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2023年に30代がモダン大オーケストラのシェフになるということ [演奏家]

「暑さ寒さも彼岸まで」という諺(なのか?)が、「暑さ暑さだ彼岸まで」になった気候変動の21世紀、流石に春分の日も過ぎて新帝都は辛うじて「秋」になり、大川端からインバウンド溢れかえる銀座抜けてチャリチャリ溜池まで走るサイクリングもヤッホーと声も朗らか、まだなんとなくだらしない湿っぽい空気も残る新帝都に来演なさった京都市交響楽団を拝聴させていただいたでありまする。こちら。
https://www.kyoto-symphony.jp/concert/detail.php?id=1238&y=2023&m=9

結論から言えば、客席ステージ上ともに大いに盛り上がっていたこの演奏会、もの凄く評判の良かった広上氏の後を受けるというそれなりに難しいポジションにある話題の新シェフが手兵を連れてのお披露目ということもあったのでしょうけど、いろいろ「なるほどねぇ」と考えさせられるものでありました。今やすっかり新帝都はアウェイの田舎者となったやくぺん先生とすれば、「地方オーケストラ」などと十把一絡げにはとてもじゃないが出来ない、「ああ、流石に京都さんはスゴいなぁ」と憧れの目で眺める温泉県にプカプカ浮かぶ隠居爺じゃからのぅ。

この演奏会、過去の京都市響の東京定期(というのかな)などと比べても、恐らくは相当に違う雰囲気だったんじゃないかしら。京都市響といえば、「日本で唯一の自治体直営オーケストラ」というキャッチフレーズでデビューし、ある意味で反骨反中央の真の都の象徴とも思えるような動きをしたり、都響以上に県外には出なくて稀に出るときにはモーツァルトのピットばかり、若杉時代には「初演魔」の面目躍如で当時の欧州流行になりかけていた新ヴィーン楽派やらマーラーやらの周辺の作品をいろいろやったり。東京公演でも、なぜだか知らないけどゴールドマルクの交響曲《田舎の結婚》なんて珍品を文化会館の天井桟敷で聴いた記憶があるのだが、どうにのデータがめっからない。70年代後半から80年代初め頃だったような気がするんだけど…

ま、昨今はびわ湖ホールで大きな編成の作品をやるときのオケ、という感じのこの団体、本日の新シェフお披露目も、そんな期待を裏切らない演目で、なにやら雑用やら身体検査やらばかりの今回の田舎者爺い新帝都滞在でのハイライトのひとつであったわけですな。これがなければ、ハノイ弾丸取材って年寄りには無茶な仕事も受けてたかも。

さても、どういうわけか同業者関係者が溢れる席に押し込まれたお彼岸の日曜午後、カナフィルの名物ヤンキー臭で人気のコンマスが座り、ドカンと大編成が控えたベートーヴェンの変ロ長調交響曲が今時の独仏ベネルクスならヒョーロンカマニア層から「時代遅れ」と一蹴されかねない堂々たる音楽が鳴り響くぞっ。最近、こういう類いの音楽は弦楽器数人、管1本、なんて編成で見慣れてしまった温泉県爺には、なんともビックリのサウンドじゃっ!

そして本日のメインイベントは、後半に置かれたコネソンの大作《コスミック・トリロジー》でありました。1970年生まれのこの働き盛りのフランス人作曲家さん、ランドフスキに学んだというところからも判るように、所謂「前衛」の流れを汲んだIRCAM系作曲家ばかりが紹介されるフランス音楽業界にあって、ま、ある意味堂々たる保守本流ですな。「フランスの吉松」なんて言うとまた妙な顔をされそうだけど、まあ、モダンな大オーケストラからの管弦楽作品委嘱なんぞがメインの仕事をなさっている方です。要は、夏の終わりの欧州メイジャー系紹介溜池現代音楽週間なんぞでは、いくら待っても仕事が来そうにないポジショニングの方、ってことかな。

今時のモダン大オーケストラをごっそり使い、打楽器なんぞはしっかり入って、とはいえ電子楽器やら特殊なエスニック楽器などは用いず、それらをジャンジャン衒いなく鳴らした急緩急の3楽章40分越え作品なんて、正にメイジャーオーケストラ定期演奏会のメイン演目となるべく書かれたとしか思えぬ創作。終演後はあちこちで「マシューズの《冥王星》がいまひとつだった《惑星》の、ホーキンズまでぶっ飛んだ続編ですかね」なんて声が盛んに挙がってたのは、みんな思うことは同じというか、みんなに同じことを思わせたんだからコネソン先生大成功、ってことなのかな。

京都市響のスタッフとの立ち話で聞いたところに拠れば、新シェフが純粋に作品として気に入って持ってきたもので、別にオケや京都とコネソン氏がコネがあるわけじゃないとのこと。昨日の京都でのプレトークでは、新シェフは「この曲を客演指揮者として持って行ったら、もう2度と呼んでくれないでしょうから」と苦笑なさってたとのことです。

ま、そんな自虐ネタはともかく、このプログラム、なんじゃらほいと思って聴きにいったわけだけど、終わってみれば新シェフの意図は非常にハッキリしてましたね。要は、「21世紀にモダンの巨大オーケストラで私はこういう仕事をします」という所信表明演説だったわけですな。

ベルリンに在住で、コロナ時代にSNSやZoomで同世代の付き合いもしっかり取っていたという沖澤新シェフ、当然ながら現在の30代指揮者が置かれた状況は良く判っていらっしゃる。特に、同世代の先行して既にスター街道を往っている欧州の連中などのやっていること、やってきたことを知らない筈がない。そんな中で、敢えて現在の大流行の「歴史的情報に基づきモダン楽器の響きをコントロールする」今時流行の古典再現とは一線を画した、師匠マズア直伝なんだか知らんけど、王道のベートーヴェンを披露する。続いて、それこそ同世代の日本のスター指揮者さんなんかが盛んに取り組んでいる「新しいクラシックレパートリー開拓」での新作合同委嘱とか、戦後前衛の影で名前は知られているがコンサートレパートリーとしては等閑視されていた諸井三郎とか大澤壽人とか信時潔とか、はたまた伊福部とか吉松隆とか水野修考とかあれこれあれこれ、もうきら星の如く存在するオーケストラのメイジャー演目となる作品を遺している巨匠歴史的大物の蘇生とか、要は「オーケストラレパートリーの見直し」の作業に、ベルリン在住という視点から(でしょうね、三沢出身としての東北視点、とかじゃないみたいですから)彼女なりに取り組むぞ、という決意表明をなさった。そして、それなりの成功を収めたわけでありまする。

それなりの、というのは、演奏がどうだったとかじゃなく、果たしてこの作品を「レパートリー」にしていくのか、何度も取り上げる気があるのか、ということです。なんせ、現代音楽の世界では「大事なのは初演だけでなく、再演がなされるか」という箴言がありますから。

なるほど、これが2023年にモダンオーケストラのシェフになるということなのね。思えば、ペトレンコ師匠だって、昨年の秋にやくぺん先生がベルリンフィル天井桟敷で拝聴した定期ではなんとメインにコルンゴルドの交響曲を据え、そのまま北米ツアーに持ってったわけだし。ニッポン公演にも、一部の熱狂的愛好家以外はしんみりむっつり煙たいだけのレーガー大作を持ち込んだりしてる。ヴィーンフィルやらメイジャーオケのソウル公演はまた別として、モダンな大オーケストラも常に変化しているぞ、ってことですな。

ま、田舎者には遠い目になってしまう話じゃの。

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