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日本の公共文化施設に芸術監督は何人いるか [音楽業界]

旧暦大晦日前に代々木で開催された文化庁・公文協主催の公共文化ホール問題セミナー、なんのかんので一昨年暮れから引っ張ってる指定管理者問題のまとめの議論のメモを当電子壁新聞にまんま貼り付けたところ、あちこちの方から反応がありました。
指定管理については当然のことながら、意外だったのは、芸術監督制度についての反応や質問です。特に、この数日そこかしこで出会う音楽ファン、「マニア」と呼ばれるほどの知識と見識の持ち主の方々が、「日本に芸術監督ってそれっかいないんですか」とビックリしている。

もうちょっときちんと事実確認しますと、「芸術監督を制度としてきちんと有している公共文化施設は、日本には1ダースとちょっとくらいしかない」ということです。セミナー会場で司会の大和滋氏が会場の出席者に「ここにいらっしゃる公共団体やホールの方で、芸術監督制度を導入予定のところはありますか」と質問したら、70名ほどのセミナー参加者から上がった手は2本だけでした。

音楽ファンの皆さんは、音楽雑誌やら、演奏会チラシの裏の演奏家経歴紹介文などで、「●●芸術監督」とか「××オペラ音楽監督」とか、やたらめったらそんな肩書きが並んでるのを見るでしょうから、そんなポスト世界中にゴロゴロしてると思って当然です。
でも、少なくとも日本国では、その多くは民間団体やら任意団体やらのもの。公的なものではない。「芸術監督」がどんな存在なのか、法律でどう定まっているわけでもない。(「社長とはなにか」って、法律できちんと定義されてるんだろうなぁ。ご存じの方、無知な小生に教えてください。)

さても、いろいろ説明するのも面倒なので、去る水曜午後の『地域に芸術団体レジデント、フランチャイズは何をもたらすか』なるセミナーで配られた「公共文化施設と芸術団体」なる資料をそのまま引き写します。文化庁系のセミナーで配布された資料ですから、文化庁が把握している現状はこういうものだ、ということです。なお、セミナーの速記メモをまんま貼り付けようかとも思ったんだけど、なんせパネリストらがその場で語ってるデータが全て正確か小生には確認し切れません。そんなことしてる暇はありません。妙な誤解を広めるのもコワイので、貼り付けるのはやめます。以下がデータ。表記はママです。(追記:何人かの方から、「字が間違ってますよ」というご指摘をいただきました。そうなんです、間違ってるんですよ。それを承知で、敢えて「文化庁がほぼ公式な場で発表した刷り物に出している表記をまんま出しました。つまり、「ああ、野平さんという人を知らぬままに出してるのだなぁ」ということを判って貰うためです。その程度、ということ。)

                             ※

〈レジデント〉
りゅーとぴあ:Noise(芸術監督 金森穣)
石川県立音楽堂:オーケストラ・アンサンブル金沢

〈フランチャイズ〉
ミューザ川崎:東京交響楽団
杉並公会堂:日本フィルハーモニー
すみだトリフォニーホール:新日本フィル
ティアラこうとう:東京シティフィル、東京シティバレエ

〈芸術監督〉
富士見市文化会館きらり☆ふじみ:生田萬
兵庫県立芸術文化センター:佐渡裕
新国立劇場:牧阿佐美(バレエ)、栗山民也(演劇)、T.ノヴォラツスキー(オペラ)
世田谷パブリックシアター:野村萬斎
静岡音楽堂AOI:野平平一郎
びわ湖ホール:若杉弘
埼玉県文化芸術振興財団:蜷川幸雄
静岡県舞台芸術センター:鈴木忠志
神奈川県芸術文化財団:一柳慧
水戸芸術館:松本小四郎
まつもと市民芸術館:串田和美
青森県立美術館:長谷川考治

                             ※

さて、いかがでしょうか。ちょっと意外でしょ。公立文化施設や公立芸術団体の芸術監督として日本国文化庁が把握している人材は、これしかいない。別府のアルゲリッチも、松本の小澤征爾も、はたまたゆふいんの道夫先生は言うに及ばず、どれも公共文化施設の監督ではないんですね。
せっかくだから、「キラリ☆ふじみ」の新芸術監督選出を巡って、公式ホームページに報告がありますので、貼り付けておきましょ。ほれ。http://www.city.fujimi.saitama.jp/culture/singeikan.html

なお、自治体が芸術監督を条例で定めているのは更に少なく、東京都世田谷区など幾つかの例くらい。びわ湖ホールなどは、「ホールの芸術監督」として認知されているものの、あくまでも財団の定款にあるだけで、実態は業務委託だそうです。蛇足ながら、フランチャイズを結んでいるところは、文書で「何年契約」と銘記した関係は皆無だそうな。

ところで、芸術監督制度と並ぶもうひとつの公共文化施設の指導者のあり方に、「プロデューサー制」があります。芸術監督との最大の違いは、芸術監督は芸術家が基本ですが(例外もあるけど)、プロデューサーは芸術家ではなく裏方のプロであること。どちらが良いのか、これまた議論がいろいろあります。芸術家を監督に置いちゃうと、なにか責任問題が起きたときの扱いが微妙で難しくなります(役所の立場からすれば、メディアや市民はまず芸術家の側に立ちますから、非常にやりにくい)。だから、公的な団体はあまり芸術家を判断のトップに据える芸術監督制度はやりたがらない傾向にあるみたいですね。最近では横浜某所や、ちょっと前はあの秋吉台の大騒ぎが思い出されるなぁ。
ヨーロッパ(及び旧ヨーロッパ植民地で旧宗主国の社会システムが残ってる地域)の予算規模の大きな公共芸術団体では、総合プロデューサー(アドミニストレーター、インテンダント)の下に芸術監督がいる、というあり方も珍しくない(Kannoさんがコメントでご指摘下さったドイツ語文化圏オペラ劇場の例などは、こちらですね)。ちなみに、アメリカ合衆国には日本の「公共文化施設」に直接対応するものは殆ど存在しません。スミソニアンだって財団ですからねぇ。国会図書館の室内楽シリーズくらいかしら。

この辺りの実態は、音楽ファンや芸術愛好家ばかりではなく、文化行政を議論する識者や、文化担当の現場の記者も余りよく判ってないのが実情です。それぞれの方が経験したり実地で携わった文化圏の常識をそのまま持ち込んで議論している例が殆どです。
ですから、少なくとも日本語のメディアで展開される「芸術監督」やら「音楽監督」に関する議論は、「これを言ってる人は、ドイツのことやアメリカのことは判っているようだが、ちゃんと日本のシステムの実態を把握しているのだろうか」と疑ってかかった方が良いですよ(ちゃんと判ってる方は、見渡したところ、ホンの数人でしょう)。あたしも自分や嫁さん、知人が直接関わっているところ以外、ぜーんぜん実態は判ってません。
ま、議論を依頼された人も、テレビでご活躍の北朝鮮評論家(公式な情報公開のない北朝鮮の内実をちゃんと判ってる奴なんて、世界にひとりしかいないはず)なんぞとどっこいどっこいの知識でアタフタしながら場を取り繕ってる、と思うべきでしょうねぇ。これ、皮肉じゃありません。事実です。


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Kanno

芸術監督は総監督とは違って普通は芸術面だけを心配すればいいのですね。日本のホールは多目的ホールでしょう?音楽だけを置くのが難しいかも?それにロックや喉自慢などもやるだろうし。総監督は主に経済面ですね。芸術に暗い人の場合、音楽ディレクターや演劇ディレクター・オペラディレクター・バレエディレクターなどをそれぞれ置きます。日本は文化が多様化しているので邦楽ディレクターなども必要ですね。その下がプログラムなどを置くドラマトゥロギーです。オペラの場合数人になりますがすべてそれに精通した人ですね。どの演目の誰と誰を組み合わせるか・制作費は・ギャラはとか一通りマネージャーじゃなくとも知ってないとならないです。平均して普通は70%が補助です。それは建物の維持費などは抜きます。出なければアメリカのようにすべて金持ちや企業などの寄付です。それ以外で芸術作品をやるのは不可能です。芸術は金がとてもかかるから芸術というのですから。

普通は芸術監督や総監督の報酬は高いです。ザルツブルクで年間少なくとも数千万ぐらいじゃないでしょうか?指揮者より高いはずです。じゃないとすぐルール・トリエンナーレやパリ・オペラ座に引き抜かれるのですね。大企業の社長と全く同じです。日本はこういう競争は全く無いですね。言葉の壁もあります。小澤さんはドイツ語しゃべらないのでいまでも絶えず言われているのではないでしょうか?例えばモルティエならばドイツならばドイツ語で説明して対応します。後はアイディアですね。日本はこれが乏しく全て欧米のコピーのような気がします。昔書いたのですが、これが文科省の画一教育の大きな成果だと。

こちらでは良く放送局のアナウンサークラスでもシュヴェツィンゲン音楽祭などのディレクターしますね。音楽祭のテーマからプロ編成・予算まですべて見てるようです。もちろん数人のアシスタントがいるはずですが。
by Kanno (2007-02-19 05:52) 

Yakupen

芸術団体がどのように運営されているかは、少なくとも日本では、筋道ややり方やマニュアルがあるようで、実は、全然ないんです。Kannoさんが事例としてあげてくださった中欧のやり方は、所謂「小規模領封国家型君主の宮廷劇場運営」の市民革命後の改変タイプですね。
文化芸術は経済性の外に存在しているから、古いシステムが一番維持されやすい。日本でも、江戸期に権力者の保護を受けていたタイプの芸術(能、など)は、それなりの形が出来上がっているわけですから。

新国立劇場が担当している類の舞台芸術は、ヨーロッパでも舞台芸術を担っていく主体がはっきりしなくなった市民革命後の混乱期に入ってきたために、きちんとした形ができなかった。だから、「芸術」じゃなくて「興行」の世界に分類されて展開してしまった(なんせ帝劇が民間の興行用劇場なんですから)。パブリックが芸術を行うことを、「どうして税金で興行をせねばならぬのだ」と怒る納税者が出るのは当然でしょう。

ま、こういう話は理論としてやってる人はいくらでもいるわけで、あたしがこんなとこでデータもちゃんと挙げぬ床屋話をしてもしょーがない。で、整理はこれくらい。

まあねぇ、昨日、佃嶋界隈を跨ぐ高架を走っていた東京マラソンも、「どうして一部スポーツマンの趣味のために道を封鎖し、税金投入し、都立高校の生徒を強制ボランティアさせねばならぬのだ」と怒ってるいる人はいっぱいいますもの。いやはや。
by Yakupen (2007-02-19 12:49) 

Yakupen

(2007-02-20 01:13)にKanno様から投稿がありましたコメントは、内容が個人を非難するものと判断される可能性がありますため、小生の判断で削除させていただきました。
今後も、特定個人の人格を非難すると判断される極めて不快な投稿は、一切の説明なしで削除させていただきます。
by Yakupen (2007-02-20 02:25) 

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