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『妖精の距離』を見にいく~ミュージアムはオワコンか? [現代音楽]

新帝都に戻った翌日、予定していた原稿作業がどうやら故ポリーニ様のお陰で飛んだようで時間が出来たのをいいことに、遙々旧グランドハイツの向こうは板橋の区立美術館まで足を運んできたでありまする。
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桜満開になった曇りゾラの下、目的はこれじゃわい。
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公式案内はこちらをご覧あれ。
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000016/4001737/4001747.html

区立美術館あるあるの周囲が公園ってセッティング、お花見がてらというわけではないんでしょうけど、広くはない特別展スペースは意外な程の人出。無論、平日午後ということで殆どがご隠居割引きの方々なんじゃが、美大とか美術予備校の学生っぽい若い人たちが数人の集まりで来て、展示品を前に真剣に話をしている、なんて図も見られましたです。なんとなんと、同業者のK先生などもいらしていて、おやおやこんな場所で、って空間じゃったわい。

ほおおお、美術館、生きてるじゃん。少なくとも、ニッポン新帝都の住宅地では「ミュージアム」はオワコンじゃないよーじゃわい。

なんせ、その直前、これから歌舞伎眺めに行くというトロントの某財団の方と銀座四丁目の某パン屋さん上層階パン食べ放題洋食ランチを喰らいながら久しぶりにいろいろな雑談をしてたんだけど、なんかの拍子で今時の北米のトレンドを笑う中で、「コンサートホールをミュージアムにしてはいけない」という毎度ながらの流行の話が出てきた。先頃、某ドイツの弦楽四重奏にインタビューしてたときに「私たちのコンサートはミュージアムで、現代を含めたあらゆる時代の作品を提示せねばならないと師匠に言われてます」という趣旨のことを仰ってたのを思い出し、ああああ「欧米」の業界意識の違いだなぁ、翻ってニッポンはねぇ…などとボーッと思いながら地下鉄三田線に揺られてたわけでありまして。うううむ、ニッポンの公共アート・ヴェニュ、何をするのがお仕事なのやら…

もといもとい、ま、それはそれ。んで、上のサイト案内をご覧になればお判りのように、冷静に考えて20世紀のアート潮流で最も大きな影響を与えてたと歴史的な評価をせざるを得ない「シュルレアリズム」の大戦間ニッポンへの影響をあちこちから作品引っ張って来て並べる展示会であります。御家族お友達以外には漏らせないような率直な感想はともかく、正直、やっぱりシュルレアリズム作品って美術館に似合うなぁ、とあらためて思わされたですな。だって、買って自分ちの廊下か玄関上がったところに掲げて毎日眺めたい、とは感じないもんね。東郷青児やらがその先に向かった方向が、やっぱり「売れる」ためには正しかったのも当然だわなぁ、って。あ、皮肉じゃないですよ、実感です。

やくぺん先生なんぞとーしろーが個人的に思うことなどどーでもよくてぇ、当無責任電子壁新聞を立ち読みなさっているような酔狂な方にご紹介したいのは、唯一点。ガラスケースの中に展示された瀧口修造『妖精の距離』でありまする。

一応、限定100部とはいえ1937年に商品として世に出た「詩集」で、古本屋さんに良い状態のものが出ればそれなりのお値段でもあっという間に品切れになる代物ですけど、ホンモノを手に取ったどころか、見たことある人も殆どいないでしょ。今、面白半分に調べたけど、この瞬間にマーケットに流れてるものはないみたいですなぁ。
http://mozubooks.com/?pid=129045468

シュルレアリズムの日本での導入から展開、戦後の高度成長前くらいまでの流れを簡素に俯瞰する展示の中で、最盛期のひとつの事例としてこの詩集がガラスケースの中に展示されております。太っ腹にも3冊が用意され、全12編中の3作品が見開き、右ページの瀧口の詩と左ページの阿部芳文の二次元作品とが眺められるようになっております。

で、ハイライトは「遮られない休息」なのは言うまでもないでありましょうぞ。これね。
https://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=53142&edaban=1

正直、展示会全体の照明が非常に抑えられていて、本来ならポータブルアートとして手に取って眺めるものとすれば不満もないではないですけど、なるほどこれなのかぁ、と思うことは出来ますです。

では、こちらを眺めながらご覧あれ。なんか、こうしてみると、楽譜ってアートじゃのぉ。


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