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ピエール・ブリュースはサティQにいたのだ [演奏家]

指揮者として初来日のアンサンブル・アンタルコンタンポラン音楽監督ピエール・ブリュースの神戸室内管デビュー、なんとボーッとしている間に明日になってしまったではないかぁ。
https://www.kobe-ensou.jp/wordpress/wp-content/uploads/2024/03/231026_3_kobe_161_omoteura_a_design_syusei.pdf
ご覧のように、ある意味、バッハや古典派を得意にしていそうな気がするこの室内管定期としてはなかなか意欲的、というか、かなり変わった定期なのかしら。なんといってもオーケストラの定期演奏会なのに、ドカンと室内楽作品を1曲まるまる入れてる、ってのはスゴイなぁ。このルー・ハリソン作品、娯楽作品として滅茶苦茶楽しいですから、冗談じゃなくこれ聴くだけでも価値がある土曜の午後でありまするよ。こちら。
なんとやくぺん先生、この作品の初演団体での日本初演、カザルスホールで聴いてるんだわなぁ。いやぁ、爺になったことよ。

もうバレバレになってしまっているだろうから平気で記してしまいますがぁ、昨年11月、《光の日曜日》見物で華の都をウロウロしていたときに、シテ・ド・ラ・ムジークをホームベースとするこの団体が翌週の定期演奏会(なのか?)のリハーサルをしていて、指揮を担当する音楽監督のブリュース氏が通っていた。これ、楕円形ミュージックホールの真ん中にチェンバロ出して、周囲に小編成アンサンブル撒きやりとりする、という新作の練習風景。コパチンさんの後ろに立ってるのがブリュース監督じゃ。
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んで、遙かホンシュー島は神戸からの依頼を受け、楽屋でお話を聞かせていただいたでありまする。ま、せっかく居るなら、とちょっと商売やった、ということじゃわね。結果、こういう映像が出来ております。

なにやらほぼまるまる素材として使うんだなぁ、と未だにこういう映像インタビューには慣れない爺なのであったのであるがぁ、ま、それはそれとして、話としてはいろいろ面白いもんも出てますので、お暇ならご覧あれ。特に「現代音楽」と呼ばれる20世紀作品をどう考えるか、極めて自然な扱いをしているのが興味深いですな。

で、本来はそういう話をせにゃならんのでしょうけど、なんせ「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする当無責任私設電子壁新聞とすれば関心はそこではなく、ちょっとだけ触れてるブリュース氏の経歴の部分なのじゃ。「私はずっと室内楽をやってきて、室内管のコンマスになり、たまたま指揮をすることになり、指揮者へと転身した」と仰ってるところ。へえ、弦楽四重奏やってたんだ、どこの団体にいたの、と気楽に訊いたら、「サティQです」ってさ。

え、と思ったけど、収録用のテープもまわっている(というか、ハードディスクが動いている、というのか、今は)ので突っ込めなかった。その後も、コパチンスカヤと作曲家がやってくる新作の打ち合わせだかが待っているのでもう時間が無く話が出来ず、それだけだったわけです。どうもそれなりの時期、若い常設弦楽四重奏団としてのキャリアをやっていたようですな。自分の音楽作りで、弦楽四重奏をやっていたときの経験は非常の大きい、とこっちが尋ねなくても応えてくださっていたわけで。

なんでこんな細かい経歴に拘っているかと言えば、なんとなんと、やくぺん先生が一度だけライヴで接したことがあるサティQって、2001年のバンフ大会だけなんです。その時の評論記事、Webにまだひとつだけ落ちていたので貼り付けておきます。世間がまだWeb社会になる直前、あのマンハッタンでトレードセンターにアメリカン航空が突っ込む911テロが起きる直前で、この直後にボルドー大会だかがあり、ハシゴをする団体も多く、大変なことになったときですわ。
http://www.scena.org/lsm/sm7-3/banff-en.html

オフィシャルなページではなく一批評家の私見を記した記事を出すのに深い意味はなく、単に参加団体が全部記してあるから。こちら。
Daedalus, Delancy and Enso from the USA; Herold and Penguin from the Czech Republic; Johannes and Satie from France; Diabelli from Canada; Kuss from Germany; and Excelsior from Japan.

おおおお、当電子壁新聞を立ち読みなさっている方々がならすっかりお馴染みの名前ばかりでありましょうぞ。なんせ、ダイダロスやエンソはともかく、ペンギン、クス、そして我らがエクが参加した年に、一緒に出ていた団体ですわ。

とはいえ、ブリュース氏がこの2001年9月にバンフにいたのか、Web空間を探してみても、よーわからん。

てなわけで、明日、神戸に日帰りする最大の目的は、どっかで立ち話して、「バンフにいたの?」と尋ねることなのであーる…なーんて言うと、神戸室内管のスタッフに叱られそうだなぁ。

そんなやくぺん先生の極めてニッチな個人的な関心はどーあれ、あすの神戸室内管、アイヴス好きにもアメリカ現代音楽好きにも、はたまたフランス音楽好きにも、猛烈に楽しい午後になること必至であります。関東や九州中国からでも、朝のシンカンセンで新神戸まで行き、タクシーで2000円もかからんくらいで到着しますし、簡単に日帰りできますぞ。さあ、これはもう来ないわけにいかんでしょ。

それにつけても、なんで4月のアンブル・アンタルコンタンポランの東京公演には来ないんじゃろなぁ。残念だなぁ。

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人事異動:クロノスQ [弦楽四重奏]

夕方前、殆ど「てえへんだてぇへんだぁ~!」って勢いである方から情報が提供され、やっと手を付けた税金作業やら、その合間に飛びこみまくる日程調整作業やらの手が止まってしまったニュース。なんか、当無責任電子壁新聞、人事情報欄になっとるなぁ、昨今。

こちらをご覧あれ。
https://www.facebook.com/ayane.kozasa
https://www.facebook.com/photo?fbid=10102038502905786&set=pcb.10102038502975646

というわけで、天下のクロノスQのヴィオラに、コロナ前最後に開催された大阪国際室内楽コンクール第1部門で優勝したアイズリQでヴィオラを弾いていたアヤネ・コザサさんが就任いたしますっ!同時に第2ヴァイオリンも交代するみたいで、ハリントン社長を除けば移動が激しいこの団体でも長く安定していたヴィオラが、とうとう新世代に取って代わられることになったわけですわ。

クロノスQという団体、正直、ハリントン社長のコンセプトが何よりも大事という会社で、アルディッティQみたいなアーヴィン社長の演奏家としてのハイパーカリスマ性で成り立っているところとはちょっと違う。ある意味、ハリントン氏が引退してもプロデューサーとして控える限り、「クロノス・クァルテット」という存在は何も問題なく続けられる、というところもある。ま、実際にそういうことになるかは判らないけど、アーヴィン・アルディッティ氏なしのアルディッティQが考えられないような感じではない。

その意味では、今年の初めにポール・ヴィアンコがチェロに入った頃から、違った方向に向かうことも含めつつ「アメリカ現代音楽のフロンティアを切り開く」という仕事は新たに続いていきそうな感はありました。ヴィアンコ・チームの片腕コザサさんが入ることで、クロノスはホントに新しい「アメリカの現代音楽」に突っ走り続ける準備が整ったぞ。

ゲヴァントハウスQやらボロディンQやら、今のジュリアードQ、はたまた数多のチェコ系の弦楽四重奏団やらのように、クロノスQも次々とメンバーを入れ替えつつ先の時代へと続いていく団体になる…のかな。

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民間音楽ホールの責任と公共性 [音楽業界]

名古屋方面の音楽関係者の皆様には大事件になっているのかもしれませんが、決して全国区ニュースにはなっていない話があります。「名古屋しらかわホール閉館」騒動です。こちら。名古屋圏の表媒体には先月末に一斉に報道が出ています。
https://mainichi.jp/articles/20240228/ddl/k23/040/106000c#:~:text=%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AF1994%E5%B9%B4,%E3%81%AE%E9%96%89%E9%A4%A8%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
中日新聞では流石、社説扱いですね。
https://www.chunichi.co.jp/article/858828

ここまでの事態の推移を追ったサイトは、こちらかな。
https://yumetarou-kaikan.net/kancho/page-2121/page-2526/#:~:text=%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AF2024%E5%B9%B4,%E3%82%92%E8%BF%91%E3%81%8F%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82
これが保存を求める動きのページ。
https://note.com/nagoyaclassicca/n/n8884ecf504e1

というわけで、もう当電子壁新聞を立ち読みなさっている方はお察しのように、これって正に四半世紀前のお茶の水駿河台で起きたことと同じじゃないの。勿論、カザルスホール騒動の場合は結果として「ホールはオーナーが変わってハードウェアとして維持され、ホールを運営していたソフトウェアの企画室アウフタクトが解散」という結果に終わった。解雇される旧アウフタクトのスタッフを下請け某放送系企画会社と直接雇用者とに分裂させ、ある意味でお互いに内部でいがみ合わせ、一緒になって戦えないようにする、という経営側とすれば60年代以降の組合潰しで確立された定番の戦略を採ったため(ああ、日本フィル分裂のときと同じやり口だなぁ…)、端から見ればホールは維持されたみたいになり、騒動はうやむやになった(=解決した)。そしてハードウェアは、今もしぶとく駿河台に残ってるわけですな。

この類いの問題で話が混乱するのは、資本主義社会では「私企業の不良不動産処理」に過ぎない問題なのに、違う視点からすればその不動産は「(たまたま私企業が所有し運営しているに過ぎない)公共性の高い施設」になってしまっていること。カザルスホール騒動の時、「音楽ホールの公共性」という議論にちょっと行きそうになったけど、結局はそっちの方面での議論にはならなかった。恐らく、現在の資本主義経済では扱いにくい問題なのでしょう。で、いろいろとアートマネージメントとかの議論の中で話が進むのかと思ったら、今世紀の末期資本主義の動きの中でアートマネージメントそのものが「アートでどう稼ぐか」になってしまう四半世紀となり…

以上、ともかく、この瞬間の自分の為のメモでありました。せめてこれを期に、今世紀になって閉館になった民間音楽ホールリストくらいは作りたかったんだけど、ゴメン、誰かやってちょ。

それにしてもお茶の水スクエアは、正にメディア的にも数年毎にドロンドロンと出現する幽霊ビルになりつつあるなぁ。

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新生エベーネQパリからのライヴ [弦楽四重奏]

世間はベースボールのスーパースター結婚だ、脱税議員の国会での釈明だ、あれやこれや、上を下への大騒ぎになっている新暦弥生はじめ、皆々様におきましてはいかがお過ごしでありましょーか。引退宣言なし崩し撤回のやくぺん先生爺におきましては…かなりヤバい3月上旬状態になってます。税金、まだ手が付いてません。もの凄く面倒なボランティア顧問仕事、納税〆切と重なってます…うううむ。

ってなバタバタの新帝都春のどんよりした曇り空を吹き飛ばす、素晴らしいライヴ録音が華の都から届きましたです。こちら。
https://www.radiofrance.fr/francemusique/podcasts/le-concert-du-soir/quatuor-ebene-mozart-schnittke-grieg-maison-de-la-radio-et-de-la-musique-de-paris-4997090?fbclid=IwAR0Z3K7-QerIqqDeq0knTSv6hQ_rafQIGQbmsusQqr7hxMABx2PQr73cc-M

コロナ後の混乱する世界の室内楽、なかでも第2次大戦以降というか、ナチス政権把握以来80年ぶりの未曾有の大混乱に陥っていた弦楽四重奏界でありまするが、やっと日常が戻りつつあることの象徴のような、エベーネQの新メンバーによる現在の本拠地、パリはラジオ・フランスでの演奏会でありまする。

コロナの非常時は終わったとは言え、コロナ下の特殊経済状態の反動とウクライナ戦争での世界各国各自治体の経済システムの建て直しは全く出来ておらず、というか、2010年代と同じに戻ることはもうまずあり得ず、当然のことながら公的支援がなければ成り立たない弦楽四重奏などという今流行の言葉を使えば「レジリアンス」が最脆弱ジャンルにおきましては、恐らくは多くの音楽ファンがイメージする「常設弦楽四重奏団」の存続そのものが経済的に不可能になっていくでありましょう。そんな中で、中国のローカル性に特化する選択をした上海Qとは異なる道を選んだエベーネQ、新しい世界にどのような音楽を奏でてくれるか。初夏に予定される大規模な北米ツアーも、この団体だけではないとはいえ、なかなか厳しい情勢のようですし…

ま、そんなことはどーあれ、去る秋のヴィーンで聴かせてくれたようなピエール氏のキレキレの天才性散りばめられた世界一のアンサンブルが戻って来たのは、率直に嬉しいものであります。

全く個人的な勝手なことを言えば、やくぺん先生とすればノーバート・ブレイニン翁という天才との出会いで引っ張り込まれ以降30余年ずっと関わることになったこのジャンル、いろんな人々に会いながら、今世紀に入ってピェール・コロンベというブレイニンに匹敵する天才としか呼べない才能に出会うことになった。ぶっちゃけこの黒檀四重奏団、最初はジャズやらポップスやらに弦楽四重奏の世界を開いていく方向で仕事をしていく奴らなのかと思ってたら、どうやらそれはあくまでもある時期の彼らの世間に対する見せ方のひとつであり、本質はそこではないぞ、要はエベーヌQって21世紀のアマデウスQじゃないの、と感じるようになった。

そしたら、あのブレイニン翁の天才を我関せずという顔で支えていたロヴェット爺さんの役回りを、なんのかんので我らが岡本くんがしっかりすることになった。あああ、世の中ってこういう風になるんだなぁ、と不思議に感じつつ、この商売をやってきて良かった、と珍しくも素直に喜ばしく感じる春なのであったとさ。ピエールの弓の運びが、最晩年のブレイニン翁の自由奔放さを通り越した誰にも真似できないキレキレっぷりに至る迄、呆れながら、はたまた驚きながら、チームとして支えていって欲しいものでありまする。そんな頃には、俺はもうとっくにこの世にはおらんじゃろがのぉ。

今回、本拠地のお披露目で最初に取り上げてくれたのがチェロK.575というのも、岡本くんいらっしゃい感溢れて微笑ましいことでありまする。この録音がいつまで聴けるのか知らないけど、恐らくは早く聴いた方が良いでしょう。直ぐにでもお聴きあれ。忙しい方は、ともかく22分辺りからのチェロが歌い始める終楽章だけでもお聴き下さいな。

ニッポン列島へのお目見えは約一年後、ベルチャとのオクテットというスーパーなイベントなのは、嬉しさ半分残念半分だなぁ。

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ライネッケ生誕200年 [弦楽四重奏]

記念年というのは便利と言えば便利、普段、あまり関心がない事柄やら人に注目するきっかけになるんだから、大いに利用しようではないかぁ。

ってなわけで、いきなりですが、カール・ライネッケでありまする。なんといってもフルート業界の方には極めて重要な名前、それからハープ奏者さんにしてみればコンクール本選までいくつもりなら絶対に必須な作曲家さんですわな。あとは、19世紀ロマン派の作曲家評伝を眺めているとちょこちこ作曲の先生とかライプツィヒ・ゲヴァントハウスの偉い人として盛んに名前が出てきたり。

そのライネッケさん、生誕200年でありまする。で、記念演奏会です。こちら。
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当無責任電子壁新聞の立ち読みに来ているような酔狂な方ならよくご存じ、21世紀の「古楽器」を越えた(当たり前になった)時代のクァルテットでありまする。
https://quartettooceano.wixsite.com/main

この団体が積極的に取り組んでいる「古典派からロマン派の、みんな名前はなんとなく知ってるけどあまりちゃんと聴いたことがない」ってような作曲家さんの作品を、その歴史的な意義を考えるだけではなく、楽譜をちゃんと調べて作品の面白さとして音にしてくれるんだから(チェロの懸田貴嗣氏に拠れば、やはり簡単に演奏出来る形のきちんとした校訂譜が出まわっていないのがこの辺りの作品が演奏され難いひとつの問題なのであろう、とのことでありまする)、こんなワクワクする娯楽はないでしょーに。ライネッケというメンデルスゾーンやらブラームスやらの裏にチラチラ見える、普通に考えれば「クラシック音楽」としてこんなに聴衆としてのアクセスがし易い作品群もない楽譜たちの真価を聴かせてくれようというのだから、これはもう聴かん理由はないわい。

それにしても、ライネッケが没したのって、マーラーの1年前なんだなぁ。ボッケリーニとかフンメルとか、はたまたブルッフとかサン=サーンスとかライネッケとかって、なんかいつ頃を生きてたか判らなくなっちゃうんだわなぁ。もっと大洋四重奏団さんを聴いて、しっかり勉強せんと。それに、老後にちょっとづつディスクで聴いたりする楽しい娯楽として楽しませて貰うためにも、皆さんが演奏したいと思ってくれないと困る。さあ、まずはみんなで生誕200年のライネッケを聴こー!

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ソウル・アーツセンター春のオーケストラ祭り24 [音楽業界]

恥ずかしながらいつからやってるのか知らんけど、ソウルの春といえばアーツ・センターの「オーケストラ・フェスティバル」でありまする。新年度が3月から始まり、復活祭も開ける頃からほぼ3週間くらい、韓国全土からプロオーケストラが連日日替わりでソウル・アーツセンター大ホールで演奏を繰り広げる。KBS響、ソウルフィル、韓国国立管などソウル御三家や、仁川、ブチョンなど大ソウル首都圏のメイジャーオケ以外の所謂「地方都市オーケストラ」の場合、広いロビーが物産展の様相を呈することもある、文字通りの全国オーケストラ春祭り、ですな。こちら。
https://www.sac.or.kr/site/main/content/2024_OrchestraFestival?fbclid=IwAR1NEPYstnXJzqgIqL3dwZnSqKIk6hP4ASse2hX1kL9ppl1N0ljFdo

過去に当電子壁新聞でもご紹介してまいりました。こんなん。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-03-15
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2017-05-01
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2016-03-31
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2013-03-18
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-10-02
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-03-05
へぇ、案外、あるなぁ。

ま、そんなお祭りもすっかり「春恒例の」になり、コロナ完全明けの今年は毎週月曜日のアーツセンターのお休みを挟んだ連続営業日23日ぶっ通しとなりました。

中身といえば、良くも悪くもこの半島の音楽趣味を反映したもので、所謂「定番名曲」中心。とはいえ、カセッラとかエルガーの交響曲、はたまたツェムリンスキーの誰も知らんようなオペラの序曲とか、なかなか興味深いものもあります。韓国国立管が委嘱新作をやったりもあるのは、これくらいは考えております、ということなんでしょう。

なによりも重要なのは、このようなイベントが毎年あることで、韓国全体のオーケストラの「スタンダード」が見えるようになることでしょう。ソウルや主要地方都市のメイジャー団体はともかく、そこからちょっと落ちるくらいに思われる都市のオケとすれば、「来年は出るぞ」とか「落とされないように頑張るぞ」という気持ちがイヤでも出てくる。そもそも地域への愛着が強いお国柄、こういう「ここに出れば韓国の一流オーケストラ」と誰もが思うなといっても思うようなフェスティバルがあるのは、なんとも凄いなぁ。

って、今年はやくぺん先生は顔を出しません。どなたか、全部聴いてきてくれんかね。

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人事異動:上海Q故郷に還る [弦楽四重奏]

20世紀の室内楽演奏史に於いて、業界用語(なのか?)で「Driven into Paradise」などと呼ばれる第2次大戦での中央ヨーロッパから世界各地への人材移動があり、ぶっちゃけ今に至る日本の室内楽も(様々異論はあるでしょうが)その流れの遙かな影響を受けて成り立ってるわけでおりまする。

そのような意味では、2020年春節頃に始まり、実質2022年いっぱいくらいまで続いた「コロナ禍」は、実質的に人類現文明根絶戦争になることが流石にプーチンやトランプでも判っているからやりたくてもやれない「大国間の全面戦争」に代わる、状況の巨大なリセットになったことは否めないようでありまする。

やくぺん先生が香港、シンガポール、キューシュー島とちょっとづつ規模を拡大しながらもローカルにブルグルしていた7週間の間にも、コロナ後の世界の室内楽業界ではいろんなことが起きていた。んで、遅ればせながら、キューシュー島西の玄関口長崎から船に乗って東シナ海渡ること一晩で辿り着く大陸は上海のお話。

先々週だかに個人のFacebookでステートメントが出されていた「上海Qのチェロが交代」というニュース、今や世界の英語圏メディアの中心に聳えてしまったViolin Channelが以下のような記事を出しましたです。
https://theviolinchannel.com/vc-artist-sihao-he-to-join-the-shanghai-quartet/

上海Qは、コロナ禍前に天津ジュリアード音楽院のファカリティとなり、更にはニューヨークフィルとの繋がりを深めていた上海響の客演首席奏者にもなっており、ホンガンとウィーガン兄弟の故郷上海に盛んに戻っていた。北米東海岸と中国東海岸を往来するような生活になっていたわけです。で、コロナ禍で、実質的に中国大陸実質まる2年足止め状態になり、いろんな状況で第2ヴァイオリンのイーウェン・ジャンはコロナ禍初期に離脱、北米に留まることになり、北京国際音楽祭などでお祝い演奏会があった昨年の40周年は中国人の若い新人くんになっておりました。ハワイ生まれで、今世紀前くらいから上海Qのメンバーとして活動してきたチェロのニコラスは、個人的には話をしてないので詳細な状況はよーわからんけど、基本的に上海やら天津に滞在していた。昨年の大阪国際室内楽コンクールの審査員で来日した第1ヴァイオリンのイーウェンは、「コロナの間、ずっと中国に居たよ」と申してましたわ。公式ページのコロナ禍時代の演奏会リストはこちらをご覧あれ。
https://www.shanghaiquartet.com/concerts

まあ、これだけ中国大陸生活にシフとしてくると、いかな直ぐ隣のハワイ出身とはいえ、生活拠点が北米東海岸のニコラスにはシンドイのでしょうねぇ。今シーズンの終わりで国に帰る決断をした、ということですな。まあ、これはしょーがないでしょーね。

ちなみに上海Qに新しく加わるチェロくんの写真を眺めたら、なああああんとぉ、なんとなんと、第3回八王子カサド・コンクールの優勝のホー・シーハオくんじゃないかぁ!
https://sihaohe.com/about
http://www.cassado-cello.jp/2013/results/
って、つまり、今や上海Qの後続としてヴィーン拠点にライジング・スターやってる我らがシンプリーQが、北京で唯一やられたクァルテット・コンクールの特別賞受賞者。ま、ある意味、来るべき人が来た、という感じですな。

思えば、文化大革命が終わって西洋音楽が戻った上海にスターンが乗り込み、天才少年兄弟としてリー兄弟を発見。やがて2人が上海で仲間を集め中国大陸で初めて本気でクァルテットを目指す団体となり、ポーツマス国際弦楽四重奏コンクール(現ウィグモアホール・コンクール)でメニューイン翁に激賛され西側でのキャリアを本格的に始め、あのカルミナQスキャンダルで伝説となった第1回ボルチアーニ・コンクールで実質カルミナに次ぐ2位となり、あのクァルテット・イタリアーノのおばちゃんの楽器は当時第2ヴァイオリンだったホンガンが今も持っている筈。北京中央音楽院にいたイーウェンのお母さんも、これまた伝説のオザワ氏のブラームスに乗っていた世代。

そうして「世界」に出ていった上海Qが、コロナという激動の時代を経て、国に戻る。彼らが後続者を育成していける施設が出来、市場規模や質は判らんけど、室内楽なんて文献に関心があり聴こうという聴衆もそれなりに出来てきた、ということなのでしょう。

ひとつの時代が終わった、というか、ひとつ時代が動いた、という感が否めぬ爺なのであった。

ニコラスの引退演奏会、福岡板付空港から浦東なんて東京より遙かに近いほんの1時間のフライトなんだわなぁ。うううむ、どうするべぇかなぁ。

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「九州交響楽団」はキューシューのオーケストラではないのか? [音楽業界]

7週間のアジア&キューシュー島放浪を終え、大村海上空港から新帝都は六郷河口空港に戻ります。新帝都滞在は4週間、その間に神戸、金沢日帰りがあるけど、ソウル弾丸1泊は無理そう。

さても、日本フィルの49年目の九州1周ツアーに同行し、思うところ考えるところ、教えられるところが多々あったわけでありますが、「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとし「表の作文では書けないことを書きます」の当電子壁新聞でしか記せない、大きな疑問があらためて浮上したわけでありました。

単刀直入に言うと、「どうやら九州交響楽団というのは福岡のオーケストラであって、九州のオーケストラではないらしい」という事実(?)であります。

少なくともこのツアー同行でやくぺん先生が出会い、話をしたような「日本フィル愛好家」の方々は、皆が皆、口を揃えて「子どもの頃から、冬のこの頃には日本フィルが来るものと思っていた」と仰る。どうして「日本フィル」なのか、良く知らんけど、ともかく来るのが当たり前だった、と仰る。

んで、そういう方に「でも、九州交響楽団ってのがあるでしょ」と尋ねると、間髪を入れず「あれは福岡のオーケストラだから」ってさ。

へええ、少なくとも関東の東夷とすれば、「九州交響楽団」=「九州を代表するプロオーケストラ」であって、キューシュー島各地の人々は「おらがオケ」と思ってるだろう、と勝手に信じ込んでたわけでありますよ。

ある鹿児島出身で今は福岡に住んでいらっしゃる音楽関係者の方によれば、九州交響楽団が自分でリスクを取る自主公演として鹿児島で演奏会を開催するのは、数週間後に小泉監督退任記念のコンサートで《運命》《田園》が始めてじゃないか、とのこと。
2_創立70周年記念_鹿児島公演_ちらし_1204-03.jpg
http://kyukyo.or.jp/cms/14611
九響さんはときに来ることがあっても、スポンサー付きの子どものためのコンサートとかで、定期演奏会クラスの演目で九州をツアーしてまわったりなんてしませんよ、ってさ。

うううむ…

確かに、付け焼き刃のインチキ九州住民とすれば、福岡県内の田主丸さわやかホール(ギャグじゃないよ!)やら、佐賀平野の長崎寄りの武雄温泉なんぞでは九響公演の告知を見るし、熊本でもなんか見たような気がするものの、大分で定期をやるとか、宮崎のフェスティバルにレジデンシィで出るとか、そういう空気はまるでないですわなぁ。

そういうもんなんでしょうかね?で、そうだとしたら、なんでやねん?

無論、日本フィルのツアーが始まった1975年頃には岸邊先生がオランダから戻って首都圏関西圏のオーケストラではなく敢えて九響コンマスに就任、日本フィルの九州ツアーと同じ年の夏に始まったゆふいん音楽祭の最初は、「星空の下での九響合奏団」でした。新幹線が博多まで延伸したこの年、大陸本土進出の軍事拠点だった久留米大牟田熊本などが工業地帯として没落していく一方、敗戦後は半島への窓口としてのポジションを失っていた九州北部地区が中央直結のキューシュー島窓口として発展し、筑豊で誕生した麻生帝国の帝都となっていくプロセスの中で、「九州交響楽団」はそのプロ楽団としての歴史を重ねてきたわけでありましょうがぁ…「九州を代表するプロ楽団として九州全体に音楽を広げる」みたいな動きはなかったのかしら?「アウトリーチ」という言葉が日本語でそのままに使われるようになったのは90年代半ば前、地域創造が出来て、文化庁だけではなく自治省も「地域文化」というものを意識するようになり、オーケストラのミッションステートメントに「地域活動」が謳われるようになるのも、世紀の終わり頃から。ちょっとまだ時代がそうはなっていなかったのか?

次にやるかもしれない大きな仕事の根底に、この疑問が口に出せないままに、ごろりと寝転がっている。

だれか、「やくぺんくん、あんたは相変わらず物を知らぬなぁ、それはね…」と、答え一発明快なご回答をいただけませんかねぇ。よろしくお願いします。

あ、空港ゲート前、隣に小山さんが来てしまったわい!借りてきたアヒルをしなければだっく。

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