SSブログ
現代音楽 ブログトップ
前の10件 | -

細川新作やってます [現代音楽]

今、日本時間の金曜日深夜前。遙かレッジョ・エミリアの市立劇場からインターネットのライヴ中継で、細川俊夫の新作弦楽四重奏曲《UTA-ORI》の世界初演の一部をやってます。
https://app.idagio.com/live/event/12th-international-string-quartet-competition-premio-paolo-borciani-fourth-round-day-1-afternoon?utm_medium=social&utm_source=artist&utm_campaign=GlobalConcertHall&utm_content=PremioPaoloBorciani&utm_term=external

ホントの世界初演は日本時間の午後6時半くらいから、我らが近衛おやかたの曾孫さんが加わるレオンコロQが行っております。
https://app.idagio.com/live/event/12th-international-string-quartet-competition-premio-paolo-borciani-day-4-round-1?utm_medium=social&utm_source=artist&utm_campaign=GlobalConcertHall&utm_content=PremioPaoloBorciani&utm_term=external

ヴァイオリンの二重奏で始まる10分程の作品で、極端に特殊な奏法はありません。近年、ドイツの劇場で盛んに上演されている細川作品を耳にしている欧州圏の若い奏者なら、ほぼ抵抗なく扱える作品です。ツルッと音だけ聴く限り、やはりこれ、チェロが猛烈に美味しいところを持ってってますね。《BUNRAKU》みたいなピチカートばちんばちんでそれまでの流れを全部かっ浚い、最後のクライマックスへと持ち込む役回りなんだから、これはもうこの類いの音楽が好きなチェロさんなら直ぐにでも弾きたくてたまらないんじゃないかしらね。

恐らく、P.M.デイヴィスやらリームやら、はたまたシャーリーのやら、数々のビッグネームに委嘱してきているレッジョの新作の中でも、弾かれる曲として残っていくんじゃないかしら。

どーでも良いことですけど、ベルリン系のレオンコロQはデッカい紙楽譜にスコアで弾いてますが、ザルツブルクのアデルフィQはタブレットにパート譜入れてるみたいで、こういう処理の仕方も団体のキャラが出ますな。

まだ日本語でのデータがまるでないんだけど、やっぱり《歌ー織》って日本語表記なのかしらね。短い曲ですので、是非、お聴きあれ。

nice!(1)  コメント(0) 

「18人のプレアデス」本番迫る [現代音楽]

足かけ5年の大企画となってしまった打楽器奏者加藤訓子プロデュース、というか、芸術監督、というか、学長さん、というか、「18人のプレアデス」が、この週末土曜日にいよいよ1年遅れの本番を迎えます。
https://npo-artsworks.org/ja/inc

一昨日の6月1日から、このプロジェクトを支えてきたくにたち市民藝術小ホールで最後の準備セッションが公開で行わました。これが昨年夏のセッションの様子。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-08-17
本日も客席に少数の関係者を迎え、全曲がプレビュー披露されました。

上のURLでお判りのように、土曜日の本番までもう目の前ですので、細かいことは言わず、土曜日の演奏について、現時点で判っていることを記しておきます。

クセナキスの6人の打楽器奏者のための《プレアデス》を18人の若手打楽器奏者で演奏する本番は、「クセナキスと日本」という午後まるまる開催されるミニフェスティバルのメインイベントとして、2度演奏されます。時間は、午後4時と午後7時。

◆16:00 大ホール1回目 開演
「ルボンと舞」(Rebons a.b.) :加藤訓子(打楽器)+中所宜夫(能楽師・観世流シテ方/能舞)
「18人のプレイアデス」 :inc. percussionists

◆19:00 大ホール2回目 開演
「ルボンと舞」(Rebons a.b.) :加藤訓子(打楽器)+中所宜夫(能楽師・観世流シテ方/能舞)
「18人のプレイアデス」 :inc. percussionists

この作品をご存じの方は、どうやってスコアで6人のために書かれた作品を18人でやるのか、そしてなによりも楽章配列はどうなるのか、等々、知りたいことがたくさんあるでしょう。最低限の、明かしてもいいであろうことだけを明かしますと…

※楽章の並べ方は、本日国立で演奏されたチームの演奏順は「ごちゃごちゃ」「金属」「鍵盤」「皮」の順番でありました。土曜日の2度の演奏で同じ順番で演奏するかどうかは判らない、とのこと。つまり、2回聴いても良いんですよ、ってことです。

※話が前後しますけど、プロジェクトに参加した若手打楽器奏者は、18人×2+α。最終的に土曜日の目黒パーシモン大ホールに登場するのは、2チーム36人です。「金属」「鍵盤」「皮」各楽章はスコア通りにそれぞれ6人の奏者で演奏。ひとり楽章ひとつで、ひとつの楽器に張り付いて持ち替えはなし。結果として、総計18名となります。すべての楽器が導入される「ごちゃごちゃ」は、この全員が参加します。

※「ごちゃごちゃ」楽章は、加藤さん曰く「そもそも6人で指定通りに演奏するのは無理なんです」とのこと。ぶっちゃけ、ジクセンからシロフォンからの持ち替え、なんて無茶な指定があちこちにあり、瞬時の超短距離ワープをし、更に時間の巻き戻しをしない限り、絶対に不可能。今回は、恐らくは史上初の試みとして、それぞれの楽器を奏者が固定し、6パートを分割して無理なくアンサンブルとして再現出来るようにしています。ほれ。
DSCN6715.jpg
このような試みは、「多重録音で6パートを全部ひとりで演奏する」という無茶なプロジェクトを経験し、総譜の無茶さを知り抜いた加藤さんでなければ不可能な決断だったでしょう。要は、「ごちゃごちゃ」に限れば、ストラスブール・パーカッション・グループなど伝説の団体がライヴ演奏の際にせねばならなかった妥協を一切排した、ライヴで聴ける最もクセナキスの楽譜の意図に近い再現ということ。

この機会を逃すと、クセナキスの実質再現不可能な《プレアデス》という史上最大の打楽器シンフォニーのライヴでの聴取は、ほぼあり得ないでありましょうぞ。

絶対、来ないとダメでしょ。

nice!(0)  コメント(0) 

サーリアホの《余韻》は室内オペラではない…そうです [現代音楽]

新暦の水無月に入ったと思ったら、ボーッとしていた時間がいきなり動き出したか、昨日からあちこちでいろんな事が起き始め、この商売を初めて30年近く、一ヶ月に締め切りが一本もないという驚異の完全失業状態だった5月が嘘のようなキツい日程の締め切りが並んでしまい、うううむ、あたしの守護神様ったら、いろいろお忙しいとは思うけどさぁ、もうちょっとバランスを考えてちょーだいな、と文句も言いたくなるもんじゃ。

なんせ、昨日からは週末の柿の木坂での本番に向けて遙か西の彼方の国立では加藤訓子さんのクセナキス・プロジェクトが最後の練習に入り、今日明日と実質上の公開GP。それとまるっきり平行し、日曜日の本番に向けて東の上野ではサーリアホのオペラ《余韻》の舞台上での仕込みが始まっている。んで、昨日はサーリアホ作品のスタッフやら出演者、はたまた作曲家も集めてこんなイベントがありましたとさ。
https://www.t-bunka.jp/cms/wp-content/uploads/2021/04/210601_r.pdf
ワークショップとされてますが、結論から言えば、実態は「記者会見」みたいなものでありました。

前半は日曜日の本番にも出演するフルートとカンテレの奏者さんが舞台に登場し、短いサーリアホの作品やら、カンテレは即興などを披露。まあ、演奏会というよりも「登壇者ご紹介」って感じです。そんなのが半時間ほどあり、小ホール舞台上中央に巨大なスクリーン、上手側に椅子が3つ、下手側に椅子2つが持ち出され、中央には来日隔離も13日目で明後日のプローベからは上野の杜にやっと来られるサーリアホ様ご本人がオンラインで、上手側にはフルート奏者、指揮者、演出家が座ります。反対は司会者さんと通訳さん。で、司会者さんが登壇者に質問し、一問一答という感じでサーリアホの音楽やら、日曜日に日本初演される作品について話がされる。

以下、その語られた内容を記すべきなんでしょうか…これは困ったぞ、とずーっと感じておりました。というのも、語られている内容が、まだ客席にいる聴衆のほぼ誰もがちゃんと耳にしたことがない舞台作品についてだからです。

正直、このイベント、まずはGPの映像なり過去の録音なり、はたまた会場に居る出演者(合唱団も客席にいると紹介されてました)なりが舞台の上からちょっとでも良いから日本初演を迎える作品の一部なり、さわりなりを披露してくれて、今時だから過去の舞台上演の映像をちょっとでも良いから観せてくれて、あああなるほどそういうもんなのか、と最低限の作品に対する具体的な情報を得た上で、議論がされるのだろうと思ってました。

だけど、そういうのは全く無く、いきなり能との関係のことやら、演出のことやら、カウンターテナーを使うことやら、中身について語られる。

ぶっちゃけ、なんだかちっとも判らんねん。

舞台上の皆さんは、もう数週間もひとつの作品に取り組んで来ている現場の方々ですから、語ることはたくさんあるのでしょうし、いくらでも語れる。聴衆とすれば、噂はいろいろ聞いているけど一度も見たことないゴジラという生き物について、ゴジラを飼育したり長く研究してきている方々の議論を眺めている、って感じかしらね。

おいおい、みなさん、ちょっとでいいからせめてゴジラがどんな格好しているか黒板に絵くらい書いて下さいな、ゴジラの尻尾の先が裏にあるんならちょっとだけでも良いから見せて下さいな、って気がするばかり。

うううむ、そういう聴衆の気持ちを盛り上げ、日曜日への期待を高めるのが目的の会だったのだ、と言われるなら、ああそうでしたか、としか言いようはないけどさぁ。

ぶっちゃけ、もの凄くストレスが溜まり、大川端の縦長屋に戻ったら、慌ててYouTubeをひっくり返し、アムステルダムで上演されたときのピーター・セラーズ演出のトレーラーやらを眺めたり

https://www.youtube.com/watch?v=kMxbhf6btYg&t=49s
やたらと元気なセラーズ御大の演説を眺めたり
https://www.youtube.com/watch?v=oonN06GkIhY
なんとか消化不良感を解決すべく深夜に至ったのであったとさ。

ま、そんな中でも、興味深いこともありました。コロナ下の公共施設使用時間制限が厳しいらしく、どうしても午後9時には終えねばならぬ、って感じな慌ただしい空気漂う中で成された客席との質疑応答で、どうも作曲科らしい若者と、自らがチェリストであると名告った青年のサーリアホ氏への直接の質問と、それに対する返答は、いろいろな意味で興味深かったです。中身そのものというよりも、サーリアホ氏の応え方、質問へのアプローチの仕方に、へえええええ、と思わされたのでありました。なるほど、流石にメイジャーな作曲家として世界を歩いている方だな、って。

全体のやりとりの中で最も重要だった発言は、サーリアホ氏が「この作品では室内オペラを書こうとしたのではない」と仰ったところでした。もしも自由な記者会見なら、あたしゃ、ここを突っ込みたかったなぁ。

だってね、この《Only the Sound Remains》って、エズラ・パウンドが英訳した死んだ平家の琵琶名人の亡霊と羽衣盗まれた天女と、ふたつの能台本をバリトンとカウンターテナーのふたりを登場人物にダブルビルのオペラとしたものなんだが、オーケストラは弦楽四重奏とフルートとカンテレと打楽器とエレクトリシャン、それに声楽四重唱の合唱だけなんですわ。恥ずかしながら、やくぺん先生ったら、昨日まで日曜の日本初演は小ホールだと思い込んでました。この編成で、空間はあの上野の大ホール。で、それを作曲者は「これは室内オペラではない」と仰るんよ。

これって、最大の突っ込み所じゃあないかい!「それってどういう意味ですか、こんな小編成で、敢えて大ホールでやらねばならないのはどういうことなの?」って、誰だって質問したいでしょーに。実際、ネザーランド・オペラでのセラーズ演出も、あの運河横のいつもの劇場が舞台だったようだし。

さあ、貴方も日曜日、上野の大ホールに行きたくなってきたでしょー!
https://www.t-bunka.jp/cms/wp-content/uploads/2021/01/210606_m.pdf

ちなみに、パウンド訳は、ネット上にありました。なんと「羽衣」にはイェーツの序文が付いてる、ってなんか凄いもんです。さあ、みんな、急いで勉強しなさいっ。
https://www.gutenberg.org/files/8094/8094-h/8094-h.htm
http://jti.lib.virginia.edu/japanese/noh/PouTsun.html

nice!(2)  コメント(0) 

コンクール委嘱新作の行方 [現代音楽]

昨日来、浜松市の「浜松ピアノコンクール中止」という決断が世間の話題となっております。大阪の1年延期からの中止決定は殆ど音楽業界メディアの関心すら集めなかったのに、やはりピアノというのは注目度が高いのかなぁ、とちょっといじけそうになるけど…やっぱり小説の舞台になって、映画化までされて、というだけの効果はあったのですなぁ。

…なんてどーでも良い話ではなく、ともかく、これが現時点での浜松事務局から出されている公式リリース。
https://www.hipic.jp/news/2021/05/0527news.php
余りにも真っ当な、現在のこの極東の列島の状況を考えれば致し方ない決定でありましょう。現在、ヨーロッパではメイジャー大会が次々と開催されておりますけど、参加者の偏りはもの凄く、大会としてのレベルの確保がなによりも心配される事態となってるわけですし。現在進行中の東京オリパラ騒動で露呈された「どうしても競技会を開催しないといろいろと困る主催者」の事情が、コンクール業界でもあれやこれやと露呈してますな。かえすがえす、よりによってこんなときに世界音楽コンクール連盟がいろいろあって上手く機能していない、というのは不幸だったのか、それとも神様が「もうコンクールという才能発掘の方法は止めなさい」と仰られているのか…

もといもとい。で、この浜松の決定が公式発表となった翌日、地元新聞社の追加報道として、このようなニュースがありました。
https://www.at-s.com/sp/news/article/shizuoka/907534.html
地元メディアさんが、このような形で報道の後追いをちゃんとしてくれるというのも凄いなぁ、と感嘆するわけでありますが(後援団体に名を連ねているから、というだけではないでしょう)、さりげなく重要な話が出ています。引用すると

「財団によると、コンクールでは2次予選の課題曲として、作曲家川島素晴さんの新曲を用意していた。応募者に呼び掛けてこの新曲を演奏・録画してもらい、インターネット上で公開する企画などを検討している。」

なるほどねぇ、こういう手があったか、と膝を打ったりして。

コンクールやら、はたまた学校の卒業試験のために作品の提供するというのは、近代以降の作曲科にとって大事な仕事のひとつとなってきております。名曲として生きている作品もいくつかはあり、そうねぇ、コンクール由来で最も有名なのは、やっぱりシャミナードのフルート小協奏曲かしら。弦楽四重奏業界では、かのヴィドマン御大が偉くなる前の最初の弦楽四重奏曲がベルリンで開催されたローカル大会の課題曲で、今思えば、あたしゃクスだとかディオティマだとか、はたまたアルモニコが世界初演するのを散々聴いたんだわなぁ。

一方で、「演奏が終わったらみんなで楽譜を焼いた」などと嘘かホントか判らない話を参加団体メンバーから聞いたこともある(笑いながら、だけどさ)悪夢のような、二度と弾きたくない、なんて曲もいろいろあるんでしょうけど。

昨年来のコロナ禍では、世界のコンクールが審査用に委嘱した新作が、いくつも初演されないままになってます。リストを本気で作り始めたら、恐らくは1ダースくらいはあるんじゃないかしら。この話とかみたいに、現状ではなんとか初演が迎えられそうな作品もありますけど。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2021-05-21
浜松の新作、作曲者さんの名前からすると、内部奏法とかもありそうなんだけど、どういう形であれ世の中に出ることを期待しましょう。そのうち、「コロナでお蔵入りになったコンクール課題曲特集」なんて演奏会もあり得るかもなぁ。

nice!(0)  コメント(0) 

細川新作弦楽四重奏曲世界初演は6月11&12日に決定 [現代音楽]

敢えて「弦楽四重奏」ではなく「現代音楽」カテゴリーで。

来月第一週から北イタリアはレッジョ・エミリアで一年延期の上での開幕が予定されていた第12回パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクール、日本時間の本日早朝、公式ホームページが久しぶりに大幅更新され、日程が発表になりました。同時に、ファイナルのチケット発売が本日からとされました。払い戻しなんて面倒なことが大嫌いなイタリアですから、どうやら事務局さん、やると腹を括ったようですな。審査員がちゃんと来られるのか、いろいろ疑問はあるけど、なんせ世界コンクール連盟総会も現地で同時開催予定なんで、いろいろと話はつけられちゃうんでしょう。

ま、それはそれとして、日程が出たところで真っ先にお伝えすべきは、昨年来世界初演がペンディングになっている委嘱新作の扱いでありましょう。この大会、「招聘団体を絞り込み、呼んだ奴らは可能な限りいっぱい弾いてもらう」という今世紀に入ってからの弦楽四重奏専門コンクールの流れに沿ったやり方をしており、現時点で参加表明している10団体のすべてが、6月11日と12日に行われるセッションで演奏することになっています。タイムラインはこちら。
https://www.premioborciani.it/en/eventi/giorno-6-3/
https://www.premioborciani.it/en/eventi/giorno-7-2/

ご覧になってお判りのように、最初の団体が現地の午前10時半から、最後の団体でも午後7時には始まります。今は時差7時間ですから、委嘱新作がどんな曲かストリーミングでちょっと聴いてみたい、という方でも無理せずにアクセス可能。週末の夕方から夜ですから、午前中のセッションはもの凄く聴きやすい時間になっているとも言えましょう。ま、幸か不幸かニッポン列島を出られない新帝都在住者にしても、溜池初夏の室内楽お庭が日程が緩んでしまったんで、イェルサレムQの裏とはいえ一度や二度は聴けない時間ではありませんし。

おっと、話が前後してしまったけど、今回の委嘱新作、細川俊夫氏の《UTA-ORI. Weaving Song for string quartet》という作品であります。この大会、リームとかマックスウェル=デイヴィスとか、吃驚するような著名人気作曲家に課題曲を委嘱して、当日はレッジョの劇場にちゃっかり作曲家ご本人がご満悦顔で座ってたりするオソロシーことをやらかすのだが、今回もニッポンを代表する大物への委嘱。昨年の開催延期で果たしてこの作品がどうなるのか、みんな心配していたのだけど、どうやらちゃんとやられるようですね。大いに期待しましょうぞ。

ところで、大阪の新作はどうなるんだ…

nice!(2)  コメント(0) 

Sinfonia Buenos Aires日本初演へ [現代音楽]

初演が1953年の曲を「現代音楽」扱いするのもどーかと思うが、出版は数年前で日本初演というネタなので、お許しあれ。

コロナ禍、緊急事態が発令されているニッポン国トーキョーで、生誕100年を祝いピアソラの実質上唯一の管弦楽大曲の日本初演が無事に行われることになったようです。なんとなんと、当日プログラムがPDFで誰にでも読めるようになっております。有り難いことです。
https://www.tpo.or.jp/concert/pdf/TPO_teiki_202105_WEB.pdf

ピアソラの《シンフォニア・ブエノス・アイレス》という作品、いろいろと情報が錯綜しており、出版しているff社のホームページからプリントは出来ないけど眺めるだけならOKという太っ腹状態になっている総譜があるんだけど
https://www.fabermusic.com/music/sinfon%C3%ADa-buenos-aires/score
その冒頭に記されたデータとff社公式ページの別のところの情報が違っていたり、なにがなんだか訳が分からない状態ですが、この日本語文化圏のピアソラ専門家たる斎藤充正氏の当日プログラム解説で、経緯はすっきり整理されてます。マルケヴィッチなんてお馴染みの名前も登場しますので、是非、ご一読を。作品が世に出る経緯と、手元でわしら一般聴衆が接することが可能なデータやソースの位置づけをきっちり整理することに絞り、どういう曲なのかの中身は一切捨てる、という大英断をなさっている作文で、これはこれで正しいやり方だと思います。正直、曲は「聴けば判る」タイプですしね。皆さんお馴染みモントリオールのロバートに拠る英文曲解の方では曲の内容にも触れてますから、関心はあるけどスコア眺めてるのはメンドーという方は、そっちも眺めてくださいな。

敢えて整理すると、どうやら版はいくつかあり

1:1951年初演版。録音ありだが、未出版のようです。
2:1953年改訂版初演。ff社の総譜に書かれる初演データはこれ。
3:2006年のナクソス版での世界初録音。版の違いは不明ながら、ff社版総譜で要求されているバンドネオンは2台ではなく1台で録音されたとのこと。
4:YouTubeにある映像。作曲者本人によるバンドネオンは入っていない版での演奏のようです。こちら。

てなわけで、来る水曜日から都内で三日間にわたって演奏される版は、ff社の総譜をちゃんと使う演奏としては世界で二度目みたいですな。

今回の演奏でなによりも有り難いのは、「ブーランジェ先生が、貴方は才能はこっちではなくてタンゴにあると宣った」というみんなが知ってるピアソラの逸話の根拠となった譜面が、ガッツリ聴けるということ。前衛の時代にヒナステラ先生の二番煎じみたいな作品を書く若者がまたひとり増えた、ってことにならずにすんだのは人類にとって良かったことと素直に喜ぶべきか?ブーランジェ媼も捉えきれなかったとんでもない才能が潰されてしまったと嘆くべきか?

さあ、これは聴きに行かねばマズいでしょ。公共交通機関を利用せずに初台や溜池に来られる貴方は、すっかり二重マスクして集まれっ!あたしゃチャリチャリ行くぞ…って、木曜日は雨の予報かぁ、うううむ。

[追記]

昨晩、溜池でff社譜面版の日本初演を拝聴してまいりました。プリントアウトしないなら総譜がWebで簡単に視られるので、どうのこうの言いませんけど、やはりYouTube上のバンドネオンなし版とはそれなりに印象が違いますな。上の映像で22分くらいからの延々と続くコンマス独奏の後に、映像の版で木管のアンサンブルになってる部分がバンドネオン2台の独奏になってて、この楽器の聴かせどころになっているのが最大の違い。

正直、冒頭2ページ目くらいから始めるバンドネオンのパートが延々とユニゾンで、どうみても音量のために2台入れてるんだな、としか思えない状態はその先も同じ。まだまだオーケストレーションには不慣れな若きピアソラ青年、初のオーケストラ大曲に自分の楽器を持ち込んではみたものの、どうすればきっちり響かせられるか模索状態、お手上げだったというのは良く判ります。

最後がオスティナートで盛り上がっていくのは、1951年という時代を考えるといろいろと興味深いですね。ある方が終演後に「伊福部じゃんかぁ」と爆笑なさってましたけど、誠に仰る通りでありまして、逆に言えば伊福部なんて知らない文化圏でこの作品が大いなる人気曲になる可能性もあったわけだわね。

当時の前衛志向の対極にあった「繰り返し」というテーマを真っ正面から取り上げちゃったこういう作品に、ブーランジェ先生が「これは今のメイジャーではダメだろう」と思ったのも、大いに腑に落ちるところでありましたとさ。

それにしても東フィルさん、あそこまで弾かにゃならんのだから、当日プログラムにコンサートマスター依田氏の名前は出してあげていいんじゃないかい。

nice!(2)  コメント(0) 

世代交代の演奏会 [現代音楽]

この数年、「実行委員会」を主催者にする形でこのくらいの時期に開催されてきた「高橋悠治作品演奏会」の第3回が、先程、東京文化会館小ホールを会場に無事に行われました。
IMG_9290.JPG
コロナ禍だからって、別にどーってことなくいつものように淡々と、って感じなのは、いかにもこの作曲家さんらしいなぁ。

演目はこんなん。
https://www.t-bunka.jp/stage/8022/

これだけじゃ、全然わからないですよねぇ。ま、この演奏会はある意味、非常にハッキリしたコンセプトを持っているわけで、ぶっちゃけ、「前衛の時代の高橋悠治作品を中心に並べ、作曲家ご本人がご存命のうちに、40代以下のポストモダン以降しか知らない世代の演奏家さんたちに本人を前にゆーじさん作品を演奏する経験を積んでもらおう」というもの。

そもそも高橋悠治作品って、古典派やロマン派の意味での「曲を聴く」というよりも、「高橋ゆーじというオッサンが音をいじくり回すプロセスを追体験する」みたいなところがある。良きにつけ悪しきにつけ、楽譜から出てくる音がそれで良いのか、本人がそこに座ってあの風貌でぼーっとしている姿を視野にいれていないと、なんとも不安なところがある。作品、というより、音を作る行為、って感じ。

ですから、企画、という役職だかが記されてるので実質上のディレクターであろう杉山氏などが中心となり、ゆーじさんと一緒に仕事をしてきた60代以上の長老が若かりしバリバリだった頃を懐かしむのではなく、どかっと下の世代に高橋悠治を演奏するという経験を積ませるイベント。年寄り世代は指揮者さんと、あとは電子再構築をやった有馬さんくらいで、実際に音を出す作業をするのに初演者などはひとりもいない。そのお弟子、って世代ばかり。

なんせ、本日演奏された曲だって、アコーディオンが出てくる曲はうちのお嫁ちゃまが某お茶の水でみきみえさんの担当だったときに今井さんとのデュオとして書かれたもので、うちのファックスでやりとりがされてるのを横目で眺めていた記憶もあるなぁ。そういう世代は、見事なまでに全く参加してない。気持ちが良いくらい。最長老(かな?)の杉山さんだって、指揮者として日本の舞台に姿を見せるようになったのって、今世紀になってからだしさ。

結果、出てきた音楽を新鮮と思うか、あああ古いなぁと思うかは、ま、弾いた方々、聴いた方々次第、ってこと。聴衆は、基本的にはゆーじさんと一緒に歳を取ってきた人達が中心とはいえ、演奏者の世代もそれなりに客席を占めており、「前衛の懐メロ大会」という感じではありませんでした。
IMG_9288.JPG

演奏として個人的にいちばん興味深かったのは、一昨年に高崎のホールが新しくなって、アルディッティQが登場し、その舞台で世界初演する筈だった弦楽四重奏曲でありまする。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-11-19
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-11-24
どういう事情でそういうことになったか知らないけど、結果として、アミティQという「若い世代のニューアーツQ」って感じの立ち位置の連中が世界初演することになった。ま、作品は、いかにも高橋悠治らしい、ぐるぐるっとした線をあちこちにポワポワ放り投げたようなもんで、弓を緩めて弾けとか、弦をぐるぐるこするように弾けとか、いかにもな指示がある断片がゴロゴロ並んでいるもの。アーヴィンたちがやったら、恐らくは「この奏法はこんな音が出るんだよ」みたいなアピールを明快にした、もっとメリハリのある「音楽」になっちゃって、このぼんやりフワフワ感が高橋ゆうじ、ってのとはちょっと違った、かもね。それにしても、アミティQはまるでカーターの2番みたいに4人が遠く離れて座り、まるでマイハートQみたいに全員が客席真っ正面向いて座ってたのは、楽譜の指示なのかしら?アルディッティQもああいう風に座る筈だったのかしら。

高橋悠治が「音楽史」の中に納められるのか、それとも、そんなもんあたしゃ関心ありません、ってものなのか、考えさせていただけただけでも、大いに有り難い演奏会でありましたとさ。正直、これだけ規模の大きな電子音とライヴとの絡みなどがあると、オペラシティの地下ではなくて上野小ホールの空間が必要だったと感じられたです。会場が上野になったのは、主催側の意図だったのかしら。

正直、これらの音楽、ディスクで音だけでは聴かないだろうなぁ。

nice!(0)  コメント(0) 

火曜の早朝に《午後の曳航》ライヴ配信 [現代音楽]

私事でいろいろバタバタしており、無責任電子壁新聞どころではない日々が続いております。ホントに2020年は人生空前の特別な年になりつつある。ま、それはそれとして…

自分のためのメモ。4月から6月のお籠もりの間は、切り倒しが決まった葛飾巨大柿の木の下で連日パソコン画面に出現する世界各地の歌劇場のライヴ舞台映像を眺め、すっかり視力を落としてしまったわけだが、秋以降、もうまるっきり眺めなくなってしまった。ヴィーンやらミラノやらメトやらが、ストリーミングなりをやってるのか、知ろうともしなくなってはや数ヶ月。アドヴェントに入り、またコロナが再流行し、ニッポンや中国本土では普通にコンサートが始まっているのに、またお籠もりが始まった欧米主要都市の劇場が再び日替わり無料配信を行っている…らしい。

すっかり関心もなくなっていたので、特に眺めることもなかったところへ、ある方からとんでもない情報をいただきました。こちら。
https://www.wiener-staatsoper.at/en/staatsoper/media/detail/news/current-streaming-schedule/

おおお、ニッポン列島から8時間遅れた時間が流れる音楽の都、現地時間の明日月曜日の午後7時から、ヘンツェの《午後の曳航》の新演出がライヴで放送されまする。予定されたプレミア上演を、無観客でライヴ放送だけでやる、ということのようですね。
https://viennaoperatickets.com/opera-premiere/das-verratene-meer-vienna-state-opera/?p=31&l=2&id=2190

Monday, 14th of December 2020, 7 p.m. (LIVE, PREMIERE)
Hans Werner Henze
DAS VERRATENE MEER
Musical conduction: Simone Young
Production: Jossi Wieler, Sergio Morabito
Stage & Costumes: Anna Viebrock
With: Vera-Lotte Boecker, Bo Skovhus, Josh Lovell, Erik Van Heyningen, Kangmin Justin Kim, Stefan Astakhov, Martin Häßler et al.

どうやったら視られるか、ライヴで視なくても何日かは大丈夫なのか、また公式サイトに再登録せにゃならぬのか、いろいろ判らんことばかりだが、ともかく、火曜日の午前3時には数ヶ月ぶりにパソコンをスピーカー前にセッティングして、開演を待たねばならぬではないかぁ。

こんな生活、いつまで続くのか。うううむ…

nice!(2)  コメント(0) 

《アルマゲドンの夢》という夢 [現代音楽]

コロナの2020年唯一の2週間のツアーの中日、静岡から9時過ぎに新帝都中央駅に戻り、明日の朝一で富山に向かう途中、今日だけ見物可能な新帝都のナショナルシアターでの新作初演を拝見して参りましたです。欧州ツアーで室内楽漬けになってる最中にまるで異質のこういうもんを眺めて頭をリセットするのとまるっきり同じパターンを、この本州島でやっておるわい。
IMG_7538.JPG

終演直後、歌劇宮中庭人工池を眺めつつ、思わずfacebookのタイムラインに速攻投稿してしまった素直な感想は、「うーむ、音階上昇と繰り返しとダメ押しの子供の歌…我々は未だ《ヴォッエック》を超えられないのか…」でありましたとさ。

以下、それ以降、いろんな方の書き込みに反応してしまったコメントを列挙しておきます。ツアーの道中、いい加減にピアノ三重奏が嫌になったらどっかでまとめまて最終稿にするかもしれませんし、このまま放置かもしれません。ともかく、「感想になってない感想」以前のメモ書き、ということで。


最後の神さま持ち出し「ハレルヤ」で終わる皮肉をサラッとやって誰も怒らないのは、かの《仏教パルシファル》以来の我が異教徒国ナショナルシアターの面目躍如じゃのー、いやはや。(自分の当稿への追記)


いろんな意味で、我らニッポンの国税で英国圏や独仏の地方都市劇場で上演可能なものを作りやがったな、と思いました(笑)。NYTとクイーンズ地下鉄を見た瞬間、「あ、Music from Japan の枠でブルックリンのアーツセンターとの共同制作だっけか」と思ってしまいました。そういうテイストだったし、最終的にはキリスト教文化圏に持ち出さないと意味がないし。確かに初台なら、この中味でも制作プロセスの途中で余計な文句を言う奴はいないでしょうからねぇ。藤倉氏は賢い!

なんか、アムステルダム辺りがいかにもやりそう(大野氏に、モネやリヨンに持っていく力が今、あるんですかね)。鎖国状態の今年はこういうもんは観られないと思ってましたから、頭の使ってなかった部分を久しぶりに使った感がありました。ただ、《ソラリス》みたいな声の伝え方の実験みたいな要素がなかったのは、大劇場からの委嘱新作だからとはいえ、ちょい残念。レーゲンスブルクの《ソラリス》を池袋というオフブロードウェイでみんな眺めて、それから初台に来る、という理想的な流れだったのにねぇ。(以上、オペラ研究者M先生のタイムラインへの当稿)

オペラは何度も来させてなんぼですからねー(笑)。昨年にサントリーでやっと日本初演された《Written on skin》にも似た、作る側の仕掛けの悪辣さを感じました。ヨーロッパの新作で生き残る作品には感じるものですが、初台では初めて感じた。

これ、いけると思います。ただ、欧州の状況が2019年までとは違いますからねぇ。まずはブルックリン・アカデミー・オブ・アーツで、Music from Japanのスペシャル企画でやるのが最初でしょう。数年前にも藤倉氏のチェロ協奏曲とかやり、坂本竜一氏も来てました。あとは、ホントはモネやリヨンなんでしょうがねぇ。《ソラリス》やってるレーゲンスブルクなんかはありだろうが、今、金があるか。今回のプロダクションで現場通訳をなさっていた方に拠れば、藤倉氏は意外にイギリスの劇場とのコネがないそうな。(同業者で新国立劇場発行「戦後のオペラ」コーディネーターさんのタイムラインへの当稿)


夢、は便利です(笑)。(辛口オペラマニアさんの書き込みへの反応)

nice!(2)  コメント(0) 

コロナの時間が生んだ名盤 [現代音楽]

イースター前くらいからのコロナ・パンデミックで世界一斉お籠もりになった2020年春から秋まで、音楽業界関連で最も影響がなかった、というか、この特殊な時間を上手い具合に意味のあるものに出来たのは、所謂「現代音楽」の世界だったように感じられます。どうしてなのか、考察を本気で始めればそれはそれで面白いことになるのでしょうが、ま、興味のある奴が殆どいない話ですから、商売作文にはならんなぁ。いやはや…

コロナの時代、お籠もりであらためてあれやこれやと自分を見つめたり、普段はない時間を使って深掘りしたりしたひとりの音楽家と作曲家連中が、そんな時間を素敵なディスクにしてくれました。こちら。
IMG_E7306.JPG

https://www.hmv.co.jp/en/artist_Percussion-Classical_000000000061855/item_%E3%80%8E%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8B%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%86%E3%81%9F-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%81%A7%E5%A5%8F%E3%81%A7%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8F%99%E6%83%85%E3%80%8F-%E6%9C%83%E7%94%B0%E7%91%9E%E6%A8%B9%EF%BC%882CD%EF%BC%89_11318654

打楽器奏者の會田瑞樹氏が、コロナお籠もり中の友人知人の作曲家に頼んで、あれやこれや「日本のメロディ」をヴィブラフォン独奏用の小品にして貰い、緊急事態があけた夏にかなっくホールで一気に録音した2枚組ディスクです。この辺りに記事があるかな。
http://www.fukushima-yorihide.com/08_blog/10310
いろいろな意味でとっても趣味的にセンス良く作られたこのディスク、どういうものなのか、ご本人が語っているので、こちらをお読みあれ。
https://spice.eplus.jp/articles/277387

去る月曜日、小さな家族の出棺を終えたあと、近江楽堂で會田氏がこのディスクの中身を一気に披露する演奏会を聴かせていただきました。ヴィブラフォンとたくさんのマレットが置かれた狭い空間には、聴衆ばかりかたくさんの作曲家が座り、まるで新作共同発表会みたい。もちろんこのメンツです、みんなが良く知る旋律をヴィブラフォンで叩いてみました、という気楽なもので終わるはずもなく、お題の旋律は辛うじて判るか判らないかの凝ったものから、比較的ストレートにこの楽器の響きを鳴らすものまで、ホントに様々。個人的にはやはり楽器の性格、なによりも様々な倍音が空間を包んでいくような響きの美しさを完璧に把握した演奏者ご本人の編曲作品には、なるほどなぁ、と思わされましたです。

あとはもう、なんのかんの言わずにディスクを聴いてくれ、といえばオシマイ。余計なお節介を記しておけば、やっぱりどんなに頑張ってもデジタル再生ではこの楽器の層になった倍音の響きの再生は無理です。ってか、この楽器、ライヴと再生音、スピーカー音はそもそも別物と考えるべきなんでしょうねぇ。その意味では、ディスクとして聞こえてくる歌達は、ライヴよりもっと整理された輪郭のハッキリした美しさを醸し出してくれています。良し悪しの問題ではなく、事実としてそうなんだ、ということ。

2020年というおかしな年が生んだ、唯一無二の歴史的名盤誕生。アーティストたちは、こんな滅茶苦茶なときに、こういうものを作りました。

だからよかったね、とは言わないけどさ。

nice!(2)  コメント(0) 
前の10件 | - 現代音楽 ブログトップ