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区役所がいちばん混む日 [葛飾慕情]

なんと、まだまだ続く「葛飾慕情」カテゴリーじゃ。「新佃嶋界隈」でも良かったんだけど。

先程、朝から丸1日かけ、葛飾区から住民票やら印鑑証明やらを中央区に移動し、オフィス移転が法律的にも終わりました。あとは鍵を次のオーナーさんに渡すだけ。

と記すと、なんてことないどーでもいい話なんだけど、いやはや、参った参ったの1日でありました。当電子壁新聞を立ち読みの皆々様が引っ越しをしようというとき、「引っ越しは年度末最後の月曜日だけはやめておけ」というご教訓として、酷い目にあった1日をお伝えしましょうぞ。

今月唯一の締め切り原稿が明日まで。ではさっさとやるべき事を終えて午後からは原稿に専念しましょうぞ、と決意し大川向こうの中央区役所を凝視する朝。と、旧葛飾オフィスの引き出しにひとつ忘れ物をしてきたらしいと判明。マズい、まだ今日なら鍵があるから、慌てて拾ってこないと。退去が土曜日で、向かいの町工場がお休みだったのでご挨拶もしていないし、ま、お引っ越しの神様はいろいろと気を遣って下さっておるなぁ。

てなわけで10時前に佃の縦長屋を出て、歩いて大川越え、聖路加の足下で柿の木の葉を朝に掃除してくれていた隣の町工場に持って行くお饅頭30個を購入。さても、まずは中央区役所でさっさと転入手続きを済ませてしまいましょ。
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流石に年度末最後の月曜日の午前中。三密回避なんてどこの話じゃ、って人の群れです。暫く待って、番号が呼ばれ、「転入と印鑑証明と…」とお願いする。と、既に郵送で済ませてある葛飾区への転出届が、まだ処理されていないという。どうやら郵送での処理が山積みで、まだ手が付いていないらしい。こりゃ困ったぞ。しょーがないなぁ、どうせ葛飾まで饅頭持って行かねばならなかったんで、それなら直接今から葛飾区役所に行ってきましょかね。

かくて銀座一丁目の桜を眺めながら浅草線宝町駅まで歩き、地下鉄から京成電車で葛飾区のC級グルメタウンとして名高い立石駅に到着。区役所までのタカラビニール本社前の満開桜を眺め
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N国の困った国会議員を誕生させた区議会裏の区役所に到着。受付番号をいただくと、なんと100人近い待ち状態。
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1時間くらいはかかります、とのこと。これなら先に巨大柿の木下に行って用事を済ませてこようかい。

既に空の家となって2日目の柿の木は、先の運命も知らずに緑生え出し、枝をおうち作りに用いようと物色する鴉さんがお仕事ちゅー。
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おや、やっとやってきたとホーホーさんも降りてくるので、忍ばせてきた佃のセレブなブンチョウさんの喰らい残しをぶん撒いてやる。ゴメンナサイと、と他人のものとなった家の鍵を開けて忘れ物を物色、向かいの町工場にお饅頭持ってご挨拶をし、最後の最後に、忘れてた表札の取り外しをし
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これでホントにバイバイと、短い距離を京成バスに乗って区役所に慌てて戻る途中、車窓からモーツァルト像にもバイバイ。
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1時間もかからぬ最後の引っ越し仕事を終え戻ったら、受付待ち番号は30くらいしか進んでない。こりゃ2時間以上かかるぞ、と真っ青になる。午後3時からオンラインでの面接があるお嫁ちゃまは、とても待ってられないと先に佃縦長屋に戻ることになり、あとはひとりでやらにゃならん。うううむ…

かくて純粋な待ち時間は2時間と20分程。やっと転出作業を終え、マインバーカードなんぼのもんじゃいの住基ネットのパワーで転出証明は不要(このプリントアウトを待っていると更に1時間はかかります、とのことでありました)。2012年春からまるまる9年を過ごしたことになる葛飾区に法律的もサヨナラを言い(本籍は残ってるけどさ)、京成立石駅から蔵前駅で大江戸線で乗り換えて月島駅に至る。大川向こうの区役所は激混みになるから、と午前中に中央区役所のおねーさんがこっちにまわるよう入れ知恵してくれた出張所で手続きし
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午後の4時半過ぎには、無事、晴れて東京都中央区民に復帰したのでありましたとさ。転出するときの住所は二丁目の路地の長屋だったから、法律的には初の佃縦長屋住民でありまする。

以上、あらためてご教訓:ニッポン国で引っ越しをするときは、年度末最終週月曜日の書類提出だけは避けよ!

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さらば葛飾! [葛飾慕情]

如月始めから、殆ど何の仕事もせずに専念すること約7週間、今、葛飾オフィス&巨大柿の木下期間限定シジュウカラ・レストラン&親の実家の撤収作業を完了。最後の細かい荷物を段ボール箱4つに詰め込み、オリンピック型タクシーに強引に乗っけ、月島の倉庫に向け出発しました。
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あとは、次のオーナーさんに鍵を手渡すだけ。柿の木の下で営業部長さんに鍵を渡し亡親父に見せつけるように握手でもしようと思ってたのに
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-11-30
ちょっと拍子抜け。そのかわり、ってか、母が没してからは秋から冬にかけて膨大に公道に散りまくる柿の葉を掃除してくださっていたお隣さんに、長くお世話になりましたと佃は田中屋さんの佃煮、穴子とか海老とか浅蜊とか高級品ばかりを詰め込んだ折を持ってご挨拶に行き、なんとお返しにバームクーヘンをいただいてしまい恐縮しまくって戻ってくると、柿の木裏の雀のお宿になってる銀木犀からほーほーさんが翼を振り、ご挨拶してくださいました。
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暴れ川だった中川に放水路が出来、巨大公団や新区役所、武道館や公民館も完成、やがて水戸街道と環七が交差するジャンクションにもなるという新開地の中の新開地たる青戸というまだ町ともいえぬ場所に、親父と喧嘩した親父が職業軍人娘の嫁と乳飲み子を連れ千葉の東外れから移ってきたのは、60年安保の頃。京成電車の青砥駅と水戸街道の間の原っぱが広がる辺りのアパート暮らしに始まり、オリンピックの前には公団横のお米屋さんの裏の貸家に移り、ヴェトナム戦争北爆華やかなりし頃に、水戸街道沿いの工場の社宅だったというこの場所に土地代800万円也で自宅と仕事場兼用の家を建てた。隣の一角には、親父がこの土地に移ってきた理由の、叔父さんの町工場もあった。敷地の隅っこにあった柿の木はまだ小さく、向かいは土管が転がる原っぱで、セイフーチェーン社長豪邸の向かいには、直ぐにボウリング場が建てられた。

とき移り、永遠に工事中じゃないかと思われた京成電車のジャンクション青砥駅から目白、有楽町線が開通してからは池袋経由護国寺、学部時代は遙々武蔵境まで通っていたやくぺん先生も、流石に院に上がり予備校講師で喰っていくためにこんな遙か荒川放水路彼方から多摩県東部まで通うのは不可能で、微妙な関係にあった母親に半分勘当されたような形で葛飾の地を去る。それから四半世紀と少し、結婚式にも来なかった母親が天樹が伸びていくのを眺める病院で没し、311の年の秋には、嫁の父が没し家族が佃に移ってくるという正にその当日に、隠居して柿の木の下に独居していた父親も追いかけるように没。「この家を売らずに有効に使ってくれ」という遺言を遺されてしまう。かくて、佃から住民票を葛飾に移し、約30年ぶりに葛飾区民となる。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2012-06-08
それからはなんのかんのなんのかんの。かつての商売部屋だった不必要にがらんとした柿の木の下スペースでは
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サントリーアカデミー一期生を中心とする藝大連中の若い弦楽四重奏団が練習場に使ったり、嫁の信頼出来る同僚だった若者が住み込んでくれて遙か厚木基地の横に新しく誕生するホールの起ち上げ仕事に通ったり。やくぺん先生は佃の路地の長屋と、お嫁家族が住む縦長屋、それに葛飾セーフハウスの3つの寝場所を持つ生活となること数年。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2013-08-22
流石に経済的な負担が大きく、2015年には佃の地べた長屋を完全撤収。ここ葛飾をオフィスとすることになる。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2015-04-16
誰も居ないがらんと広いだけの家の、親父お袋妹らが使っていたデカいテーブルの上に資料を広げまくって、「ゆふいん本」と「つくるつづける本」をやったのもここ。後者の共著者H先生との対談は、編集者さんを交え、この柿の木下スペースでやったっけ。

そうこうするうちに築半世紀を過ぎた家はそれなりにガタが来て、親父の仕事部屋の床は抜けそうになり、巨大柿の木の葉っぱが落ちまくる雨樋は詰まり、物干し台は落ちそう。向かいの町工場側の窓は開けると閉めるのに一苦労、銀木犀側に出る裏木戸は台風でやられ…

流石にどうしましょうか、と真剣に話を始めたのが2019年の始め頃。なんのかんのなんのかんの、あれやこれやと策を弄したものの、これはもう建て替えて嫁の家族まるごと佃の縦長屋から葛飾に移り、終の棲家とするしかないか、ということになり、豊洲の大手Pホームさんと話を始め、設計図も出来、実印持って運河沿い事務所を訪れパンパンとつき、手付金を入れたのが2020年2月のこと。さても、大阪のコンクールの頃には家の解体が始まり、年末には佃を離れて嫁もその家族も葛飾区民になるのかぁ、とオリンピックもその先のアベ憲法改定騒動も無縁な年になりそうだと思ってたらぁ…世界がコロナになってしまった。

Pホームさん、家の解体やら建築の話が全て止まってしまったらしく、数週間しても、数ヶ月して五輪で大騒ぎだった筈の夏になっても、なんの音沙汰もなし。コロナ禍の緊急事態が始まるや、米寿を迎えた義母もいる狭い縦長屋に大人4人が住むなど家庭に感染リスク高すぎと判断、やくぺん先生は葛飾の廃棄が決まった柿ノ木下に実質一人暮らしの別居状態を続ける。その後もPホームさんからは何の動きもなく、半端な状態にしびれを切らした我が気丈なお嫁ちゃまったら、とうとう夏の終わりにはぶち切れて机を叩き、全て話をキャンセル!もう世間もこうなんだから数十年前に夢のように語っていた隠居後プランを多少早めに発動してしまおう、と葛飾の家処分&田舎転居作戦に変更したのが去る秋の初め。なんのかんのなんのかんのなんのかんので柿の実が落ちきる頃には買い手が付き、移転先について受け入れ先と話を始めたは良いが、2021年になるや再びの緊急事態で、受け入れ側不動産屋が「東京からの人なんて滅相もない」となり…

あとはもういいでしょ。てなわけで、もう充分に「有効に使った」と判断してくれるであろうと成田空港アプローチ下の親父の墓の前で手を合わせ、今日に至った次第でありまする。

撤去騒動が始まって以来、この舎を訪れ、親父がため込んだ工具やら食器やら、はたまたお袋が育てた蜜柑の木やら、使ってやろうと持って行ってくださった皆々様、ありがとうございます。親父も使えるものが新たな場所で使われているのを、大いに喜んでいると思いますです。

そして、当初の建て替え計画ではなんとか維持するためにPホームさんを困らせた巨大柿の木も、新たな芽を吹き始めているけど次の秋の実はなく、柿の木の枝を食堂とする冬場限定シジュウカラ・レストランも、本日で完全閉店。お食事を提供してきたフィーダーを全て撤去。
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残った食材は全て柿の木下にばら撒きました。この冬は最後の大盤振る舞いでスーパーの見切り品バナナを常時出していたので、すっかりグルメになってしまった若いヒヨちゃん四人組軍団
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佃のセレブなブンチョウの食い残しを喰らいまくってくれた雀たち
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小器用な雀が揺すって落としたご飯がなくなると、ほーほーと唄ってご飯がないよぉとアピールなさる、すっかり居着いてしまったホーホーさんご夫婦とひとりもの
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そして、メインゲストのシジュウカラさんご夫妻。
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さらば、葛飾巨大柿の木下の小さな飛ぶ方々。次の冬はここには何もないけど、なんとか頑張って生きていっておくれなさいな。あ、それからついでに、上空を行き交う機械鳥たちにも、さらば。
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とはいえ、移転先も実は目の前に我が陸軍の基地があって、裏山にはヤンキーミサゴも舞うときがあるんだけどさ。いやはや。

桜満開の今、もうメジロンたちにサヨナラを言えないのがちょっと残念でちちちぃ。

さてもさても、当電子壁新聞が自然消滅の日までしぶとく続くと思われた「葛飾慕情」カテゴリーも、多分、これが最終回。さらば、ホーホーさん、シジュウカラさん、ヒヨちゃんたち。そしてさらば、銀木犀と、巨大柿の木。
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ちゃんと種は確保してあるので、君の遺伝子は遙か西の地で大きく育ち、実を付ける…まで、あたしゃ命があるとは思えぬわい。

さあ、しばしの休息を経て、Go West!

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続・葛飾下町三十六景 [葛飾慕情]

存在証明です。葛飾オフィス撤収締め切り、今月の頭に当初の月末予定が実質春分の日に繰り上がり、そこからはもう、大騒ぎ。当無責任電子壁新聞どころか、表の商売仕事も弥生入りしてからは一本もやっておらず、今、原稿を書いた演奏会が中止になっていたのを別の連絡のついでに知った、なんて情けない有様。それにしても、今年に入ってから原稿を書いたコンサートはひとつとしてちゃんとやられたものはなく、ひとつは緊急全面改定、ひとつは半分になった。で、今度はキャンセル。これじゃあ、主催者さんとしても原稿依頼なんて怖くて出来ないわけで、やくぺん先生同業者の皆さん、一部例外を除き実質失業状態なのも当然であるなぁ、いやはや。

昨日はテレビ回線の撤収があり、そもそも地上波は視られなかった葛飾オフィスは「マスメディア」から隔絶された状況となって、東京大空襲メモリアルも311から10年も、世間でどんな風に報道されているかまるで判らぬ。これはこれで気持ちいい。考えてみれば、90年代頃から外国にいると日本のことがそれほど判らず、世間がどうなっているかあまり気にしないという生活だったわけで、それほど困ることもないんだけどさ。

仕事の連絡メールすらいくつか放り出してある現状、こんな無責任壁新聞に綴るなにがあるわけでもない…と思ったら、先程、続報をすべきものが発見され、これはご報告せにゃなるまいて。最後に手を付けた裏庭のイナバ物置から出てきた、こんなもん。
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そー、これぞ正に、正真正銘「葛飾下町三十六景」のハイライト、下総の国と柴又を結ぶ矢切の渡しなのであーる。この話の続き。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2021-01-19

別にちゃんと調べたわけではないけど、未だにこの「葛飾下町三十六景」がどんなもんなのか判ってない。どうやら流石に新開地葛飾だけで三十六の麗しい風景を埋めることは不可能だったようで、春の上野やら、都電荒川線やら、京成沿線はみんな自分ち、って葛飾中央部に住む区民の感覚まんまの内容だったようでありますな。恐らくは、帝釈天風景とか、堀切菖蒲園の菖蒲とか、季節の良い頃の水元公園とか…うううむ、もう他に考えつかぬぞぃ。ま、そんな中でも、矢切の渡しは名所中の名所。親父が額に入れてかけていたみたいなのも、ま、判らんでもない。

既に法律的には他人手に渡った葛飾巨大柿ノ木下オフィス(オーナーの好意で無料で住まわせて貰っている前オーナー、というのが数日前からの現状)、親父が爺さんと喧嘩して千葉は九十九里近くの実家に居られなくなり、一足先に東京に出ていた弟を頼り弟が町工場を建てた新開地葛飾の真ん中に出てきて、大型団地が出来てこれから人口が増えて発展するだろうという場所で仕事を始め、それなりに成功することになる歴史が始まってから60と余年。オジサンのゴム工場はもう既になく、そのオジサンも、疎遠だったその下のオジサン(我が親父のやくぺん先生の代で最も出世したその息子たる従兄弟くんも、数週間前に某大手新聞社長を追われてしまった)も亡く、葛飾の地に残っていた最後の足跡も消えていこうという春の朝、空っぽの玄関に置いてじっくり眺めるに誠に相応しい風景なのであーる。

千葉から来た奴は、全部たたんで渡しに揺られ、成田空港アプローチ下の墓へと戻っていく。

都会というのは、そういう風に使えば良い場所。荒川放水路東の葛飾が「都会」かどうかは、なんとも微妙だけどさ。

さても、この地で学部時代くらいまでを過ごし、母親と大げんかして勘当されて追い出され(なんせ、母親はあたしの結婚式にも来ていない)、親父の死後に「この家を有意義に使ってくれ」という困った遺言でオフィスをここに移さざるを得ず、なんとも半端な住み方をしてほぼ10年、やくぺん先生ったら江戸川越えて東には戻らず、数ヶ月後には大きく西に向かい、最後の引っ越しをする予定。

荒川も 大川も越え 我往かんっ!

寅さんが間違ってヴィーンに行っちゃった地に向け、Go West!

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葛飾オフィスあと4週間 [葛飾慕情]

三月弥生の朝ぼらけ、今日も今日とて壮大な燃えるゴミを巨大柿の木下区ゴミ収集スポットに出し、食い物がないだギャーと叫ぶヒヨちゃんずに呆れる新開地葛飾なのであーる。

昨日如月晦日午前中にひとつ原稿を入れ、そのOKが直ぐに来て、今、手元に締め切りのある原稿がひとつもなくなりました。まだOKが来てない初稿が入っただけの原稿がひとつ、金曜日には浦安の喋り仕事最終回はあるものの、やくぺん先生この商売を始めて30余年、ここまでスッカラカンに仕事がなくなったのは始めてかも。恐らくは4月5月は収入がほぼゼロになるのだろうなぁ。ううううむ…

2月頭から本格化した葛飾オフィス撤収作業も、「家の中をスッカラカンにして退去」の期限まであとまるまる4週間。「親父の家」破棄作業は、まあ8割方目安は付いた(家電、大型粗大ゴミ、そして物置の処理は未着手)。「葛飾オフィス」退去移転に関しては、やっと先週から始まったばかり。ともかく、コロナで予定している最終着地地点受け入れ先が「東京からの人に遇うなんて滅相もない」という状況で、1月からまるで動いてません。で、当面は半年を期限に佃縦長屋近くの大川沿い倉庫に資料関係は全て持ち込むことにし、去る土曜日に四畳半ちょいくらいの大きな部屋に契約変更、既に入っている40箱程の資料を新倉庫内に移転しましたです。
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残りの、やくぺん先生がコロナ家庭内感染を避けるべく自主隔離していた一人暮らし用の家財道具と、緊急ではない美術とか日本文学とか古い取材資料などは、みんな纏めて「お引っ越しだけどまだ行き先が決まらない方向け一時お預かり」に任せることになる。これって、光熱費基本インフラ維持費などは不要とはいえ、結局、葛飾オフィスを維持するのと金銭的にはそう変わらない

目の前に積み上がったスターバックスのドリップ珈琲が26個。1日ひとつで、この山がなくなるとき、いよいよさらば葛飾。さっきから、雀どもがご飯ないぞぉ、と騒いでるけど、去る秋に逝った佃のセレブなブンチョウさんのために用意されていた高カロリーご飯の残りは、もう昨日で尽きました。シジュウカラさんのご飯はまだあと1ヶ月分くらいはあるけど、雀たちへのレストラン営業はもうオシマイ。なんせ、数日前に最初の荷物が上野の某研究室に動いていくときには
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なんとレストランの騒々しいお客さんをご飯にしようとチョウゲンボウさんまで出現
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柿の木周辺を大パニックに陥れた。もう春なんだから、みんな、あちこちご飯も出てくるだろう。柿ノ木下に来ればなんか食い物があった夢のような場所ももうオシマイ、来年の冬も、頑張って生きていくんだぞ、葛飾の雀たち!

あと28日、ぐぁんばろー…

椿落ち 梅も香らず 春来たり

[追記]

やっと葛飾オフィスからの実質「退去」の日程が決まりました。3月21日春分の日に、荷物が東京湾岸2カ所に仮移動し、葛飾オフィスはスッカラカンになります。一応、最終的な退去引き渡しは29日だかなんで、最後の週はシジュウカラレストランにご飯をやるだけのために佃から葛飾まで通うことになるのかな。

てなわけで、実質、予定より1週間繰り上がったため、これから3週間、地獄の日々です。急ぎの仕事はやれません。ゴメン。21日の野平指揮ニッポニカ、この春、いちばん興味があったコンサートなんだけど、流石に引っ越し当日では聴きにいけないわい。すごおおおく残念。よっぽどオリンピックはあたしには無縁なんだなぁ。
http://www.nipponica.jp/concert/next_concert.htm

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蜜柑の木が荒川放水路を越える [葛飾慕情]

葛飾オフィス撤収最終日まで1ヶ月と少しと迫った神武天皇降臨節、大陸は春節のお祭りが始まり、いつもなら春も近いワクワク感も漂ってくる冬の最中、葛飾巨大柿ノ木下シジュウカラ・レストランのお客様の待合室となり、季節になると公道に取ってくれよと突き出した実を巡って道行く近くの中学生とやくぺん先生の微妙な心理的な駆け引きがなされていた蜜柑の木が、先程、京成電車に揺られて荒川放水路を越え、ほんまもんの下町の軒下へと引き取られていきました。

いつから植わっていたか知らないけど、樹齢半世紀を誇る巨大柿の木ほどのものではなく、数年前にここ新開地葛飾をオフィスにせざるを得なくなり佃の路地から移ってきたやくぺん先生としてみれば、昔なじみというよりも、312でセシウムがまき散らされ、親父が死に、寝床を失った若い者が住み込み、練習場を求めて若い弦楽四重奏団が上野から通い音出しをし、そしてコロナでの自主隔離お籠もりでの実質1年の爺初心者やくぺん先生別居一人暮らしをしていた21世紀10年代の秋を彩ってくれた葛飾オフィス最強の生命体のひとつでありました。隣には梅桃が花やら実を付け、仲良く並んでいた。これが昨年の税金頃の梅桃のお姿。
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葛飾オーガニック蜜柑を引き取ってくれたのは、オフィス転居先の最有力候補となっている(コロナの緊急事態で移転作業は実質ストップ状態なんですが…)遙かな地が出身の若奥さんで、蜜柑が実ると中学生に盗まれる前に穫り入れをしてはシロップにして、分けて下さっていた。こいつを切り倒すならもっていってうちで鉢植えにします、と仰ったときは冗談だと思ったんだけど、どうやら本気のようで、それなら是非とお願いした次第。

当然、車で乗り付けると思ったら、板前さんの旦那さん連れてなんと京成電車で来るという。おいおいおい、なんなんねん。んで、この葛飾オフィスに数年住み、ヤンキー海鷹の塒たる米軍基地で潤う某自治体のホールオープニングの仕事に遙々ここから荒川放水路、大川、六郷川越えて通ってたおにーちゃんも懐かしい蜜柑の移植とあればお手伝いしましょうと、はるばる東海道ひとっ飛びしてやってきてくれた。かくて、こんなことになったわけで…

ともかく、作業開始じゃわい。
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当初は梅桃も運ぶ予定だったのですが、流石に京成電車に乗せるにはなぁ。
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てなわけで、蜜柑だけが荒川放水路を越えることになり
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掘ってみると、この実質巨大な鉢植えみたいな環境で蜜柑と梅桃が仲良く共存するため、両者の根っこが深く強く絡み合っており、愛し合うふたりを引き剥がすような心に痛い作業が延々と続くことになったのであーる。作業中は写真どころではなかったので、二本の木が深く愛し合っていた証を映像に納めることは叶わなかった。

かくて、鯉卑近の作業修了。新開地葛飾で育った蜜柑は、まるでゴルフバッグか釣り道具入れ、はたまたファゴットでも運んでいるのか、という風にひょいっと京成電車に乗り、葛飾の地を離れていきましたとさ。
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数時間後、新天地に至りました、という連絡がありました。ほれ。
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明日からは、葛飾巨大柿ノ木下シジュウカラ・レストランのお客様の待合室がひとつなくなってしまい、メジロンたちがヒヨちゃんから逃げていく場所がひとつ減ってしまったけど、作業の最中も頭の上でメジロン一家は「この林檎は俺のでちちちちぃ!」と元気に喧嘩してたから、なんとでもすることでありましょう。

葛飾オフィス最終撤収まであと42日!今年は町工場前の公道に、梅の花は咲かず。

春節に 香る梅なく 日は暮れる

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葛飾下町三十六景 [葛飾慕情]

「葛飾慕情」カテゴリーもカウントダウンに入ったというのに、巨大柿の木下葛飾オフィスの移転先関連で数日「有用至急」の移動をしていたものの、コロナで話が遅々として進まず。世の中が平時に戻れば当電子壁新聞で笑い話として済まされるんでありましょうが、今はそんな冗談言ってられない状況、このままでは最悪、佃の狭い縦長屋に数ヶ月ご家族と蟄居というプランZも冗談ではなくなってきている今日この頃。ふううう…

まともな音楽関連ネタもまた「パンデミック」絡みばかりになりつつあるし、本日は完全に無駄な雑談でありまする。あ、葛飾で最後に聴ける大物と思ってたつんさんのベートーヴェン、チケットやっぱり売り止め状態は変化なく、明日はいけません。巨大柿の木から徒歩5分のところでやってて、席もあるけど、御上の要請で聴けない、という状況です。ううううむ…

さても、半世紀以上人が住んでいた家を物理的に潰すとなると、ホントにもういろんな積み上がっていたものが次から次へと出てくるものであります。家財道具や食器、細かい家庭用品、はたまた庭木弄りの掃除機や鷹枝切り鋏から、落ち葉掃除マシン、燻製器、焼き芋焼き器、30数年ものの梅酒やらアヤシげな梅干し…どーするんじゃ、こんなもの。

中でも際立って困るのは、「価値があると思わない人にはなんの価値もないもの」であります。流石に鉄砲撃ち道具は処分してくれていたようだが、壺、茶碗、パッチワークの素材、NikonCanonの一眼レフフィルムカメラ、釣り具、等々…

数日前、靴箱の中に放置されていた亡父や亡母の靴をええええい、と大量に捨てた際、妙なところからこんなものが出てきました。
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うわぁ、困ったなぁ。いちばん始末に困る、「アート」じゃないかいっ。

素朴で判りやすい色使いの都電、そして「葛飾三十六景」と包んであったパッケージには記されております。最初、「なんで葛飾三十六景で都電なんねん?」と不思議だった。なんせ、東京都電は荒川放水路を越えた新開地には一切入っていませんでしたからねぇ。ほれ。
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で、よく見ると、「葛飾下町」とありました。なるほど。

どうやら荒川線沿線、町屋やら箕輪やらの辺りのように思えるし、不忍池から動物園横の専用軌道があった辺りかなぁ、とも。あ、「最後に残った都電」だから、荒川線ですな。なんにせよ、絶対に葛飾ではない風景でんな。

…って話をfacebookにアップしたら、とある文化人類学の先生から「これでしょ」という情報をいただきました。
http://www.kaminokura.co.jp/p/item-detail/detail/i4970.html?fbclid=IwAR2ZMzSdkTryBSFwKeY35Uk74O42vZ4HPIG-LjvXpeLIOh3-lCIDmbEsnZ8
へええ、成田駸太郎という版画家さんの作品らしいし、お値段もまあ、神保町のこの類いの店なんかでよくあるくらいのものですな。ある意味、とてもリーズナブル。

とはいうものの、この駸太郎画伯の三十六景、春先の上野と
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旧四ツ木橋
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そしてこの都電風景というのは判った。じゃあ他の三十三景って、どんなものだったのかしら。猛烈に知りたくなってきます。

どなたかご存じの方、ご教授くださいませ。

かくて、引っ越しは無駄な時間がドンドン過ぎていく、という典型のような駄話でしたとさ。さて、9ヶ月ぶりのテープ起こしをやらねば。働け、あたしっ!

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「売り止め」という対応 [葛飾慕情]

葛飾巨大柿の木下オフィスの閉鎖まであと70日と迫る中、葛飾区役所の広報車が「不要不急の外出は避けて下さい」とスピーカーで連呼しながらかつての町工場街を流している冬の曇り空、皆様、いかがお過ごしでありましょうか。やくぺん先生ったら、明日から3日間、有用至急の外出で遠出をせねばならず、状況としてはなかなか追い詰められている感が漂ってきておりまする。いやはやいやはや…

そんな中でも、ニンゲンに必要なのは麗しき音楽なのであるぞよ、とばかりに、天下の元NHK交響楽団コンサートマスターつん様が、荒川放水路彼方の新開地にご来訪下さいます。ほれ。
https://www.k-mil.gr.jp/program/symphony/2021/0120i.html
「今年生誕250周年を迎えるベートーヴェンに、もう少し深く触れてみませんか?」って、ホームページの表記は書き直した方が良いんじゃないかとは思いつつ、皆様お忙しいからまあ笑って済ませるのが善き葛飾区民なのじゃよ。うん。

なんせ会場は90年代ニッポン様式の小規模「室内楽専用ホール」級の空間、そんな場所で、モダン楽器の二重奏としてはこれ以上の名曲はない、って案外ありそうでない堂々たるラインナップですから、これはもう新開地の善男善女こぞって集い会場は大賑わい…かと思ったら、なんとまぁ、現時点では売り止めだそうです。

「売り止め」という言葉、このコロナ下、特に二度目の緊急事態発令後の先週以降、随分と耳にする言葉になってきているような。恐らくは業界用語なんでしょうけど、なんのことない文字通り、「席に余裕はあり販売できるチケットは手元にあるのだが、諸事情によりチケット販売はストップする」という意味です。

要は、緊急事態下、御上がヴェニュのキャパシティなどに関してどのような規制を急にするか判らない、売ってしまったチケットはそのままでOKにするが、これ以上の客は増やさずに様子を見る、という状況になっている。実際、今、チケットセンターのおねーさんと電話で話をしたら、「前日の段階で席を開放するか判断しますので、またご連絡ください」とのことでありました。

それにしても、ホール開設時に区民名称募集があったとき、当時は実質勘当状態で殆ど付き合いのなかった亡き母親が当時現場バリバリだったお嫁ちゃまに「どういう名前が良いのかしらねぇ」などと珍しくアドヴァイスを求め、お嫁ったらホール関係者の立場から「担当者はこんな名前を想定してそう」ってのをいくつか列挙し、それを参考に応募して亡き母親が応募したら見事に今回つん様がいらっしゃる小ホールの命名者のひとりに名を連ねることになり、記念品にモーツァルト像ミニをいただいた。
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まさかこいつがここ葛飾の地を離れ、また楽譜やらの間にブックエンドとしてちょこんと立つことになるとはなぁ。

もとい、ええと、現在の緊急事態が2月上旬に解除されない場合を想定し、いろいろな団体がそれ以降のチケットも売り止め状態にする動きがある、という話も伝わってきます。皆様、2月7日だか以降の公演で現在販売されているチケット、売ってるとはいえ実際は常に売ってくれない状態になる可能性が高いですので、心配な方は迷ってないでお買い上げなさった方が賢明でしょう。中止の場合は払い戻しがあるし、最悪の場合は主催者へのドーネーションにもなりますから。

来週の水曜日、午前中に荷物搬出用の段ボールが壮大に届く予定になってるんだわなぁ。さても、当日券で聴けるや否や。

[追記]

明日土曜日16日の大分いいちこホールの「小林道夫パルティータを弾く」第2回は、売り止めもなく、当日券も出るそうです。既に道夫先生は由布院から大分に入られて、会場練習をなさってるそうな。なんか、地域で対応はバラバラですなぁ。

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告知:柿の木差し上げます [葛飾慕情]

マジです。樹齢52年程、今が盛りで毎年200個以上の渋柿の実をつける葛飾巨大柿の木、欲しい方に差し上げます。
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ただし、勝手に持って行ってくれ、ですが。高さは二階屋を超える程度。
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この場所にあり続ければ、あと20年くらいはこの調子で実をつけると思います。

なお、蜜柑とハナモモは行き先が決まりました。

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川向こう新開地の交響の丘に作品131が響く秋の終わり [葛飾慕情]

荒川放水路の東、かつては隅田川以上の暴れ川だった中川が大きく蛇行し江戸の入り江へと向かう辺りに放水路が出来、水が出ないようになったのはオリンピックの前の年のこと。いつ洪水になるか判らない悪所は放水路前提に巨大な団地が整備され、水戸街道が北を走っている便利さもあり60年安保過ぎくらいからお化け煙突眺める江東地区から町工場も移ってきて、いつのまにやら新橋まで地下鉄と繋がる京成電車のターミナル駅も出来てしまい、やがては環状道路もまわってくるという大発展が期待される場所となったのであーる。

ま、結論から言えば、景気の良い成長は安保団子をこね損ねた後の73年オイルショックで本格的にオシマイとなり、諸条件を考えれば大いに発展しても良い筈の葛飾区まんなかの街は、近隣の寅さん柴又、りょうさん亀有、はたまた飲み屋天国立石などに囲まれた「葛飾のステルスタウン」と呼ばれる名も無い場所として残り続けたわけだがぁ…区の真ん中ということで京成電車線路と水戸街道に挟まれた畑や原っぱに区役所があり、その近くには区立武道館と公民館も設置されていたのであった。うううむ、葛飾だってスポーツや文化はあるのじゃわい。

んでもて、うちのオヤジの診療所に患者としてやってきてたO区長ったら、川向こうにまで押し寄せたバブルの時代に何を思ったか、亀有から新小岩を結ぶ京成バスが区役所に向けてちょっと横道に入る角にあった公民館&武道館を取り壊し、文化施設を建てると言いだし、勘当されたやくぺん先生がカタツムリの如く膨大な書籍を抱えて各地に転々と庵を結ぶ転居を繰り返していた頃、正にバブルはじけた直後の1992年に、何の因果やら「葛飾シンフォニーヒルズ」なる名称の席1300くらいの大ホールと300席くらいの小ホール、それになんのかんの練習場やら集会場をまとめたような施設を竣工してしまったのであーる。
https://www.k-mil.gr.jp/institution/symphony/index.html

それから幾年月、区民公募の結果、寅さんが生涯で唯一出かけた海外旅行先というだけの理由で(ホントです!)姉妹区契約を結んでいるヴィーンのドナウ近くの下町との関係から大ホールはモーツァルト・ホール、水元公園に咲き誇る区を象徴する水生植物ということから小ホールはアイリス・ホールと名付けられた施設は、最初は区の文化財団、あるときからは指定管理に入った企業によって運営され、今に至っているのであった。区民オケの葛飾フィルはそれなりに活動をしており、京成電車で15分の上野の杜から藝大学長が指揮にやってきたりしてさ。

バブル期に設計された小ホールには、案外とメイジャー好きな指定管理者さんが購入した日本ツアーをする室内アンサンブルがひょこっとやってくることもある。なんせ欧米国際線が羽田にはなかった頃には、最寄り京成電車駅から追加運賃不要の特急乗せちゃえば1時間弱で成田空港第1ターミナルに到着する立地、日本公演の最後を葛飾で行い、駅前のちっちゃな安ビジネスホテルに泊めて、「朝5時起きで電車乗って帰国ですから」なんて無茶な日程が組めたので、意外な団体が弾いていたりして。なんせ、ここで公演終えて明日はミュンヘンに帰るヘンシェルQが、終わっても打ち上げするところなくて、ホールから徒歩6分(Googleマップさん曰く)の勘当中のやくぺん先生御実家に放蕩息子込みでいきなり押し寄せ、オヤジをビックリさせたこともあったり。亡父は死ぬまで「あの凄いべっぴんさんのドイツ娘」って繰り返してたっけ。いまはもう、一昔前なら徴兵されてた少年のお母さんだどさ。まだ売れてない頃のエベーヌQも来たことがあったなぁ。

そんな葛飾区民の遙かシベリア向こうの音楽の街への勝手な憧れ込めた場所に、モーツァルトならぬベートーヴェンの250回目のお誕生日を祝うべく、こんな凄い人達がやってきてくださったですぅ。
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レギュラーの原田禎夫さんは残念ながらバイエルン(だと思う、今は)のお宅を出られず不参加で、久しぶりにお姿を拝見する北本氏が助っ人。「巨匠がクァルテットを知り抜いた専門家とのコラボで弦楽四重奏の譜面に常設団体ではあり得ない発見をする」タイプのフェスティバル・クァルテットでんな。ベートーヴェンの後期を抱えてツアーするなど、日本では案外、ありそうでない。ミドリさんの年末の東アジアツアーとは相当に性格が違うけど、似たような団体…でもないかなぁ。

押し寄せる老人ばかりの葛飾区民音楽愛好家の健康を守るべく、今はキョードートーキョーさんが運営の中心になってる指定管理者は、こんな厳重なプロテクトを用意してくれました。
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すげぇ、と思ったら、アクリル板じゃなくて金属のパイプにサランラップみたいなものを垂らしたものだったけど、それにしてもこんなの客席に並べたのは、「コロナの新しい日常」の中でも見たことない。偉いぞ、凄いぞ、葛飾区!凄いぞ、指定管理者キョードートーキョー!
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流石に312以降、都も国も情報を隠匿しているのに区内に振っているセシウムの量をきちんと区広報で告知してくれていた、ちゃんと区民の命を大事にし物価が安いだけが取り柄と区役所の担当者も自虐するKatsuhsikaだけのことはあるっ!

もちろん、こういうメンツですから、いねこさんがバリバリ頑張って形を作り、巧さんがボスの音色に少しでも近づけつつしっかり支え(作品18の4はセカンドが猛烈に重要とあらためて判らされるし、作品131でも変奏曲でのセカンドの役割が際立つ)、第1ヴァイオリンは好きにやって、チェロは必要な場所は歌う、というもの。《セリオーソ》がどういう理由でこういう終わり方をしているかなどには関心は無く、最後の和音がもの凄い音(ポジティヴな意味で)になることが大事、って音楽。

寅さんの眺めたヴィーン、とは言わないけど、これはこれでありなだろー、と思わせてくれる記念年の音のひとつ。

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西に光る天樹の向こう、秋の装いではもう寒くなった空の彼方、最近は毎朝頭の上を跨いでシベリアを越えていく機械鳥を眺めるモーツァルトさんは、今や慣れ親しんだ異郷の地で無茶ばかりの後輩の音楽をどう感じるのやら。

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新開地の干し柿屋敷 [葛飾慕情]

霜月の光が溢れる葛飾オフィス南側の町工場に面した窓は、今、こんなことになってます。
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うううむ、こういうもんが12個ぶら下がってると、なんかの音列に並べたくなってしまうなぁ。

秋恒例の葛飾巨大柿の木の収穫祭、今年はコロナ騒動で知人友人の子供たちを集めることが出来ず、さらには今年唯一の実質2週間の取材ツアーがこの週末から勤労感謝の日まで続くことになってしまい、「柿の実を取らせてください」と連絡してくるタクシー運転手さん夫妻が3日にしてくれとのことで、昨日行ってしまいました。

っても、こちらも午後から遙々与野本町に今をときめく時代ピアノのニュースター川口くんが、19世紀半ばの楽器でアルカン弾く、なんて「お勉強」な演奏会をしてくれるので流石にこれは出かけねばならず、助っ人さんが来る前に爺初心者のオッサンひとりで小雨落ちる中に粛粛と作業を行ったのでありました。なんせ、公道に面し大きく突き出した枝はこんなん。
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今年は天候不順でちょっと遅いんで、まだ葉っぱも多く、良く判らないかも知れませんが、見上げながら数えれば50個くらいはある重さ300グラムから500グラムに迫る巨大な固形物が地上に落下してくる可能性があるわけで、木枯らしビュウビュウの頃までほおっておいたらそれこそ何が起きるかわかりゃせぬ。んで、ともかく淡々と高枝切りばさみなんぞで処理を続け、昼頃までにこのくらいの収穫量。
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これに、落下させて潰してしまったものが6、7個。それらは拾い集め、いい加減にチョップし、砂糖とレモン汁ぶち込んで火にかける。
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どうするんじゃ、この食い物らしきもん。

いつも葉っぱや落ちた柿の実のお掃除をしてくださってしまうお隣さんに、綺麗なやつをいくつか持って行き、穫り入れ作業中に通りががった方々にどうぞどうぞと配り、なんのかんので真っ当な「渋柿」として形があるものは40個弱ほどになったわけでありまする。

んで、ともかく慌てて与野本町に行き、ううううむ、時代ピアノでショパンとかやると、いっぱい残ってしまう倍音をどう処理するか、そういう雑音みたいな響きをどうやって「作品」や「表現」にしていくか、弾く側も評価する側も難しいことが随分とあるものだなぁ……などと思いながら埼京線から武蔵野線、常磐線乗り変えて亀有駅まで戻ってきて、肉のハナマサで35度以上の焼酎を購入し渋み抜き処理をするべぇと思ったら、何故か売ってる焼酎は25度以下の軟弱なものばかり。ヴォッカでも良いのか、よくわからぬわい。しょーがないから手ぶらでノコノコ柿ノ木下まで戻ってきて、ううううむ、これはもう仕方ない、幸か不幸かほぼ失業者、扶養家族一歩手前の商売原稿レス状態。武士の傘張りみたいに干し柿作りに精を出すべぇかい。ううううむ…

かくて、来る日曜日のベートーヴェン作曲ヴァイオリン・ソナタいちにち全曲演奏会の予習を兼ね、深夜過ぎまで延々と干し柿作り作業に勤しむ哀れ極貧やくぺん先生なのであった。 一夜明け、なんのかんの、総計24個の柿の実が、干し柿になるべく川向こうのかつての町工場街を眺める日向の窓際にぶら下がることになった次第。Webサイトを眺めると、干し柿用の渋柿は4キロで2000円弱くらいでネット上で取引されているようじゃのぉ。ううむ、この老木全体で今年の売上は2万円くらいにはなるのかっ…っても、ヴィーンフィルのチケットは1枚も買えないけどさ。

てなわけで、諸処の事情でことによると最後になる可能性もある葛飾巨大柿の木の収穫、一応は終了。とはいうものの、シジュウカラ・レストラン近辺の公道に落ちない辺りや、どうやっても取れない高いところの実はちいさな飛ぶ方がのために残してあり、総計40個程はありそう。
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なんせ、朝から脚立や高枝切りばさみを持ち出すと、「わしの場所に何をするんだぎゃぁ」とヒヨちゃんが叫び、既に実ったまま熟れ切った奴らを盛んに喰らいに来ているムク軍団も、なにごとぞと眺めに来てら。
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親から実質勘当されて以来、最も長くここ新開地は葛飾に滞在していた2020年春から秋、面倒看る奴はいるからとシジュウカラ・レストランを撤収せずに出しっぱなしにして、気が向くと佃のセレブなブンチョウの食い残しを雀やほーほーさんに提供しておったからか、ムクどもも堅い頃から柿の実の存在は確認していたらしい。いよいよメジロン夫妻も巻き込んだ、柿の木上空制空権争奪戦が始まるわい。

生きてるやつらは、勝手に生きろ。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.

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