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ピアノ三重奏団のいろいろなあり方 [演奏家]

当初の予定では、これまたニッポン同様桜咲き乱れる対馬海峡の向こうは統営から新帝都に向かい、国際から地域ローカルまで様々な規模の「春の音楽祭」総計3つを眺める予定だった卯月前半でありましたがぁ、諸般の事情で、ってか、ぶっちゃけ、昨年の確定申告の結果、余りの己の貧乏っぷりに驚き、今年度の基本方針として「原則赤字仕事はやれない」を掲げざるを得ないことになったため、残念ながら原稿が商売もんとして売れる見込みが全く無い「統営国際音楽祭」は断念せざるを得ず。

かくてこの2週間弱は、原稿1本で上野の杜までの交通費くらいはカバー出来そうな「東京春音楽祭」の室内楽4公演、それに主催となるNPOの顧問という名の雑用を仰せつかっているために赤字も何も言ってられぬボランティア仕事たる「ながらの春 室内楽の和音楽祭」3公演+マスタークラスを見物。あとは、この10数年来の付き合いで遙か異国のコンクールの様子も眺めた弦楽四重奏団ひとつと、昨年秋に曲目解説を書かせていただいたけど本番は温泉県にいて聴けなかったピアノトリオひとつ、それにかつて13年間曲解書いていたけど新監督になってからは聴くのが初めての某オケと、数週間前にキューシュー島を同行していた某オケ、以上総計12公演を拝聴し、今回の新帝都滞在は全てオシマイ。ああ疲れた…

今回の桜咲く新帝都滞在最後に拝聴する最後の公演は、アッという間にインバウンド溢れかえる街に戻った銀座は新橋にも近く、四丁目交差点の向こうからリンゴ公式ショップが隣に移転してきて周囲の顔つきもまた新たになったヤマハ銀座本店は6階のサロンで開催された、トリオ・ソラ演奏会でありました。自転車駐めるとこないんで、銀座通りの高速(なのか?)ガード下、インバウンドバスの乗降所として異様な賑わいを見せている肉のハナマサ前に自転車を駐めて、ノコノコ歩いて向かったわけでありまする。


正直、個人的には弦楽四重奏というジャンルはいろいろあって30余年ずっと眺めて来ているけど、どうもピアノ三重奏というジャンルは、あれこれ付き合っている割には馴染みがなかった。なにしろ「ピアノ」という存在の印象が大き過ぎる形態であることは否めず(だって、モーツァルトやフンメル初期までは、「オブリガートヴァイオリンと通奏低音付き鍵盤ソナタ」ですからねぇ)、文献の頂点となるロマン派時代というのはどうにも個人的にはあまり興味が持てない様式なもので(押しつけがましい、無駄に騒々しい、もう貴方の素敵な個性なんて結構ですから…って音楽だもんさ、妄言多謝)、そういうものもあるよね、という感じで眺めていた。

ところがどっこい、「やくぺん先生が現場に居るとニッポンチームは絶対に優勝できない」というジンクスが現実のものとなり、トリオ・アコードもアーク・トリオも良い結果が出せず、もう眺めに行かなくてもいいや、と行くのをやめたミュンヘンARDコンクールで葵トリオが優勝しちゃって、あああああ…と地団駄を踏み、これは人生最後にもうちょっと勉強せんとなぁ、と心を入れ替えたりしたら…コロナになってしもーたわい。

そんなこんな、ともかくピアノ三重奏というジャンルは余りにも自分がものを知らず、恥ずかしいんで、少しでも機会があれば勉強せねばと爺なりに考え、新帝都滞在の最後の日に貧乏人が己への投資と大枚叩いてサロンコンサートの切符を買って、席に着いたのであーる。演目はこんなん。
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うううむ、北米で今大流行のLGBTQの流れド真ん中のヒグドン様、それに未だにどうにも得体の知れないカプースチン。極めつけは、数ある室内楽文献の中でも個人的には最も不得意な《ドゥムキー》、という「さあ、嫌がってないで勉強しろ、爺さん!」ってお尻をひっぱたかれてるような演目が並んでおるわけですわ。

ったら、入口で紙1枚の刷り物が配られ、あれぇ、演目が違うじゃんかい。カプースチンがなくなって、エイミー・ビーチになってらぁ。

実はこの団体のために去る秋に曲目解説を書かせていただき、その中にエイミー・ビーチのピアノ三重奏がありました。
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この歳になって、曲目解説を書いたことが一度も無い室内楽曲なんてなかなかなく、温泉県盆地図書室に埋まっているエイミー・ビーチの分厚い伝記本を引っ張り出し(多分、カーネギー楽屋口前の本屋がまだあった頃に、ワゴンセールかなんかで買ったんじゃろなぁ)、幸いにも楽譜は今時は簡単にネットで手に入るので、へええそうなんだぁ、と思いつつお勉強して作文したわけでありまして、本番の時期に新帝都におらず、聴けないのは残念だなぁ、と思ってた。そんな気持ちを汲んで下さったか、冬を挟んで聴かせていただけて、これはこれで有り難いことではありましたです。なんせイヌイット(「エスキモー」と言ってはいけんのじゃよ、昨今は)のテーマが使われた北米で最初に偉くなった女性の作曲家、なんてこれまたLGBTQの古典中の古典作品で、最近、妙にやられてるみたいなんよね。

それにしても、ピアノ三重奏団って、なかなか面白いプログラミングをするのでありますなぁ。葵トリオみたいに、「弦楽四重奏作るみたいに数ヶ月練習しないとコンサートに上げない、古典派後期からロマン派の超定番曲をきっちりレパートリーとして積み上げていく」というやり方をしている若手団体もある。一方で、こちらトリオ・ソラさんみたいに、「バラバラな拠点の奏者が年に2回くらいのセッション期間中を維持し、それぞれが興味のある楽譜を次々と弾いていく」というやり方もある。前者のやり方は、ともかく曲をじっくりみっちり聴かせてくれる。後者は、へえ、こんな譜面があってこんな曲なんだぁ、という知的好奇心を満足させてくれる。グループとしてのキャラクターを反映し、まるで違うピアノトリオという文献へのアプローチをしてくれている。

有り難い時代になったものでありまする。それより前の時代を担当する「ピリオド楽器での三重奏」というこれまた全く別のディープな世界も広がってるしねぇ。

ピアノ三重奏の世界、ライヴで接する度にいろいろなことを教えてくれる、興味深いジャンルでありますな。老後の娯楽には、ちょっと勿体なかったかなぁ、という気がせんでもないけどさ。

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誰が社長になろーが… [演奏家]

日本時間で日付が変わった直後くらいに、シカゴ響さんからリリースが送られて来ました。Webで視られるのはこれかな。
https://cso.org/klausmakela?utm_source=wordfly&utm_medium=email&utm_campaign=20240402FY24Test&utm_content=version_A&uid=684147&promo=29734&fbclid=IwAR2gi2EJSsoWcoDgp8rvhDSLTMX9lGajOXGidbS_aSS8_iQIjXmVXpvg4fs_aem_AaiesCgUrqGan_Cxab7_NkRNRSZjOpe4xLlLHyVd8-ZcVksjfdzSoGK9KCt6am6ufQDkbA2XsjUoa4Nh06OcivVr

今はパリ管の若きシェフをしてて、その後はコンセルトヘボウ管のシェフが早々に決まっている飛ぶ鳥を落とす勢いの若い指揮者さんが、なんとムーティ御大の後を受けてシカゴ響のシェフになることが決まりましたぁ、という公式発表です。4月1日には流石にやらなかったのね。

一昔前ならば、音楽雑誌やらが大騒ぎになったであろうニュースでしょうけど…どうも、なんだか「ああそーですかぁ、指揮者業界ってそんなに人材不足なんですかねぇ」としか感じぬなぁ。

今時の世界ったら、どっちかといえばこのニュースの方が大騒ぎだし。
https://www.npr.org/2024/03/14/1238678686/san-francisco-symphony-music-director-esa-pekka-salonen-resigns
んで、このサロネンがこんな状況では監督やってられんと机叩いた話には続きがあり、なんとなんと、普通ならば指揮者とは冷たい関係というか、正に「ああそうですか」でしかないのが普通のオーケストラ団員の方から、こういう声が挙がっているという。
https://www.sfchronicle.com/entertainment/article/sf-symphony-salonen-19265363.php

サンフランシスコは、オペラとシンフォニーがある市役所から東の辺りがそうとうにヤバい状況になっている、なんて話も盛んにされている昨今ですので、まあ、いろんなことがまだまだ起きるんでしょう。

ニッポンは平和だわい。首都圏の振興オケで団員の3分の1くらいが一気に辞める、なんてトンデモなことが起きても、なーんにも話題にならぬ良い国じゃ、うん。
https://ppt.or.jp/information/2024t/

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新刊紹介:欧州中央での音楽武者修行って… [演奏家]

数週間前、クラシック演奏家関連の出版も多い春秋社さんから、こんな書籍が出版されましたです。敢えてAmazonではなく出版社の公式ページを貼り付けておきます。
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https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393936115.html

普通は、演奏家の「自伝」というものは、引退して時間はいっぱいあるご隠居が、銀行に金遺しても仕方ないので使ってしまえ、とプロのライターやら編集者を雇って作るのが常識。日本語オリジナルではそれほど目にしないかも知れないけど、ヨーロッパ語文化圏では音楽家を含むあらゆる個人がそういう形で「自伝」やら「●●●●我が人生を語る」みたいな書物を出しております。

ところが、現役バリバリでもの凄く忙しく、どう考えても「自伝」なりの作業をする時間があるとは思えないマエストロがそんな書物を作るって、極めて異例です。放送やらライヴのレクチャーを本にするとか、日本では日経に新聞文化欄記事として連載しその原稿をライターさんが本に纏める、などの例はありますけど。無論、実質上文筆が仕事のマエストロ岩城宏之や團伊玖磨のような特殊例はありますけどねぇ。

んで、このミンコフスキ氏の著作がここの存在しているのは、ひとえにコロナ禍故だそうな。

2020年イースター頃から半年くらい、パリでもシャットダウンが続き、オーケストラが目の前にないと仕事にならぬ指揮者さんは、勉強するか暇してるしかなくなった。そのときに、ミンコフスキ氏のお友達でミンコ追っかけ「悪い人」の書き手さんが「暇してるんな伝記やろうよ」と言い出し、オンラインで膨大な時間のインタビューをやった。それを「自伝」という形に纏めた、というものです。ですから、テイストとしては「フランコ政権に抗議してプラドに隠遁し、暇と言えば暇だったカザルスにコレドールが延々とインタビューし、自伝でもあり音楽観を語る著作でもある形に纏めた」名著『カザルスとの対話』、あれみたいなものでありますわ。

伝記として無理に編年体に纏めているわけではなく、話はあっちこっちに飛んだりする。音楽観やら同時代の演奏家評も、あちこちにばらけて入ってます。そういう意味では、正に「ミンコフスキ御大おおいに語る」です。

書籍としての造りはどうあれ、「バッハ以前の音楽や所謂古楽器の偉大なパイオニアが出現し地平が開かれ、そういう音楽が当たり前になったところに、パリはルーブル美術館とパレ・ロワイヤルの間辺りのアパートに知的エリートの息子として育った少年が、どうやって指揮者になっていったか」が一人称単数視点で語られるわけですから、そりゃ興味深い話に満ちてますわ。

個人的にいちばん驚いたのは、パリのド真ん中に生まれ育ちサル・プレイエルやらオペラ座やらシャンゼリゼ劇場やらシャトレ座に歩いてでも行けるような場所だから、若い頃にライヴで大演奏家名演奏家を山のように聴いて育って、その思い出話とかがいっぱい出てくるんだろーなー…と思ったら、どうもそうじゃない。家にあった、わしら遙か極東の音楽愛好家が聴いていたのとそう違わない名盤レコードコレクションを聴き(ただし、猛烈に広そうなアパートの誰もいない部屋で、ガンガン鳴らしてたようですけど)、そこで音楽に目覚めていったという。

つまり、ミンコフスキという指揮者さん、音楽に目覚めるためにはパリに住んでなくても良かった、ということじゃん。いやぁ、これって、ちょっとビックリだなぁ。

勿論、それ以降のキャリアをステップアップしていく「僕の音楽武者修行」の過程では、欧州中央で人があれやこれや集まってくる音楽情報産業の中心地パリという場所でなければあり得ない人間関係の構築があるわけですけど、初っ端はパリである必要はなかった。へえええ…ですねぇ。

なにせまだバリバリの現役の方です。0年代後半から10年代、小生の如きも客席から眺めているあれやこれやの話もちょろちょろ出てくるし
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2009-03-30
それこそ個人的に面識のある名前もいくらでも出てくる。となると、「あれ、どうしてこの状況であの人の名前が出てこないのかな?」なんて記述もチラホラ。あああ、なるほどねぇ、そういうことなのね、と「書かれていないことから起きたことを推察する」ことも必要になってくるのは…どうなのかなぁ、そんなん当たり前の音楽ファンたる、読者にはやれっても無理なわけだから、あくまでも「ミンコフスキ氏の視点からはそう見えている」ということだと思うべきなんでしょう。

正直、ミンコフスキ氏のファンでないとちょっと付いていくのは厳しいわい、フランスの文化政策がどういう風に成されているかの基本知識がないと何が起こってるか判らんぞ、などという箇所も散見されますけど、そんなんは「自伝」には当たり前のこと。判らん名前や人間関係は吹っ飛ばして読んでも、充分以上に興味深い書物でありまする。

碌でもないことしか起きなかったコロナ禍だけど、こういう本が世に遺せたのはせめてもの…でありましょう。関係者の皆様、お疲れ様でした。

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緊急告知:本日のサントリーで売ってます [演奏家]

もう遅すぎるかもしれないけど、ともかく緊急告知です。

本日、サントリーホールで午後6時半開演のオーケストラ・アンサンブル金沢東京公演では、指揮者のマルク・ミンコフスキ氏の自伝の日本語版が緊急先行販売されます。
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既に去る金曜日の金沢公演では石川県立音楽堂ロビーで販売され、関係者の方に拠れば「入場者の10人にひとりがお買い上げになりました」とのこと。
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最近ではこんなに「本」という媒体が積み上がっている絵は余り見ませんので、ちょっと驚きですな。

ミンコフスキといえば、ヴィーンの不良反逆者に始まり同世代唯一のヴィーン系指揮者へと上り詰めたアルノンクールやら、みんながこれぞ古楽って思うような音楽をさりげなくエグくなく繰り広げてくれるガーディナーやら、所謂「20世紀末古楽スター」の長老達とは一世代も二世代も若く、もう「古楽器」などと肩肘張ったり大声を出したりしなくても良くなった世代の最初のスター指揮者のひとり。なにより、古い時代の音楽を専門にしているだけではなく、最初からオッフェンバックとかヴァーグナー初期オペラとか、ロマン派の舞台作品を大事なレパートリーにしてきた方なわけで、そういう視点からも去る金曜日のベートーヴェン交響曲第9番の再現は極めて興味深かったわけでありまする。

新しい視点というか、21世紀のパラダイムから「クラシック音楽」を見渡したいとお考えの方には、是非とも読まないといけん文献じゃないでしょうかね。

ま、中身に関しては、今週金曜日までの新帝都滞在中はもうグチャグチャに忙しいやくぺん先生ったら、まだちゃんとページを開けてません。ゴメン!来週以降、ノンビリ由布岳眺めながら縁側で紐解いて、またご紹介いたしましょうぞ。

とにもかくにも、今晩のサントリーには現金数千円、ちゃんと握りしめて来るよーに。お釣りはたぶん、ありますから。

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ピエール・ブリュースはサティQにいたのだ [演奏家]

指揮者として初来日のアンサンブル・アンタルコンタンポラン音楽監督ピエール・ブリュースの神戸室内管デビュー、なんとボーッとしている間に明日になってしまったではないかぁ。
https://www.kobe-ensou.jp/wordpress/wp-content/uploads/2024/03/231026_3_kobe_161_omoteura_a_design_syusei.pdf
ご覧のように、ある意味、バッハや古典派を得意にしていそうな気がするこの室内管定期としてはなかなか意欲的、というか、かなり変わった定期なのかしら。なんといってもオーケストラの定期演奏会なのに、ドカンと室内楽作品を1曲まるまる入れてる、ってのはスゴイなぁ。このルー・ハリソン作品、娯楽作品として滅茶苦茶楽しいですから、冗談じゃなくこれ聴くだけでも価値がある土曜の午後でありまするよ。こちら。
なんとやくぺん先生、この作品の初演団体での日本初演、カザルスホールで聴いてるんだわなぁ。いやぁ、爺になったことよ。

もうバレバレになってしまっているだろうから平気で記してしまいますがぁ、昨年11月、《光の日曜日》見物で華の都をウロウロしていたときに、シテ・ド・ラ・ムジークをホームベースとするこの団体が翌週の定期演奏会(なのか?)のリハーサルをしていて、指揮を担当する音楽監督のブリュース氏が通っていた。これ、楕円形ミュージックホールの真ん中にチェンバロ出して、周囲に小編成アンサンブル撒きやりとりする、という新作の練習風景。コパチンさんの後ろに立ってるのがブリュース監督じゃ。
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んで、遙かホンシュー島は神戸からの依頼を受け、楽屋でお話を聞かせていただいたでありまする。ま、せっかく居るなら、とちょっと商売やった、ということじゃわね。結果、こういう映像が出来ております。

なにやらほぼまるまる素材として使うんだなぁ、と未だにこういう映像インタビューには慣れない爺なのであったのであるがぁ、ま、それはそれとして、話としてはいろいろ面白いもんも出てますので、お暇ならご覧あれ。特に「現代音楽」と呼ばれる20世紀作品をどう考えるか、極めて自然な扱いをしているのが興味深いですな。

で、本来はそういう話をせにゃならんのでしょうけど、なんせ「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする当無責任私設電子壁新聞とすれば関心はそこではなく、ちょっとだけ触れてるブリュース氏の経歴の部分なのじゃ。「私はずっと室内楽をやってきて、室内管のコンマスになり、たまたま指揮をすることになり、指揮者へと転身した」と仰ってるところ。へえ、弦楽四重奏やってたんだ、どこの団体にいたの、と気楽に訊いたら、「サティQです」ってさ。

え、と思ったけど、収録用のテープもまわっている(というか、ハードディスクが動いている、というのか、今は)ので突っ込めなかった。その後も、コパチンスカヤと作曲家がやってくる新作の打ち合わせだかが待っているのでもう時間が無く話が出来ず、それだけだったわけです。どうもそれなりの時期、若い常設弦楽四重奏団としてのキャリアをやっていたようですな。自分の音楽作りで、弦楽四重奏をやっていたときの経験は非常の大きい、とこっちが尋ねなくても応えてくださっていたわけで。

なんでこんな細かい経歴に拘っているかと言えば、なんとなんと、やくぺん先生が一度だけライヴで接したことがあるサティQって、2001年のバンフ大会だけなんです。その時の評論記事、Webにまだひとつだけ落ちていたので貼り付けておきます。世間がまだWeb社会になる直前、あのマンハッタンでトレードセンターにアメリカン航空が突っ込む911テロが起きる直前で、この直後にボルドー大会だかがあり、ハシゴをする団体も多く、大変なことになったときですわ。
http://www.scena.org/lsm/sm7-3/banff-en.html

オフィシャルなページではなく一批評家の私見を記した記事を出すのに深い意味はなく、単に参加団体が全部記してあるから。こちら。
Daedalus, Delancy and Enso from the USA; Herold and Penguin from the Czech Republic; Johannes and Satie from France; Diabelli from Canada; Kuss from Germany; and Excelsior from Japan.

おおおお、当電子壁新聞を立ち読みなさっている方々がならすっかりお馴染みの名前ばかりでありましょうぞ。なんせ、ダイダロスやエンソはともかく、ペンギン、クス、そして我らがエクが参加した年に、一緒に出ていた団体ですわ。

とはいえ、ブリュース氏がこの2001年9月にバンフにいたのか、Web空間を探してみても、よーわからん。

てなわけで、明日、神戸に日帰りする最大の目的は、どっかで立ち話して、「バンフにいたの?」と尋ねることなのであーる…なーんて言うと、神戸室内管のスタッフに叱られそうだなぁ。

そんなやくぺん先生の極めてニッチな個人的な関心はどーあれ、あすの神戸室内管、アイヴス好きにもアメリカ現代音楽好きにも、はたまたフランス音楽好きにも、猛烈に楽しい午後になること必至であります。関東や九州中国からでも、朝のシンカンセンで新神戸まで行き、タクシーで2000円もかからんくらいで到着しますし、簡単に日帰りできますぞ。さあ、これはもう来ないわけにいかんでしょ。

それにつけても、なんで4月のアンブル・アンタルコンタンポランの東京公演には来ないんじゃろなぁ。残念だなぁ。

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訃報:パイオニアSeiji Ozawa [演奏家]

先週、シンガポールのヨン・シュ・トウ音楽院ホール客席で、たまたま小澤征爾氏が話題になった。話し相手は、マレー連邦から切り捨てられるように独立させれる前、黎明期からのシンガポール音楽界をほぼひとりで支えたヴァイオリニスト兼プロデューサーの娘さん。無論、わしらと同じくらいのいいお歳のおばーちゃんなわけで、当然ながら爺婆夫妻との昔話になる。お嫁ちゃまが「この人、SeijiがNHKとシンガポールに来たときの資料を探しに、国立図書館に通ったことがあるんです。ええ、ストレーツ・タイムズしかないですけど(笑)…」って話を振ると、あの演奏会をこちら側で仕切っていたのが父でしてね、って。あの頃は日本側の記事ではどれもこれも「クアラルンプールは英国風の都会だが、シンガポールは暑いばかりで酷いところだ」という愚痴ばかりでしたよ、40度くらいの体育館みたいなところでの演奏会で…どうこうどうこう。

でもね、あの演奏会が、シンガポールでアジア人がやる最初のオーケストラだった。それからずーっと、あの時の若い日本人指揮者がドンドン偉くなって、シンガポールには全然来なくて…

※※

ゆふいん音楽祭元実行委員長の加藤氏から聞いた話。

まだこの盆地に辿り着く前、若い画家の加藤氏がパリでフラフラしていたとき、小澤征爾という若い日本の指揮者が初めてパリのオーケストラを指揮することになった。出かけた加藤氏は、オーケストラ団員の何人かが演奏を拒否して下りた、という話を聞かされたという。指揮者氏がどういう反応をしたのかは、若いニッポン人のヒッピーなんぞの知るところではない。

※※

あまり知られていない事実かもしれないけど、この春節明けで51回目を迎える香港芸術節の第1回、開幕いちばん最初のオーケストラコンサートは、小澤征爾が指揮する結成されたばかりの新日本フィルだった。小澤氏が日本フィル組合メンバーの裁判路線に乗らず、無理をしても「日本の自分のオーケストラ」を作る必要があったのは、新たに誕生したフェスティバルの開幕を「世界的に最も著名な中国出身のアジア人指揮者」が勤める必要があったからなんじゃないかと思っている。何の証言もない勝手な憶測なんだけど。

無論、まだご健在な当時の老ディレクター女史を含め、誰もホントのことなんて言わないだろうけどさ。

※※

夕方過ぎに訃報に接したときから、萩さんが作った「北京にブラームスが流れた日」の最後で鳴っていたブラームス第2交響曲終楽章、あれをずーっともう一度、ちゃんと聴いてみたいとばかり思っている。

海賊盤だか正規盤だか判らないけどレコードがあるとは昔から聞いていて、北京や上海にレコード屋があった頃は、まさかと思っていつも探していたのだけど、とうとう一度も出会ったことはない。どういうわけか、ブラームスの2番というと、小さなテレビの画面から流れたあのアヤシげな録音のあの演奏しか頭に浮かんでこない。映像を収録していたのは、実相寺さんだったんだろうなぁ。

恐らく、あのオーケストラでは、イーウェン・ジャンのお母さんなんかも弾いているんじゃないかしら。あの北京のブラームスと、アイザック・スターンの上海でのマスタークラスで、中国の蓋が開いた。そして、上海Qやらが世界に出てくることになる。そこから先は…

※※

「歴史的にスゴイことをしたパイオニア」とは、普通に歩いているだけであちこちでその人の影が見えてしまう人。この人がいなかったら、今の東アジアの音楽の世界は全く違うものになっていただろう。そういう人が、本来の職たる音楽家としていちばん力がある頃に、お嫁ちゃまと一緒にそれなりの時間を共にできたんだから…ホントに幸運としか言いようがない。

ありがとう御座いました。

日が変われば、東アジア世界での新しい年の始まり。そして、オザワと袂を分かった団員達を放送労連らが支援することで始まった九州ツアーも、明日開幕。マエストロ下野のツアーに同行するのは、カーネギーでサイトウキネン管のポディウムを小澤氏と分けるのを眺めて以来、かな。

[追記]

2月11日付けで、日本フィルからこのようなリリースが出ました。PDFで貼り付けます。
【訃報 小澤征爾氏】 _ 日本フィルハーモニー交響楽団.pdf

実質半世紀、ニッポンのオーケストラ界という狭い狭い場所とはいえ、ひとつの時代が終わった感がありますね。無論、今やオーケストラ事務局にも団員にも、現場での「わだかまり」を抱えている人なんてひとりもいなかったとはいえ。

『炎の第5楽章』って、品切れなんだ…
https://japanphil.or.jp/node/23780

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ポール・メイエが指揮をしたりスペインの独裁者だったり [演奏家]

とにもかくにもNPO顧問ボランティア仕事を終え、ソウルは仁川空港から温泉県国東半島先っちょ空港に戻って参りました。だああっと半島を南下、釜山眺め、佐賀上空から伊都國眺め、長崎空港真上で左に旋回し、有明海から九重上空で本格的に降下を開始、市役所南方高度3000メートルくらいから我が温泉県盆地と由布岳に帰ってきたよと挨拶
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国東半島先っぽ空港へと下りていく、1時間ちょっとのフライトでありました。近いなぁ、半島は。温泉県に入ってから着陸まで、20分程の機窓風景。お暇ならどうぞ。
https://youtu.be/S3RJl4zulSs?si=Z62_vZPs-Tfu809-

タクシーの運チャンに拠れば、どうやらやくぺん先生が盆地を離れた2週間の間に秋が深まり、沢山の観光客を世界中から集める観光地区金鱗湖近辺の紅葉は先週の3日程でアッという間に終わってしまったそうな。田圃の中のやくぺん先生オフィスったら、紅葉の枝にはもう紅葉ではなく赤黒い枯れ葉色がぶら下がって、夕日のフィルター通してももう「紅葉」とは言えんなぁ、って有様。冗談ではなく、夏と冬しかないニッポン列島になってもーたわい。

さてもさても、今回の温泉県滞在は実質たった3日間の超短期。滞在というよりも「荷物詰め替えに仕事場に立ち寄りました」って感じでありまする。とはいえ、その間になんと驚くなかれ、「海外演奏家」が温泉県にふたつもやって来るというのだから、ちょっと異常な事態でありますな。

ひとつは、明日、大分市内、瀧廉太郎逝去の地から数百メートルのコンパルホールで開催される、ポール・メイエとRENTARO室内オーケストラ九州の演奏会。もう既に当無責任電子壁新聞でも勝手に盛り上げてたけど、やっと詳細が判明しました。あれこれ言うより、こちらの大分放送ニュース映像をご覧あれ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d23081c13f25955477c36f496a415d654ebb8502
おお、なんとなんと、団長さんもちょっと漏らしていたように、メイエ氏、このアンサンブルの看板演目たる《荒城の月》を、がっつり一緒に吹いているじゃないの。そればかりか、指揮者なしアンサンブルなのかと思ってたモーツァルトのト短調交響曲、メイエ氏がしっかり前に立って指揮してるじゃないかぁ。へえええ、そういうことだったのね。クラリネット入り版で、中で吹く、なんてビックリがあるかもと思ってたら、もっとビックリですな。ま、あちこちで指揮活動もなさっている方だから、大いに期待しましょう。

で、最大の関心事、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第1番のクラリネット版、って奴。こちらに団公式Facebookで練習風景がアップされてます。ほれ。
へえええ、こんな音がするんだぁあ。なるほどねぇ。

さあ、聴きたくなってきたでしょ。どうやら隅から隅までメイエの世界になりそうなコンサート、明日金曜日10日、夜7時開演ですから、日本どこからでも朝一で飛べば到着できます。マジ、この列島の他のどこの都市でもやりませんからねぇ、こんなこと。さあ、温泉県にいらっしゃいな。

もうひとつは日曜日、国東半島先っぽの大分空港から、更にバスで30分も半島のド真ん中まで行ったところの700席ちょいの県内有数の室内楽適正規模の会場に、去る5月に大阪国際室内楽コンクール弦楽四重奏部門で悲願の優勝を成し遂げたQインダコがやって参ります。
https://www.city.kunisaki.oita.jp/site/kyouikukage/concert.html
https://jcmf.or.jp/concert/grandprix2023/
なんといっても、かつては《スペインの独裁者》とか、とんでもない副題で呼ばれていたボッケリーニ作品44の4が聴けるのが嬉しいなぁ。案外、やってくれない曲なんだよねぇ、昨今は。

たった3日の滞在にこれだけ濃い音楽に浸って、さても、月曜の夜にはフランクフルト経由でヴィーンフィル不在のヴィーンに向かうのじゃ。爺、もうひとふんばりの秋の終わりじゃのぉ。

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ポール・メイエがモーツァルトの協奏曲を吹く [演奏家]

いろんな意味でなんでもやっちゃうスーパーなクラリネット奏者ポール・メイエが、来る11月10日に大分市内でRentaro室内管九州にソリストとして登場、モーツァルトの協奏曲を披露します。こうご期待!
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…って記すと、「いや、別になんてことない、スター独奏者メイエさんとすれば、モーツァルトのクラリネット協奏曲を小さな規模のオーケストラとやるなんて、いつものふつーのお仕事でしょ」って思うでしょうねぇ。

ところがどっこい、それがそーじゃないんだなぁ。上の告知広告写真、よーくご覧あれ。ってか、このURLをご覧あれ。
https://eplus.jp/sf/detail/3961240001-P0030001P021001?P1=0175
メイエ氏が独奏するのはみんなが知ってる超名曲、K.622のA管クラリネットのための協奏曲ではなく、ななななぁあああんとぉ、変ロ長調のヴァイオリン協奏曲なのでありますっ!

この話、Rentaro室内管九州の団長M氏から聞いたとき、うそぉ、ってJKみたいな声を挙げてしまいましたです。聞けば、「モーツァルト作曲ヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調K.207」のヴァイオリン独奏パートをクラリネットにした楽譜が存在するわけではなく、メイエ氏は譜面まんま吹くそうな。日本でやりたいといくつものオケに声をかけたんだけど、よっしゃやりましょう、と応じたのはRentaro室内管だけだったとのこと。で、こんなギャラのお高い演奏家が遙々温泉県にまでやってきてくれる、ということになったそーな。

この話、某フランス系クラリネット奏者さんに「こういうのってあるの」と尋ねたら、「そんなん聞いたことない」とビックリしてました。また、某オケのコンマスをなさっているヴァイオリン奏者さんにも尋ねたら、自分はそういう試みにはこれまで付き合ったことないし、どこかのオケがやったなんで耳にしたこともないけど、まあ変ロ長調だから出来る人には出来るんでしょうかねぇ、とのことでした。

とにもかくにも、前代未聞の企て、これはもう紅葉始まり鶴見岳も由布岳も美しく色づく温泉県までひとっ飛び、聴きに来ない手はないでありましょうぞ。

なお、今、大分市内のメイジャーなホールたるイイチコ文化センターは休館中。この演奏会は駅の東のトキハ百貨店近くのコンパルホールで、規模としてはこちらの方が適正でしょうね。

ポール・メイエ氏、瀧廉太郎にも興味を持ったそうで、最初に演奏されるこの団体の名刺みたいな室内アンサンブル編曲《荒城の月》を、一緒に演奏したいと言ってきているそうな。

ちなみに、コンパルホールを出て前の道をちょっと歩いて旧大分城址の方に曲がって数百メートル、セブンイレブンのある場所が、瀧廉太郎が世を去った終焉の地であります。

今、セール中のLCCなら、東京から1万円しないで来られるかもよ。あたしゃ、これを聴くためにソウルから一度大分に戻りますぅ。

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奈良の大仏に捧げる十三回忌《花は咲く》 [演奏家]

平日でもインバウンドで大混雑、まともにランチを喰らっている場所もないようなJR京都駅から、久々の東海道新幹線に用意されたパソコン労働可車両とやらに鎮座し、周囲もみんなパソコン開いたり携帯で打ち合わせしたりしている中を新帝都に向かってます。

昨日は大阪城が見える部屋で大阪国際室内楽コンクール2023専門委員による反省会があり、終了後大阪城公園駅から大和路快速に揺られることぐるり環状線西を回り天王寺から東へと1時間と少し、すっかりモダンになってこれまたインバウンド溢れるJR奈良駅に向かい、午後7時前にはデカい鹿の親分みたいな奴に脅されながらすっかり夜となった東大寺は大仏殿に至る。
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んで、こんな演奏会に詣でさせていただいた次第でありました。
https://www.almond-music.com/jpvn50th
https://www.asahi.com/articles/ASRBB72S6R9XPOMB00W.html

どういうイベントなのかは上のURLで読める朝日新聞奈良総局長さんがお書きの今朝の記事でお判りでしょうから、どうのこうの申しません。日本とヴェトナムの国交樹立半世紀を記念する両国の若い演奏家を集めた祝祭管弦楽団が、震災から12年目となる東北を中心にツアーを行い、最後に奈良は東大寺大仏殿で、文字通り大仏さんの足下にオーケストラを並べて奉納演奏をする、というイベントであります。

この祝祭管、当日プログラムには敢えて(なんでしょう)どういう経歴の奏者なのかは一切記してありませんけど、3人のコンサートマスターのひとりは当電子壁新聞でもご紹介したことがある、ノルウェーで勉強しハノイに戻ってから室内楽をやりたくてしかたなく、藝大のヴェトナム国立音大との共同室内楽プロジェクトにも参加し松原かっちゃんなんかと共演、その後は藝大にもちょっと来ていたらコロナになってしまいあれこれプロジェクトが頓挫してしまい…という些か不運なことになってしまっていた鬼才グェン・ティエン・ミンくん
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-02-07
もうひとりが震災後の仙台フィルにコンマスとして招かれ音楽での復興を実践してきた現九響コンマス西本幸弘、って顔ぶれ。

他にも、ヴィオラにはサントリー室内楽アカデミーで大暴れだった飯野和英くんやら、オーボエやフルート、コントラバスには我が隣町竹田のRentaro室内管九州のメンバー、そしてホルンには漆原さんのご子息「ぴゃくぽん」こと友貴氏などなど、冷静に考えるとこの数のメンバーで知り合い率が異常に高い若いオーケストラでありまする。Rentaroオケの森田氏に拠れば、ヴェトナム側はハノイのサン・シンフォニー、サイゴンのオペラ・バレエ管のメンバーなどで、本名さん率いるヴェトナム国立管のメンバーはいないとのこと(なんせ、同時期に日越合同新作オペラ世界初演やってますから、こっちに加わるのは無理でしょうね)。それから、ハノイの長老クラスの先生やお師匠クラスの奏者もおらず、基本的に「ユースオケ」とは言わないまでも、ヴェトナムで現役で活動する30代くらいまでのバリバリの若い世代から成るフェスティバル管でありました。ヴェトナム戦争どころか中越戦争も知らない、正にヴェトナム版「戦争を知らない子どもたち」のオーケストラですな。

それにしてもどうやって大仏殿の中で演奏するのかと思ったら、驚くなかれ、真ん中の巨大な大仏さんの前の高くなったところには貴賓席が配され、その下の平土間に指揮者が大仏さんに背中を向け、大仏さんに向かって細長くオケが並びます。結果として、数の限られた聴衆は大仏とオーケストラの間に左右に更に細長く広がって並ぶパイプ椅子に座ることになり、どの席に座ってもオケの全体像は見えません。
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楽屋などなく、左右奥にワラワラと演奏家が待機することになり、一度席に着いたらもう動けないような状態。そんなわけで、やくぺん先生の座った大仏さんに向かって左の後ろの方では、コンマスだったはずのミンくんの姿すら見えず、ご挨拶もまるで出来ない状態でありましたです。

でも、このイベントというか、演奏会というかには、それで一向に構わない。ヴェトナムの作品やら《運命》やら、両方の文化やそれを越えた普遍の価値があるだろう音楽作品が、巨大な仏さんに向かって演奏されれば良い。若いヴェトナムと日本の音楽家たちが弾いている相手は、普通の意味での聴衆ではなく、仏さんなんでありますよ。

それがはっきり判ったのは、最後に西洋楽器とヴェトナムの竹のヴィブラフォンみたいな打楽器アンサンブルの合同で演奏された《花は咲く》でした。そう、この演奏は、「大震災で命を失った人々の鎮魂の意味を込めて十三回忌として音楽を奉納する」式典だった。聴衆は、たまたまそこに居合わせて、一緒に手を合わせた人達、ということ。演奏を終えたヴェトナム人奏者の多くは、聴衆に向けてお辞儀をするのではなく、大仏さんに手を合わせていたのが印象的でありましたです。

ヴェトナムと日本の若いプロの音楽家が、普通の意味での地方都市公演とはちょっと違う「被災地」なる場所を訪ね歩き、最後は巨大な仏様に音楽を捧げる。飛行機で空港に着いて、バスに乗ってホテルの間を移動し、響きの素晴らしいあちこちのホールで音楽を聴きたい人に向けて弾く普通の演奏旅行では、決して見えないだろうものを見たり、経験したりしたでしょう。こんな特別なツアーを実現するために尽力した音楽家、現場裏方、そしてプロデューサーM氏には、大いに感謝せねばなりません。こういう音楽もあり、演奏もある。皆様、お疲れ様でした。

それにしても、一頃は嫌になるほど耳にした《花は咲く》、ホントに久しぶりにライヴで聴いたけど、菅野よう子という作曲家さんの名前がこの曲で後世に残ることになったのはラッキーだったなぁ。

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2023年に30代がモダン大オーケストラのシェフになるということ [演奏家]

「暑さ寒さも彼岸まで」という諺(なのか?)が、「暑さ暑さだ彼岸まで」になった気候変動の21世紀、流石に春分の日も過ぎて新帝都は辛うじて「秋」になり、大川端からインバウンド溢れかえる銀座抜けてチャリチャリ溜池まで走るサイクリングもヤッホーと声も朗らか、まだなんとなくだらしない湿っぽい空気も残る新帝都に来演なさった京都市交響楽団を拝聴させていただいたでありまする。こちら。
https://www.kyoto-symphony.jp/concert/detail.php?id=1238&y=2023&m=9

結論から言えば、客席ステージ上ともに大いに盛り上がっていたこの演奏会、もの凄く評判の良かった広上氏の後を受けるというそれなりに難しいポジションにある話題の新シェフが手兵を連れてのお披露目ということもあったのでしょうけど、いろいろ「なるほどねぇ」と考えさせられるものでありました。今やすっかり新帝都はアウェイの田舎者となったやくぺん先生とすれば、「地方オーケストラ」などと十把一絡げにはとてもじゃないが出来ない、「ああ、流石に京都さんはスゴいなぁ」と憧れの目で眺める温泉県にプカプカ浮かぶ隠居爺じゃからのぅ。

この演奏会、過去の京都市響の東京定期(というのかな)などと比べても、恐らくは相当に違う雰囲気だったんじゃないかしら。京都市響といえば、「日本で唯一の自治体直営オーケストラ」というキャッチフレーズでデビューし、ある意味で反骨反中央の真の都の象徴とも思えるような動きをしたり、都響以上に県外には出なくて稀に出るときにはモーツァルトのピットばかり、若杉時代には「初演魔」の面目躍如で当時の欧州流行になりかけていた新ヴィーン楽派やらマーラーやらの周辺の作品をいろいろやったり。東京公演でも、なぜだか知らないけどゴールドマルクの交響曲《田舎の結婚》なんて珍品を文化会館の天井桟敷で聴いた記憶があるのだが、どうにのデータがめっからない。70年代後半から80年代初め頃だったような気がするんだけど…

ま、昨今はびわ湖ホールで大きな編成の作品をやるときのオケ、という感じのこの団体、本日の新シェフお披露目も、そんな期待を裏切らない演目で、なにやら雑用やら身体検査やらばかりの今回の田舎者爺い新帝都滞在でのハイライトのひとつであったわけですな。これがなければ、ハノイ弾丸取材って年寄りには無茶な仕事も受けてたかも。

さても、どういうわけか同業者関係者が溢れる席に押し込まれたお彼岸の日曜午後、カナフィルの名物ヤンキー臭で人気のコンマスが座り、ドカンと大編成が控えたベートーヴェンの変ロ長調交響曲が今時の独仏ベネルクスならヒョーロンカマニア層から「時代遅れ」と一蹴されかねない堂々たる音楽が鳴り響くぞっ。最近、こういう類いの音楽は弦楽器数人、管1本、なんて編成で見慣れてしまった温泉県爺には、なんともビックリのサウンドじゃっ!

そして本日のメインイベントは、後半に置かれたコネソンの大作《コスミック・トリロジー》でありました。1970年生まれのこの働き盛りのフランス人作曲家さん、ランドフスキに学んだというところからも判るように、所謂「前衛」の流れを汲んだIRCAM系作曲家ばかりが紹介されるフランス音楽業界にあって、ま、ある意味堂々たる保守本流ですな。「フランスの吉松」なんて言うとまた妙な顔をされそうだけど、まあ、モダンな大オーケストラからの管弦楽作品委嘱なんぞがメインの仕事をなさっている方です。要は、夏の終わりの欧州メイジャー系紹介溜池現代音楽週間なんぞでは、いくら待っても仕事が来そうにないポジショニングの方、ってことかな。

今時のモダン大オーケストラをごっそり使い、打楽器なんぞはしっかり入って、とはいえ電子楽器やら特殊なエスニック楽器などは用いず、それらをジャンジャン衒いなく鳴らした急緩急の3楽章40分越え作品なんて、正にメイジャーオーケストラ定期演奏会のメイン演目となるべく書かれたとしか思えぬ創作。終演後はあちこちで「マシューズの《冥王星》がいまひとつだった《惑星》の、ホーキンズまでぶっ飛んだ続編ですかね」なんて声が盛んに挙がってたのは、みんな思うことは同じというか、みんなに同じことを思わせたんだからコネソン先生大成功、ってことなのかな。

京都市響のスタッフとの立ち話で聞いたところに拠れば、新シェフが純粋に作品として気に入って持ってきたもので、別にオケや京都とコネソン氏がコネがあるわけじゃないとのこと。昨日の京都でのプレトークでは、新シェフは「この曲を客演指揮者として持って行ったら、もう2度と呼んでくれないでしょうから」と苦笑なさってたとのことです。

ま、そんな自虐ネタはともかく、このプログラム、なんじゃらほいと思って聴きにいったわけだけど、終わってみれば新シェフの意図は非常にハッキリしてましたね。要は、「21世紀にモダンの巨大オーケストラで私はこういう仕事をします」という所信表明演説だったわけですな。

ベルリンに在住で、コロナ時代にSNSやZoomで同世代の付き合いもしっかり取っていたという沖澤新シェフ、当然ながら現在の30代指揮者が置かれた状況は良く判っていらっしゃる。特に、同世代の先行して既にスター街道を往っている欧州の連中などのやっていること、やってきたことを知らない筈がない。そんな中で、敢えて現在の大流行の「歴史的情報に基づきモダン楽器の響きをコントロールする」今時流行の古典再現とは一線を画した、師匠マズア直伝なんだか知らんけど、王道のベートーヴェンを披露する。続いて、それこそ同世代の日本のスター指揮者さんなんかが盛んに取り組んでいる「新しいクラシックレパートリー開拓」での新作合同委嘱とか、戦後前衛の影で名前は知られているがコンサートレパートリーとしては等閑視されていた諸井三郎とか大澤壽人とか信時潔とか、はたまた伊福部とか吉松隆とか水野修考とかあれこれあれこれ、もうきら星の如く存在するオーケストラのメイジャー演目となる作品を遺している巨匠歴史的大物の蘇生とか、要は「オーケストラレパートリーの見直し」の作業に、ベルリン在住という視点から(でしょうね、三沢出身としての東北視点、とかじゃないみたいですから)彼女なりに取り組むぞ、という決意表明をなさった。そして、それなりの成功を収めたわけでありまする。

それなりの、というのは、演奏がどうだったとかじゃなく、果たしてこの作品を「レパートリー」にしていくのか、何度も取り上げる気があるのか、ということです。なんせ、現代音楽の世界では「大事なのは初演だけでなく、再演がなされるか」という箴言がありますから。

なるほど、これが2023年にモダンオーケストラのシェフになるということなのね。思えば、ペトレンコ師匠だって、昨年の秋にやくぺん先生がベルリンフィル天井桟敷で拝聴した定期ではなんとメインにコルンゴルドの交響曲を据え、そのまま北米ツアーに持ってったわけだし。ニッポン公演にも、一部の熱狂的愛好家以外はしんみりむっつり煙たいだけのレーガー大作を持ち込んだりしてる。ヴィーンフィルやらメイジャーオケのソウル公演はまた別として、モダンな大オーケストラも常に変化しているぞ、ってことですな。

ま、田舎者には遠い目になってしまう話じゃの。

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