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オフィス移転現状報告 [売文稼業]

今月に入り、オフィス移転作業が本格化。当無責任電子壁新聞をアップしている時間がまるでなくなっております。というか、指先がもうボロボロでキーボードを打つ力が入らず、最低限の商売作業しか出来なくなってる、というのが現実。歳は取りたくないものでありまする。

さて、で、関係者の皆様に、現状報告です。やくぺん先生の世を忍ぶ仮の姿の中の人に仕事振っても大丈夫か、って方々向け。

★3月最終週をもって葛飾オフィスは完全退去します。住民票は葛飾から佃に戻します。とはいえ、現時点でも商売関係の郵便物の連絡先は全て佃にしてありますので、皆様の連絡先を変更いただく必要はありません。無論、メールなど電子関連の連絡先は世界のどこに居ても同じですので、今まで通りです。

★4月からは、基本、佃が拠点となります。ただし、オフィス最終転居先決定の締め切りが3月頭から1年なので、いずれにせよ最終的には新天地に移転します。Mちゃんが学校があるあと6年は、国保の関係で、佃に住民票を置くことになると思います。

★仕事関連資料は、現在も借りている月島の倉庫にもうひとつ部屋を借り、そちらに納めます。
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佃から葛飾オフィスに往復する電車賃の20日ぶんくらいでしたので、ま、長期でなければ、葛飾オフィス維持のための固定費を考えるに妥当な額ではあるでしょう。葛飾オフィスにあった書籍、書類、楽譜、音響映像資料、それにオーディオ関連ハードウェアは、原則として全てそちらに仮移動します。なお、サブカル系資料の殆どは、その類いの研究をする博士課程留学生が出現したため、仮に上野に移します。
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博士後期は2年ですから、研究が終わったらそのままその研究者さんが故郷の南米某国に持ち出すか、やくぺん先生新オフィスに戻されるか、なんとも判りません。まんま寄贈するにも、特殊過ぎる資料ですからねぇ…うううむ。昨日箱詰めをしましたが、多分、まんだらけとか専門の場所にもっていけば、総計で100万円単位になる「お宝」なんでしょうが。いやはや…

★4月以降暫く、徒歩5分の場所とはえ、手持ちの書籍、楽譜や音資料、映像資料は常に簡単にアクセス出来る状態ではありません。ですが、今はそれらをぶちまける類いの単行本はやってないし、殆どの資料が必要な仕事もネット環境が整った状況ならほぼ問題なくやれますので、貧乏なあたしにこれまで通りにお仕事、下さいませな。問題は、佃縦長屋シン・ゴジラ視線の勉強部屋が、緊急事態宣言下で厳しい利用制限があり、実質、殆ど使えなくなっていること。どこでノマドするのやら。倉庫に机持ち込むかぁ…実際、倉庫にいくと、そういうノマドやってる人がいて、管理会社さんも非常時とあって黙認してるそうな。ううううむ…あそこに1日居るのは辛いなぁ、大川端とはいえ窓無しだからなぁ。

なお、3月2週まで、葛飾オフィスでは文房具
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工具
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お皿、花瓶、香炉
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キッチン家庭用品、着物、等々、さあなんでもタダで挙げるからもってってくれ大セールを行っています。期間はあと1ヶ月弱ですっ!関心のある方は、メールなりfacebookメッセージなりで連絡してください。


以上、要は、お仕事を下さる編集者の皆様、業界団体、音楽事務所などなどの皆様には、一切ご迷惑はかけずに通常業務を続けられておりますので、よろしくお願いします。とはいえ、今月から来月は流石にバタバタなので、膨大な量の急ぎ仕事は無理です。スイマセン。ちなみに、オフィス移転先の話は、全く進んでません。緊急事態継続で、「東京からの人に遇うなんて滅相もない」状態が続き、まるで動けないままです。いやはやいやはや、どうなることやら。

さて、本日は二度目のCDレコード売りでお茶の水へ。JR浅草橋駅の乗換が大荷物には絶望的なんで、日暮里経由でいくしかないなぁ。メトロ町屋駅も意外にダメだし、新御茶ノ水の深い深いエレベーターを出たところからディスクユニオンまでが、案外遠いしなぁ。毎度毎度、歳は取りたくないものじゃ。

[追記]

本日2月18日午前、古い友人のバリトン歌手さんが巨大柿の木下に来訪。工具類をごっそり運んでいってくださいました。興味深いのは、「カバーの付いた鋏や鋸は有り難いのです」って情報。なるほどねぇ、腰のベルトにさして、そこから引っ張り出せるカッターとか、しっかりした皮のカバーで包まれた鋸とかは、サロンにオペレッタの舞台を仮設したりする現場作業にとても有り難いそうな。意外だったのは、普通には売っておらず、ある意味とても貴重品の医療用精密鋏やらカッターは全く要らない、とのこと。なるほどねぇ。

てなわけで、大量のカッター類、鋏類、事務用品類、それにA3が切れる巨大紙カッターが、無事に現役復帰として葛飾を去って行きました。まだまだ細かい工具類はたくさんありますので、お暇ならどうぞ。

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2020年回顧のために [売文稼業]

お正月の困ったことは、日程がワープしてるみたいに気付くとなんにもしない日が続いてしまうことでありましてぇ…まだ先だと思っていた締め切りが目の前にあったりする。

緊急事態宣言が再び出るのでは、学校の入試はどうなる、今月3回もある喋り仕事はどうなる、などなどアヤシい空気が流れる正月2日。気付くとなんと、もう締め切りが目の前にある「2020年回顧」原稿があってぇ、午後からいろいろオフィスじゃなくても出来る準備などをしているわけでありまする。

そんななか、春になるとあちこちの大学大学院からで出てきそうなコロナ期の状況を纏める論文を指導している方と話をし、いろいろ思うことがあったです。

2021年になり、事態が収まっていようがいまいが、コロナ禍時代の議論が様々にされるようになるでありましょう。そろそろ共通認識としてのタイムラインもなんとなく確定してきている感はある。となると、なによりも必要なメディアの仕事は、「時期区分及びその名称」の確定なのではないかい。

一昔、二昔前はNHKとか三大紙とかが使っている言葉やら認識やらに合わせればいい、という気楽な考えがあり、ぶっちゃけ、それが大手メディアの大事な仕事でもあった。だけど、グーテンベルクの印刷技術発明以来の情報革命の真っ只中にいて、コロナ禍がそれに猛烈な後押しをしちゃっている昨今、誰が決めてくれるか判らなくなってきている。

ま、そーゆー愚痴はともかく、「コロナ時代の記述の仕方の基本時代区分」の名称を確定しようではありませぬか。なんせ、この時期に関しては、「御上の決定」によって明快な時代区分が可能な珍しい時期なんですから。無論、「1945年8月15日」にしても、「終戦」と呼ぶか「敗戦」と呼ぶか、はたまた「解放記念日」と呼ぶか、いやミズーリ艦上での降伏調印が正しい敗戦の日だとか、樺太では戦闘やってたとか、いろいろ文句を言う人はいるだろうけど、ここがひとつの区切りとしても問題ないでしょ、ってくらいのこと。

例えば、ある若い研究者さんの論文に従えば

◆混乱期:2020年初頭から緊急事態発令まで

◆ロックダウン期:緊急事態発令から段階的な解除まで

◆再開模索期:段階的な解除から年末まで

ということになる。

日本語文化圏での議論なら、全土に緊急事態が発令された時期を「ロックダウン期」とし、一種の「戦時中」みたいな認識で捉え議論するのは、まあ、概ね誰からも文句は出ないでありましょう。問題は、我が業界に限れば、「ロックダウン期」よりも前の「混乱期」の半ばとされる2月26日が「開戦の日」と認識せざるを得ない状況であること。そのズレをどうするか…

要は、「戦中」を真珠湾攻撃からと認識すると、爆弾三勇士の上海事件やら重慶爆撃やらは戦争の外になってしまう。だけど、明らかにそこから戦争は始まってる、みたいなズレでんな。

というわけで、某年鑑の2020年回顧、締め切りまであと数日。初荷お仕事、ぐぁんばってやりましょか。

[追記]

ある方から、「日本政府の緊急事態宣言は法的な拘束力がない要請に過ぎず、国民が勝手にしたがっただけなので、法的な拘束力がある欧米のロックダウンとは異なる。だから、日本の場合は『全国緊急事態宣言発令期』とかにした方が後の誤解がないのではないか」という意見をいただきました。確かに二度目の緊急事態宣言を前にすると、仰る通りだなぁ、と思いますね。

なんであれ、情報が蛸壺化するソーシャルメディア時代、共通の認識を持つように努力しないとドンドン他人に伝わらない言葉が一人歩きする傾向が顕著ですので、なんとかしないと。

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捨てた名前への追悼 [売文稼業]

本日、ほぼ同世代の同業者さんの訃報を知りました。

やくぺん先生が、実質上その一部を切り取った2020年版改訂みたいな面倒な仕事をこの数日ずっとやってる『クァルテットの名曲名演奏』という小さな新書版書籍を神楽坂の出版社から出したとき、今は某著名雑誌の名物編集長となっている当時の担当編集者さんが、同じシリーズでもの凄く趣味的と言われそうだけど、類書のない貴重な本になること確実なものを出してました。こちら。
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コンパクトながら、恐らく過去に日本語で出たイギリス音楽文献としては最も情報量が多く、語り口も趣味的になり過ぎない、とはいえこんなジャンルを手に取る連中のマニア心も際どく擽ってくる、なかなか英国風に老獪な入門書。腰を抜かしたものです。こんなものをやれる奴がいるんだぁ、って。

ぶっちゃけ、今はなくなってしまったONブックスシリーズの中でも、際立った名著であります。

著者の山尾敦史氏、その後、どういうわけか知らないが、この名前を捨てました。書き手のやり方とすれば、「ディーリアン三浦先生亡き今、英国音楽は山尾」とひたすらその路線を突っ走ればそれはそれでありなのに、止めてしまった。勿論、知ってる人は知ってるわけで、そういう方面の仕事をしていないわけではないようだったけど、メインの仕事はちょっと違う方向に振っていた。不思議とも思える使命感で、そっちをやってるように思えた。今世紀に入ってもう20年、あの人がこの山尾先生、とは知らない編集者さんや若い同業者さんも増えてきてたみたいだったし。

追悼とは、「こういう人がいたことを、みんなで忘れないようにしよう。みんなが覚えていれば、その人は生きているのだから」という行為だとすれば…本日、あらためてこういう書物がある、ということだけでも紹介しないわけにはいかない。ってか、やくぺん先生に出来る追悼は、「この本がある限り、あんたはピンピンしてるぜ」と、燕になって天国への道へとさっさと去ったペンギン男の背中に、デカい声で叫ぶくらい。

ゴメン、もしかしたら、嫌だったかな。

合掌

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今どきの雑用仕事 [売文稼業]

落ち葉はまだ全然舞わない新暦葉月の一日、やっと梅雨が明けた関東地方を抜けて、甲斐の国を超えて信濃の入り口(なんだろーなぁ)、茅野まで日帰りし戻るJR中央線各駅停車の中です。膨大な量の動画データをメモリーカードからパソコンを経由してUSBメモリーに落とし込んでおりまする。

GOTOしろと言ったり、都民はやっぱり駄目と言われたり、流石に人が良くノンビリした国民納税者の目にも「政府崩壊」の実態が隠せなくなったニッポン国、遅い夏の夕暮れの甲府盆地を見晴らしつつ笹子トンネルに向けて登っていく各駅停車の車内は、例年のこの季節のこの時間ならいっぱいの熟年ハイカーやら貧乏青春18きっぱーでロングシートに座るところがなくなる筈なのに、甲府近辺の運動部高校生が三々五々下車していくと、妙に閑散としてら。新橋駅前の金券屋激戦区のオヤジが「今年は青春18の出物が少ないねぇ」と申しておりましたが、確かに、この貧乏人切符の真の愛用者たる高年齢層が凄く数を減らしてます。

やっとやってきた妙な夏、やくぺん先生ったらコロナで収入が激減した1割にしっかり入っているわけで、今日も今日とてボランティアお仕事。某認定NPOのAdviserなるお仕事、日本語では「顧問」とか言って、隠居後には顧問業で生きよう、などど老人初心者向け記事にはしばしば美味しい言葉が踊るが、なんのことない、積み上げたノウハウと人脈を報酬を考えずに世間に提供しましょう、ということ。要は「雑用」です。本日も、一眼レフボディふたつ(スチール撮影用と動画撮影用)、コンパクトデジカメ(シャッター音がしないスチール撮影&動画バックアップ)、広角から短望遠ズームと標準固定レンズといつもの300ミリ望遠の一眼レフ用レンズ3本、一昔前のやたらと重い三脚とミニ三脚、それに念のために小型録音機を背負子に突っ込み、公式撮影係としてのボランティアでありました。

やくぺん先生のような若い頃は自分で白黒フィルムの現像やって新宿にしかなかったヨドバシカメラでTRY-Xの100フィート管を買ってきてフィルムを自分で巻いてたような老人初心者世代とすれば、撮影とは、スチールです。動画を撮影したり編集したりするなんて、あくまでもちょー特殊な8ミリマニアさんの世界。落としてもたたきつけても壊れるところのないペンタックスSV自動露出無し一眼レフに始まり、ある時期に露出計内蔵のSPになり、それからスチールは半世紀弄ってきているけどぉ、動画なんてまるでやったことがない。今の若い人は知らないでしょーが、こんなカメラ。まだどっかにあるぞ、葛飾オフィスには。
http://www.mediajoy.com/mjc/cla_came/pentax_sv/index.html
https://sunrise-camera.net/user_data/blog/detail?p=24919
ちなみに、デジカメ時代になってから諸処の事情でCanonになり、ある時期からCANONをNikonに全面的に変更した。経団連会長だったCanonの御手洗会長が「違う意見の人と議論するのは時間の無駄だから意味が無い」という発言をしたのを目にし、嗚呼こりゃダメだ、こいつの会社の製品は使わぬことにしよう、と決意したのがきっかけでありまする。今もバックアップでCanonはあるけどねぇ…

もとい、で、てなわけで、やくぺん先生としましては、「雑用」仕事はいんちきカメラマンとしてのNPO公式写真撮影がもっぱらでありました。職業柄、ホントの凄い技術を持ったプロの方と接してるわけで、自分のやってることがどれほど技術的に酷いものであるかは死にたくなる程判ってる。特に露出はもう決定的で、昔は「現像や紙焼きのときになんとかするしかない」、今は「後でPhotoshopで弄るしかない」で済ませるわけですな。ま、それはそれで、ホントのトップクオリティが求められているわけでなく、必要な瞬間の必要なショットがあればいいわけで、どっちかというと「場の空気と流れを読み、タイミングを見計らう」ことの方が大事なのでありまする。それなら、ま、出来るわけでね。最近は輪郭線さえあればなんとでもなるんでしょ、あとは野となれ山となれ、使う方の編集担当者さんがてきとーにしてくださいな、あ、クレジットはあたしの名前じゃなくてNPOの方にしてね…

ところがどっこい、この数年、そんな状況が大いに変化してきている。原因はもうはっきりしている、そー、「動画」でありますよ。

あらゆるところに監視カメラが設置され世間が見張られ、この地球上に生きる人類の恐らく20億人くらいが常時ポケットの中に小型動画撮影マシンを忍ばせている21世紀の20年代、広報でも動画が常識。スチール写真は紙媒体やら紙ポスターやらのための特殊なフォーマットとなりつつある。

具体的に言えば、クァルテット・エクセルシオも押っ取り刀でYouTube上に自分らのチャンネルを設置し、そこにこれからの演奏会のコメントとか、練習再開の動画とか、あれやこれやをアップするようになったのであります。
https://www.youtube.com/channel/UCTuH2bbsQZISuhB7lT8XZiQ
となると、その動画制作素材が必要になる。演奏会も、アーカイブはこれまでのように音だけではなく、可能な限り動画も収録しておきたい。

てなわけで、スチール写真撮影じゃなくて、動画の撮影が「雑用」の大きな課題となってきたわけでんがな。ふううう…

今時は一眼レフで低予算映画だって撮っちゃうわけで、映像を収録するだけなら専用のヴィデオカメラはなくてもなんとかなる(音は、今時のホールはちゃんとした録音機材があるので、そっちを貰って御映像に合わせればOK)。だから、いんちきカメラマンでもなんとかなる…と思うでしょーがあぁ、それがそーゆーわけにはいかんのですわいな。

決定的に違うのは、映像撮影はスチール以上に「素材」集めであると言うこと。必要な映像がどういうものなのか、自分が編集してヴィデオクリップを作るわけではない。となると、どのような要求であれ全て応えるのは無理だけど、可能な限り様々な素材を集めておかねばならない。こことここだけ押さえれば良い、というわけにはいかない。

もうひとつは技術的なこと。動画は手ぶれなどの動きがあるともの凄くハッキリ判る。でも、プロの動画カメラマンならぬ我が老体、自分を三脚のようにしてじっとして数十分も微動だにしない、なんて絶対に不可能。だから、三脚が不可欠になる。とはいえ、スタジオではない状況が殆ど、聴衆の皆さんが入る会場なので、好き勝手な場所に陣取るわけにはいかない。だから、どういう状況でもある程度は対応出来る、それなりに頑丈でしっかりした三脚を連れていかねばならないわけですは。ほれ。
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今は軽い三脚もあるのだけど、20世紀末くらいから使い慣れたデカく、やたらと安定した重い奴が結局はいちばん安心。アウトリーチなどでは、子どもが弄って動かせちゃうようなもんじゃ困るのであーる。

そんなこんな、スチールのみの撮影の三倍くらいの機材を抱えてえっちらおっちら出かけることになる。トウキョウはGOTO除外の今は関係ないけど、荷物がありすぎて遠距離の場合はLCCを使えない。いやはやぁ…

てなわけで、甲斐国から武蔵国に向けての山越えの最中に、やっとデータがUSBメモリーに全て転送されました。あとは佃縦長屋に戻ったら、直ぐにレターパッドに突っ込んで映像編集担当ボランティアさんのところに送りつけてしまい、それでお仕事はオシマイ。クラウドにあげるとか、ネットでデータを送ればいいじゃないか、とお思いでしょうが、辿り付いた先ではいつテレワーク会議やらネットでのシンポジウムやらをやってるやもしれず、回線をガッツリ占拠するのは極力遠慮せねばならないこのコロナ世界なのであーる。

もうすぐ高尾。都会に戻ったのが良く判る点だけは、なんとも素晴らしい中央東線であることよ。秋になってもまだまだ続くコロナ禍、この先のへっぽこ動画撮影担当ボランティア仕事は…幸か不幸か、予定はないわいな。

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なくなってしまった演目の原稿メモ [売文稼業]

オーケストラ・アンサンブル金沢の9月の演奏会の曲目解説作文作業をしていて、必要があって公式ホームページを眺めに行ったら、あれ、ちょっと変わってるぞ。

指揮者が変更になっているのは、まあ時節柄というか、現状、これはもうどうしようもない。数週間前から大いにあり得るというか、本来予定していたスダーン御大が来られる状況になるか誰にも判らなかったわけで、仕方がない。

問題は、当初演奏される予定だった演目が変更になっていること。慌てて事務所に連絡し、確認したら、やっぱり「休息無しでの演奏会ということになったので、残念ながら1曲減らすことになりました」とのことです。

てなわけで、外山雄三作曲《能登舟こぎ歌》が演奏されなくなってしまいましたです。この作品、曲目解説を執筆するために、当然、手書きの総譜は見せていただいたばかりか、オリジナルの「能登舟こぎ歌」の採譜された譜面まで探し出していただき、さらには「せっかくだから外山先生にコメント貰いましょうよ」とコロナ対応でお忙しい事務局の方に無茶を言い、先生から短いコメントまでいただけました。

これだけ素材があって、没になってしまうのも残念であります。そこで、全くの独断で、現時点での原稿執筆の為のメモをまるまる当電子壁新聞に公開します。無論、公開したところで演奏はなく、YouTube上に録音が落ちているわけでもなく、楽譜が出版されているわけでもありませんので、なんの役にも立ちません(逆に言えば、外山先生含め、誰の迷惑にもならないでありましょう)。なにしろこの作品に関しては、初演も再演も常にアンコールで、文章として書かれた解説は過去にひとつも存在していないそうな。こういう形ででも残しておけば、少しは後の役に立つかも、ということ。Google検索でも引っかかるでしょうし。

ま、このコロナの時代、こういうこともある。ちなみに作文にするには、さらに数行の追記があって「木管の導入に弦のピチカートが応えると、絽を漕ぐような弦のゆったりした動きをバックに、クラリネットとホルンが朗々と舟歌を歌い始める」などという中身の解説が付いた筈でありまする。なお、事務局の担当者さんに拠れば、「事務局の中でこの舟歌を知っている人はいませんでした」とのこと。郷土民謡って、案外、そういうもんなんですよねぇ。

ちなみに、YouTube上には何故かチェロで弾いているこの民謡の音が落ちています。これが小編成オケで歌われた、というような曲です。参考までに。

なお、あくまでも作業メモですので、以下の部分は外山先生の言葉を含め、引用は不可とさせていただきます。悪しからず。ちなみに外山先生手書きの総譜はOEK事務局にありますので、石川県のアマオケの方などが「どうしても演奏したい」という場合は、そちらに問い合わせてみてください。

※※※※

◆外山雄三:能登舟こぎ唄(1999年OEK委嘱作品)

OEKは、海外公演で演奏するアンコール曲として、外山雄三《管弦楽のためのディヴェルティメント》、《今様》など、日本民謡を題材とした作品を取り上げてきた。石川県の民謡を題材としたアンコール曲を新たに作っていきたいという事務局の意向のもと、1998年度OEK設立10周年を期に「作曲家登竜門コンサート」を実施。石川県民謡を題材とした小品を募集し4作品が入賞、1998年8月26日初演されてる。また、コンポーザー・イン・レジデンスにも委嘱作品と石川県民謡を題材としたアンコール曲の作曲を依頼した。1999年、これまでのコンポーザー・イン・レジデンスであった外山雄三と西村朗に依頼し、1999年10月1日に2作品を初演する。この外山作品は、初演時にもアンコールで演奏され、その後も洋邦ジョイントコンサートの中で演奏されている。以後、コンポーザーが作曲した作品には、間宮芳生のコントレタンツNr.1《白峰かんこ》がある。
「岩城宏之と私は同時にデビューした。1956年のことである。岩城はやがてヨーロッパを中心に活躍するようになり、その仕事の大切な部分を日本の作品の演奏に費やすようになるが、それは彼自身が積極的に作曲者たちに次々と新作を書かせることにもつながった。この小品も石川の民謡を題材として、と依頼されたものである。あれから20年以上の月日が過ぎたのかと改めて思う。あの時の意欲に溢れた岩城が眼に浮かぶ。」(外山雄三 2020年6月記)

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「インターネット配信」の違いの表記について [売文稼業]

昨日から、溜池の初夏恒例の室内楽音楽祭、「チェンバーミュージックガーデン(CMG)2020」が2週末のオンライン上音楽祭として始まっています。また、先程午後3時から、東京郊外は調布で開催されていた「調布国際音楽祭」がこれまた1週間のオンライン音楽祭として開幕セレモニーがライヴで流されました。

人と人が距離を取って生活する、他人に息や唾液を極力吹きかけない、不特定多数の人が触りそうな場所には極力触れないようにする、などなどの条件を付けられた生活が始まって早や2ヶ月以上。ゲーム感覚でやってるみたいなちょっと滑稽な違和感が、いつの間にやら「それが当たり前」って感じにすらなりつつある今日この頃、欧米は学校の卒業式も終わりシーズンオフの地方音楽祭の季節となり、ヴァーチャル空間上にはそれなりの規模や仕掛けの、ほんまもんのライヴが戻りつつあります。

今、ほんまもんのライヴ、と記しているのには理由があります。手元に携帯端末がありまともなインターネット環境でありさえすれば、一部の地域以外なら誰でも個人レベルで映像音声が(その地域の御上と、相手に受ける気さえあれば)世界中の不特定多数に配信できてしまうというグーテンベルク以来数世紀ぶりの驚異的な情報革命が起きている真っ最中に勃発したコロナ・パンデミック、お籠もり生活の中で、御上から電波の使用許認可を獲得した特定の組織のみが独占しコントロールしていた音楽演奏の生配信はもう電話くらいに普通のものになってしまいました。

そのような状況下、この数ヶ月で「インターネットでの音楽映像配信」は一気に常識を通り越して、必需品になってしまった。となると、実は「インターネットでの配信」にもいろいろな違いがあることが、配信側だけでなく、受ける側にもなんとなく判ってきた。

先週だか、インターネットでのライブ演奏配信を行おうというある組織の方のお手伝いで、受信テストのモニターみたいなことをやったのですけど、そこで問題になったのが、様々な種類がある「インターネットでの配信」の違いをきちんと違う種類のものとして伝える用語はないのだろうか、ということでありました。

一昔前ならば「NHKがこういう風に表記してます」とか「讀賣新聞はこうしてますね」とか、メイジャーなマスメディアの表記に合わせるのが常識でした。それがいかに滅茶苦茶で、学者先生やマニアさんが文句を言おうが、NHKがこう記してるんだからしょーがないでしょ、と応じるしかない。おお、今や古き良き大メディア情報独占時代よっ!

てなわけで、もう今や日本語表記のお手本になるにお手本メディアなど存在しない、と割り切って、「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする当無責任電子壁新聞としましては、勝手に「インターネット配信」の表記の違いを以下のように定義する次第でありまする。

ライヴ配信:端末で映像音楽が受信可能となっている瞬間に、実際に世界のどこかでその演奏が行われている配信。

限定ライヴ配信:特定の手続きをした視聴者のみに受信可能となるライヴ配信。配信プラットフォームが提供する有料電子チケットを購入する、主催者(パーフォーマー個人の場合もあり)への一定額以上のドーネーションを行う、などでアクセスコードを入手することで視聴が可能になる。

ヴィデオ配信:事前に収録し編集を行った映像音楽の配信。要は、CDやDVDなど「パッケージ」の配信のネット版。

重要な違いは、「ライヴ配信」なのか「ヴィデオ配信」なのか。それと、「視聴者限定」なのか「オープン」なのか。さらに、「期間限定」なのか「アルヒーフ(原則、いつでも視られます)」なのか。ま、その辺りをハッキリされられれば、今のところは用語としては充分なじゃないかしら。

なんのことはない、この表記、「調布国際音楽祭」さんの表記に合わせたものです。これ、現時点ではいちばん妥当だなぁ、と判断した次第。横文字系はどうなってるかとか、まだまだ議論はありますが、ともかくこんなところで。

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最初に「配信評論」を始めるのは誰か? [売文稼業]

昨日のチェンバーミュージック・ガーデン無観客有料配信スタートの告知に続き、サントリーホールが本日午前10時に第2弾、ってか日程的にはこっちの方が早い、一週間後の来週水曜日のホール主催配信イベント開催を発表しました。こちら。
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20200610_M_4.html?fbclid=IwAR3LFyFdcD3mucHM-H8grVlXHdHz1dKJ_z-nrpdK3JYacK5yFJoNdaHSDPU

演奏は「日本フィルハーモニー交響楽団 ソーシャルディスタンス・アンサンブル」だそうで、なんだかなぁ、誰が言い出したんだか(顔は浮かぶけど)、まさかこの名前がホントに通っちゃうとは言い出しっぺは思ってなかったんじゃないかしら。めちゃくちゃ判りやすい。

このイベントのポイントを列挙すると…

★226安倍要請数時間後の夕方にサントリー・ホールディングス会長が官邸に招聘されなにやら会談があって以降、結果的に民間ホールのフラッグシップとして政府要請に率先して応じる形になっていたサントリーホールが、緊急事態解除後、戦陣を切ってホールの正規主催事業として無観客オーケストラ公演の有料配信を再開する。

★あくまでも視聴はライヴがメインで、見直し配信はライヴ鑑賞チケットには含まれない。見直し配信は期間限定アーカイヴとして別にチケット購入が必要になる。

★アメリカの団体のようにチケット購入時に額の設定は聴衆に任せるドーネーションを募るのではなく、値段が最初から設定されたドーネーション付きチケットも同時に発売する。ドーネーション分の2500円が公益財団法人への寄付として損金扱いに出来るかは不明。

★サントリーホールはチケットセンターはぴあのシステムで、先に発表されたCMGオンラインもPIA LIVE STREMを動画配信サービスとして利用していた。だが、今回はもうひとつの大手eプラスのStreaming+を利用する。日本フィルが既に動画有料配信を行っているテレビマンユニオン・チャンネルでもない。

業界的にはいちばん最後のところがなかなか微妙なことが起きていそうで、いちばん興味深いのだけど、視聴者の皆様とすればそんなことはどーでも良いことですな。

※※※

以上で口コミ情報拡散作業はオシマイ。以下は、読者が極めて限られた業界話ですう。

やくぺん先生とすれば、昨日から一気に表に出てきたこのサントリーホールの動き、「新たなる日常」の中での緊急避難なのか、それとも「日常」が戻ってきた後(我々の世界が2020年1月より前に戻るとは思えないのだけど、ま、それはそれとして)にも形を模索しつつ維持される「純粋古典音楽」というかなり特殊なアーツ形態の新たな受容と供給のフォーマットになっていくのか?そこが最大の関心でありまする。

このような視聴形態が一般化するならば、評価やら批評の形体もそれに対応していかねばならない。具体的には、「オーディオ批評」という視聴の媒体を含めたトータルな評価、「レコード批評」というパッケージを前提とした評価などが業種として存在するように、「ストリーミング視聴批評」というジャンルがきちんと確立されねばならんだろうなぁ、ということ。

これまでだって、ホールからのFMでのライブ中継などはいくらでもあったわけですが、それらをラジオやテレビを通して聴取し、演奏に評価を下し、業界的に価値のある「批評文」として小品として提供する、というシステムはありませんでした。あくまでも評価(=様々な意味での「価値」を作り出す言語活動)は、コンサートホールでのライヴに拠ってのみなされていた。ネット環境が整備され、ベルリンフィルやらヴィーン国立歌劇場やらメトやらの「ブランド団体」がブランド維持強化のためにそれなりの規模のインフラを自前で構築して配信を行う、ということは10年代に始まっていたとはいえ、例えばベルリンフィルのネット中継での定期演奏会を、広島県比婆郡やらフェアバンクスやらノヴォシビルスクやらサンパウロやらヨハネスブルクやらの自分ちのパソコン前に座った「偉い音楽評論家の先生」が視聴し、評価し、新聞や音楽媒体に記事として発表し、原稿料をいただく(当然、世界中の関係者やファンからの批判も浴びる)、などということは起きていませんでした。

ですが、これからは、そういうこともあり得るのではないか。聴衆とすればサントリーホールであろうがベルリンのフィルハーモニーであろうがフィルハーモニー・ド・パリであろうがサンフランシスコ戦勝オペラハウスであろうが、時差というどーしよーもない問題を棚に上げれば、みんな自分ちのパソコンの前、ヘタすれば通勤途中の三密電車の中の携帯端末に繋がったヘッドフォンなのです。そこで鳴っているものを批評して、価値を与えてくれる職種は、やはりないと困るでしょーに。

てなわけで、誰が最初に「ネットストリーミング配信音楽批評」をやって、ユーチューバー的な個人商売ではない、既存音楽産業システムにきちんと取り込まれた形を示せるか。そもそも、そんなことが出来るのか?業界としてそういう方向へと「評価」というものを生き残らせていくことが可能なのか?

自分が30代から50代前半の現役なら、もうワクワクしていただろーなぁ、この世界。爺は高みの見物じゃわい。

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Webサイト紹介はブラック仕事なのであーる [売文稼業]

先週、月末締め切りの短い原稿が複数入り、そのために今週は頭からキッチン横の広い机の上にパソコン2台並べ、スピーカー繋いである程度の音量でちゃんと聴けるようにセッティングし、携帯端末を横に置き、世の中の風潮にすっかり乗り遅れ、ってか、乗る気が既にない爺初心者としては、まあなかなか「テレワーク」っぽい環境で作業をしておりまする。
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多くの舞台関係者の皆様、裏方のプロの皆様など3月から全くお仕事がなく、無収入で蓄え取り崩しだけで生きてらっしゃる方が大多数の中、オフィスの固定費と毎月落ちていく国保&生命保険代がギリギリ出るかどうか程度のお金であれ、なんとか目の前で動いているのは有り難いことでありまする。いや、ホント。っても、来月は現時点で締め切り一本(それも、以前に書いた原稿の差し替え全面書き直し)だけで、固定費捻出もアヤシい状態なんだけど。

そんな状況でいただけたお仕事、普段以上に一生懸命やるわけでありまするがぁ…いやぁ、まいったなぁ、という愚痴話なんで、これ以上は関係者の皆様は読まないよーに。

この数週間、同業者の皆様のお仕事をWebなり紙の上で眺めさせていただくに、正直、この環境はホントにみんな同じものしか見えないのだなぁ、と感じざるを得ません。取材する相手も、インパーソンでいろんな人に会えたり話したり出来るときに比べると、圧倒的に限られている。要は、デジタルディヴァイスを通した取材なり対応なりが抵抗なく出来る人や、せざるを得ない人に限られてくる。いつもの数十分の1くらいの限られた分母で、限られた現象をスクリーンの上を通して見てる、って感じ。結果として、どの書き手が書いても同じような原稿になってしまってる。極端な言い方をすれば、「Webの上を眺めていれば、いかにもこういう人が出てくるだろうなぁ、と誰だって思うような人が出てきて、この人ならばこういう風に言うだろうなぁ、と誰だって判ってるようなことが書かれている」という恐るべき惨状を呈している。いつもなら書き手のキャラによって見えてくる記事の視点の違いが殆ど無くなってるのは、驚くほどなのであります。

これ、商売柄そう感じるのか、それとも読者の皆々様もそう感じているのか?少なくともやくぺん先生とすれば、普段、我々が取材をしているときに、テープ起こしで書き下ろして手元に残ってくる話の内容そのものだけではなく、喋っているときや返事をする際に醸し出される空気感や微妙な反応のあり方などから、いかに多くの情報を得ているか、あらためて痛感させられる次第でありまする。

となれば、誰がやっても同じならデジタルディヴァイスの操作に違和感のない若い世代がやればいいだろー、と思ってしまうのは…もう隠居爺ということかしらねぇ。このようにして書き手の淘汰が進んでいくんだろうなぁ。当電子壁新聞にしても、10年前なら必死になってあちこちのネット上の業界情報をかき集めてはこの無責任電子壁新聞にアップしまくっていただろうけど、今はそういうことをしてくれてる別の若い現役バリバリの方がちゃんと出てきているし。これはちょっと危ないぞ、と感じることがあっても、ま、若いうちに酷い目にあっておくことも大事だろう、ってぼーっと眺めてたりして。

ま、それはそれ。今週頭からやっていた原稿は、一言で言えば「Webサイト紹介」でありまする。3月の半ば過ぎくらいから、世界中の様々な芸術団体、個人がWebを通して出している情報を整理し紹介、具体的にはオペラ団体や劇場、オーケストラなどのアルヒーフやら無料コンテンツやらの中からお薦めを挙げる、というもの。

なかなか気楽で楽しい、これがお仕事になるなら有り難いこっちゃないかい、と思われるかもしれませんがぁ…これって、「ちゃんとした図書館に納められた映像資料を眺めて、推薦を出しなさい」ってことですよ。つまり、「ひとつひとつの資料をちゃんとあたると数時間かかるアーカイヴから、何点か良いものを紹介せよ」って…そんなん、真面目にやったらどんだけ時間かかるってのよ!『カラマーゾフの兄弟』とか『失われた時を求めて』とか『金瓶梅』みたいな超大作がジャブジャブ並んでる図書館で在庫に目を通し、状態の良いもんを挙げよ、なんて言われても頭抱えちゃうでしょ。

かくて、たったふたつのアルヒーフの紹介だけで、まるまる月曜日から木曜夜の今まで朝から晩まで、もう目はしょぼしょぼ、正直、目が潰れるんじゃないかという酷い状況。画面など視ているのもままならず、当電子壁新聞などほったらかしになっていた次第。

恐らくは取材時給換算すると200円にもならないと思われる、巴里倫敦の最下層を彷徨ったオーウェルも吃驚のブラックさ。外に出る取材ではないから、取材経費も付かないだろうしなぁ。いやはや…

以上、Web時代の取材のあり方について行けない爺の愚痴でありました。冗談じゃなく、Web時代の原稿料って、「原稿用紙辺り〇〇円」とか「1ワード毎××セント」ってやり方では、プロの書き手は育てられないだろうに。校正校閲の問題も含めどうするんねん、としか言えんテレワークの時代にあれよあれよと突入してしまった2020年皐月の終わりでありましたとさ。

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キャンセル続報 [売文稼業]

自分のことになってきたので、「音楽業界」カテゴリーではなく「売文家業」ネタにします。

先程、某主催者さんから、来月前半のコンサートをキャンセルする、という連絡が来ました。その中に、やくぺん先生が世を忍ぶ仮の姿の人間体に変身してやらねばならなかった人前に出てのお仕事も含まれています。つまり、昨日の我らがそーりの「要請」で、ひとつやくぺん先生の収入がなくなった、ということです。

売文家業としては、本日午前中に終えねばならない原稿と、必要な資料を佃縦長屋に置いてきてしまったので戻ってやらねばならない今月末締め切り仕事が、影響を受ける可能性があります。まあ、五分五分、かなぁ。

流石にブラックホールの如くそこが見えぬ暗黒さの我が業界とはいえ、やっちゃた作文仕事のギャラはなんとか捻り出すでしょうが、その先のものに対しては、これまで既に行った作業の労力と必要だった投資を含めた経費は、キャンセルになった場合には当然、誰も払ってくれません。フリーはそれが当たり前です。現在のニッポン国は、時間で身体を拘束されないで生きていくとは、それだけ大きなリスクが必要になってくる社会と判ってやってきたわけですから、文句を言う筋合いではない(無論、その文句を引き受けるのは、決断したそーり大臣のいちばん大事な仕事のうちなのは言うまでもないけど…)。

とはいえ、裏方業界はやってなんぼの仕事形態の方がたくさんいます。仕事がなくなる=休みになる、というわけではない。仕事がなくなる=収入がない、というだけのこと。少なくとも百万単位の数で、なんらかの影響を受ける人が出てくるでありましょう。結果、お金を極力使わない、ということになり…

というサルでも判る「売文家業」ネタの当たり前の愚痴はこれまで。以下、「音楽業界」ネタ。昨晩からの動きで興味深いこと。来日し、この島に到着したばかりだった北欧のオーケストラが、演奏を一切せずに帰国しました。こちら。
https://slippedisc.com/2020/02/virus-panic-orchestra-flies-to-japan-and-is-sent-back-home/?fbclid=IwAR0Vusl9FPXSHRd3JDCVgjc7UiX80o2xNSsxyGmsA6pyV9TZiNjwLfwmTNk
この記事、いろんな意味で昨日の我らがそーりの「要請」が世界の常識ではどう見えるのかが判って、非常に面白い。

どこに居るのか知らぬこの書き手さん(個人的な面識などない方です)が、オーケストラからの情報として記すに、
"Today at lunchtime, local time, Japan’s Prime Minister announced that all concerts in the country will be cancelled from today and 14 days ahead to prevent possible spread of the so-called corona virus (covid-19). "

ニッポンのそーりのアナウンスメントが「要請」であり、「命令」ではないとは一言も書いてません。そりゃそうで、そんな巨大な忖度システム前提の用語の使い方など、ニッポン社会を知らない人に判るはずがない。このようなストレートな、一切のニュアンス無しの記し方をするのは誠実でしょうね。

だからなんだ、と言われればそれまで。だけど、こういう細かいことの積み重なりが異文化間摩擦、越えられない言語のバリアー、ってもんになっていくのであろーなー、という現実を目の前にする報道であるぞよ、ってこと。

さあ、今日も頑張ってはたらこー!今こそ一致団結、国難をのりきろーではないかああああっ!現状によって仕事が増えて増えて、稼げて稼げて笑いが止まらない方だって世間にはいるんだろうし、そんな方にあやかろーっ!←爆笑必須の空元気也っ!

[追記]

27日昼前に、またひとつ、某現代音楽の大物作曲家兼演奏家が中止が今決まった、という連絡がありました。小生が関わっているのはその次の月の演奏会なんですが、ホントに五分五分って感じですね。

てなわけで、これはもう後の記録の為に、2020年2月27日昼過ぎの時点までで、やくぺん先生が自主的にキャンセルしたり、キャンセルになった演奏会を列挙しておきます。自主的、というのは、やくぺん先生の人間体は高齢者と同居しているため、家族に不安を与えるような場所への立ち入りを自主的に取りやめた、ってことです。これはもう、究極のファミリーマーターですから、どうこう言うもんではない。

★2月19日東フィル《カルメン》(オペラシティ)←自主避難
★2月22日芸劇プロデュース《椿姫》(東京芸術劇場)←自主避難
★2月28日新日本フィル定期(すみだトリフォニーホール)←マネージャーの意向で指揮者来日中止、現時点では日本にいた指揮者に交代し演奏会は決行予定
★2月29日《シッラ》(神奈川県立音楽堂)←文化庁からの通達で公演中止
★3月1日松尾コンサート(大手町よみうりホール)←「多くの参加者がお集まりになる会場での実施は感染の恐れが有る為、よみうり大手町ホールでの「第27回マツオコンサート」を中止させていただきます」という松尾財団の発表は、一連の中止騒動の中では飛び抜けて早い決定。会場がなべつねルームの真下の日本の情報コントロール本丸中枢となれば、いろいろ勘ぐるなと言われてもねぇ……
★3月5日香港フィル大阪公演(シンフォニーホール)←アジアツアー中止
★3月7日日本フィル定期(サントリーホール)←理由の公式発表はまだ無し
(★3月9日都内某ホール主催の室内楽演奏会は、出演演奏家の別公演の中止が先程決まった)

なお、東京都中央区晴海近辺のアウトリーチは軒並み中止とのことです。

おおお、閑散期といえ、こんなに影響があるんだぁ!上野の大物の状況が一両日中に出てきて、このリスト、どっと増えそうだぞ。

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今なにを成すべきか [売文稼業]

今世紀になって最も無茶な商売原稿作成量となった20年代最初の年の最初の月、隠居前だったら香港からパリ、ハイデルベルク、アムステルダムといつものように弦楽四重奏業界を追いかけてまわっていた筈の厳冬期の始まりにずーっとこの極東の島国に籠もり、ひたすら作文生産作業を続けていた頃から、なにやら世間は怪しい雲行きとなり、あれよあれよという間にニッポン国を実質上やってる企業さん連合がおやりになる世界大運動会関連以外(!!!)の公的なイベントは自粛、街に出るにはマスク着用義務、って奇妙な風景が広がっております。やくぺん先生におきましても、なんせ世を忍ぶ仮の姿の人間体とすれば家に高齢者の家族がおるもので、可能な限り不要不急な危険箇所への接近を避けねばならず、チョンさんの《カルメン》、芸劇が主催する現在のニッポン文化圏では唯一のぶっ飛んだクロスオーバー演出が許されるオペラ新演出シリーズの《椿姫》と、堂々たるラインナップを熟慮のあげく訪れないことになりました。スイマセン、チョン・ファミリークラブの皆様!ゴメンナサイ、芸劇裏方スタッフの皆々様っ!

そんな中、当初は当電子壁新聞でも可能な限り情報を拾おうかと思ってもいたわけですが、ぶっちゃけ、これまた熟慮の結果、原則、触れていません。

というのは…今起きているパンデミック騒動、やくぺん先生がこの業界に関わる前から眺めれば70年代半ば過ぎくらいに始まり、業界に直接関わるようになり内部のいろんなことがある程度見えるようになった80年代終わりくらいから初期高齢者の初心者隠居爺になっちまうまでの間に何度か起きた戦争、紛争、テロ、パンデミックなど業界を震撼させる「事件」の中にあっても、ちょっとフェーズが異なるところがあると感じられるからであります。

ぶっちゃけ、情報伝達、です。

街往くほぼ全ての人がポケットやら懐やら鞄の中に情報伝達端末を確保し、その気になればその瞬間にその場所から世界中の不特定多数、それもわしらの業界が相手にする単位の百からせいぜいが数千のレベルではなく、ちょっとした発信源さんでも最低でも万単位に向けて文字データや映像、画像までが校正校閲、無論検閲なく(多分…ってか、我々末端庶民はそう思っている)、という状況が生まれている。なんせ道を歩いていて何かが起きれば逃げ出す奴は半分、あとの半分はスマホ取り出し近くに寄っていき、なんか書き込み始めたり、写真を撮影したり、はたまた現場からSNS上でライブ中継を始める奴も出てくる、って世界ですからねぇ、西暦2020年の我らが地球は。

湾岸戦争のときも、911のときも、イラク戦争のときも、SARSのときも、新型インフルエンザのときも、既に当無責任私設電子壁新聞が機能し始めてからの311&312のときも、このような状況はありませんでした。我々末端一般庶民情報消費者に提供されるのは、マスメディアを通して流されるある程度以上の校正校閲、はたまた検閲を経た「情報」、それもデータというよりもインテリジェンス化されたパッケージの情報でありました。それに、世界各地を動き回っていたり、政府関係はとのコネクションがある音楽業界関係者からの口コミたれ込みなど、校閲検閲はないけれどデータもインフォメーションも、ましてや情報としての価値判断を含めたインテリジェンスとしてもどれほど評価すべきか判らぬもんが周囲をうごめき、それらから状況を自分らなりに総合的に把握していたわけでありまする。

2020年、その状況が決定的に変わっている。ひとつは10年代後半以降、日本国の官製情報への信頼度が著しく低下している状況が当たり前になってしまったこと。ぶっちゃけ、今の御上はデータレベルで事実を隠匿破棄するとみんな思ってしまい、御上の情報に対しては旧共産圏や香港、シンガポール並みの注意が必要になってしまっていた。そこにもってきて、究極の口コミ伝搬システムのSNSというものが既存メディアよりも遙かに重要な情報伝達、獲得のシステム中枢に陣取ってしまった(だって、日経は機関投資家の株価コントロール媒体、讀賣とNHKは政府官報状態ですからねぇ)。その結果、情報へのリテラシーが不可欠な媒体を通して世界を眺めることになってしまっている。なんせ当電子壁新聞のモットー「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」がどういう意味なのか判らない、なんてオソロシー方もいらっしゃるみたいだし。まあ、一国の国家首脳が校閲校正なしで瞬時に情報発信してしまう時代ですから、おそろしや…

面倒になってきたのでもうそろそろ止めるけど、要はそういう状況下では、「プロの校正校閲してませんよ、裏取ってませんよ、裏は取れませんよ」と一万回繰り返してもまだ足らぬ当電子壁新聞みないなへっぽこ媒体ですら、裏が取れないネタを流すのはあぶない、と判断しているということ。みんながみんな「人前に出るにはマスクをせねばならぬ」って同調の空気を漂わせているのに、どうして情報面では「人前に出すには害毒拡散の危機を防ぐ努力せねばなりませんよ」って風には成らぬのかなんとも不思議だけど、ともかく今は情報の多様性やリダンダンシー確保としての側面よりも、不要不急の情報伝達は避けましょう、って方が大事かなぁ、と思う次第でありまする。

って、ながぁああい前置きをして、これだけは後のために記しておくべき現状。時事通信さんが出している報道(どこが伝えているか、を常に配慮せねばならないなんて、典型的な報道の自由下位国の風景なんだけどねぇ)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020022100627&g=soc
この「東京都は21日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、22日から3月15日までの3週間、都が主催する500人以上の大規模な屋内イベントは、原則延期か中止にする方針を発表した。」という報道で、東京都としての発表のリリースなどはなく、TBSさんに拠れば
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3910739.html
「21日、東京都で新型コロナウイルスの対策本部会議が開かれ、都が主催する屋内イベントについて、大規模なもの、食事を提供するものは、原則として延期または中止される方針が示されました。」って。主語の「東京都」ってのは誰なのか、誰の下した判断なのかはもうちょっとは判るようにはなってるんだが、やっぱりこの都議会を経ていないから条例ではない「方針」ってのがどういう拘束力を持つのかは良く判らない。なんにせよ、結果として「都」よりも「市区町村」レベルでの自主的な中止の動きが目立ってるなぁ。ちなみに、本日東京都が指針を出すという話が関係者から伝わってきているので、やっと安心してこの記事を記している次第。

いちばんの問題は、イベント主催者側はともかく末端消費者側とすれば、「誰が主催者なのか」なんて考えてないし、知らない、ってこと。「都」が中止を決めても、じゃあ「東京都歴史文化財団」はどうなるのか、「東京都交響楽団」はどうなるのか、「都民響」はどうなるのか、共催イベントはどうなるのか、なんだか良く判らぬ。何より困るのは、都が主催やら共催していても実質上は民間に乗っかってるだけの名義イベントはいっぱいある。そういうものの中止の判断に東京都は財政的な責任が取れるのか…

ちょっと考えただけで、もう頭はクラクラしてくるぞ。

ともかく、小生らの出来ることは、後の人が今の状況を出来るだけ客観的に時系列で眺められるようなデータをきちんとしておくことしかなだろーなー、と思う如月も終わりの春の空なのでありましたとさ。面白い時代に生きていたなぁ、と思えるのか…

[追記]

「売文家業」というより、「新佃嶋界隈」ネタなんですが。本日夕刻、こんなリリースが電通から出ました。
https://www.dentsu.co.jp/news/release/2020/0225-010021.html?fbclid=IwAR3YAOwyIVf5MOv4UBOEZxOCakJ4qUrc2TgM1H-F0JWe7V0DgyvqhIOdhTI
実質上、新橋の電通ビルの封鎖宣言ですな。

いつも、佃縦長屋の勉強部屋から、シン・ゴジラ視点で眺めている新帝都のスカイラインの中、それも感覚的には大川向こうの直ぐのところが、今回のパンデミック騒動で封鎖になりました。先頃の羽田新夏の着陸ルートをテストする夕方、東京タワーの上の着陸機を眺める電通ビルの勇姿。
YAK_6870.JPG
いよいよ日常インフラ維持を本機で心配すべき状況かもしれませんねぇ。今は葛飾にいるのですが、佃からの移動は基本、しばらくは自転車。それより遠くは、原則、行かない。

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