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今日はアジアニュースの日 [閑話]

小生の如きびんぼー売文業者のところも、「年末進行」という恐怖の四文字熟語が飛び交ってくるようになり、なぜか今、楽譜も楽団に届いてない2月の曲解をやってます。楽譜求めて某所に行かねばならぬため、私設電子壁新聞どころか、町会仕事もやってる暇がない。多謝。

で、今日はニュースヘッドライン列挙のみ。結果として全部アジア系ですね。なんか田舎の通信社みたいだなぁ。なんせ朝から佃厄偏庵上空は報道ヘリが飛び交い、清澄通りには右翼ががなり立ててる。湾岸はすっかりニュースの現場でんがな。

◆どうやら中国海軍のミサイル駆逐艦が無事に晴海埠頭に接岸したようです。これから数日、人民解放軍の若い水兵たちが、晴海トリトンスクエアの横通って、延々と銀座まで遊びに繰り出す姿が見られることでしょう。インド海軍の連中みたいに、秋葉原に大挙して繰り出し萬世橋の上で記念撮影、なんてやらかすのかしら(最先端ミサイル駆逐艦だもの、電気オタク系のスタッフはゴッソリいるだろうし、なんせ艦名が中国の秋葉原を目指す「シンセン」ですから)。
まだ今日は右翼やら警備やらが騒々しいでしょうから、明日にでも埠頭まで見物にいくべーか。http://mainichi.jp/select/world/news/20071128k0000e010042000c.html

◆人民解放軍水兵ばかりか、上海Qの連中も本日から東京上陸です。http://www.tvumd.com/artists/artist%20calender/shanghai.htmホンガンとウェーガンの李兄弟の母校、上海音楽院設立80周年を記念する一連の演奏会を今やっててhttp://www.culture.sh.cn/english/product.asp?id=4090、そのために里帰りしたついでに、日本に立ち寄っての公演です。明後日の王子ホールが東京のメイン演奏会みたいだけど…演目がなぁ。うううん。当壁新聞にいらっしゃるような方は、遙か相模原で行われる1日の公演がねらい目でしょうね。イーウェンの編曲した中国民謡、なめちゃあかんです。もの凄いヴィルトゥオーゾピースになってて、鼓弓っぽいグリッサンドがバリバリですから。
このところの王子ホールさん、他ジャンルに比べると圧倒的に切符の売れ行きも入りも悪いのに、晴海なんぞじゃ絶対にやれないギャラが高いクァルテットを頑張って我らが中央区民にも聴かせてくだっていて、誠に有難いことであります。はっきりと路線を晴海やら浜離宮とは違えてきてるのが興味深いですね。
今回の上海Qといい、来年早々の東京Qといい、「オーケストラなら運命と田園、未完成!」みたいな路線をはっきりと打ち出してる。「クァルテットなら死と乙女とアメリカだ!」ってね。
評価の高い団体で評価の定まった名曲だけを聴きたい、という聴衆をターゲットにしているわけで、それはこのホールが目指している富裕層(プチ富裕層?)向けの北京・上海・ソウルっぽいマーケッティング手法として間違っていない。そういう腹の据わった主催者が東京という巨大マーケットにいて、クァルテットの間口を広げようとしてくださるのは、非常に有難いことです。東京のクァルテットは、少ない聴衆を奪い合う飽和市場ですから、とても賢い作戦だし。
このメイジャー路線が成功しないと、晴海なんぞの「貧乏な正規軍によるゲリラ作戦」というか、オフ・ブロードウェイ・ラインというか、そんなやり方も成り立たない。切に成功をお祈りする次第であります。

◆話は半島部に飛び、このところずーっと一部で騒動になってたようだが、全然意味が判らなかった韓国政界を巻き込んだ光州ビエンナーレの美人辣腕ディレクター関連スキャンダルが、やっと日本でも報道されるようになりました。http://www.asahi.com/international/update/1128/TKY200711280009.html日本だったら、もう「連日地上波ワイドショーで大騒ぎ」って奴ですな。流れを知りたい方は、こっちをどうぞ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070911-00000003-yonh-kr
韓国を筆頭に、日本以外の経済成長著しいアジア地域では、今世紀に入って現代美術が猛烈に充実して来ている。アートやアート・マネージメント業界の皆様よーくご存じの通り。ソウルのサムソン現代美術館はスゴイ施設だし、上海にも洋行帰りで国ではすっかり浮いた連中のコンテンポラリー感覚をそのまんま生かした現代美術館がある。
そんな中で、現代美術関係のアヤシイ話というのもいっぱいあるみたいで、数年前に国際交流基金の仕事でソウルに行ったときも、向こうの担当者の方にその頃に起きていた現代美術がらみのスキャンダルを延々話され、流れが判らないんでチンプンカンプンだったけど、なあるほど現代美術って価値がはっきりしないからこういうことがあるのよねぇ、とは感じたものです。それとは違うタイプのスキャンダルみたいだけど、現代美術とイェール大学の学歴偽造なんて、いかにもだなぁ。
ま、事がどうあれ、軍隊の装備品調達に関する制服組トップの構造汚職が巻き起こってるのに、シビリアンコントロールの責任者が知らず存ぜずで突っぱねようとしてる某アジアの立憲君主国よりはまだまし…かなぁ。うううん。

◆当電子壁新聞でもお伝えした、「ソウルのいしはらしんたろー」李前ソウル市長。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/2005-09-06どうやら数日前から始まった韓国大統領選挙に立候補、現時点では最有力な候補となってるようです。文化をポリティックスに使う方法を良く心得たこのハッタリオヤジ、青瓦台に入ったら何をやらかすか。今度はハンガンのソウル市アートセンターじゃなくて、その向こうのナショナル・アーツセンターで突拍子もないことでもやりかねないぞ。アーツセンター大劇場とは別に国立オペラ劇場をぶったてる、なんて宣言しそうだなぁ。

以上、湾岸発、脈絡のないアジアニュースでありました。


《演じる女たち》見物予定の方へのお節介 [閑話]

カテゴリー分類が判らぬので、「閑話」にします。「アートなこと」とか「東京日和下駄」とか、いろいろカテゴリーを作ろうかとも思うのだが、間口を広げるとそれこそいくらでもネタがありすぎて収拾が付かなくなるんで、敢えてやりません。

さても、昨日、国際交流基金さんのご厚意により、ウズベク・イラン・インドの演出家と劇団がギリシャ古典のミュートスを再構築した演劇《演じる女たち》を見物させていただきました。アートマネージメント関係の知り合い、演劇界の有名人なんぞゾロゾロいるような場所で、あたしゃこんなところに座ってて良いのかぁ、という感じでしたけど。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20071005

で、感想というよりも、本日夕方及び明日の2公演を見物に行く予定の方のために、ちょっとだけ「観る前に知っておいた方が良いこと、便利なこと」を列挙します。ご参考にどうぞ。ま、当電子壁新聞の読者層とは大きく異なるでしょうから、殆ど役に立つ方はいないでしょうが。

①これは「ギリシャ悲劇」ではありません。ギリシャ悲劇の物語素を利用した再創造です。一番近い言い方をすれば、「スタートレックの世界を下敷きにマニアが作ったヴィデオ作品」とか「コミケで売ってる銀河英雄伝説のやおい漫画」とか「プロが闇で書いちゃったドラえもん最終回」なんかに近い、二次創作です。間違っても「ギリシャ悲劇」と思って行かないように。

②なにしろいろんな要素がゴッチャごちゃに突っ込んである今時の舞台ですので、細部に惑わされると足をすくわれます(特に3作目、「ヘレナ」の巻は、それこそコンヴィチュニーのオペラ演出なんぞと同じようなもんです)。とはいうものの、神話素(ミュートス)としてのメデア、イオカステ、ヘレナなどについて知らないと、何が何だか全然判りません。配られるでっかいプログラムにも、そんな神話素の解説など一言もありません。ですから、慌てて勉強していくこと。
今からでも遅くないですから、エウリピデス「メデア」(マリア・カラスが主演した同名のギリシャ映画でもOK)、ソフォクレス「オイディプス王」、ハリウッド映画「トロイ」くらいは眺めておいた方が良いでしょう。「へレナ」と題されるものの、そっちもそうだけど、エレクトラ主題が判らないとなにやってるか判らない部分があります。アイスキュロスのアガメムノン3部作を知っておけば良いにこしたことはない。とはいえ、「エウメニデス」的な明快な結末はありませんので、そのつもりで。

最初のウズベク「メデア」は、想像した以上に真っ正面なもので、凄く力がある舞台でした。シュトラウスの「エレクトラ」の演出家で困ってる劇場支配人がいたら、この演出家さんを是非とも起用して下さい。中規模の劇場なら、このチームでまんまやれます。上演の最初から最後まで、小生の頭ん中には♪あがめえええええむのおおおおおおおおん!という「エレクトラ」冒頭と終幕が響きっぱなしでした。
イランの「イオカステ」は、ソフォクレスの流れで言えば、伝令が来てオラクラの意味がイオカステに判り、部屋に戻ってしまい、やがてオイディプスの前にイオカステ自害の報告が来るまでの間の、全てを悟ったイオカステの意識の流れ、みたいなもんです。オイディプスが神々を呪うと天から大量の割り箸(?)が降ってくる意味も、その後のオイディプスが眼を突く話の流れを知らんと何が何だか判らないでしょう(冒頭に騒々しい歌で「見るは知る」なんていかにもスフィンクス的な妙てけれんな日本語の歌が流れてたから、判る人には判る筈)。
インドの「ヘレナ」は、大爆笑してあげないと役者が可哀想なシーンがいっぱいあるのに、なんかお客さんみんな真面目でしたねぇ。特に後半の大ギリシャ帝国の支配者となったオレステスの大演説は、腹を抱えて大爆笑してあげないと可哀想です。

というわけで、今からでは遅すぎる《演じる女たち》鑑賞前の泥縄ガイドでした。この作品、このようなガイドが必要だという事実からして、はっきり「クラシック」ですな。いやはや。


Oh, say, can you see [閑話]

長崎県は佐世保港に、去る5月25日から29日まで、アメリカ合衆国海軍の軍艦「エイブラハム・リンカーン」が入港している。
どういうわけか、東京方面のメディアではまるで報道されていない。数年前に入港したときには、反対派の海上デモを中継したりして、かの懐かしきエンタープライズ佐世保寄港騒動のときを彷彿とさせる盛り上がりが話題になったのに、原子力空母が小泉総理の選挙区ヨコスカを母港にするのしないのと問題になり出した今、大手マスコミがダンマリを決め込んでるのがとっても不思議。
http://www.rimpeace.or.jp/jrp/sasebo/sasebobase/060525lincoln.html
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/20060525/20060525_054.shtml

今回は東シナ海を横切っての佐世保寄港。となると、長崎のグラバー邸からどんなに西の海を眺めようが、いかなアメリカ軍艦エイブラハム・リンカーン号の巨体たれ、残念ながら姿は見えなかったろう。なにせ原子力だもん、水平線に真っ黒な煙が上がる、なんてこともないし。

"♪Oh, say, can you see, by the dawn's early light…"

数千人の乗務員を擁する巨大艦となると、ひとりやふたり、Pinkertonという名の船員がいるんじゃないかしら。バスをチャーターし長崎観光、だそうな。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/kita/20060525/20060525_002.shtml

ええと、これ、音楽ネタなんだけど、判りますかぁ。

                            ※

ちなみに、アメリカ合衆国海軍に所属するAbraham Lincolnなる名前の船は、1961年に就役した原子力潜水艦と、潜水艦退役後に名を継いだ現行原子力空母のみとのこと。19世紀の太平洋にそういう名の軍艦は就役していなかったわけだ。へえへえへえ。http://www.cvn72.navy.mil/


都響と共に聖霊を仰いだあんちゃんやオバチャンたちのこと [閑話]

やたらと貧乏なのにやることだけは多く、今日もブログ原稿なんぞに時間を使っている暇はありません。で、目出度く都響楽団主幹O氏からも「都響を宣伝してね」と言われながらOKをいただいた月刊「都響」連載お気楽脱力系雑文「エヌの閑話」再録シリーズです。
とはいえ、この原稿、「その月に都響が演奏する曲やら、その月に都響に出演する演奏家と着かず離れずくらいのぬるううぃ距離で」という要請で綴っている作文なので、独立して取り上げるとなんでこんな展開になるのか全然判らないものばかり。そんななかにあって、昨年12月に掲載した原稿は、例外的にテーマを絞ったものだった。
この月、世間は90を超えた巨匠指揮者フルネの引退公演があり、もうフルネ礼賛一色。最初からこの月の冊子がそうなるだろうことは目に見えていたので、敢えてフルネ翁については一切触れないようにしようと考えたわけですな。で、じゃあどうするか。そうそう、この月で、1年間続いた「都響創設40年記念年」が終わる。そんな中にあって、一切触れられていないものがあるなぁ…ということで、こんな原稿になった次第。

この正月に頂戴した年賀状の中に、「久しぶりに思い出して懐かしかったです」とか、「あの団体のことを書いてくれるなんて、涙が出ました」とかいう言葉を添えてくれたものがいくつかあった。小生の書くものは、非難されたり他人を怒らせたり喧嘩を売られたりすることはあっても、他人様から誉められたり喜んで貰ったりすることなど殆どないので、なんとも気恥ずかしいものでありました。
どうやら、「都響創設20周年記念合唱団」をとりまとめていた都響の古株事務局員Dさんが、まだ連絡先の判る元合唱団員に冊子を送って下さったようなんです。

こういう人がいるから、都響もまだ、信用できる。

というわけで、去る12月の第14回閑話であります。こういうの、閑話、とは言えんなぁ。
種を明かせばなんのことはない、この合唱団にはうちの嫁さんが入っていて、比較宗教学の大学院生だった小生が初めてプロ(?)の音楽団体ために原稿を書いたのも、この合唱団の内部閲覧用作品解説「グラゴルミサ」だった(無論、ボランティア)。ICU小礼拝堂でやった結婚式のときには、この合唱団有志連中が集まって、マーラー第8交響曲冒頭「来たれ、創造の主なる聖霊よ」と結尾「すべてこの世のものは比喩に過ぎず」をオルガン伴奏で大合唱し、当時やっていたお母さんカルチャーセンターのオバチャンが作ってくれたケーキを全部喰い上げていってくれたっけ。あのウェディング・ケーキ、わしゃ姿すら見とらんぞぉ。
ま、小生らふーふにとってみれば、足を向けて寝られない方々なんです。若杉監督就任のこの頃は都響と疎遠だったフルネ爺さんよりも、よっぽど大切な人たち。それだけ。

そうそう、これ、都響側からの修正が入る前の版だわ。数カ所直した記憶はあるが、もうどこがどう弄られたかわからないので、面倒だから覚えてないところはそのまんま。悪しからず。

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        エヌの閑話:《都響と共に聖霊を仰いだあんちゃんやオバチャンたちのこと》

 今回はちょっと真面目に、知られざる都響の歴史を記させていただこう。都響の過去を振り返ることが多かった今年にも、語られなかった歴史。今、語っておかねば、おそらくは誰も語ることがなく、やがて忘れられてしまう若い日の想い出話。
 音楽を生活の糧とするプロの演奏家や裏方にとって、アマチュア演奏家との付き合いは、一筋縄ではいかない。プロのオーケストラ事務局や芸術主催団体が、演奏であれ裏方業務であれ、本気でアマチュアと付き合おうとすれば、その組織で最も有能なマンパワーを割くことになるのは常識だ。なにせ善意のアマチュアとの関係は、ギャラを払えばお終い、間違えたら頸、要らないから帰ってくれ…では済まないのだから。
 今を去ること20年前の都民の日、1003人もの人で溢れる東京文化会館の舞台上で、二十歳の誕生日を迎えた東京都交響楽団と一緒に「来たれ、創造の主たる聖霊よ」と雄叫びを揚げた合唱団があった。「都響創立20周年記念合唱団」である。40年の団生(?)の中で、都響がある程度の期間を本気で交際した唯一のアマチュア団体だ。
 まずはこの合唱団の全演奏データを挙げる。特に記さない限り会場は東京文化会館。
第221回定期演奏会85年10月1日、2日都響創立20周年記念演奏会:マーラー交響曲第8番(コシュラー指揮)
特別演奏会86年3月15日新宿文化センター:モーツァルト「ミサ曲ハ短調」(マーク指揮)
第237回定期86年6月6日:リスト「ダンテの神曲による交響曲」(小泉和裕指揮)
第240回定期86年9月30日:ヤナーチェク「グラゴール・ミサ」(コシュラー指揮)
渡辺暁雄指揮者生活40周年記念日本フィル・都響合同演奏会86年12月20日サントリーホール:ベートーヴェン交響曲第9番、シベリウス「フィンランディア」(渡辺暁雄指揮)
第246回定期86年12月26日、27日新宿文化センター:ベートーヴェン交響曲第9番(小泉和裕指揮)
都民芸術フェスティバル87年2月13日:ベートーヴェン交響曲第9番(若杉弘指揮)
若杉弘首席指揮者就任披露第254回定期1987年4月22日:ラヴェル「子供と魔法」(若杉弘指揮)
特別演奏会87年5月16日新宿文化センター:フォーレ「レクイエム」(クリヴィヌ指揮)
第261回定期87年11月11日:リスト「ファウスト交響曲」(アダム・フィッシャー指揮)
特別演奏会87年12月25日:ベートーヴェン交響曲第9番(若杉弘指揮)
第267回定期88年2月5日:ブラームス「ドイツレクイエム」(クレー指揮)
第273回定期88年6月7日:シェーンベルク「ワルシャワの生き残り」、ヒンデミット「咲き残りのライラックの庭ににおうとき~私の愛する人々へのレクイエム」(若杉弘指揮)
第277回定期88年10月15日:シューマン「楽園とペリ」(若杉弘指揮)

                            ※

 思えば、この合唱団には最後まで愛称や略称がなかった。いつまでも無骨な「都響創立20周年記念合唱団」か、さもなければ、「都響の合唱団」だった。後者は都響関係者には迷惑だったかもしれないけど、事実だから仕方ない。
 合唱団の創設趣旨は明快。20周年の創立記念日にマーラーの交響曲第8番を演奏するにあたり、プロや音楽学生など既存の合唱団では数が足りない第2コーラスのパートを補充する目的である。20年記念定期で配布された季刊『都響』第40号(月刊ではない)の最後のページ、無著名の「都響だより」に記された情報が、この団体の来歴を最も詳しく語った公式文章だろう。以下引用。
「都響としてはじめてこの演奏会のための合唱団を組織しました。この”都響創設20周年記念合唱団(原文ママ)”は、合唱団募集に応えて下さった個人参加の100人の方々とこれまで都響と共演したいくつかのアマチュア合唱団で構成されています。記念演奏会は、各合唱団のメンバー、合唱指揮者の方々をはじめとして、多くの関係者の多大なご協力を得て開催の運びとなります。とりわけ、4月から半年にわたり、記念合唱団のトレーナーと合唱指揮にあたってくださいました郡司博氏にはずいぶんとお世話になりました。」
 新宿文化センターか完成直後の文化会館地下練習室で、水曜と土曜の夕方に行われた練習に半年に渡り参加したアマチュアは、殆どが個人参加者。ママさんコーラス風な雰囲気は皆無。殆どが都響の二十歳のお祝いに参加したい定期会員か、さもなければ、滅多に歌えそうもないマーラーの8番をプロの団体と歌いたい純粋な音楽好きだった。年齢層も高校生から60代まで広く、合唱の初心者も少なくなかったという(その数年前に同じマーラーの8番を演奏する目的で既存合唱団を緩やかに統括し結成された「晋友会」は、アマチュアとはいえ「プロ声楽家として訓練を受けても職業音楽家にならなかった声楽家」の集まりで、素人集団の都響合唱団とは性格が異なる)。
 目的が明快だったためか脱落者は少なく、記念合唱団担当として最後まで尽力された都響事務局の古株氏によれば、マーラー以降もメンバーは安定していたという。指導者の郡司氏も、「アマチュアの合唱団というと、ふつうは練習が終わったら仲間たちと飲みにいこうといった(笑)、いわば遊び気分が半分くらいあるんですが、この合唱団にはそれがなかった。…合唱することを目的に集まっていらっしゃる。(季刊『都響』第43号)」と、都会的でストイックなこの団体の性格を述懐している。
 無事に記念演奏会を歌い終えた記念合唱団がなぜそのまま存続したのか、関係者に話を聞いても理由ははっきりしない。マーラー終了直後から、再び半年先の特別演奏会に向け練習が始まった。指揮者のマーク自身、今のように一部好事家から神格化される雰囲気もなく、淡々とモーツァルトの練習は続き、本番では充実した結果を出すことになる。
 この合唱団の音楽的頂点は、特別な指揮者だったコシュラーとの2度目の共演となった「グラゴール・ミサ」だろう。オリジナルの古代スラブ語での日本初演となるこの演奏会は、本気のアマチュアがタップリと時間をかけ、高い意識で本番に望めば、手練れのプロとも対等に渡り合える事実を示す掛け値なしの名演となった(この演奏、「都響創立40周年記念シリーズ」CDで真っ先に復刻すべきだと思うのだが)。翌年から都響首席指揮者に就任が決まっていた若杉弘が客席で驚嘆し、この合唱団を積極的に起用しようと考えたのも、故無きことではない。
 だが、結果から見れば、そんな若杉の意欲が記念合唱団を終焉に向かわせることになる。前述の演奏リストをご覧になればお判りのように、新レパートリーは年にひとつ程度とはいえ、登場頻度は飛躍的に増加する。アマチュアオーケストラをご存じの方はお判りだろう。1年や半年に1度の演奏会ならばプロとも同等の仕事をする可能性があるアマチュアだが、本番数の増加は決定的な負担になるものだ。率直に言えば、特殊な作品も少なくない若杉との練習や共演を重ね、記念合唱団は技術的にも精神的にも疲れてしまった。都響が23歳になった月の定期演奏会での共演を最後に、団は解散する。以降、特定のアマチュア演奏家と都響が定期演奏会の場でこれほど深い関わりを持ったことはない。

                            ※

 以上が都響創立20周年記念合唱団の短い活動の記録である。最後に、公式データにはないこぼれ話を。
 マーラー第8交響曲の第2コーラスならば暗譜で歌える、と豪語する猛者が集う記念合唱団が、同曲の公演で引っ張りだこになるのは当然だ。翌年秋のサントリーホールのオープンに先立つこと半年以上前、記念合唱団メンバーの多くは、まだ未完成の同ホールでこの曲を歌っている。サントリーホールで最初に歌声を響かせる栄誉を担ったのである。
 86年4月6日、文化会館で行われたアマチュアオケ新響の山田一雄マーラー全曲演奏チクルスの第8番公演の合唱に、前年に同じ会場でコシュラーと歌ったほぼ全員が参加していた。この新響演奏会、本番直前の総練習は、大編成オーケストラによる最初の音響実験として、建設途中のサントリーホールの舞台で行われたのである。今日もサントリーホールで折に触れ上演される開館までのドキュメンタリーフィルムで、舞台狭しと並ぶ演奏家を前に飛び上がるヤマカズさんの映像と音は、そのときのもの。都響創立20周年記念合唱団のメンバーが舞台に並び歌う姿を収めた、おそらくは唯一の映像記録である。
 もうひとつ。元音楽監督渡辺暁雄の指揮者生活40年を記念する演奏会で、都響の側の市民代表として日本フィル合唱団と共演したときのことだ。アンコールに演奏された合唱付き「フィンランディア」は、なんとフィンランド語。以降、賛美歌でも有名な名旋律のフィンランド語での暗唱は、合唱団員とっておきの隠し芸になっている。
 この合唱団と共演した経験を持つ都響団員は、今はもうステージ上の半分にもならないだろう。記念合唱団のメンバーからみれば、都響の団員がプロとして市民らとどう付き合ってくれるのか、今ひとつハッキリしないもどかしさを感じたと聞く。もう独りでもなければ未熟でもない都響は、あの数年で何を学んだのだろうか。

(東京都交響楽団月刊『都響』2005年12月号より改訂再録)


ダイクのおしまいで「ハレタルアホゾラ」と叫んだモボ [閑話]

年の瀬も関係なく原稿やってる深夜、今の状況では恐らくは2005年最後のブログ原稿になりそう。で、いきなり、新しいカテゴリーを立てます。「エヌの閑話」なる、またまた訳の判らぬカテゴリー。
(後記:2006年5月27日以降、カテゴリー名を「閑話」に変更します。)

実は、「商売で書けたこと」です。

何を隠そう、この数日のたうってる原稿がそうなんだけど、これ、よーするに、東京都交響楽団主催演奏会で無料配布している月刊「都響」という冊子の連載雑文なんですね。で、この原稿、読ませてくれという人はいるのだけど、なんせその月が終われば冊子そのものがゴミになり、都響の事務所に積み上げられ、定期演奏会では「ご自由にお取り下さい」とバックナンバーが並んでる。
このような冊子に書いた原稿の権利がどうなるのか、正直、全然判りません。こんなところに勝手に再録して法律的によろしいのか、まるで知りません。都響の事務所に確認したいところだけど、なにせ年末年始でやってません。誰か、これまた著作権に詳しい方、教えてください。契約書などありません。引用している詩の断片は、もう著作権有効期限をクリアーしている筈なんですけど。

で、ともかく、独断でアップしちゃいます。一応、自分勝手に、掲載後1年以上経ったものに限ることにしましょう。それに、「演奏会の帰りの電車で暇つぶしに読むオモシロイ三題噺」という楽団主幹O氏からの無茶なリクエストに応えて生産している作文なので、都響定期演奏会を離れては意味が判らない筈なんですね。だから、当ブログに揚げられるものも、自ずと限定されますし。
基本的には、話があっちこっちに転がりまわる漫談に意図的にしているのですが、ときにはテーマ的な吸引力がありすぎて、独立したエッセイとして読めるようになってしまうこともある。普通の作文とすれば成功でも、この「エヌの閑話」とすれば失敗作、ということ。

それに、今日アップしようとしているネタは、年末の「第九」騒動の中に置かれるのが一番良い原稿なんですね。だから、ことによると、来週早々には「やっぱりアップできませんでした」と、消しちゃうかもしれません。期間限定原稿になるかも。
ま、一昔前なら、このような雑文を集めてエッセイ集が出せる可能性がなきにしもあらずでしたが、昨今の出版状況では小生のごとき三文売文業者ではとてもあり得ない。だから、まあ、良いでしょう。暇つぶしにどうぞ。連載第4回目だった以下の原稿が掲載されたのは、丁度1年前、年末第九の号でした。ダイクと一緒にショスタコーヴィチの小品も演奏されてます。ちょっと見やすいようにレイアウトと細部を変更してます。

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         エヌの閑話:《ダイクのおしまいで「ハレタルアホゾラ」と叫んだモボ》

「ハレタルアホゾラ タダヨフクモヨ コトリハウタヘリ ハヤシニモリニ…」
 以上のカタカナを黙読するうちに、「♪ミ・ミ・ファ・ソ・ソ・ファ・ミ・レ」と音符に乗せてしまった方、それどころか「…」の先まで歌えてしまった方は、その場で手を挙げてください。あ、けっこういらっしゃいますねぇ。
 ご存じ、ベートーヴェン第9交響曲ニ短調作品125は第4楽章。独唱者がいきなり立ち上がり「おお友よ、こんな響きじゃなく…」と叫んだあとに、オーケストラがおずおずと、やがて合唱を交えて堂々と歌われる、単純素朴にして猛烈にインパクトのある旋律。それこそが、こんな日本語で唄うべく用意されたメロディなのである。
 昭和一桁生まれの筆者の母親は、ベートーヴェンの第9交響曲を「ハレタルアホゾラ」と呼ぶ(彼女に言わせれば、ドヴォルザークの新世界交響曲も「トホキヤマニ」なのだけど)。どういうわけか知らぬが、所謂「年末のダイク」トレードマークたるこの旋律に、日本語歌詞、それもまるっきりオリジナルとは異なる歌詞を付けて歌える人々が、日本語文化圏に偏在している。何を隠そう、朝鮮戦争終結後に生まれ、ブルーインパルスが東京上空で五輪の輪を描いたのを目撃している筆者も、見事2番までフルコーラス歌えます。恥ずかしながら、第9交響曲演奏会の客席にいて、器楽同士が「♪ミミファソ」と探り合っている部分など、「ハレタル」、「ハレタル」と掛け合い漫才をやっているように聞こえてならない。いやはや、刷込みとはオソロシイ。

                               ※

 で、緊急メールアンケートを敢行した。質問事項は
「①みなさんの周囲に、ベートーヴェン交響曲第9番を『晴れたる青空』と呼ぶ人がいるでしょうか?いらっしゃる場合、どのくらいの世代の方でしょうか?②実際に、このような歌詞で人々が第9交響曲終楽章の合唱部分を唄っているのを聴いたことがありますか?」
 パソコンに記憶された知人友人仕事関係者アドレスから無作為に抽出。日本語文化圏外で育った方は除外し、30名ほどに発信した質問メールのうち、回答数は約半数。せっかくだから到着順に抜粋列挙してみる。皆様、御協力感謝致しますです。
「①会社の横の席に座っている、齢47歳の編集長は知っているそうです。②編集長曰く、『コンサートでは聴いたことがないが、学校でそう歌わされた』。(30代教育雑誌編集者)」
「①ん~、そういう人はいません。②あります。が、ちゃんとした第九コンサートではないですね。合唱の発表会だったかな。(40代作家)」
「①そう呼んでクラシックファンに白い目でみられたことがある。②矢野顕子がかなり前のアルバムで『ヨ・ロ・コ・ビ』という題名で歌っていた。(40代音楽関係文筆業)」
「①無回答、②山田洋次監督の映画で(「男はつらいよ」のどれか?)、第九をこう歌っていたシーンの記憶があるのですが。(40代映画監督)」
「①いません。②聞き覚えがあるので、テレビか何かで観たことはあると思います。生ではないです。(20代芸術NPO職員)」
「①小学校かそこいらで、そういう風に歌わされた経験があります。ちなみに当時の音楽教師は学校一嫌われていました。(私も嫌いでした。)②前回答参照。(30代美術キューレーター)」
「①いません。②演奏会としては記憶にないし、この後なんと続くかも記憶にないのですが、全然聞いたこともないわけではないです。中学あたりで合唱曲として知っていたのかな。(40代民間音楽ホールディレクター)」
「①いないけど、聞いたことはあります。かなり上の世代ですよね。②ない。日本語で歌ったのを聴いたことがないので。ただ、一人で歌っている人はいたかもしれない。でないと、聞いたことがあるはずないし。第九の楽譜に、堀内敬三訳の歌詞がついたものがあったような。(40代某音楽雑誌編集長)」
「①その世代までには行き着きませんね。②日本人の合唱による第九は生で聴いたことも聴く気にもなりません。(30代地方文化財団プロパー職員音楽ホール企画制作担当者)」
「①身近にはいません。②実演ではありませんが、何かの映像で見たような気がします。武田鉄矢とかが出演していた第九を歌うアマ合唱を描いた映画では、歌詞は日本語でしたっけ?(30代大学講師マルクス経済学者)」
「①私よりも上の世代だったと思います。『ほらあの曲…晴れたる青空、ってやつ』という文脈が多かったような気がします。②聴いてはいません。(50代音楽プロデューサー)」
 なんだか調査対象が偏っている気がしないでもないが、芸術音楽関係者のほぼ全員が「自分より上の世代はそう歌っていた」と思っているようだ。歌詞についても、「自分で歌ったことはないが、なんとなく知っている」みたい。きちんと調査するには60代以上の調査が不可欠だ。高校生以下の世代はどうなのだろう。

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 帝都東京に爆弾の雨が降るよりもっと前の頃、モダンボーイという人々がいたそうな。モダンボーイ、即ち、モボ。話によれば、御幸通りの柳の下やら、数寄屋橋を越えた新聞社街の向こうの丸ビルの裏あたりに、大量に生息していたらしい。
「トランペット、サキソホン、コルネット、バンジョ、ギタルラ、ピアノ、大太鼓などの楽器で、ジャズを大量生産する二グロ・バンド…
妾、くたびれちゃったの。お酒呑まない?ああら、ボオイさん、一寸。…何にするの。え、じゃ、アニゼット、ふたあつ。
メガホンの中から、シャンパンのように、ほとばしる、楽器よりも一層金属化したニグロの肉声。それは唄であるか、それとも響きであるか。
A・I・U・E・OH!
A・I・U・E・OH! OH! OH! OH! (岩佐東一郎「COCKTAILS」より)」
 昭和初期の銀座で、アメリカから入って大流行するカクテルを素材に、キラキラした多彩なイメージを散乱させる幻想的散文詩。ショスタコーヴィチの「ジャズ組曲」でも鳴り出しそうだ。流行がいくつもぐるりとまわり、ダサイ過去がいつの間にかハイパーモダンになる今日この頃、こんな響きにしびれちゃう若者だっているんじゃないかしら。
 ジャズの熱狂に始まり、酔いがドンドン深まって、いつのまにか都会の闇の幻想に溶け込んでしまうこんな散文詩を遺したのは、岩佐東一郎という詩人である。正直、マイナー作家だ。Amazon.comで検索しても、神保町の大小売店の在庫一覧リストを調べても、ひとつとして著作はない。ある紹介文によれば、「堀口大學の影響を受けて、洗練されたウィットとユーモアにあふれたモダンな作風を確立したが、戦後は社会に対する庶民的アイロニーを詠う詩風をも加味した(海野弘編「モダン東京案内」より)」そうな。典型的な戦前のモボ作家である。
 ショスタコーヴィチよりひとつ年上で、同じ年に没した岩佐なる詩人は、もしかしたら、「ソヴィエトロシアの歴史を音で描いた」ショスタコーヴィチと同様に、「帝国から焼け野原、そして戦後民主主義への歴史を散文詩で描いた」作家と言えるかもしれない。たまたま同じ時代に生きただけで、ジャンルも、環境も、歴史的評価もまるで違う2人を並べても、何の意味もないと仰いますか。だけど、それがどんな大きさの才能であれ、芸術家は否が応でも時代を反映するカナリアなのだ。誠実であれば、嫌でもそうなる。
 岩佐東一郎が遺した韻文で、恐らく最も人口に膾炙している作品の最初の節を引用しておこう。日本帝国が滅びてから2年、連合国占領下日本で発表されている。題して、「よろこびの歌」。おお、新生平和国家の青空高く、民衆の歓喜の声が響き渡る!まるで、偉大なる指導者スターリンを賛美する「森の歌」のように。
「晴れたる青空 ただよう雲よ/小鳥は歌えり 林に森に/こころはほがらか よろこびみちて/見かわすわれらの 明るきえ顔」

(月刊「都響」2004年12月号から改訂再録)