を取りに来るみたいな感じで温泉県盆地には戻っていたものの、気分としては2ヶ月まるまるだった引退宣言撤回後初の現役時代のようなツアーを終え、去る火曜日午後に終の棲家となるであろう温泉県盆地オフィスに戻りましたです。

流石にガッツリ高齢者となったこの歳、引退宣言前の調子で「移動移動の間に、目の前の取材とはまるで無縁の商売作文の〆切が数日毎にやってくる」という生活は猛烈に厳しく、これはもう無理と体感したのは収穫だったと言えましょう。現実問題として、現状の収入で万単位の高額チケットなど購入不可能故に、オペラ関連はもう商売としても趣味娯楽としても関わらない。商売のフィールドは「室内楽、一部の現代音楽、芸術団体&音楽祭運営」に絞って、他は基本受けない。とはいえ一方で、入島税みたいな「キューシュー島と隣接半島南の音楽文化活動の歴史と現状」という新しいやたらとメンドーなテーマが出来てしまったわけで…いやはや、もうちょっとなんとかならんかねぇ。

っと、愚痴はここまで。なにせこの2ヶ月の長期ツアーの疲労を取るのも、かつてのように1日爆睡すれば戻るというわけにいかず、「7月半ばの連休明けまでは仕事の連絡は一切しない」完全休暇状態にしております。連絡いただいている皆様、死んでるわけではありません、来る火曜日以降、きちんと返信いたしますので、お許しを。要はやくぺん先生の世を忍ぶ外の人、「7月9日から15日までは夏休み中です」ということじゃわい。

とはいえ、そろそろリハビリしないと作文なんぞが出来なくなりそうなんで、ウォーミングアップの雑談なのであーる。以下、全く内容はありませんので、読んでも時間の無駄ですから、さっさとお帰り下さいな。

※※※

やくぺん先生の外の人が諸処の事情で「終の棲家」とすることにしてもーたここ温泉県盆地の北西斜面は、大分道湯布院インターから真っ直ぐ降りてくるのが最も近く、ディスカバージャーパン頃から「大分一村一品運動街興し」の先駆けみたいなことをやった老舗旅館らからは駅を挟んで正反対。観光地の雑踏とは無縁な田圃の中、最寄りコンビニまで徒歩25分の田舎集落でありまする。

隣は新興最高級旅館の従業員宿舎で、その向こうは旅館の若旦那が半分趣味みたいなDIYでオープンした古民家カフェ。由布岳の方に向けては別の高級旅館の裏の田圃&畑が広がり、反対側の我が家の小さな畑というか野っ原の向こう一帯も旅館オーナーさんの土地ながら、実質使ってない荒れ木立。久大線線路の反対には我が陸軍の低層アパート型官舎が2棟聳え、その奥が高級温泉旅館、その向かいはデカいお寺…という立地。コロナ禍であれよあれよと譲り受けたときに既に築40年の小さな古い平屋ながら、以前お住まいだったご隠居がきちんとした方で、家の手入れは非常によろし。そればかりか、庭木がお好きだったらしく、敷地に比べ濃密に植えられた木は多種多様。緑生え出る夏ともなれば、ちょっとした森に埋もれた状態になるのでありまする。

当然、雑草は生え放題で、由布岳側の畑との間に松やら紅葉やら梅やらサルスベリやら栗やら杉やら巨大すぎる桜やらプチ植物園が如く並ぶ下は、深い藪になってしまっている。

盆地の縁をぐるり半周する久大線線路側の日出生台に向けた山麓から、大分川が真ん中に流れ田圃が広がる盆地の中央へと降りようという野生動物たちにとっては、どうやら我が庵を囲むこの藪と荒れ木立とが格好の通路になっているようなのでありまするわ。

畑の側をイタチどんやらが走って行く姿はオフィス開設後から盛んに見かけたのですがぁ、どういうわけかこの春頃から、近所の野良やら家猫やらが盛んに往来するこの獣道を、ムジナ系の中型犬くらいの野生動物が動いているのを見かけるようになった。今となって思えば、4月半ばに震度5くらいの大きな地震があった翌日、体毛が全くなく、どうみても皮膚の病気としか思えぬムジナ系の奴がほーほーご飯台下に出現したのを、仕事机から目撃したのが始まり。すっかり裸な痛々しい姿で、ノコノコと仕事場目の前のほーほーさんレストランの下にやってきて、昨年の冬以来すっかり我が家の居候になっている足の悪かったキジバト「アホ毛くん」が食い散らかし下の落としたトウモロコシを喰らっておった。
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皮膚病の狸が昨晩の地震で穴を追われ里に出てきてしまったんじゃろか、あの様子ではこいつは先は長くなかろう。昨晩は怖かったじゃろが、この地上での短い命の最後に、盆地には自生してない大好物がちょっとでも食えたならよかったんじゃろなぁ、成仏してくれよ…くらいに思っておりましたです。

狸だかなんだか知らんが、どうなったかなどすっかり忘れていたその数週間後のゴールデンウィーク終わり頃、どうもあの裸のムジナらしき奴が、ふさふさと体毛を整え藪から縁側の下をまわって玄関先からこっちを覗いてるじゃあないかい。
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おお、お前、なんとか生き延びたのかぁ、良かったねぇ。おいおい、こっちにくるんかぁ…
縁側下に沿ってノコノコと仕事場真下にやってきて、「なんかくれないの?」とこっちを眺めて、直ぐに走って藪の方に戻っていきました。写真データを調べるに、5月4日のことだったようじゃ。どうやら日本アナグマさんのようじゃわい。

かくて地獄の8週間ツアーに突入。ツアー開始後から4週目くらいに数日戻ったとき、また暫く留守にしますのでよろしく、と顔を出したお隣の古民家カフェのマダムから「やっぱり狸みたなものいますね…」という話があったものの、ああ奴はまだこの辺りをウロウロしてるのかぁ、くらいに思ってた。それなりに元気になって周囲の獣道を動いているなら、ま、それはそれでよかろーて。ほーほーさんご飯場に強引に登ってひっくり返す感じもないし、とはいえ夏になったら畑の西瓜やメロンを食われないように対策くらいはせにゃなぁ…

年寄りの時間は笑っちゃうくらいあっという間に流れ、先週末、ツアーを締め括るシュタルケル祭が新帝都は溜池で最後の盛り上がりを見せていたとき、留守の庵の畑の世話に入って下さった我らがハイパー庭師さんから緊急の連絡がありました。草刈り作業を終え引き上げようとしていると、裏の水場からアナグマがひとつ、ノンビリ歩いてきてテラス下に潜っていく瞬間の目撃写真付きじゃわい。
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どうやら糞塚を作っているようだけど、そちらの処理まで出来てません、とのこと。

おおお、あいつ、まさかと思うがこの数週間の間に住み着いたか、とは思ったものの、どうするもこうするもないわい。ま、戻ったら暫く完全休暇にするつもりだから、そこで考えましょ。小さなシロート畑も馬鈴薯収穫は無事に終わったようだし、西瓜はまだだし、どうやら今年は雨が多過ぎでメロンはダメそう。畑に張り付いてないと無限に実っちゃう夏野菜は、幸いにもうちではやってないしさ。テラスの向こうの楓の木の下に、キッチンから出たくず野菜を肥料としてポイポイ捨てるのは、ご飯やってるとアナグマくんやらイタチどんに思われたら困るから、止めるべきじゃろなぁ…

そんなこんな、二月分の紙モノ資料で20㎏を超えるキャリーバッグを引っ張って新帝都から戻ってみれば、線路際の裏の水場から猛烈な異臭がしておるわい。なんと、倉庫と風呂場の間の水場の下に、巨大なアナグマの糞塚が盛り上がって、幸運にも消化されなかったミミズ類がのたうちまわっておるではあーりませんかぁ。流石にオソロしくて写真はアップいたしませんですぅ。

まずい、これはまずい、留守の間にアナグマさんの生活圏にされてしまったわい。幸いにも水場の脇なので、溜まった糞塚を巨大ウォシュレットのようなホースの猛烈な水流で線路際土盛に流し出し、キッチンのファブリーズをぶちまけるも、とてもじゃないがこれではダメであるなぁ。

庭師さんの目撃情報からするに、水場へと到る倉庫とニンゲン様の風呂場の間をノコノコ歩き、テラスの下を潜って藪の方に向かう道を作られたようじゃ…とテラス下を覗いたら、おおおおおおおお!
寝とるじゃないかぁあああ!

フカフカの楓の枯れ葉ベッドの上にノンビリ横たわり、お腹には暖かいレジ袋をかけ、アナグマさんがすやすやお休みなさっていらっしゃるではないかい。

それから今に至る数日、新帝都のお嫁ちゃまや福岡某所の庭師さまと連絡を取り合い、ともかくひとりでやれる対策として木酢液なるムジナ類が嫌いな匂いのする液体を撒き、撤収を願うことにする。それまでは、昼間になれば戻って来て昼寝してるアナグマさんの真上にロッキングチェア引っ張り出し、気配を覗いつつ仕事とまるで無縁な娯楽系読書三昧。部屋に籠もる間も、数時間事に糞塚とテラス下を覗いては状況確認。新たな塚が出来ていたら即座にウォシュレット…を繰り返す日が続く。雨が嫌いな方だそうじゃて、朝からずっと雨だった一昨日だかはどこかで振り込められていたらしく、昼間の寝床には戻らなった。なるほど、ここはどうやら別邸なんかい。

そうこうするうちに、遙か盆地の田舎までもクロネコさんが運んで下さった木酢液が到着。
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早速、1800㎖くらい、そこいら中にぶちまける。炭を更に燻したような匂いがたちこめ、なるほど、この液体はムジナ類の遺伝子に深く刻まれたカチカチ山の悪夢を思い起こさせるのじゃな、などと思いつつ、これでもう返ってこないじゃろ、この緑萌え出る梅雨の季節は怖い犬やらも来ない場所でノンビリ過ごせて良かったねぇ、なーんて終わった終わったと気楽になってたらぁ…

昨日午後に再び糞塚を発見、ガッツリ就寝中のお姿も確認したのでありましたとさ。ううううむ、剛の者なり。

本日は、朝にうんちをして出ていったようで、その後は夕方まで戻っておりません。梅雨の終わりの猛烈な豪雨が何度が襲ったので、またどこかで降り込められているのでありましょう。

さても、休暇宣言の期間も明日でオシマイ。明後日以降、音楽祭までの2週間弱の間にも、博多に行ったり、ことによったら宮崎やら熊本、はたまた北九州への1泊くらいでの取材が入る可能性がある。お嫁ちゃまがやってくる10日後までの間に、なんとか居候アナグマさんは退去して下さるやら。

ちなみに、余りの荷物の重さに駅前バスセンターから歩くことを諦め、拾ったタクシーで「アナグマが出てるらしいんですわぁ…」と愚痴ると、うんちゃん応えて言うよう「ああ、アナグマは美味しいですよ、狸は不味いですけどねぇ」。

これが田舎暮らし、なんじゃわなぁ。

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お詫びと訂正:「シュタルケル自伝」付録CDについて [お詫びと訂正]

本日、恙なく、というか、いろいろあったけど、というか、とにもかくにも「ヤーノシュ・シュタルケル生誕100年日韓フェスティバル」が終了しました。関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。

さても、このフェスティバルの日本公演で当日配布されたプログラムノート記述に、2カ所、些かの混乱を招く表記がありました。以下、お詫びして訂正いたします。

◆『シュタルケル自伝』付録CDについて
当日プログラム曲目解説、ブラームスとポッパーの記述の中に、「シュタルケル自伝の付録に練木と録音したCDが付いている」という趣旨の記述をしております。この記述を眺め、おおおお、と慌ててAmazonを開けて、あったあったとこちらから注文する方もいらっしゃるやも。
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%AB%E8%87%AA%E4%BC%9D-%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%83%A5-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%AB/dp/4750003409

ところが、届いた本には、オマケのCDなど付いていません。なんなんだこりゃ、ってお怒りになるでしょうねぇ。

実は、この「CDの付録が付いた自伝」とは、インディアナ大学出版から出ているオリジナル本のことです。日本語訳には、無論、付いてませ!!スイマセン、原稿書いたとき、手元にオリジナル本しかなく、日本語訳本はどうなってるかチェックしませんでした。
https://www.amazon.co.jp/World-Music-According-Starker/dp/0253344522

オマケCDについて、そのまま解説らしきものをコピペすると

"Also includes a bonus CD recording of Starker's last public recital, which is unavailable commercially and includes his only recording of the Strauss Sonata in F, Opus 6.

Included on the CD:
Richard Strauss, Sonata in F, Opus 6
Ludwig van Beethoven, Sonata in C major, Opus 102 no. 1
Johannes Brahms, Sonata in E minor, Opus 38
Franz Schubert, Sonatina in D, Opus 137 no. 1 (Starker edition)"

だそーな。最後の公開演奏のライヴで、商業発売はしていないそうな。
IMG_E9165.JPG
このCD、なんとなんと演奏なさっている練木さんも存在を知らなかったそうで、サントリーホールで曲解を読んで「ええええ」とお思いになったそうです。要は、商業販売ではないので契約書とかもなにもなかったということですな。

そんな類いのものですので、文字通りのオマケ、海賊盤を含め市場には流れていない。Amazonでお買いになるときは、くれぐれもお気を付けて。古本の場合は、付いてないと考えた方がいいでしょうね。どうやら豊洲のAmazon倉庫に1冊だけあるみたい。超レアものかもよ。

◆カザルスホール録音DVDについて
コダーイとバッハの記述に、「カザルスホールで収録された演奏のLDは、今ではDVDとして手に入る」と記しております。これ、これまたAmazonなどで検索しても、そんなの出てこないという声があったとのことです。

で、関係者様に問い合わせたところ、こちらが今日現在、通常に入手出来るようになっているとのことでした。
https://www.hmv.co.jp/artist_-%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%90%E3%82%B9_000000000049011/item_Starker-Cello-Recital-1988-Tokyo-j-s-bach-Kodaky-Cassado_5667776

以上、取り急ぎ、お詫びと訂正でした。

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シュタルケル100年祭記念特別掲載:独占インタビュー後 [演奏家]

シュタルケル百年祭、東京2日目が終わりました。で、昨日の続きのシュタルケル・インタビュー後編です。ご堪能あれ。

◆作曲家の言葉を喋る必要があります

--演奏上、プロとディレッタントは何が違うのでしょうか。
シュ 音楽は基本的には言葉です。ブラームスの言葉はバッハとは異なっていますし、シューマンともバルトークともマルティヌーとも違う。私達はそれらの言葉全てを学ばなければなりません。ひとたび言葉を知ったならば、プログラムにブラームスがあれば、座ってブラームスの言葉で演奏します。マルティヌーであれば、その言葉を用いる。
 私の人生で数千回以上オペラ演奏で弾いたことがあります。シンフォニーコンサートで首席チェロ奏者として、数千回以上弾いていました。ベートーヴェンのソナタを習っただけでベートーヴェンのソナタを演奏するのではない。ベートーヴェンの9つの交響曲や、弦楽四重奏曲やトリオ、《フィデリオ》など他の全てを知っているのです。私はそれらの作品を演奏した。その結果として、この作曲家のチェロ作品をどう弾くべきかを決定した。チェロという楽器を基本にしてではなく、その作曲家の作曲活動全体の中において考えるのです。音楽を創ることの上での様々な違いとなるわけです。
 ディレッタントは、全て同じ言葉を用います。時には、ディレッタントの言葉のほうがより華麗で、より美しいことがある。彼らはその作品が求める言葉を実際は用いないのですからね。
 先日私はピッツバーグ交響楽団の演奏会を聴きに行きました。ロリン・マゼールが指揮していました。彼は音楽の全体像を理解している、数少ない指揮者の一人です。こうやってフォルテッシモを出すとかだけじゃなくて、その作曲家がその作品の中で書いているどんなに小さな音符でも理解しています。彼はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を伴奏していましたが、オーケストラ伴奏の部分で、彼は独奏者がしていた以上にチャイコフスキーを演奏していました。独奏者も立派でしたが、音楽全体像の理解はそこには無かった。(編集部注:独奏者諏訪内晶子)
--つまり、マゼール氏はプロフェッショナルである、と。
シュ 彼はプロフェッショナルです。プロフェッショナル以上ですね。作曲家が書いていることへの総合的理解の点でね。
 他の全てのことと同様に、音楽も様々に異なった複数の水準で考えられるべきものです。若い演奏家が舞台に出て、弓を完璧に操る。確かに「ブラヴォー」ですね。しかしその彼方には、まだ別の高みが存在している。ですから教師は、生徒があるレヴェルに達したら、「ブラヴォー」と言って手を叩きながらも、別の水準では全てがダメということだってある。

◆私は詩的な言葉では語りません、音楽で詩を語りたいのです

--人は音楽の頂点に達することが出来るとお考えですか。
シュ 誰も今まで頂点に達したことはありません。進化の過程にあるのです。しかし誰でも、その人が生きている限り、高く高く達しようとしています。
--哲学的な質問かもしれませんが、シュタルケルさんにとって「音楽の頂点」とは一体何なのでしょうか。
シュ 楽譜に対する総合的な理解です。まず最初は、チェロでもヴァイオリンでもピアノでも、楽器をコントロールすること。自分がやりたいことを完全に出来るようにすること。次に、音楽的法則の全てを知る必要があります。良い音楽は法則を持っています。音符の価値や、ダイミックの指示が何を意味するのか。それらを学ぶ必要がある。その過程において、作曲家による言葉の違いが判るようになります。その後に、それらの全てを修得した最後に学ぶべきレヴェルとして、あなた自身の個性的な意見を加えることになります。この作業を詩的に表現する人もいますが、詩的になる必要はない。音楽自身の中に詩があるのです。あなた自身が、他の人とは違ってその作品の中に見るものがあるはずです。
 重要なのは、最後のレヴェルに至るにまでに、技術と、音楽法則や素材に対する理解はまず完璧なものとすることです。そうして初めて、それらを超えたところに行くことが出来る。音楽をとても詩的に感じることが出来て多くを語ることが出来る人でも、最初の二点を踏まえねば、音楽を誤って理解し、楽器を誤って用いているならば何にもならない。
--アマチュアでも三つめのところまでいくことが可能ですか。
シュ アマチュアでも可能です。完全なコンビネーションは、ハイフェッツとオイストラフの結合ですが(笑い)。
--第3のレヴェルは教育が不可能ですか。
シュ 私にですか?誰にも不可能です。人の中にあるものを引き出し、それを助けることは可能ですが。しかし教師としては、第1と第2の点を決しておろそかには出来ない。多くの教師は第3のレヴェルばかりを教えようとするんですがね。
--シュタルケルさんはその第3のレヴェルを「神」とか「平和」とか「愛」とかの言葉で語りはされないのですね。
シュ 私はそうは言いません。私は詩的な言葉では語りません。音楽で詩を語りたいのです。私は音楽について詩的に語りはしません。実にに多くの音楽家が第3のレヴェルを語るとき、若い人が凄い美人に始めて出会った時みたいになりますね。私はそうはならない。「さあテンポを確認して下さい。ここには大きな休符があり、長い時間を取る必要がありますからね。それからクレッシェンドがあるから、途中で止まらないで」って言います。
--プロフェッショナルの言葉ですねぇ。
シュ プロフェッショナルなオーケストラの中にいて、指揮者が来て、息も絶え絶えに「ブラームスが欲しいものを感じて下さい」(身体を捩る)というよりも、器械的に「クレッシェンドして」っていうでしょう。私自身が私の中に探している詩的なものは、それとは違ったものです。詩的なものは、言葉でではなくて、音の響きの中にやって来なければなりません。
--堤さんとの対談で、「音楽のあらゆる面を言葉で表現出来る」、とおっしゃっていますが、それは今の第1と第2のレヴェルということなのですか。
シュ 詩的なイマジネーションの部分でも、何をし、何をしようとしているのかによって説明出来ます。説明出来ない唯一のことは、何故この人がこういうことをしているのに、別の人はこういう風にしているのか、です。8歳の子供がある作品を演奏して、その演奏が如何に美しいかを言葉で説明しようとしても、8歳の心の何処からそんな美が出てきたかは理解出来ない。それはミステリーなのです。ですが実際に起きたことは、分析的に語ることは出来る。レコードを聴いても、何をしているのか言葉で記述出来ます。何故ある人がこう考え、別の人がそれとは違って考えているのか、は理解不可能です。
--第3のレヴェルを育てる為に、若い音楽家は音楽以外のことを学ぶべきだとおっしゃられるのですか。
シュ 文学とか、美術とかをね。堤さんのことで言えば、彼にフランス音楽を教えている時には、絵画を見せに行きました。

◆音楽は生きることの一部です

--最後に、あなたにとって音楽において最も重要なものは何なのでしょうか。
シュ 音楽とは、食べることや飲むことや性行為をすることと同様に重要なものです。それ自身が私の最も重要なものであり、それなしには生きていくことは出来ないでしょう。
--では、自分が音楽家として生まれついているとお考えですか。
シュ 私が良い演奏家であるか、ということならば、その通りです。そしてプロフェッショナルです。有名かとか、成功しているか、とかの商業的な意味ではない。ある水準に達した音楽家は、区別分けの超えたところに存在するようになるのです。誰がいちばん素晴らしいピアニストかなど判らないでしょう。ルビンシュタインかリヒテルかホロヴィッツか、なんて。誰が好きだ、と言えるだけです。ひとたび区別分けを超えた所に到達したならば、その音楽家はしようと思うことが出来るのです。
 みんなソロ活動することの重要性を違って考えていますね。聴衆の心理としては、ステージ上の演奏家は魅惑的な喋り方をして欲しい。しかし私はそんな部分は好きじゃない。ですから、大学町に住んで、大学教授となり、世界へと演奏会に出ていく。しかし明日の晩になれば、私は魅惑的なコンサートを終わりにして、飛行機に乗って家に帰れるのです。そして犬と遊んで、一緒に飛び跳ねることが出来る。それから、壊れている器械をやっと直せる。
--演奏会前に、長々とどうもありがとうございました。
シュ あ、そうそう、カザルスホールで演奏するのは全く楽しかったですよ。ホールも音響も素晴らしかった。ただ、もう少し大きいといいんだけど。
--小ささが特徴の一つということになってるんですが・・・
シュ 確かに小さいと、聴こえるかどうかを心配しなくてもすみますね。しかし小さいと2回演奏しなきゃならない。次はもう少し大きなところか、じゃなきゃ2回の違ったプログラムじゃなくして欲しいって、昨日マネージャーにも言ったんだ(笑い)。今度のツァーみたいに沢山のプログラムを演奏するにはもう歳だよ。

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シュタルケル100年祭記念特別掲載:独占インタビュー前 [演奏家]

本日2024年7月5日は、ハンガリー生まれのアメリカ人チェロ奏者ヤーノシュ・シュターカー(以下、日本の慣例に従い「シュタルケル」と表記します)100歳のお誕生日であります。

このお目出度き日を祝い、シュタルケル氏独占インタビューを再録いたします。1991年5月28日、神原音楽事務所の招聘で日本を訪れ公演を行っていたシュタルケル氏に、松本ハーモニーホール楽屋で行ったインタビュー。媒体は「カザルスホール月刊会報誌フレンズ」で、現在は媒体も発行人のカザルスホール企画室アウフタクトも存在しておりませんので、ここに発表しても著作権の問題などはないと思われます。問題があれば即刻掲載を中止しますので、ご連絡ください。

約1時間に及んだインタビュー、当初は全文オリジナル掲載も考えましたが、シュタルケル氏逝去の祭に某Webマガジンに原文をアップしたこともあるため、今回は『フレンズ』誌に2号に分割して掲載された原稿段階でのテキストを、本日と明日の2回に分割してアップいたします。まだまだお元気バリバリだったシュタルケル御大、いきなり若造やくぺん先生を怒鳴りつけてますねぇ。では、ガッツリお読みあれ。

※※※※

経歴:1924年ブタペスト生。6歳でチェロを始める。1946年、動乱の祖国を去り西側へ。この頃バルトークの息子のプロデュースで録音したコダーイの無伴奏ソナタはセンセーションを巻き起こした。ドラティに呼ばれ渡米、アメリカ市民権を得る。ダラス響、メトロポリタン歌劇場、シカゴ響の首席チェロ奏者を歴任。現在は、完璧な技法を誇る巨匠芸と平行し、インディアナ大学教授として堤剛ら多くの生徒を指導している。近年BMGと契約、ドヴォルザーク、ウォルトン、ヒンデミットなど大曲の録音が続く。

プロフェッショナルとは、与えられた状況において可能な限り完全に、必要とされたことをする存在なのです。私は与えられた条件で可能な限り自らを表現することが出来ます。

ヤーノシュ・シュタルケルも、今や最後の大チェリストの一人となってしまった。とはいえ円熟という言葉はふさわしくない。低い早口で繰り出される短かく鋭いフレーズは、67歳になった今も50代の働き盛りを思わせる。長いアジア演奏旅行の最後となる演奏会直前、疲れていると繰り返しつつも、しっかりインタビュアーを手玉に取ってくれた。老いない演奏共々、プロの鏡。

◆私のバッハはハンガリー風ではありません

--シュタルケルさんの、特にバッハの演奏からは、故郷であられるハンガリー風のリズムが聴こえるような気がしたのですが。
シュ そうは聴かれたくはないですねえ。そう聴こえないことを期待しているのですが。バッハはコダーイとは違って聴こえて欲しい。ハンガリーで私が受けたフランツリストアカデミーの教育は、古典的で最も鍛え抜かれたものでした。ですから、私はバッハを演奏するとき、「バッハはどう弾かれるべきか」と考えて演奏するのであり、バッハがどう弾かれてきたかではない。演奏するのは私が見るバッハであり、ベートーヴェンとも、ブラームスとも、モーツァルトとも、チャイコフスキーとも違います。ましてや決してハンガリー風な音楽などではありません。ハンガリー風とか、フランス風とか、日本風とかいう区別などないのです。あるのは、ある人があるやり方で音楽を演奏し、また別の人が別のやり方で演奏する、という事実があるだけです。

◆演奏は好みの問題ですが、教育は音楽的原理となるのです

--はあ。で、ここに堤さんの本がありまして、その中には88年のあなたとの対談が収録されているのです(堤剛著「私のイリノイ日記」音楽之友社)。その中で「チェロの芸術性は、まだ頂点に達していないと感じている」とおっしゃられているのですが。
シュ 「良くない」というのではありませんよ。「未だに無限のところにある頂点というゴールへ向かっている途上である」という意味です。
--では、そのチェロの頂点へ向かっての歴史という視点の中で、カザルスとはどんな演奏家だったのでしょうか。
シュ 答は明解です。カザルスなしには私たちチェリストは存在しません。カザルスは現代のチェロ演奏を始めた人です。ですから、彼はチェロ演奏史の中で最も重要な人物です。彼は、言うなれば、最初にチェロを舞台に載せた人物です。独奏楽器としてのチェロの在りようを創った人です。その前は、チェロは実際には独奏楽器ではなかった。我々が今日知っているチェロ演奏の在り方というものは、カザルスと共に始まったのです。勿論それを超えて、彼は偉大な芸術家でした。
 6歳でチェロを始めた頃、私の師がカザルスの良い友達だったので、演奏会の後でカザルスに紹介されました。彼はこことここにキスしてくれて(額と頬を指さす)、私は1週間そこを洗わなかったね。その後もプエルトリコやシカゴで会っています。
--教師としての関係はなかったのですね。
シュ ありません。私はチェロの学習を15歳で終わりにしています。それ以後は西洋古典や語学や歴史は学びましたが、チェロを学んだことはありません。室内楽はピアニストやヴァイオリニストと学びましたし。
--ブダペスト時代から、シュタルケルさんは本当に多くの生徒を見ていらしてますね。ではそんなあなた自身を、チェロ音楽史の中で如何なる存在だとお考えになられておりますか。
シュ 9歳の時に、私は自分で可能な限りチェロを演奏してゆこうと決心しました。私をそう思わせてくれた素晴らしい音楽教師やチェロ教師に巡り会えて、本当に幸せだったと思っています。ですから、私の教育者としての責務は明かです。教育とは他の何にも増して重要なことなのです。もしも何かを信じたならば、その信じるなにものかが保持され、将来に向けて保たれていくのを目にしたいと考えるでしょう。チェロ奏者にとってそんなことが出来ることは、教えることだけです。これまでに私は100回以上のレコーディングを行ってきました。人々がそれらの録音を聴いて気に入るかどうかは、趣味の問題です。しかしこと教育の効果の場合、教師は基本的な音楽的原理となるのです。

◆録音は記録です

--録音も教育活動なのですか。
シュ そうねぇ、その質問を哲学的なものとしたいのならば、ある意味ではそうだともいえますね。何故なら、録音とは記録であるからです。判りますか。人生のこの瞬間において、この音楽作品を私はこの様に考えている、ということの表明ですから。
 録音はコンディションが理想的です。今晩私はコダーイを演奏しますが、コンディションは理想的ではない。どんな失敗をするかも知れない。レコーディングは演奏家に、彼が録音の瞬間に何を考えていたのか再評価することをを許してくれます。あるいはコンディションが最高の仕事をすることを妨げたかもしれない。それが厭なら、もう一度録音すれば良い。単に音が違っていたとかいう問題だけではありませんよ。テンポでもダイナミックスでも、気に入らなければもう一度演奏することが出来ます。レコーディングスタジオから歩み出た時、人生のこの瞬間において、これが私がこの作品に対して考えていることである、と宣言することが可能です。第一の目的は芸術的記録ですが、そう考えるなら、レコーディングも教育とも言えますね。
--記録ならば同じ作品を何度も録音することが可能ですね。
シュ 4年、5年、10年と経つうちに、その作品に対し違った興味を持つようになりますから。私はバッハの組曲は4回録音してきています。毎回関心のありようは違っていました。全く初めての録音には、音楽の変化が多かった。若い演奏家にはよく見られることですが。今聴けばあまりに早過ぎたり、ある部分はあまりに遅すぎたりしていると感じるでしょう。ダイナミックスは大きすぎるし、あれこれ「余りにも」というところが発見されます。ですが、技術的完全性には疑問の余地がありません。最初はその人にとって可能な限り技術的に完璧に作品を演奏しようとするものなのです。それが後になって、上手に演奏出来るようになると、完璧さはあまりにも重要なことではないと思え始めます。今日の演奏もそうでしょうね。あなたが聴きながら楽譜で演奏を調べても、それでもまだ充分OKというほどには演奏しますがね。ですが、もっと重要なのはメッセージなのですよ。
 で、次の録音では、音楽の構成やバランスなどがより重要となっています。今では、音色やメッセージや語り口など全ての音楽的要素が、書かれている楽譜に変更を加えることはなくても、音楽家その人がその作品に何を見ているのかを表現しています。ですから、録音での変更は最小限のものとなってきます。完全さとは違ったことが重要になる。
 ドヴォルザークの協奏曲も3回録音していますが、私が今回やったことは私が35年だか40年だか前にしたことよりもより良いのかどうかは言えません。違いというのはそのようなものではないのです。35年前はそう思わなかったが、今ではより重要と思えるいくつかの要素があるのです。

◆プロフェッショナルとは

--教育、録音と質問してきましたが、聴衆の前で演奏するのはお好きですか。
シュ 私には4つの異なった仕事があります。まずは、聴衆の前で演奏すること。第2は教育。第3は録音。そして4番目の仕事は著作活動です。4つの異なった活動をしていて、どれが重要かなんて言えませんね。私の人生を考えて重要なのは、私がこれらの仕事を全てやっていることです。その4つをすることが私を他の人とは違った人格にしているのでしょう。私はプロフェッショナルです。
--その言葉は、堤さんとの対談でも非常に重要なものでしたね。
シュ プロフェッショナルという言葉は、往々にして人々がきちんと理解していない言葉です。何がプロフェッショナルなのか?プロフェッショナルとは、一貫したものを持った人物のことです。求められたことを求められた瞬間に行い得る人物です。ディレッタントが素晴らしい芸術家であることも可能です。しかし、急に求められた全てを上手に演奏することはない。ホールが気に入らないとか、誰とやるのかなどで、上手に演奏しなくなる。演奏家は2年も3年も先のある日の演奏会のプログラムを要求されたり、あるいは決められていたりするものです。そう、今晩の演奏会でいえば、私は全くコダーイに心を集中しています。バッハはなんとかなるでしょうが、今日のコンディションではコダーイはねぇ・・・。ですが私はプロフェッショナルだ。演奏する必要がある。聴衆に向かって「今日はやる気がしませんので、別の曲をやります」と言う訳にはいかない。プロフェッショナルとは、与えられた状況において可能な限り完全に、必要とされたことをする存在なのです。教育なら教育に、録音なら録音においても。 私は与えられた条件で可能な限り自らを表現することが出来ます。
 プロフェッショナルとしてもう一つの重要なことは、何をするのであれ私はそれを説明出来るということです。それが教師であることの根拠にもなります。生徒に、「良く聴いて私がやるように演奏するのだ、その方がもっと良いから」とは言わない。私なら、「あなたが演奏するとして、このやり方とこのやり方とこのやり方の何処が違いますか?」と質問します。「あなたはこのやり方で演奏したいのですね。では、ここはより長くするのかね、それとも短くしなければならないのかね?」とね。そんなやり方をする故に、私はプロフェッショナルの教師で有り得るのです。

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