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驟雨の中の水かけ祭り [新佃嶋界隈]

地元、ってか、元地元で今や寝床だけの仮住まい、って感は否めない佃大川端なーんちゃって縦長屋居住者のやくぺん先生ったら、今世紀初めの10年には地元の祭りだった住吉さん5年ぶりの例大祭の期間を温泉県盆地から南の海峡のライオン島へのツアーでやり過ごしたものの、真夏の雑用あれこれで1週間弱の新帝都滞在中ったら河向こうは深川の水かけ祭り、それもどういうことか知らんけど6年ぶりの本祭りだそうで、結局は新帝都お江戸東の夏祭りに巻き込まれることになるのであーる。

ま、巻き込まれるっても、もうお財布から諭吉さん半ダースも吹っ飛んで行くとか、朝からなんのかんの御仮屋の掃除とか子供神輿の横について「水をかけないでくださぁああああい」と叫んで歩くとか、はたまた薬屋の町会長やら牛乳屋の副会長、創価学会路地を抜けた奥の区議会議員さんやらの鯔背な写真を撮りまくるとか、ついには八角神輿を数メートル担がされ筋肉痛になるとか、そういうホントの意味での巻き込まれはもうありえんわい。そんなん知りたい酔狂な御仁は、当無責任壁新聞検索欄に「例大祭」とでもぶち込んで、過去原稿を検索してくださいな。ちなみに視点を反対にした本日の元佃では、佃堀から掘り出して例大祭で一丁目を御神域にした幟の撤去作業が午前中に行われようであります。
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さても、本日の深川近辺、広大な神様の領域から町神輿が総計55基も繰り出し
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大川挟んだ東西お江戸を練り歩くのを、作文作業しながら対岸は大川端縦長屋シン・ゴジラ視点勉強部屋からずーっと眺めていたのでありまする。これが運行表。
http://www.tomiokahachimangu.or.jp/shahoNew/pdf/tomigaoka109-6p7p.pdf?fbclid=IwAR0oVPh1uOq9odzADy0A4z1T5DyBTX4dsvjMR1OxggcYJMxUHMNsA2VQ8R4
このPDFファイルの6と7の間、お江戸の頃には大川のいちばん海に近い場所を跨いでいた永代橋を、南側のちょっと高いところから拝見。そもそも神様がお通りになるのを見下ろすなんぞ不遜この上ないことでありましょうが、ま、その辺りはお許しを。

永代橋東詰、かつての山一証券倒産騒動で名高いビルの前辺りで先頭の宮元神輿が待機する昼休みを終え、時折日も射してくる中途半端な曇り空の下、昼過ぎからエイやエイやと町神輿が河向こうの八幡宮さんへと戻り始めます。
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それにしても永代の歩道はカメラマンだらけ、水がかかっても大丈夫なんでしょーかねぇ、お高いカメラじゃろに。

まるで温泉県盆地の山の天気のようにくるくると変化する空模様、ちょっと視界が良くなるや、日テレ報道ヘリが箱根駅伝のときみたいに天樹手前くらいまでをグルングルン廻ってら。1時間以上たって、まだやっと半分にもならぬ24組目の東陽四部。佃の祭りの町神輿隊列なんぞ、アッという間に通り過ぎてしまうんだけどねぇ。
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おおおっと、アヤシげな雲がやってきて天樹が見えなくなったと思ったら
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アッという間に猛烈な驟雨到来!目の前に白い線を引っ張ったような猛烈な雨脚にもめげず、粛々と隊列は進み、39番目の新川越一が大川跨ぐ頃には、一雨終了。いやはや、2023年の新帝都は南洋かい。渡ってった先では、こんな風に深川の善男善女が待っております。
https://youtu.be/bQE79r7NIBE

とはいえ雨で濡れそぼった先触れの旗はちょっとやそっとの風でははためかず、どの街神輿かここからの目視では判らなくなってしまったぞ。どうやら44か45番目の深川二南か北のようで、なんにせよあと町神輿は10チームほどじゃ。

深川一が永代渡って、隊列もあと10を切った辺りで、御神輿渋滞みたい。追い打ちをかけるようにちょっと前どころではないもの凄いスコールが落ちてきて、永代橋がまともに見えない状況の中、どうやら最後から3番目の古石場東が渡っていきましたぁ。
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あとは琴平と、しんがりを勤める深濱なんだけど、もう目視出来ん状態。ちなみに「ふかはま」なんて地名はなく、なにやら漁業組合とのこと。へえええ。

午後3時半、しんがり深濱町神輿が永代橋通過、これで深川祭りのハイライト永代橋での大川跨ぎはオシマイ。数時間ぶりに永代橋は空っぽになりましたとさ。

深川の水かけ祭り、天候不良の今年は沿道からのバケツ水ではなく、天からぶちまけられる水でびしょ濡れで無事終了。例大祭はまだ明日もいろいろ行事があるようで、晩夏の深川水かけ祭りはまだまだ続く。

ゲリラ雨 神輿濡らして 川跨ぎ

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銀座にインバウンドが戻って来た [新佃嶋界隈]

イースター休暇真っ盛りの聖金曜日の午後、この期間中の短い新帝都滞在でやっつけねばならぬ原稿を朝から処理していたら、どうしてもヤナーチェク2番のベーレンライター版の序文と解説を眺めねばならない羽目に陥り、うううむ、遙か1000キロ彼方は隣の島、温泉県盆地のオフィスまでいかないと手元にないわい。上野の資料館まで行けば良いのだろうが、今日は作文に専念するために都美術館での「東京・春・音楽祭」公園をサボってしまっているので、なんとなく上野の杜まで足を伸ばすのは気が重い。で、まあなんとかなるじゃろと、銀座まで出かけて山野かヤマハで立ち読みして必要部分は頭に叩き込むとするぇか、と大川端縦長屋のシン・ゴジラ視点勉強部屋をチャリチャリ出ようとすると、一昨日の成田着陸でも酷い目に遇った春の嵐が吹き荒れておるわい。これは老人には大川をチャリで跨ぐのは危険と判断、月島駅まで佃堀横を歩き、大人しく銀座一丁目駅まで地下鉄で参るべぇか。

さてもさても、なぜかエスカレーターが途中までしかない銀座一丁目駅銀座通りした西側出口から地上に至れば、おやまぁ懐かしや
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目の前にはこの2年絶えて見なかった「観光客待ち違法駐車観光バス」がドカンと居座っておるじゃあーりませんかぁ。

このところ、温泉県盆地のJR九州駅舎やらバスターミナル、はたまた金鱗湖に向かう湯の坪街道ですっかり日常風景になったインバウンドさんたちが、Ginzaにもガッツリ戻って来ておるようじゃ。温泉県と違うのは、主に韓国語中国語タイ語マレー語などの乱れ飛ぶ温泉県盆地とは違い、イースター休暇真っ最中とあってかアングロサクソン系の団体客さんも目立つことじゃの。

すっかり音楽屋さんは上に追いやられて携帯端末屋の大家さんになってる山野楽器さん、流石にベーレンライターのヤナーチェクならしっかり楽譜売り場に並んでいて、ちょちょっと必要なところを眺めようと思ったけど、今のリアル楽譜書籍販売店の置かれた状況を鑑みるにこれは店舗での実売数を一部でも増やさないとこの店もいつどうなるか判りゃせん、やはりこれは購入せにゃマズいでしょ。かくて1部しっかり購入、ま、温泉県盆地まで行くよりも遙かに安く済んだ、よかったよかった、と強引に己を納得させつつ、いよいよ解体作業が始まりそうな四丁目交差点リコー丸ビルを寂しく眺め
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ここまで来たのならばと銀座通りを下る。っても、何故か知らぬがユニクロの向かいでは一斉にカメラを構えるインバウンド集団に道を阻まれ暫く渋滞。
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かくて、到着したのは言うまでもない、ヤマハの手前、ギンザのオジサンのオアシス、発酵麦ジュース専門某老舗レストランでありまする。

もう1階のビアホールランチはオシマイ、2階は3時までランチやってますというので上がっていくと、ここもしっかりインバウンドな多言語世界が広がっており、おやまぁ懐かしや、「奥さんと娘が隣に買い物にいっている間、ビール飲んで待ってるお財布係のおとーさん」の姿も戻っておるわい。

週替わりランチのポークチャップがなくなってしまったというので、それならせっかくだからと今月のスペシャルランチたる「アトランティックサーモンのレアフライ」セット&小さなビールで総計€16ちょい。出てきたもんはこんなんで
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おおおお、なるほど、こげなものがこの値段で出てくるなら、日本に観光に来るなというのが無理じゃわなぁ。これ、御隠居あひるの故郷フランクフルトの€ビル辺りで喰らえば€25くらいは確実。マンハッタンのアッパーイーストなら、チップ込みで$40は取られるじゃろて。いやぁ、ニッポンすげぇ、でんなぁ。…どうしてそんなことが出来るかは問うてはならないのだろーけどさ。

かくて大陸本土からのお客さんはまだまだ戻っていないのに、既にこの瞬間に通りに流れるニンゲンのパスポートチェックしたら、冗談じゃなくニッポン国臣民は半分くらいじゃないの、って感じの新帝都大繁華街、すっかりインバウンドが戻って来た春も桜の散り花が風に舞う新帝都ギンザであったとさ。

さても、区役所前からの100円コミュニティバスで大川端に戻り、さっさと作文仕事を続けましょ。
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散る華に インバウンドの 狂い咲き

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ローカル指向で謹賀新年 [新佃嶋界隈]

2023年最初の夕方が迫る新帝都(先帝がご健在な限り、いつまでも新帝都なんだわなぁ…)は大川端から
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ニッポン国の社会習慣に従い新暦の、謹賀新年賀正季節のご挨拶でありまする。
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思えば2022年は、前年2021年師走にゆふいんオフィスのリフォームが完成し「毎月東京2週間由布院町2週間」生活が本格的に始まり、ぐるりと一通りの季節を巡り終えた最初の年となりました。その間に、秋にはやっと国境が開き、9月最初の2週間弱は「ともかく20ヶ月ぶりに欧州まで行き、良く判った場所で10日程過ごして外国生活リハビリを行う」という感じのミュンヘンARDコンクール取材でウォーミングアップ、続く11月には「連日の移動移動で欧州内を動き回り、更にその勢いで半島まで足を伸ばしてくる」という本格的な3週間の開国後実質初の現役時代頃同様のツアーをやってみた。後者は二重拠点生活の新たなハブたる福岡空港国際線ターミナルを利用し、温泉県盆地からアジア圏に出る楽さを今更ながらに実感。余生の動き方を、大いに考えさせられることになった次第でありました。

11月のツアーでは、秋の初めにはなんとなく感じるくらいだったウクライナ戦争による欧州の戦時下状態が鉄道事情(及び全く使えなかった空路事情)で肌で実感することになる。ツアー最中に当電子壁新聞やリアルタイムのFacebookでは敢えて記しませんでしたが、湾岸戦争でイラクに英米軍が首都攻略で突っ込むときにオランダベルギー国境でやられて以来の車内置き引き事故にベルギー独逸国境で遭遇、「飛び恥」世論喚起で一気に鉄道へと欧州内公共交通をシフトする些か強引な政策のネガティヴな面というか、当然起きるであろう混乱に巻き込まれ、ああこれは今世紀初めから2019年までの世界と思ってはいけない、ホントに違う世界に我々は入ったのだなぁ、と痛感させられたものでありまする。

てなわけで、明けた2023年は、隠居宣言の本筋に立ち返り(?)、可能な限り大人しく日々を過ごしていきたく思っている次第でありまする。現時点では、2週間毎の東京佃と大分由布院拠点生活を繰り返し、「縦長屋内極小アパートに自分の作業空間が一切ない大川端に寝泊まりしているときはほぼ毎日演奏会通いで、急ぎ仕事は上層階パブリックスペースの電話が取れない勉強部屋か町場のドトールやらルノワールで処理」、「最寄りコンビニまで徒歩だと25分の温泉県盆地の久大本線際の田圃の中にいるときは、ネット環境だけは線路向こう自衛隊官舎に匹敵するほど整った家からほぼ一歩も出ず作文作業に勤しむ」という、一年かけて確立されつつある生活が続くことになると思いますです。

要は、2019年までの「日本にいません」という時期が「温泉県盆地に居ます」に変わっただけといえばそれまでだったわけだけど、そこに文字通りの「日本にいません」が戻って来たわけで、その辺りのバランスがどうなっていくやら。ま、隠居宣言の裏にあるフリーとしての収入の激減、体力&気力の衰え、20年スパンでの取材はもう絶対に不可能な故の意図的な取材控え、など諸々の要因が加わるわけでありましてぇ、現時点で2023年の両拠点長期離脱は、2月のソウル(大陸の政策変更によるコロナ情勢の変化で旧正月明けの香港芸術節訪問は中止にしました)、4月イースター明け2週間ほど欧州、5月大阪国際室内楽コンクール&フェスタでの大阪2週間滞在、11月上旬のソウル経由パリ若しくはリール《光の月曜日》、が予定されるのみ。7月のメルボルンと9月のミュンヘン、後者は今年はピアノ三重奏が課目なんですけど、恐らく、余程の事が無い限りは行きません。

無論、インテグラがメルボルンに出るなんてことになったら…うううむ、ジェットスターかヴァージン・オーストラリアで無茶旅行をする可能性もあるけどさ。なんせ、過去のニッポン国籍団体としては史上ほぼ始めて、「勝てる」ポジショニングでの参戦になるわけだからねぇ。「やくぺん先生がいると日本の団体は絶対に勝てない」というジンクスを配慮し、行かん方が良いのかもしれんとは百も承知ながら、俺だって死ぬまでに一度くらい同胞が優勝する姿を見てみたい現場で盛り上がってみたい、って中嶋や鈴木亜久里時代以来のF-1ジャーナリストみたいな気持ちもどっかにあるわけで…

そんなこんな、今年もおんなじように生きていくことになると思います。皆々様、よろしくお願いします、って気持ちで地元佃は住吉さんに新年元旦のお詣りにいってみるべぇかとノマド場から立ち上がりフラフラ大川端を歩いて行ったら、なんとまぁ
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遙か本殿から妙なる雅楽の調べが響いてくる中を、鳥居向こうの路地は人でギッシリ。行列は大川沿いに遙か佃煮の天安さんどころか田中屋さんの前まで続いているじゃないのぉ!やっぱりみんなローカル指向の2023年なのかしら。

あちこち動き回るんじゃなく、ローカルに生きるのがカッコいい…なんて空気が醸し出される2023年になりますよーに。

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柴又・川崎・中央区 [新佃嶋界隈]

本日、すっかり川崎夏の風物詩となったミューザサマーフェスティバルで、こんな演奏会を拝聴してまいりましたです。
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/calendar/detail.php?id=3169
生誕90年のマエストロ山本直純を顕彰する演奏会で、指揮者の広上さんがコロナでキャンセルになるなどなかなか大変だったようですが、ま、直純さんという人の大変さを考えればこれくらいのことはあるだろー、がははははあぁ、って感じですかね。聴衆は直純さんと時代を過ごしてきた方々が中心で、《歌えバンバン》で熟年が一緒になって手を叩いたり。オケはもう直純さんは知らない奏者ばかりでしょうが、残るべきものは残っていくのであろうなぁ、といろいろ考えさせられた次第でありまする。やっぱり祐ちゃんが編曲した名曲メドレーの最後が《男はつらいよ》になるのは、元葛飾区民ならずとも、当然と言えば当然でありましょうねぇ。
横に流れてるのが六郷川じゃなくて江戸川に思えてくる、涙なみだの選曲でありました。

この演奏会、最後にアンコールで直純さんが川崎市のために作曲した《好きですかわさき愛の街》が披露され、大いに盛り上がって終わりました。
終演後にホールの方に「この曲って、川崎市民は知ってるんですか」と訊ねると、「ゴミ収集車がフルコーラス流しながら来るので、子供でも知ってます」とのこと。なるほどなぁ。なお、殆どが騒音ですので、視聴ダイナミックスにお気を付けて。上のローカルアイドルさんが散々歌ってるのを聴いた後なら、確実に聴き取れることでありましょうぞ。

明治文明開化以降、ニッポン国に西洋音楽が移入されてから、作曲家さんは市歌県歌などを作るのは米の飯としていたわけでありますな。直純さんもいっぱいあるんだろうなぁ、と興味本位で調べてみたら、おおおおお、なんとまあ、こんなものがありました。
https://www.uta-net.com/movie/248462/
いやぁ、これは知らなかった。区文化財団がない文化不毛の地中央区は晴海地区に今世紀の初めにニッポンでほぼ初のNPOによるホール運営と地域アート振興を目的に立ち上げられた某団体の立ち上げディレクターだった方に訊ねてみたら、「そんなの知らないよぉ」とのこと。それほど古い作品ではないのだけど…川崎のようなヒット曲にはならなかったんですなぁ。まあ、確かに…

♪愛がある 愛がある いつまでも 愛がある わがまちよ ああ中央区

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煎餅屋が消えた島 [新佃嶋界隈]

たまにはノンビリ、どーでもいい話。って、あたしとしてみれば、もうこんなところに住んでいる必要が無いと腹の中では思っている程の大問題なんですけど…

世間では「東京の下町の空気が残る」とか「お江戸町歩きスポット」とか、まあとてもじゃないがそんなんじゃないぞ、としか思えぬような形容句くっつけて語られる新佃嶋界隈でありまするがぁ、東京からの転出者超過となるコロナ禍の世界にドンドンと変貌している場所でもありまする。

もんじゃ通りとして知られる月島西仲通にしたところで、この数年で地上階に路地タイプの店舗を入れたハイライズが何本も建ち、勝ち鬨近辺に林立するハイライズ、はたまた都民最後の都心の最大財産を大手ゼネコン共同体がよってたかって常識額の10分の1でかすめ取った晴海地区オリパラ選手村跡地再開発と、御上に裏切られ続けた島周辺大川河口地区は、21世紀になっても相変わらずの無茶苦茶ぶり。

今や気分はすっかり温泉県盆地の田圃の中住人たるやくぺん先生ったら、もう俺は知らん、どうにでもなれ、沈んでしまえ、地震で崩れろ、と腹の中では思っているわけでありまするが…とうとう、ホントに「こんな島、沈んでしまえ」と叫ばざるを得ない事態となったのであります。

ええ、やくぺん先生にとって、この地球上で最も必要としていた食い物のひとつが、月島西仲通商店街の入口近くにあった煎餅屋さん胡萩堂の「げんこつ」でありました。写真を示したいけど、あまりにも当たり前のもので、探してもない。ガラスじゃなくて袋詰めだったんで、この紹介ページにもない。
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2016/08/post-3576.html

ここで「げんこつ」について論じ始めれば、もう新書本どころか単行本一冊書ける勢いなんだがぁ、敢えてそんなことはせんわい。ともかく、銀座あけぼのの「われげんこつ」みたいな紛いもんを「げんこつ」と思ってはいかんぞよ。あれはあくまでも「われげんこつ」で「げんこつ」ではない、とあけぼのさんも正々堂々と認めているではないかい。うん。
http://www.ginza-akebono.co.jp/about/material.html

ま、あちこちの煎餅屋に「げんこつ」と名告るものは存在し、それはそれでやくぺん先生が文句を言うものではないけれど、ともかく、世界一の、いや、この我々が知る宇宙で唯一にして無二の真の「げんこつ」を提供する店は、月島胡萩堂しか存在しないのであった。これはもう、絶対の真理なのじゃ!

ああ、そんな貴重なお店、数年前からおばちゃんがやる気あるんだかないんだかよーわからん状態で、たまにまとめ買いに行くといろいろ話はしたものの、いつまでやるかねぇ、という雰囲気漂っていた。向かいの「世界で最もメガ盛りな唐揚げ弁当」を無造作に出していたもの凄く仲の悪い爺ちゃんと婆ちゃんがやってた弁当屋が311後になくなった頃から、その日がいつか来るのではないかと感じてはいたものの…

コロナ禍、葛飾オフィスへの自主隔離、そして葛飾巨大柿ノ木から温泉県パーシモンゲートが迎えるオフィスへの移転と、周囲バタバタして西仲通にもまるで顔を出していなかったこの2年、そもそも温泉県があるキューシュー島には「煎餅」と呼ぶべき食物が存在しないという驚異的事実を前に、ともかく周囲からありったけの煎餅を温泉県盆地に持ち込まねばと万札握り締め、「おばちゃん、在庫のげんこつ、みんなちょうだいな」と叫ばんと西仲通に向かったらぁ、おおおおおおお…
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ない、ない、ないっ!我が魂の「げんこつ」屋さんがなくなり、別の店舗となりつつあるじゃあないかぁ!

いずれそうなりそうな気配はあったから、一億歩譲ってこの現実を受け入れるとしましょう。問題はそこからじゃわ。せめて交代の「げんこつ」モドキをば購入せんとGoogleMapさんに「煎餅」と入れて検索を掛けたら、なんとなんとなんとなんと、銀座方面にはいくらでもあり、門仲にもいくらでもあるのだけど(敢えて暴言を吐かせていただけば、「日本一固い」などと自分で煽るような店は信用できませんです)
https://www.kikaku-sembei.co.jp/
佃月島晴海の大川河口島の上には、煎餅屋が一軒もないと仰るではないの!え、冗談だろ、って。

かくて、「銀座東京駅から最も近い田舎」たる佃嶋界隈は、煎餅屋すら存在しない新帝都の僻地であることが判明したのであった。

ホントにないのか?ほ、ホントに…

[追記]

いじましく「月島胡萩堂」とWeb上をウロウロしていたら、ある方の個人サイトに今は亡きあの至高の「げんこつ」のお姿を発見しました。勝手ながら、遺影をここに掲げさせていただきます。
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大川端をドローンが渡る日 [新佃嶋界隈]

一昨日の晩、冬至のすっかり日も暮れた大川は中央大橋をダラダラと跨いでると、天樹の方は中央大橋と永代橋の間の大川上空に赤い小さな点が浮いているわい。クリスマス遊覧飛行で東京ヘリポートから出張ってお稼ぎ中のちっちゃなロビンソンじゃ、富豪が大奮発してもホバリングで観光させてくれるわけもないし、警察や報道でもなさそうだしぃ、なんじゃらほぃ、と思って暫く眺めていたら、どうやらドローンくんじゃあないの。へえ、冬至だかクリスマスだかでライトアップされている新帝都の空撮かいな、許可取るのめんどーだったろーなぁ…なぁーんて思ってた。

そしたら、昨日になって中央大橋越えて仕事に出て行ったお嫁ちゃまから、「橋の上でドローンの実証実験やってるよ」との連絡。へえ、と眺めてみると、おおおお、こんな奴が目の前を川下に向けて渡っていくではないかいな。
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って、この写真は縦長屋から東京駅方面を眺めたときのもんじゃなく、その後に地上から見上げたときのもの。縦長屋からセレブなブンチョウくんと一緒に眺めてると、川向こうは映画「空気人形」の舞台になった鉄砲洲に数年前に立ち上がって都庁方面の眺望を遮ってしまった36階建て縦長屋との間を、まっ黒けドローンくんが突っ走っておりましたです。高さは、こちらの縦長屋の最上階よりもちょっと上くらい、250から300メートルくらい、ってところかしら。

なんせ中央区は全面的にドローン飛行禁止区域。とはいえ、昨今の動向では、東京都だか国土交通省だか知らんが、放送局やら創価学会系の流通企業やらに圧力加えられてドローン運用解禁に向けた重い腰を上げ、実験でもやってるのか、と勝手に納得しておったであります。

かくて本日、温泉県盆地の賢人がわざわざ新帝都は上野の杜に出向いて50回目の年末《ゴルドベルク》を披露してくださる予定が九十肩で中止。その後で京成電車で急ぐ予定だった千葉市立美術館での弦楽トリオ《ゴルドベルク》のいんちきカメラマン仕事を久々に行うため、ノコノコと大川越えて茅場町から西船橋まで地下鉄でえっちらおっちら向かうべぇか、と中央大橋を越えんとす。その前に、久しぶりに大川端のドバやら雀やらの様子でも眺めてやるかいな、とノマド場に下ってみると、ほお、橋の上で今日もなんかやっておるわい。
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一昨日夜に目撃した辺りに、今日もドローンくんが舞っておりまする。ちっちゃいけど、お判りかな。

中央大橋越えて、目の前を通って佃大橋の方に向かい、聖路加の辺りで見えなくなりました。なにやっとるんだか。

ってなわけで、橋を渡る途中で歩道に立ってるスタッフさんに、あれやこれやと訊ねてみました。
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以下、そのお返事を箇条書きで列挙。

◆運用実験をやってるのは、国土交通省や東京都ではなく、JAL系の民間企業。

◆やってることは、「隅田川の橋3つを越えて、向こうの製薬会社から聖路加病院に医薬品をドローンで緊急搬送するための実証実験です」。

なるほどぉ。Googleマップで調べてみると、確かに永代橋の向こう、豊海橋から日本橋川にちょっと入った浜町の川縁に東和薬品の営業所があるわい。ここからドローンくんのお腹に薬詰め込んで、永代橋→中央大橋→佃大橋を越えて大川筋を飛ばし、聖路加ガーデンまで持ってく、距離にして1.7キロくらい。超速歩きで知られるGoogleマップさん曰く、歩いて22分で自転車なら9分、車なら8分とのこと。ドローンくんたちって、性能はいろいろあるんだろーけど、無風時の普通の運用なら時速にして50キロから80キロくらいだろうから、日本橋川から大川に入って右折、あとは真っ直ぐ大川上空を来るとすると距離は500メートル+1キロ半くらいで約2キロ弱、この距離を突っ走れば、離着陸含め3分くらいで来るだろうとは思えますね。

大川端周辺住民とすれば、心配なのは「うちに突っ込んでこないか」ってことであります。んで、おにーさんに「どれくらいの高さで飛ぶ予定なの、昨日から眺めてると300メートル弱くらい、って感じなんだけど」と訊ねると、そんなこと訊ねられてもあたしゃ操縦士でないので知らん、とのこと。広報でないので応えられない、ではありませんでした。

ま、ホントの事いうと、もっと心配なのは、この空域はヤンキー海鷹黒鷹の牙城で、地位協定でニッポン国内法一切無視の「川筋に沿って上空1000から1200フィートで飛行」という見知らぬ占領地などでの基本的な飛び方をしっかり実行なさっている場所なのだ、という現実。コロナ禍になってからは眼に見えて飛来が減っているとはいえ(ってか、大川端縦長屋勉強部屋がコロナで使用中止になっていた為、ロンの海鷹や座間の黒鷹、横田のイロコイがお仕事中のやくぺん先生の目の前を突っ走っていく姿を目撃する機会が圧倒的に減っていただけかもしれんけどさ)、新帝都に君臨するマシン猛禽類の頂点在日米軍と聖路加運搬ドローンが空中衝突する可能性は否定出来んわなぁ。この実証実験、厚木や座間に連絡行ってるのかしらね。

とにもかくにも、やくぺん先生が大川端にいる間に、目の前にまっ黒な聖路加ドローンくんが行き来するのが当たり前な風景になるのか…どうなんでしょ。ま、ドローンくんがカワウやら烏やらチョウゲンボウさんの生活の邪魔をなさらないといいんだけどさ。

トンビども そこのけそこのけ ドロンがとーる

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晴海の落日 [新佃嶋界隈]

先週だかの曇り空の寒い午後、オリパラで軍隊警察が出てまるで軍事基地か原発か、って状況の現地人オフリミット空間だった我がノマド場のひとつ、晴海客船ターミナルに行ってまいりましたです。やっと都バスも走り始め、トリトン前から南に向けて真っ直ぐ、一応、一般人もアプローチ出来る道がひとつだけ開いている。
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で、辿り付いた埠頭は、こんなん。
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うーむ、いかな「帝都で最も寂しい観光スポット」として有名だったとはいえ、やはり秋の曇り空の下に鳴くは閑古鳥ばかり、って状況は相変わらず…どころか、無人のアパートが廃墟の様に並ぶ中、ますます寂しさは増すばかり。かつては各国軍隊がニッポン・エンペラー足下のオフィシャル・ポートに入港し一礼する場所だったとは思えぬ、知らん人がみたら海辺の廃墟アパート街施設のようになってしまってら。客船ターミナルには入港予定は一切掲げられず、ホントにやってるんか、という状況。

あああああ、と寂しく思っていたら、こんなニュースが。
https://funeco.jp/news/news-18012/
やったぁ、フランス海軍のフリゲートだか以来まるまる2年ぶりくらい、やっと晴海にマニアさんが詰めかけ殺気だった空気が漂う祭りの日が戻ってくる、と喜んだんだけどぉ、じっくり眺めると「お台場の国際ターミナル」とあるではないかい。

なんじゃそれ?

どうやら、コロナ騒動の最中、ホントにトーキョーでやってたのか判りゃしないインチキ五輪のドサクサに紛れ、かつての船の科学館は二式大艇が展示されてた辺りに、国際旅客ターミナルが移転してしまったらしいわい。なんなん。
https://www.tptc.co.jp/terminal/guide/cruise

うううむ、なんだかしらんが、これはともかく眺めておかねばならぬ。ってなわけで、朝からチャリチャリと晴海の横に出来た新しい橋を豊洲に渡り、2021ヴァーチャル・インチキオリンピック巨大仮設スタジオの解体作業が進み更地ばかりとなった有明を抜け、まあああっすぐお台場のサントリーやらフジテレビの前を過ぎ、羽田行く高速の上を跨いで、オレンジ色に輝く宗谷が見えてくる辺りまで銀輪こぎこぎ40分近く、新しいターミナルまで詣でたのじゃわい。手に独連邦共和国の旗を持ったマニアさんたちが歩いて行くのを追いかけるや、おおお、おったおった。
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ターミナルそのものは、晴海のようなバブル期の浮かれた感じはない妙に質実剛健の今風の合理的な(四角くて白いだけの)広い空間。要は、なにもない、ってこと。で、こんな様子。
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遙かお台場の観光スポットの間に、晴海トリトンが頭を出している。
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コロナ故か、一般公開のない帝都公式訪問艦、ぼーっとリンクスくんを眺めてると、偉い人が戻ってきたらしく、兵隊たちが出迎えてら。
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それにしても、目の前にゆりかもめの駅はあるといえ、ここからじゃあ晴海の頃のように水兵達が歩いて銀座まで行くなんて不可能だなぁ。そもそも今、自由行動って許されてるのかしら。

もうこれからは、虹橋の下をギリギリに潜って帝都表敬訪問の軍艦が晴海に接岸することもないのだろー。皇紀2600年からなんのかんの80年、栄光の晴海は国家的詐欺と歴史に記されるであろうインチキ五輪のあおりを喰らって、いつのまにやらその役割を終えることになった…のかしら。

虹橋を マストに臨み 日が落ちる

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お彼岸の佃堀 [新佃嶋界隈]

「暑さ寒さも彼岸まで」という諺(というのか、こういうの?)が、今世紀に入った頃からは「暑さ暑さだ彼岸まで」と変更になった帝都、今年ったら中秋の名月も過ぎ、お彼岸の中日を過ぎてもまるっきり夏みたいな気の触れた湿気と熱気が漂い、東京オリンピックは大丈夫か…って、いつの間にか地域住民が気付かぬうちにとっくに終わっているんだっけか。

とはいえ、日に日に夕暮れは早くなっており、5時を過ぎれば夕方の空気が漂い出す大川端。釣り船の五輪警戒船アルバイトも終わったか、もうコロナ禍なんてどーにでもなれの都民を乗せて朝晩出て行く佃堀は佃小橋辺りは、なんだか知らんがこのところ、やたらとハゼ釣りの老若男女で溢れかえっておりまする。いつも、こんなだっけね。

なんせ、本日までの半年とすこし、葛飾オフィスを失い、縦長屋のシン・ゴジラ視線勉強部屋は緊急事態宣言発令で使用禁止が続き、文字通り「居場所がない」やくぺん先生ったら、仕方なく仮オフィスとしていた佃大橋南東詰めの旭倉庫にてこてこ通う道すがら、佃堀を眺める日々だったのであります。

んで、石武新オフィスも本格化し、いよいよ旭倉庫仮オフィスの撤収が始まったのが数日前。あれやこれやと小間物を段ボールにぶち込み
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南の温泉県とはいえ高度450メートルの盆地、冬はガッツリ氷点下で雪も降る。新帝都の半端な冬には不要なミネアポリスやらボストンの冬用の着るものを縦長屋から仮オフィスに運び込み
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あとは搬出を待つばかり、ってことになってきた。

昨日の昼前、もう仮オフィスとすら言えなくなってる倉庫に向け、夏のような水蒸気の中を歩いて行くと、ドバドバたちが壮大に植わってる藪の向こうから、甲高いジジジジという聞き慣れぬ声が響いてくるぞ。おおおお、目の前を、翡翠色の飛翔体が水門の方にすっ飛んで行き、水辺に着陸するではないかぁ!
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お判り…にはならんじゃろね、なんせふるういiPhoneの解像力じゃから。

あああ、とアホ顔晒して眺めてると、佃堀のことならなんでも知ってる元佃のご隠居が、でっかい長球ぶら下げたカメラマンさんと一緒にやってくる。曰く、「先週くらいからね、子どものカワセミが来てるのよ。この人、もう写真いっぱい撮って、インターネットにアップしているんだってさ…」。どうやら、佃小橋南側のハゼ釣りの人々とバーダー系カメラマンさんたちの間には微妙な空気があるようで、ご隠居もやれやて、って苦笑気味でありました。

かくて本日、10余年使わせていただいた旭倉庫から荷物を完全搬出、豊洲倉庫の家財と一緒に来週の石武オフィスへの搬入までしばしの別れとなる作業の立ち会いのため、朝もはよから佃堀脇を通勤していく。と、おおお、いらっしゃいました、佃小橋の下の、例大祭の幟が埋まっているのを示す杭の上に、ちょこんとお座りのちっちゃな水辺のスター。
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まだよくわからないけど、お嬢さんみたい。じっとご飯の動きを眺め、ぷっと壮大なうんちして、住吉さんの方に去って行きましたとさ。

ヘンっだ、あたしだって綺麗よ、と向こうでイソヒヨねーさんがキラキラと真っ黒い美肌を光らせてる。そー、貴方もホントにステキですよ、隠れた佃堀のべっぴんさんですからね。
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それにしてもここ佃堀、マジにハゼ釣り人の糸や針などが放置されていたら、カワセミお嬢さんには危険な場所だわなぁ。居着いても良い条件がそろっているのに、なぜかここにはカワセミが居着かないのは、それなりに訳があるのだろう。チョウゲンボウはいるけどツミはみたことないといえ、なんせドバと違わない大きさで静かにやってくるシティハンターだからなぁ。

おっと、いつまでも眺めていられない。倉庫で搬出の立ち会いをせねば。
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佃堀通勤路、綺麗なお嬢さん達に見送られる最後の朝でありました。

秋の朝 暑さ切り裂け ぶらっく・あん・ぶるー

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仕事場も祭もない初夏へ [新佃嶋界隈]

以下、全くどーでもいい駄文です。暇つぶしにもなりませんから。

葛飾オフィスを撤収して1ヶ月、風薫る皐月となりましたです。オフィスがなくなって直後の4月始めには、「いろいろあったオフィスの移転先探しもやっと決着が付いたか」と夢のような丸1日ほどを過ごしたものの、急転直下暗転、話がまた振り出しに戻ってしまった。それからは大いに凹みつつも、「東京春音楽祭」が頑張ってくださったお陰で、ほぼ連日どこかの演奏会場に行かねばならないまるでコロナ禍が終わったかの如き状況が2週間ほど続いて、再び気力を振り絞りオフィス探し作業再開どころではなく、連休もやってくるしどーするべーかと思案しているうちに、またまた緊急事態とやらで…

起きているすべてのことに意味があるのであろー、と初夏のような南風に吹かれつつ、足下に「くれないのくれないの」と寄ってくる大川端のドバやら雀たちに佃のセレブなブンチョウくんの食い残しを落としてやりながら、ボーッと午後のコロナ禍緊急事態新帝都を眺める夕方なのであったドバドバ…
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思えば大震災で佃路地裏の地べた長屋のCDや本棚が倒壊しかかった年の秋、「この家を有効に使ってくれ」という遺言を遺して父親が急逝した正にその日にお嫁の家族を佃の縦長屋に迎えることになり、佃地べたの路地と縦長屋、葛飾と寝る場所が三カ所もある無駄といえば無駄な生活が数年続く。流石にこれはコストがかかりすぎると、今世紀頭に諸般の事情でこの地に庵を結ばねばならなくなって目白から移って以来の佃の地べた長屋を捨てることにし、単身赴任状態で住所を中央区から葛飾に移し、佃二丁目町会からも完全に足を洗ったのが2015年の4月のこと。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2015-04-16

それからまるまる6年、佃から巨大柿の木の麓のオフィスに通勤する生活だったのが、昨年冬の終わりからは新型コロナウィルスの家庭内感染を避けるためにやくぺん先生だけが実質葛飾に住み込む自主隔離を敢行、シジュウカラさんやらヒヨちゃんやら、はたまたメジロン夫妻やらほーほーさんらを友とする隠遁生活を送る事となる。コロナ禍は止まず、夏以降は仕事が無く収入激減、秋になるとそれなりの規模の一軒家を維持するだけの固定費支出すらままならない状況に追い込まれ、昨年の父親の10回目の命日には小雨降る中を千葉の成田アプローチ下の墓で手を合わせ、家を処分するという有効な使い方をさせていただくことを許していただく。んで、決断をするや、あれよあれよと話が動き、この3月末までには葛飾を撤収せねばならないことになって…

てなわけで、4月の1日にはこの半世紀、世界の何処に動くにもポケットやら背負子の奥のどこかには入っていた「実家の鍵」がなくなって、妙にスースーする感じになりながら中央区民に復帰。とはいえ、同じ佃二丁目とはいえ三度目の住所は路地ではなく縦長屋の一部屋へと様変わり、とうとうやくぺん先生も地べた民から天上人になったのであーる。

なんせこの町会、地べた民と天上人の間には微妙な、ってか、ハッキリした格差(なのかなぁ、町会では億単位の土地を動かす話ばかりだったから、地べた民の方が圧倒的にほんまもんの金持ちで、縦長屋住民は勤め人か隠居投資家の小金持ちにしか思んのじゃが…)があり、ぶっちゃけ、住所は同じ町内でも、まるでコミュニティが異なります。より正確には、天上人には地べた民的な意味での地域コミュニティは存在していません。話をすれば長いものの、にょきにょきと大川端に縦長屋群が伸びてから既に20余年にもなろうというのに、1000世帯以上の新興住民を前にこんなこのような張り紙を出さねばならないという事実が、いろいろと複雑な事情を物語っているとお判りでありましょうぞ。
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なんせね、一丁目元佃にだって、お祭りが嫌で遙か西のニュータウンに引っ越しちゃう若い世代も居る、という話でしたから。お祭りマニア、お祭りが忘れられない旧住民の臨時参加をあてにしないとやれない「伝統文化」状況は、まだかわっていないようじゃ。縦長屋の街神輿は、やっぱり出せないままなのか。

そんな住吉さんの事情は事情として、選手村まで3キロ、今年も御上に翻弄され、例大祭は2度目の延期なのでありまする。勿論、向かいの鉄砲図稲荷も、その裏番組の有楽町の音楽祭りも、5月連休の例大祭はやっぱり昨年に続きお休みです。
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かくて、オフィスも祭りも無い夏がやってくる。明後日からは昨年の9月以来の現地付近泊まり込みフェスティバル・コンクール取材があるものの、その先は大川端に座って霞ヶ関やら永田町やらを眺めても、どうなるのやらまるで判らぬ。選手村の方からも、ゴーストタウンの空気が流れてくるばかり。

「五月が来た、五月が来た、
 一年経ってまた五月が来た。」

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謹賀新年のご報告 [新佃嶋界隈]

謹賀新年
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新年快乐
Happy New Year!
Frohes Neues Jahr!
Bonne année!

庶民とすれば実質上の鎖国が続き、昨年はやくぺん先生もなんと30年ぶりに一歩も外に出なかった東洋隅っこの列島も、数時間前から無事に2021年でありまする。新たな年に用事のありそうなあの人この人の顔を浮かべ、ありったけご挨拶を記してみるものの、「新年」って感覚だって中華圏とかイスラム圏とは全然違うし、欧州言語圏だって今日がお休みなだけだし…ま、それはそれ。

多摩県最東部の秘境に庵を結んでいたやくぺん先生んちが一念発起帝都に戻り、諸事情に拠り今世紀の頭に中央区佃地区に移ってくるまで、根津、目白と数年に一度の転居を繰り返していた。大川端は佃に来てからは、伝統の佃の祭を支える佃2丁目町会に関わるまでの深い付き合いとなり、結果としていちばん長く住み着いている場所になっております。

2021年春、そんな状況が、恐らくは19年ぶりに変化します。久々の、そして恐らくは人生最後の、激動の年になります。とはいえ、この10年間見慣れた上の風景が、生活圏からなくなるわけではありませんが。

大震災の秋に佃の路地の長屋からこの大川端の縦長屋に諸事情に拠り寝床を移し、さらに全く時を同じくして正月に訪れるくらいだった葛飾の親の家を諸事情に拠り引き受けねばならぬことになった。数年後にはオフィスとなっていた佃の長屋を諸事情に拠り引き払い、樹齢半世紀に迫る巨大柿の木聳える葛飾の旧親の家をオフィスとすることになった。

以降、10年代の半ばから後半、晴れて葛飾区民となって納税も立石の葛飾税務署、佃との二重生活が始まった。そして数年前に「世界中のメイジャー室内楽コンクールを全てみて歩く」という生活からの引退を宣言。そうこうするうちに医療機械を抱えて歩かねばならぬ持病が発覚、仕事も生活も本格的に変えて隠居爺としての生き方を考えねばいけんなぁ、とダラダラしてたら、昨年春節以降のコロナの世界に突入。結果として、家庭内隔離の場所として葛飾オフィスに実質上半年以上の一人暮らしをすることになる。

そこからは世間の皆様同様、世界を襲っているコロナ禍の生活でなんのかんのなんのかんの。で、秋の終わり頃に、大きな決断をせざるを得ないこととなりました。

2021年春、葛飾オフィスを放棄します。

どこにオフィスを移動するか、既に選考に入っております。数週間前に、こんな記事をアップしたのも、それが理由です。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-12-03
なんせこのコロナ禍、実際に候補地現場に行ってあれこれ調べるという動きそのものが難しい。でも、葛飾オフィスを引き渡す日はがっつり決まってる…ってのが2021年元旦時点での状況でありまする。

ひとつハッキリしているのは、春節明け頃には数年ぶりに住民票を葛飾から佃に戻すこと。オフィス移転先がどこになるにせよ、加入している国保が東京都の団体なんで、住所は暫くは都内にしておかねばなりませんけど。

コロナ騒動前までは、いずれは佃を引き払ってお嫁ちゃまの学校にも京成電車一本で通いやすい葛飾に蟄居、どうやら荷風みたいに葛飾近辺で死ぬことになりそうだなぁ、と思って「葛飾慕情」なんてしていたカテゴリー名なんだけど、わずか数年で「マンハッタン無宿」同様に使われないカテゴリー入りしそう。まさか葛飾の方を捨てる、という選択になるとはなぁ。

そんなこんな、大激動の年になるのは必至のやくぺん先生の2021年。とはいえ、お嫁ちゃまの学校が退官まであと6年ありますので、まだ暫くは「新佃嶋界隈」は続くことになるんじゃないかな。恐らくは、当無責任電子壁新聞に新しいカテゴリーが出来そう。

みなみなさま、まだ暫くは、よろしくお願いします。あ、まだ柿の木は引き取り手、ありません。

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