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シュタルケル100年祭記念特別掲載:独占インタビュー後 [演奏家]

シュタルケル百年祭、東京2日目が終わりました。で、昨日の続きのシュタルケル・インタビュー後編です。ご堪能あれ。

◆作曲家の言葉を喋る必要があります

--演奏上、プロとディレッタントは何が違うのでしょうか。
シュ 音楽は基本的には言葉です。ブラームスの言葉はバッハとは異なっていますし、シューマンともバルトークともマルティヌーとも違う。私達はそれらの言葉全てを学ばなければなりません。ひとたび言葉を知ったならば、プログラムにブラームスがあれば、座ってブラームスの言葉で演奏します。マルティヌーであれば、その言葉を用いる。
 私の人生で数千回以上オペラ演奏で弾いたことがあります。シンフォニーコンサートで首席チェロ奏者として、数千回以上弾いていました。ベートーヴェンのソナタを習っただけでベートーヴェンのソナタを演奏するのではない。ベートーヴェンの9つの交響曲や、弦楽四重奏曲やトリオ、《フィデリオ》など他の全てを知っているのです。私はそれらの作品を演奏した。その結果として、この作曲家のチェロ作品をどう弾くべきかを決定した。チェロという楽器を基本にしてではなく、その作曲家の作曲活動全体の中において考えるのです。音楽を創ることの上での様々な違いとなるわけです。
 ディレッタントは、全て同じ言葉を用います。時には、ディレッタントの言葉のほうがより華麗で、より美しいことがある。彼らはその作品が求める言葉を実際は用いないのですからね。
 先日私はピッツバーグ交響楽団の演奏会を聴きに行きました。ロリン・マゼールが指揮していました。彼は音楽の全体像を理解している、数少ない指揮者の一人です。こうやってフォルテッシモを出すとかだけじゃなくて、その作曲家がその作品の中で書いているどんなに小さな音符でも理解しています。彼はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を伴奏していましたが、オーケストラ伴奏の部分で、彼は独奏者がしていた以上にチャイコフスキーを演奏していました。独奏者も立派でしたが、音楽全体像の理解はそこには無かった。(編集部注:独奏者諏訪内晶子)
--つまり、マゼール氏はプロフェッショナルである、と。
シュ 彼はプロフェッショナルです。プロフェッショナル以上ですね。作曲家が書いていることへの総合的理解の点でね。
 他の全てのことと同様に、音楽も様々に異なった複数の水準で考えられるべきものです。若い演奏家が舞台に出て、弓を完璧に操る。確かに「ブラヴォー」ですね。しかしその彼方には、まだ別の高みが存在している。ですから教師は、生徒があるレヴェルに達したら、「ブラヴォー」と言って手を叩きながらも、別の水準では全てがダメということだってある。

◆私は詩的な言葉では語りません、音楽で詩を語りたいのです

--人は音楽の頂点に達することが出来るとお考えですか。
シュ 誰も今まで頂点に達したことはありません。進化の過程にあるのです。しかし誰でも、その人が生きている限り、高く高く達しようとしています。
--哲学的な質問かもしれませんが、シュタルケルさんにとって「音楽の頂点」とは一体何なのでしょうか。
シュ 楽譜に対する総合的な理解です。まず最初は、チェロでもヴァイオリンでもピアノでも、楽器をコントロールすること。自分がやりたいことを完全に出来るようにすること。次に、音楽的法則の全てを知る必要があります。良い音楽は法則を持っています。音符の価値や、ダイミックの指示が何を意味するのか。それらを学ぶ必要がある。その過程において、作曲家による言葉の違いが判るようになります。その後に、それらの全てを修得した最後に学ぶべきレヴェルとして、あなた自身の個性的な意見を加えることになります。この作業を詩的に表現する人もいますが、詩的になる必要はない。音楽自身の中に詩があるのです。あなた自身が、他の人とは違ってその作品の中に見るものがあるはずです。
 重要なのは、最後のレヴェルに至るにまでに、技術と、音楽法則や素材に対する理解はまず完璧なものとすることです。そうして初めて、それらを超えたところに行くことが出来る。音楽をとても詩的に感じることが出来て多くを語ることが出来る人でも、最初の二点を踏まえねば、音楽を誤って理解し、楽器を誤って用いているならば何にもならない。
--アマチュアでも三つめのところまでいくことが可能ですか。
シュ アマチュアでも可能です。完全なコンビネーションは、ハイフェッツとオイストラフの結合ですが(笑い)。
--第3のレヴェルは教育が不可能ですか。
シュ 私にですか?誰にも不可能です。人の中にあるものを引き出し、それを助けることは可能ですが。しかし教師としては、第1と第2の点を決しておろそかには出来ない。多くの教師は第3のレヴェルばかりを教えようとするんですがね。
--シュタルケルさんはその第3のレヴェルを「神」とか「平和」とか「愛」とかの言葉で語りはされないのですね。
シュ 私はそうは言いません。私は詩的な言葉では語りません。音楽で詩を語りたいのです。私は音楽について詩的に語りはしません。実にに多くの音楽家が第3のレヴェルを語るとき、若い人が凄い美人に始めて出会った時みたいになりますね。私はそうはならない。「さあテンポを確認して下さい。ここには大きな休符があり、長い時間を取る必要がありますからね。それからクレッシェンドがあるから、途中で止まらないで」って言います。
--プロフェッショナルの言葉ですねぇ。
シュ プロフェッショナルなオーケストラの中にいて、指揮者が来て、息も絶え絶えに「ブラームスが欲しいものを感じて下さい」(身体を捩る)というよりも、器械的に「クレッシェンドして」っていうでしょう。私自身が私の中に探している詩的なものは、それとは違ったものです。詩的なものは、言葉でではなくて、音の響きの中にやって来なければなりません。
--堤さんとの対談で、「音楽のあらゆる面を言葉で表現出来る」、とおっしゃっていますが、それは今の第1と第2のレヴェルということなのですか。
シュ 詩的なイマジネーションの部分でも、何をし、何をしようとしているのかによって説明出来ます。説明出来ない唯一のことは、何故この人がこういうことをしているのに、別の人はこういう風にしているのか、です。8歳の子供がある作品を演奏して、その演奏が如何に美しいかを言葉で説明しようとしても、8歳の心の何処からそんな美が出てきたかは理解出来ない。それはミステリーなのです。ですが実際に起きたことは、分析的に語ることは出来る。レコードを聴いても、何をしているのか言葉で記述出来ます。何故ある人がこう考え、別の人がそれとは違って考えているのか、は理解不可能です。
--第3のレヴェルを育てる為に、若い音楽家は音楽以外のことを学ぶべきだとおっしゃられるのですか。
シュ 文学とか、美術とかをね。堤さんのことで言えば、彼にフランス音楽を教えている時には、絵画を見せに行きました。

◆音楽は生きることの一部です

--最後に、あなたにとって音楽において最も重要なものは何なのでしょうか。
シュ 音楽とは、食べることや飲むことや性行為をすることと同様に重要なものです。それ自身が私の最も重要なものであり、それなしには生きていくことは出来ないでしょう。
--では、自分が音楽家として生まれついているとお考えですか。
シュ 私が良い演奏家であるか、ということならば、その通りです。そしてプロフェッショナルです。有名かとか、成功しているか、とかの商業的な意味ではない。ある水準に達した音楽家は、区別分けの超えたところに存在するようになるのです。誰がいちばん素晴らしいピアニストかなど判らないでしょう。ルビンシュタインかリヒテルかホロヴィッツか、なんて。誰が好きだ、と言えるだけです。ひとたび区別分けを超えた所に到達したならば、その音楽家はしようと思うことが出来るのです。
 みんなソロ活動することの重要性を違って考えていますね。聴衆の心理としては、ステージ上の演奏家は魅惑的な喋り方をして欲しい。しかし私はそんな部分は好きじゃない。ですから、大学町に住んで、大学教授となり、世界へと演奏会に出ていく。しかし明日の晩になれば、私は魅惑的なコンサートを終わりにして、飛行機に乗って家に帰れるのです。そして犬と遊んで、一緒に飛び跳ねることが出来る。それから、壊れている器械をやっと直せる。
--演奏会前に、長々とどうもありがとうございました。
シュ あ、そうそう、カザルスホールで演奏するのは全く楽しかったですよ。ホールも音響も素晴らしかった。ただ、もう少し大きいといいんだけど。
--小ささが特徴の一つということになってるんですが・・・
シュ 確かに小さいと、聴こえるかどうかを心配しなくてもすみますね。しかし小さいと2回演奏しなきゃならない。次はもう少し大きなところか、じゃなきゃ2回の違ったプログラムじゃなくして欲しいって、昨日マネージャーにも言ったんだ(笑い)。今度のツァーみたいに沢山のプログラムを演奏するにはもう歳だよ。

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