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ゴールドベルク騎士団の俊英レッジョで元気です [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

日本では知る人なんぞ殆どいないレッジョ・エミリアの街に、ひとり、当電子壁新聞ではお馴染みの顔があります。ほれ、ご覧あれ、審査の合間のランチタイム、原田禎夫先生と談笑する長髪の青年。魚津の皆さんはお忘れのはずもありますまい。それに、湯布院の仲間達も、昨年のクァルテット25での登場は記憶に新しい筈。
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そーです、あのゴールドベルク騎士団の一人、魚津のセミナーに参加し、今をときめく仙台コンクール優勝君とピアノトリオを組んでいたチェロの門脇君です。ゴールドベルク山根先生に師事し、その永眠の床でモーツァルトのトリオを弾き、あの雨の中の出棺で棺を背負った騎士団のひとりが、今は遙かイタリアの地で学んでいます。

「この街の音楽院には日本人は僕しかいません。パルマのオーケストラの首席チェリストがここで教えていて、その方に習うためにこの春から来てます。」

パルマに住んで、レッジョまでイタリア国鉄で通う生活も、やっとなれてきたところ。まだまだ2年間は長い。先日、トスカニーニ管弦楽団に乗せて貰い、マゼールの指揮でいきなりベートーヴェン交響曲全曲を弾くことになりました、なんて、なんてことなく喋ってら。

若者は、こうやっておおきくなっていく。2年なんてホントにすぐだけど、また富山に戻ってくる頃には、どんな風に大きくなっているのかしら。

レッジョの街には、いろんな青春が溢れている。今、キーボードを叩いている目の前にも、カザフスタンの若者やら、ベネズエラの若者やら…

本選進出団体発表まで、あと1時間弱の筈なんだけど。

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9月の富山は勝手に総合音楽祭 [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

余りにもいろいろなことが起きすぎて何を記せば良いやら…の富山の秋、ゴールドベルク翁関連セミナー情報です。

本日だか昨日だか、ヴィーン在住の音楽家をシュミードル御大が寄せ集め、トヨタの資金でやってるフェスティバル・オーケストラの連中が東京に辿り着き、そのメンバーとして、ヴィーン・フォルクス・オパーのコンサートミストレスにして、ゴールドベルク翁のフィラデルフィア時代の弟子、ベシュナ・スタンコーヴィチ女史も桜の帝都をご訪問。
http://www.toyota.co.jp/jp/social_contribution/culture/tomas/2008/01/index.html
このタイミングに、富山情報をお伝えしておきましょ。なんせ彼女が今年のメイン講師ですので。それに、先程、魚津から春を告げるホタルイカもクール宅急便に乗ってゴッソリ佃厄遍庵に到着しちゃったし(魚津のセミナー学生の父Wさん、ありがとう御座います)。
ホタルイカ.JPG

先週の末に、やっと公式な名称その他が発表になったようです。こちらをどうぞ。
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20080329/11014.html
なくなっちゃったら困るので、必要な部分をコピーしちゃいます。

9月にメーン事業 ゴールドベルク氏しのぶ音楽祭、新名称を決定

 晩年を立山山麓(さんろく)で過ごした世界的バイオリニスト、故シモン・ゴールドベルク氏をしのぶ音楽祭の第一回実行委員会が二十八日、富山市堤町通りの北陸銀行本店で開かれた。名称を「とやま室内楽フェスティバル-イン・メモリー・オブ・シモン・ゴールドベルク」に決定。九-十月に同氏ゆかりの演奏家を招き、セミナーを魚津市、コンサートを富山、高岡市で開く。同実行委員会主催、県、北日本新聞社、北日本放送共催。  昨年秋に県内で開いたシモン・ゴールドベルク記念音楽祭の成果を継承する。若手演奏家の育成に加え、出前演奏会など音楽の幅広い普及にも取り組む。堤剛桐朋学園大学院大学長、ピアニストの大木裕子さんらでつくる音楽顧問会議を新設し、バイオリニストの小林健次同大教授を音楽アドバイザーに迎える。  メーン事業は九月二十二日、魚津市の新川学びの森天神山交流館で始まる室内楽セミナーで開幕。高岡文化ホールや富山市民プラザ、県立近代美術館などで指導陣によるコンサートを開くほか、セミナー受講生による演奏会もある。  五月にも同氏のまな弟子、ニコラス・キッチンさんらでつくる弦楽四重奏団が県立中央病院などで出前演奏会を開く。富山のイメージを取り入れたロゴマークも決めた。  事業は県と富山、魚津両市からの助成金、企業や個人の寄付金などで運営。四月から受け付け、支援者に演奏会への招待など特典を設ける。(北日本新聞2008年3月29日)

なお、昨年までの現場スタッフは総入れ替えになり、小生んちはおそらく一切関わりません(っていいながら…いやはや)。だから今年からは気楽に外から見物していられます。このイベントの立ち上げからここに至るまでの課程で、ホント、いろいろと勉強させていただきました。もう富山には足を向けて寝られませんわ。

上述の記事からお判りのように、実質3年目にして「音楽顧問会議」なる、一種のアーティスティック・ボードが設置され、アーティスティックな面での意志決定機関が出来ました。「芸術」がテーマで、芸術的な価値を巡る議論が運営や経営(=人間関係やソロバン)の議論に紛れ込み、大混乱を巻き起こす可能性があるイベントの場合には、こういう場所がきっちりないと困るわけで、やっとちょっとは体を成してきた、ってことですな。ま、何事も手探り、手作り、試行錯誤、現場の議論と混乱の積み重ねでやってるフェスティバルですから、これで良いんでしょう。←おおお、まるで他人事の、大人の発言であーる!

富山県規模の地域に、これまでの「御上が税金でやるブンカ事業」ではなく、「民間がファンドを積んで行う事業に御上も関わる」という形がどうにかこうにか作られつつあるのは、誠によろしいことであります。うん。

さても、この時期、富山県じゃなくて富山市が運営するオーバードホールでは、こんな派手なイベントがあります。このところ、びわ湖ホール問題がらみでちょっと話題になってるもの。昨年からコーラス集めたりしてましたけど、やっとこのへんまで来たんですなぁ。
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20080330/11040.html

というわけで、期せずして9月20日くらいからの富山市から魚津にかけては、世界的に著名な指揮者さんによるオペラと、富山ゆかりの演奏家の弟子らによる室内楽セミナー及び関連アウトリーチ事業が同時に行われるわけで、まるで県と市あげての総合音楽祭でもやってるみたいに見えるわけですわ。
音楽ファンが端から見れば、ベシュナが「ボエーム」のピットで頭に座れば富山桐朋としてもものすごく意味があるだろうになぁ、なんて思うかもしれないでしょうが…そういうわけにはいかんのが大人の世界であります。うん。

ともかくも、「ゴールドベルク音楽祭」、今年も無事に開催されることになりました、というご報告でありました。

PS
梅や桜が散ると共にみんなもうそんな騒動すら忘れかけてる「びわ湖ホール問題」ですけど、せっかくオーバードホールを話題にしたのだから、ひとつだけ昨日ネット市民新聞に出た記事を紹介しておきましょう。
http://www.news.janjan.jp/area/0804/0803313956/1.php
大津辺りにお住まいの市民記者さんが書いてらっしゃる記事のようです。
なるほど地元では「びわ湖ホール」ってこんな風に見えているのね、という現場の空気が垣間見られますね。一連の騒動で最後まで姿を現さず、なんの公式な見解表明も無かった、びわ湖ホール側最重要人物だった方についてです。無論、業界内では、彼女の動きについてはいろいろな噂が飛び交ってますけど…いかな無責任な電子壁新聞たりとて、とてもじゃないが記せません。それこそブラックジャーナリズム、怪文書、紙爆弾になっちゃう。いやはや。

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ありがとう富山 [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

富山県立近代美術館に寄贈されたゴールドベルク・コレクションの前での演奏会を昼に終えた9月22日土曜日の晩、「ありがとう富山」と題された音楽祭の資金提供者や協力者の方々のための感謝演奏会で、「ゴールドベルク・メモリアル音楽祭2007」が終了しました。
http://www2.knb.ne.jp/news/20070922_12964.htm
http://www2.knb.ne.jp/news/20070923_12966.htm
地元の皆さんが口を揃えて「お彼岸の頃までこんなに暑いのは異常だ」と仰る立山を望む街を朝一番の飛行機で離陸、故郷のカオシュン(おお、今日は小澤征爾指揮ヴィーン国立歌劇場公演をやってるんじゃないかな)に向かうマンチェを羽田から成田への空港バスに乗せて手を振って、ボランティアのやくぺん先生のお仕事も全部オシマイです。昨晩は散っていくみんなに配るCDR焼いてたんで、睡眠時間はほんの数時間。ふうう…。

サンドラは明日の朝、ヴィーン経由でベオグラード音楽院へ。ニックは7週間ぶりにボストンへ。参加者たちも、魚津からコシヒカリが頭を垂れる田圃を眺めながら東京やらどこやら。そして、一昨年の9月に立山で細々と開催され、このフェスティバルに直接発展するセミナーから参加していた「山根三銃士」たちも、山根先生の教えを胸に、ベルリンへ、ヴィーンへ、そして北イタリアへといよいよ旅立っていきます。少なくとも2年間は国に帰れぬ青春終わりの旅を終えて、立山を望む蜃気楼の街に教える側として戻る日があるのかしら。

県庁舎向こうの新聞社ホールでの演奏会前、近くの宿に入ってチェックインしようとしたニックに、ひとりの若いコックさんが、いらっしゃいませ、と挨拶してきます。どうしてチェックインカウンターでコックさんが、と訝ったら、なんと、連日魚津まで夜のセミナーを覗きに来て下さっていた聴講生さんじゃあないですか。

「僕は山が好きで、立山に通っているときに立山国際ホテルでのゴールドベルクさんのことを知りました。興味を持って、一昨年のセミナーから見学させていただき、ヴァイオリンにすっかり取り憑かれてしまいました」と、富山第一ホテル中華料理の厨房で働く青年N君。それから自分でもヴァイオリンを習うようになり、昨年の「こしのくに音楽祭」に通い、バロン・ヴィッタの響きに魅了されて…「料理とプロの演奏家の皆さんの音楽は、似てると思うんです。素晴らしい素材があって、それをきちんと勉強し、見極め、完璧な技術で皆さんを幸せにするものを提供してるのですから。」

富山の食材はベートーヴェンの楽譜と同じなんですよ、と目を輝かせるN青年は、残念ながら昨晩の「ありがとう富山」コンサートは聴けません。だって、終演後に音楽祭の講師たちが、自分の働くレストランで打ち上げをやることになってるんだもの。ニックたちが、このイベントを可能にしてくれた人たちへの感謝を込めて、自分たちの得意曲を少しづつ紹介している真っ最中に、アマチュア奏者のコック君は自分のプロとしての仕事をしている。そして、お腹を減らしてやってくる敬愛する音楽家の皆さんに食べて貰おうと、腕によりをかけている。

演奏を終え、いろんなことがあったけどともかく腹が減ったぁ、食べよう食べよう、とモリモリと喰らっている音楽家たちは、ステージの上の天使に近い顔から、普通のお父さんやお母さん、おにーさんに戻っている。そして、今、天使に近いのは、厨房にいるN君。食後、ニックとがっちり握手。

この数年間、やくぺん先生んちがなんのかんの関わり合ってしまった富山の「シモン・ゴールドベルク・メモリアル」たち、恐らくは厄偏庵から出張ってのお手伝いも、今回でお役ご免となることでしょう。当電子壁新聞の、「こしのくに音楽祭」と「シモン・ゴールドベルク・メモリアル」のカテゴリーをずぅううっと眺めていくと、まるでフィクションのような劇的展開を示したこの3年間の出来事が、時系列で追えるようになってます。400枚くらいのノンフィクションにはなる素材だなぁ、と思うけど、日本語推定読者数十人じゃ商売にならぬ。某K放送のTさん、どうです、ドキュメンタリー作るなら、脚本書いたるぞぉ。
そんな日々の最後の晩に、この音楽祭が存在したことで音楽の素晴らしさに触れ、自分の天職との関わり合いの中で真剣に「アートとは何か、職業としてアートをすることの意味は何なのか」を考えるようになった富山青年の仕事に出会えたのは、ほんとうに嬉しいことでした。N君、あなたが作って下さった一皿故に、あたしゃはここで起きた全てのことどもに意味があったと思えます。天のゴールドベルク翁がどう思ってるかは、判んないけどね。

こういう人ひとりに出会うため、沢山のイヤなことや、面倒なことの森をかき分けて生きてるんだなぁ。

鹿や熊に出会えなかったのはちょっと残念だけど、ありがとうございました、富山の皆様。


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遊びの時間は終わらない [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

「シモン・ゴールドベルク記念セミナー2007」も、21日晩、魚津新川文化会館での成果発表演奏会で無事に2週間弱の山ごもり生活の幕を閉じました。はい、記念写真。パチャ!

講師の先生たち、それに、このセミナーを支えた魚津の若林お父さんや、計算外のことばかりで慌ただしく開けては暮れていく日々に、きっちり計算された食事を提供して下さったボランティアの栄養士さんや、おやつのおばさんたちに感謝して、魚津寮も閉村です。夜行バスで東京に帰る猛者も何人か。

さても、勉強漬けが終わった深夜の寮は、明日は都に帰るだけ、の気楽な空気。さああ、酒盛り宴会でも始まるのかな…と思ったら、窓の下の集会室なる大部屋から、ハイドンの緩徐楽章が漏れ聞こえるぞ。ええ、まだ練習やってる奴らがいるんかい。

って、スリッパ乱舞する和室の扉を開けると、カラオケでもやりそな宴会場みたいなところにどっかから椅子を持ち込んで、勉強漬けの日々が終わったばっかりの連中が、クァルテット弾いてら。どこのどいつらだぁ、と眺めれば、なんとなんと…

さても、どなたが弾いてるのか、敢えて名前は列挙いたしません。なんせ、厳密に言えば、セミナーハウスの規定破りですからねぇ。おおお、隅っこには寮母格のディレクターまでTシャツ着て転がってるじゃあないかぁ。あああ、ヴィオラ弾いてるのは、セミナーのスタッフお姉さんのY.M様ではありませぬか。ご主人が聴衆になって大喜びで写真撮ってら。えええええええ、セカンドは、まだ今日「ありがとう富山コンサート」やら「美術館コンサート」やらの本番がいっぱいある某BクァルテットのC.T君ではありませぬかっつ。ファーストはQう゛ぁんさんくうう…。あっちこっちで引っ掛かっては、弾いてる奴らも聴いてる奴らも大笑い。ステージでは絶対にやられないようなもの凄い演歌みたいなアクセント!弾き終えるや、畳に座ってた奴らがかわって楽器を持って、その辺にある譜面をしごき出す。

ルールはひとつだけ。初見であること。だから、この曲を勉強してる奴は、自分のパートを弾いてはいけません。数時間まで真剣に、必死に、スフォルツァンドの意味を探っていた連中が、もう好きに、ホントに好きに、好きな楽譜を弾いては、大笑いしている午前1時前。

こいつら、ホントに音楽家なんだ。音楽を弾くのが、クァルテットを弾くのが、単に好きなアホどもなんだ。だから、あたしゃこいつらが信用できるんだし、こいつらのことを眺めてやるっきゃねえなぁ、と思うのさ。ねえ、天国のゴールドベルク翁&山根先生。

クァルテットの音が深夜の森に響き、いつまでも終わらない残暑で街へと下りてくる熊もビックリして逃げ出す。天神山の麓、遊びの時間は、いつまでも終わらない


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辻本君みられます [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

なんせ今月は1週間も厄偏庵に逗留するのがこの週末しかないとあって、最低3本の原稿をやっつけておかねばならぬ。んで、電子壁新聞どころではありません。今日はホントに一行情報。

昨年の暮れのヴェトナム同じ釜の飯たびの空以降、当壁新聞でも何度か登場して頂いておりますフィラデルフィア生まれの関西弁チェリスト、辻本玲さんの勇姿、本日の北日本放送のネットニュース放送で拝めます。ご覧あれ。こちら。限定数日間ですから。http://www2.knb.ne.jp/news/20070915_12876.htm#

って、いくらなんでもこれだけじゃあ酷いので、せめてもうちょっと何か言うとすると…そう、この富山でやってますゴールドベルク・メモリアル・セミナー、良くも悪くも試行錯誤の連続。上の画面で講師をしているマンチェは一言居士だし、ニックはアイデアマンで次々と反省しては新しい試みをしようとしている。幸か不幸か、サントリーホールでマーラーの7番を吹いた翌朝におっとりリードで駆けつけた古部賢一氏(翁が生前最期にレッスンを付けた方だそうな)が、昨晩は指揮者としてのゴールドベルクについて日本語で(!)講演してくださって、夜の勉強会もようやく盛り上がったみたい。問題だった通訳さんに関しても、地元魚津にお住まいのイングリッシュ・ネイティブの方で日本語完璧な方が緊急ボランティア参入してくださり、なんとかなりつつあるようだ。よかったよかった。

てなわけで、フェーン現象で猛烈に暑いらしい天神山だけど、若者たちよ、あと一週間、頑張ってくれたまえ。オジサンも一生懸命働くからね。ふううう。

そうそう、ちなみに辻本君、今年のクリスマスも「ミドリ・バンド」のメンバーとしてカンボジアの原野を走破する予定だそうな。え、あたしゃ今年は行きませんよ、悪しからず。別の書き手が同行し、ひとりでも多くの人がショックを与えられてくるべきだもんね。


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雨の歌たち [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

東には裏山の蔭に立山の勇姿が聳え、西には畑や林の向こうに日本海を望む魚津市郊外「天神山交流館」での「シモン・ゴールドベルク・メモリアルセミナー」もなんとか2日目を終えました。

昼間のレッスンも始まり、ニックがまだヴァイオリンがひとり到着しない藝大のクァルテットに入ってハイドン弾いたりしてます。写真は出せないので、北日本新聞の記事をどうぞ。何を隠そう、この事務局提供のショット、アマチュアカメラマンやくぺん先生の撮影であります。えっへん。
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20070912/7122.html
さても、このセミナー、毎晩7時半からの「夜の勉強会」なるものが公開になっております。どうも地元では魚津の様々な情報伝達手段を通してそれなりに告知されたようで、昨晩も6名の聴衆がいらっしゃいました。お疲れ様でした。

前回のこの電子壁新聞にも貼り付けましたけど、この勉強会の内容、セミナーの進捗状況や前日の勉強会での参加者の反応などを踏まえ、連日内容が変わっていってます。昨晩も、当初は1988年6月にゴールドベルク翁が桐朋で戸田弥生さんを相手にブラームスの1番のソナタをレッスンするヴィデオの続きを眺める筈だったんだけど、いろんな意味で難しい部分があるということで、昼間にニックとマンチェが喧々囂々、やり方がガラリと変わってしまいました。なんせこのふたり、良くも悪くもアイデアマンたちで、文字通り始終相談なんであります。もーそーぞーしいったらありゃしない。

ゴールドベルク翁のレッスン風景が100インチのモニターで流れるということで、おおおおお、と取材に訪れて下さった富山のメディアの皆様、そんなわけで勉強方法が替わってしまい、映像取材はシャットアウトになりました。なんせ、この資料ヴィデオは絶対に公開禁止、レッスンを起こし必要な譜面を付けた対訳パンフレットも全て番号を振って完全要返却、レッスン室の外に持ち出し禁止になってます。ゴールドベルクのレッスン姿を眺めたい方は、魚津の山奥まで入らしてくださいな。

ゴールドベルク翁の言葉は、短い中に様々な意味が込められています。昨晩の勉強会では、ブラームスのソナタの冒頭部分に集中し、そこで翁が語ろうとしていることの意味をみんなで議論しました。とはいえ、多くの受講生には母国語ではない言葉を介して議論するのはなかなか難しい。うううん、じゃあここで指摘されていることを実際にやってみよう、ということになり、みんな楽器をゴソゴソ取り出し、翁曰く「フーベルマンはこの部分はベートーヴェンの第10ソナタ冒頭と同じだと指摘した」という「雨の歌」ソナタ冒頭数小節を、ヴァイオリン9人、ヴィオラ4人、チェロ5人、それに講師も加わった大合奏で弾いてみます。「Suzukiじゃないんだけどね」と苦笑するニックでありました。それから、ひとりづつ弾いてみて、翁がヴィデオモニターから仰ってることの意味を、自分のボウイングでやってみて、それをみんなが眺める。音程の問題があるヴィオラやチェロも、ともかくやってみる。

結局、1分にも満たない部分の音楽にゴールドベルク翁が伝えようとしたことの意味を捉えようと、延々2時間半近くが費やされました。ニックは、「私が最初にゴールドベルク先生に習ったのはモーツァルトのイ長調協奏曲。最初の2つの音の出し方だけで、レッスンが3回費やされましたっけ」と苦笑してる。

かくて、夜半を過ぎ冷たい雨が降り出した天神山の麓では、宿舎の風呂でも、娯楽室でも、誰かが口ずさむ「雨の歌」冒頭がどこかで聞こえ続けておりましたとさ。

本日の勉強会、1993年6月15日、翁が没する数週間前に桐朋学園で行われたモーツァルト弦楽五重奏曲K.516のレッスンを検証する予定。とはいうものの、毎度ながらランチタイム以降にならないと、どうなるかは判りません。悪しからず。


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魚津メモリアル・セミナー公開講座内容決定 [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

街の灯りひとつ見えない外には少なくとも4種類の秋の虫の声。宿舎のあちこちからは、ええと、「騎士」、作品18のニ長調、ブラームスのニ短調ヴァイオリン・ソナタ、あとは…うううん、ま、少なくとも8種類くらいの違った楽譜の違ったパートをさらう音たち。ここは遙か沖合に蜃気楼を望む富山県は魚津の山の中、「天神山交流館」宿泊所。午後10時をまわったところ。「シモン・ゴールドベルク音楽祭セミナー」の初日が終わろうとしています。熊や鹿が出没するそうなので、みんな、外には出ないよーに!

集まった23名の受講生は、クァルテットがふたつに弦楽トリオがひとつ、ピアノ・トリオがふたつ、それにヴァイオリンとピアノのデュオが3つ。本日は午後から小林健次先生も東京からいらしてオリエンテーション、と思ったら、早速もう夕方にはチェロ組が勝手にベオグラードからの講師サンドラのレッスンを始めてました。チェロはリユニオンが好きだからなぁ。

さても、今晩7時半から、交流館の一番大きな音楽ホールに受講生と講師ニコラス・キッチン以下全員が集まり、連夜の夜の勉強会の初日がありました。富山地方の皆様、9月6日北日本新聞朝刊で発表された「メモリアル・セミナー公開講座」の今週分の内容が正式に決定しましたので、以下に記します。

●10日及び11日:1988年桐朋学園に於けるシモン・ゴールドベルクによるブラームス作曲ヴァイオリン・ソナタ第1番のレッスンをヴィデオ再現、講師らによるコメント及び受講生との討議
●12日及び13日:桐朋学園に於けるシモン・ゴールドベルクによるモーツァルト弦楽五重奏曲K.516のレッスンのヴィデオ再現、講師らによるコメント及び受講生との討議
●14日:キッチン&マンチェによるゴールドベルクによる「クロイツェル・ソナタ」レッスンの再検討、オーボエ奏者古部賢一によるレクチャー「指揮者としてのゴールドベルク」
●15日:キッチンによるレクチャー「ベートーヴェンとシェイクスピア」

本日はゴールドベルク氏によるブラームスのレッスンのヴィデオの3分の1ほどが披露されました。その前に、1950年代に録音されたゴールドベルクによる同曲の演奏が最高水準のオーディオ装置を持ち込み、音楽ホールで披露されています。桐朋学園でのレッスンのヴィデオは、当時のVHSによる記録録画のオリジナルを関係者の努力でハードディスクに落とし込んだものが、100インチのモニターで再現されます。「ストリング」誌に連載された故ゴールドベルク山根美代子の同講義録とオリジナルテープから再現された対訳(残念ながら完璧なものではありません)が配布され、ある意味で1988年に仙川の教室のうしろの方で眺めていた学生よりも条件は良いかも。あ、お手本ヴァイオリンを弾き、バシバシ突っ込まれるのは、なんとなんと、若き戸田弥生さんですよ。

なお、この夜のレクチャー、11日からは一般にも公開されます。夜10時くらいまでやってますし、ヴィデオの音声は決して聞き易くないですし、基本的には出来るだけ通訳は交えないで進めておりますが、根性と関心のある全国津々浦々の方は、「シモン・ゴールドベルク記念音楽祭実行委員会」までご連絡下さい。メールアドレスは、uozu@szymon-goldberg.jpです。電話番号は0765(31)5011。詳しくは公式ホームページhttp://www.szymon-goldberg.jp/へどうぞ。

もう深夜近く。流石に周囲に聞こえるのは虫の声だけになりました。なんだかバンフの山中からずっと同じ時間が続いているみたい。湿度はスゴイし、明日は暑くなるというけど。あ、9月11日じゃあないか。


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正解の用意されないセミナー [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

来る9月11日から21日まで、富山県魚津の新川学びの森・天神山交流館で、シモン・ゴールドベルク・メモリアルセミナーが開催されます。

昨年の「こしのくに音楽祭」セミナー、一昨年の立山セミナーに続く3度目の「ゴールドベルクの子供たち」によるセミナーです。

セミナーは11日午後7時半の桜ホールによる「夜の勉強会」から一般に公開されます。11日から13日まではニコラス・キッチンと、昨年のレッスンが受講生からの好評により再登場するチェロのサンドラ・ベリッチュが中心。14日から数日、オーボエの古部賢一も参加します。18日からはボロメーオQのメンバーが全員揃い、クァルテットのセミナーも行われます。写真は昨年の天神山交流館でのセミナーの様子。サンドラから指導を受ける我らが辻本君。

今年のセミナーの最大の特徴は、「ものすごく偉い先生から正解を教えて貰う」という形ではないことかも。数年前に晴海第一生命ホールでボロメーオQの「セリオーソ・セミナー」を開催したときと同様に、基本は「みんなで一緒に楽譜を考えよう」です。教えて貰うのではなく、みんなで悩む、考える。正解を求めて誰かを訪ねるのではなく、正解に向けた考え方を考える。

キッチン氏がゴールドベルク翁に師事した頃、ゴールドベルク氏は自分自身のバッハ奏法すら再検討を始めていたそうです。ものすごく偉い先生からキッチン氏が習ったのは、「ここはこう弾け」ではなかった。「俺の弾き方は何かバッハの音楽以外の理由があってそうなってるだけなのではないか」と、自分自身の基本を再検証している真摯な大演奏家の姿を年がら年中見させられたら、その生徒たちがどうなるか。自分で考える可能性を持った生徒たちがどうなるか。まあ、想像はつくでしょう。

同じ事が魚津で出来るか、それは判らない。なんせ、生徒さん次第ですからね。生徒さんとすれば、このセミナーで幸せな時間が過ごせるか、意味のある時間が過ごせるかは、自分次第、ということ。

そんな姿をご覧になりたかったら、夕方に天神山まで車を走らせてみてください。詳細はこちらをどうぞ。http://www.szymon-goldberg.jp/seminar/guidance.html

なお、記念コンサートなど葉書申し込みによる公開演奏会につきましては、月末までの応募期間ですけど、現時点で既に応募葉書が定員を突破しているそうで、抽選になるのは確実とのこと。ふるってご応募下さい、とは書けないのが残念。


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SGメモリアルのポスター [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

富山地区以外の方はまずだーれも見たことがないだろうポスターのご紹介。来月9日から開催される「シモン・ゴールドベルク・メモリアル」の公式ポスターです。先日まで厄偏庵に滞在していただきましたバロン・ヴィッタ=ゴールドベルクが大きく写ってます。まだ簾がかかってるんで、露地に貼る意味は殆どないんだけど、ま、気持ちの問題。

このセミナー音楽祭、なにせ「お金取って切符売る有料コンサート」がひとつもありません。だから、普通の意味での宣伝広報は殆どやってない(富山地区は知りませんよ)。来日演奏家も、「エンターテイナー」ヴィザじゃなくて、学校の先生なんかと同じ扱いのヴィザです。なんか偉そうだなぁ。うん。一応、応募招待のコンサートの内容をお伝えしましょう。こちら。今月末まで受け付けてます。県外の方もどうぞ。
http://www.szymon-goldberg.jp/concert/index.html

注目は、やっぱり近代美術館での「シモン・ゴールドベルク・コレクション」公開記念で行われるミュージアムコンサートでしょう。なんせゴールドベルク翁は、バウハウス時代のベルリンで現場で付き合った所謂大戦間モダン芸術を生涯自分のアートとして大事にし、愛し続け、様々なコレクションをお持ちでした。それが富山の美術館に寄贈され、セミナー音楽祭開催期間中に公開される。その関係で、演奏されるのも、ストラヴィンスキーやらショスタコーヴィチ、それに盟友ヒンデミットです。フィラデルフィら時代のゴールドベルク夫妻の弟子ニックと、日本で最期にゴールドベルク老にレッスンを受け日本の息子と呼ばれていた古部賢一氏の登場。特に、古部氏のヒンデミットのソナタは聴きものです。ちなみにピアノのマンチェは、カーチス音楽院時代にゴールドベルク氏のソナタ教室でピアノを担当していた「ゴールドベルクを隅から隅まで知る男」です。

というわけで、みなさま、ふるってご応募下さいな。


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ニコラス・キッチン師匠を語る [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

東京近郊が華氏105度を記録したキチガイじみた日、お墓参りから師匠の遺品整理に向かう途中の有楽町線と山手線の中で、ニコラス・キッチン氏にやっとインタビューが出来ました。佃厄偏庵に親子でいるとはいえ、忙しくしてるわけで、なかなか時間が取れない。これで来月の「シモン・ゴールドベルク・メモリアル音楽祭」の当日プログラム原稿がやっと入れられた。いやはや。

んで、スペースの都合で割愛せねばならなかった内容の一部、一般の音楽ファンの皆さんにも関心のありそうなところを、ホンのちょっとだけお見せしましょう。あとは富山で配布される無料のプログラムで読んでちょーだいな。

                          ※

--アメリカ国会図書館に収める予定のシモン・ゴールドベルク先生の楽譜整理はどんな調子ですか?
キッチン:大きな箱に7つ分の楽譜があります。日本での先生は指揮者としての活動が多かったからでしょうか、オーケストラ譜が多いです。カーチス音楽院で8年間習った間は、私が学生オーケストラのコンマスを務めさせていただいたこともありましたけど、先生はあまり指揮はなさっていなかったんです。今は全体を重要度によってランク付けし、貴重と思われる資料はスキャナーで読み込んでいます。極めて興味深いものもありますよ。例えばバルトークの無伴奏ソナタです。この作品の出版楽譜には、委嘱者のメニューインによる数多くの書き込みが反映されている、と先生は常々おっしゃっておりました。作曲者のオリジナルな考えに近い譜面があり、これはとても貴重ですね。

                          ※

--富山では前夜祭で昨年に続きバッハの無伴奏ソナタのハ長調をお弾きになりますね。ゴールドベルク直伝、ということでしょうか。
キッチン:確かにこの曲にはゴールドベルク先生との多くの想い出があります。一番多くの時間を費やして勉強した曲でしょう。(中略)私が勉強していた頃の先生は、「バッハは極めて尋常成らざるフォームを有しており、体系的に捉えるのは困難ではないか」とお考えだったようです。ソナタとパルティータを全部もう一度弾き直し、彼のそれまでの演奏がある種の特定の演奏法の結果ではなかったのか、再考していらっしゃいました。私とのレッスンでも、再検証しているようなところがありました。
--では、これがシモン・ゴールドベルクのバッハ解釈だ、という不動のものはないのですか。
キッチン:ありません。もしもそんな結論を出したとしたら、先生はとてもご立腹でしょうね。先生は作品のある部分についてはハッキリした意見を持っていました。例えばシゲティの演奏、作品をコラールのように扱う。ゴールドベルク先生は、あの解釈を尊重なさっておりましたけど、あのように完全に納得がいった風である必要はないとお考えでした。彼自身のあり方で、自分の8年前の演奏を全く別の考え方でやり直すことを示すことで、私たちにこの作品はひとつの解答だけがあるのではなく、全てが成長し、また考え直すべきである、と教えてくれていたように思えます。


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