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フィルハーモニー・ド・パリの五輪文化プログラム [ご当地五輪への道]

まさか、もう二度と用いることはないと思っていたカテゴリーを、ほとんどやけくそで使うのじゃ。

ニッポン列島にお住まいになられる日本語文化圏の皆々様におきましては、一部のスポーツ関係者以外は殆ど関心がないであろう「2024巴里五輪」でありまするが、すくなくともやくぺん先生が昨年の秋の終わりにウロウロしていた頃は、まあああったく盛り上がっておりませんでしたです。もの凄く地味なトートバッグをぶら下げたおねーさんをひとり地下鉄で見かけたのと、あとは宿から運河のボートで出かける巨大ショッピングセンターでセールス品で山積みになってた五輪タイアップ商品の大衆向けパスタがあったくらい。これじゃ。
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うううむ、地味じゃのぉ。今時、関西や博多小倉のJR西日本管内などで見かける謎の万博生命体なんぞのようなマスコット、というか、キャラクターみたいなもんに相当するものも、巴里では全く見かけなかったわい。ちなみに、これまたニッポン語文化圏の人はだーれも知らないだろう2030釜山万博に向けたキャンペーンで、釜山金海空港ロビーにはもうこんなキャラクターがアピールしているし(ってか、これじゃキャラクターってか、まんまやねん!)
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こういう20世紀型巨大国家イベントらしい盛り上げがあるもんじゃが、少なくとも工事はいろいろやってるドゴール空港から北駅辺りでも、フィルハーモニー・ド・パリがある会場からそれほど遠くないパリ市内北東の貧民居住地域でも、それらしきものは一切目にしませんでした。

んで、パリ原住民は殆ど誰も感心がなさそうなこのイベント、数日前に、やっとというか、なんとも驚くべきにというか、フィルハーモニー・ド・パリ広報さんからこんなもんが送られて来たでありますよ。ほれ。
DP Olympiade Culturelle Philharmonie.pdf
「フィルハーモニー・ド・パリの五輪文化プログラム」冊子でありまする。

へええ、ってパラパラと眺めて見るんじゃが…うううむ、なんというべきか、いかにも2024年の巴里っぽい「多様性」の世界が広がっていて、都内にある東京都とニッポン国のふたつの劇場が五輪記念で《マイスタージンガー》の同じプロダクションを出す、なんて爆笑ものの茶番劇やられるよりはまだいいものの、ああそうなんですかぁ、そうなんですねぇ、としか言いようがない出し物でんなぁ。

一部のプログラムはイースターの頃から始まるようです。まかり間違って関心のある方は、いらしてみてくださいな。

巴里五輪、確かスポーツイベントの本番はこの夏のゆふいん音楽祭とバッティングする日程じゃなかったっけか。よー知らんけど。

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ヴァーチャル五輪の島 [ご当地五輪への道]

広島と長崎の原爆忌の間、鎮魂の夏がコロナの秋へとかわっていく台風崩れの空の下、足かけ15年のご当地五輪騒動が幕を閉じた…ようです。

そもそも、内陸は目白の徳永さん門前町の零細企業東京出張所みたいになってたむやみとデカい貸家を離れたやくぺん先生んちが、東京湾岸部入口東京駅銀座から最も近い田舎佃へと庵を移したのは21世紀の初めのこと。お堀端GHQから晴海再開発地区に移転してくる第一生命ホールが、区の文化財団すら存在しない都心部過疎地人口10万を切っていた中央区の晴海豊海月島佃地区をターゲットに、音楽を中心とするNPOのアーツ・オーガニゼーションとして活動することになり、今はがっこのせんせーに隠居してるお嫁ちゃまが起ち上げディレクターとしてそこに関わることになったから。

オープン当初は遙か池袋から月島まで有楽町線で出て、開通したての大江戸線に一駅乗り変えて通っていたのだが、地域密着の活動をするためにはもう一歩地元に踏み込む必要がある、それならいっそ住民になってしまえ、ってことになり、それなりにコミュニティがあり、マンションとは違って人が勝手に入ってこられて、その気になれば家の前で宴会だって出来るよーな、佃二丁目の路地の長屋に移り住んだわけでありました。お隣の魚河岸ご隠居に誘われ、やくぺん先生も町会に入り、なんのかんのやらにゃならなくなったわけでありまする。

都心部への人口回帰の先駆けとなる動きで、三井不動産らの高層マンションの足下となった佃二丁目は天上人と地べた民の間の「分断」が顕著になりつつあり、この地域を守る住吉大社のお祭りでもいろいろトラブルがあったり、それはそれでいろんなことがあったわけだがぁ、ろくにコンビニすらないそんな湾岸入口の田舎町にオリンピック騒動が降って沸いたのは2006年の夏の終わりくらいだったかしら。

内藤新宿の都庁にすらまともにやってこない湘南OBの都知事さん、あの人が銀座から東に来るのは年に一度の東京マラソンの日だけと悪口言われてたんだけど、その都知事さんが何を血迷ったか、都内に遺された最後の広大な空き地、中央区民とすれば年に一度の東京湾大華火大会見物の見物場所でしかなかった晴海客船ターミナル横にメインスタジアムをぶっ建て、そこから東の幻の都市博跡地ですらもない湾岸地区に競技場を集中させる「コンパクト五輪」なんぞを行うと言い始めた。

かくて、ご当地五輪へのながああああああい迷走が始まったのでありましたぁ。

ご存じのように、2016年誘致を目指したこの「ご当地五輪への道」はあえなく頓挫。これで騒動は終わったと思ったら、内藤新宿の高層ビルにいらっしゃる方々は懲りずにまだ話を続け、千駄ヶ谷の64年スタジアムを建て替えメインスタジアムにする計画を画策。とはいえ企画の半分は2016年晴海五輪の焼き直しで、コンパクトな湾岸五輪は東西に広すぎるトーキョー全域に広がる焦点の絞れぬイベントとなり、ご当地には晴海トリトン南の旧晴海国際見本市会場跡地は選手村になることになった。

へえ、まあ、選手村なら、試合が終わった世界中の選手達が月島西仲通に繰り出してもんじゃ喰って、佃月島の路地に入り込んで一緒にレバカツで酒飲みながら騒いだりすることになるのかぁ、地域の祭りとしてはメインスタジアムが出来るよりも良いんじゃないの、楽しそうで、ホントにやれるならねぇ…

んだども、そういうことは、全く起きなかった。そう、見事な程のスカだった。

正直、この「ご当地五輪」、恐らくは後の歴史に「ヴァーチャルで開催された最初の大規模国際大会」として記録されることになるのでしょう。つまり、「東京でやろうが札幌でやろうが、はたまた湾岸でやろうが調布でやろうが、全くどーでも良かった」ということ。

先月頭くらいから盛んに走り始めたトヨタの水素やら電池で動く五輪専用車たち、スタッフや選手を一生懸命運びご当地周辺で動き回ってたけど
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全国から動員された地方警察や軍隊が軍事基地か原発かという感じでがっちり施設を取り囲み、物見遊山の人々は湾岸には全くやってこなかった。選手や関係者も、メディア連中も、西仲通に来ることはなかった。「オリンピック」という名を冠した巨大テーパマーク状態になる筈だった晴海大橋や豊洲大橋から向こうの湾岸地区に、東京駅や門仲方面から連日万単位の人々が押し寄せ、やくぺん先生の生活圏の道路は常に大渋滞、人で溢れる…なんてことはまるでなかった。

膨大な経費をかけた常設のスポーツ専用スタジオが灼熱の人気の無い湾岸にズラリと並び、出演者は晴海の一角に押し込められ自由に動けず、大手メディアが独占し膨大な量の放送だけが行われた、ニッポンのメディア総力を挙げたヴァーチャル・イベントは華々しく行われ、湾岸住民が無料で見物出来たのは
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銀座上空で見事に五色の煙を引っ張ったけど千駄ヶ谷上空での五輪の輪現出には無残な失敗を晒したブルーインパルスの負け戦のみ。

ま、そんな歴史に残る珍事、都民1人あたり11万円拠出した身体性の欠片もない肉体の祭りが、たまたまご当地で行われてしまい、眞佃嶋界隈もホントの祭り休んでそれに付き合わされてしまった。五輪専用車と関係者運搬バス
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各地から動員された兵隊や警察、上空を舞う地方県警ヘリたち
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大江戸線や有楽町線のボランティア姿の人々を除けば、やくぺん先生がライヴで眺めたのは、選手村の灯りと、高速道路から眺める水泳
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それにカヌー競技場の閑散とした遠景のみ。バスから見たとき、実際に試合やってたらしいんだけど…

地元民とすれば、ヴァーチャル空間をテレビやパソコン、携帯端末画面に現出するための立ち入り禁止スタジオがご近所に仮設されただけだった真夏の湾岸の17日。

かくて、「ご当地五輪への道」カテゴリー、一巻の終わり。あとの祭りは、ま、「新佃嶋界隈」カテゴリーになるかな。

虚しさを 覚える間もなく 往く祭り

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遠くで祭りをききながら… [ご当地五輪への道]

なんと、ご当地五輪が始まってしまったそーな。
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招聘失敗した晴海オリンピック以来、なんのかんのなんのかんの、佃月島晴海地区住民を10数年にわたりグダグダ引っ張ってきた御当地五輪、数週間前から実質上始まってみると、ブルーインパルスは銀座より東の湾岸地区には来ないし(昼の12時20分から13時までの羽田離発着便を全部成田にまわす、くらいのことは出来なかったのか!)
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選手村は隔離施設だし(とはいえ、アヤシげな連中が遙か佃島の北隅っこまで走りに来たりしてるけど)
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豊洲から向こうにひしめく競技場地区は警官と軍隊しかいかない(どうやら東京駅八重洲口からバスの一部は通っているようだが、行く用事もなし)。

遥か東京駅皇居向こうの信濃町千駄ヶ谷辺りでは、午後11時をまわった今も報道ヘリが舞い、銀座上空辺りまで来て旋回してら。おおおお、なんてこった、ゴジラもヤンキー海鷹黒鷹イロコイも決して入り込まない禁断の空間に、報道ヘリさんが踏み込んでるじゃあないかぁあああ!
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とはいえ、大川がまっ黒な板になった深夜前の湾岸地区入り口は静かなもの。なんせこのご当地五輪、都知事さんがTVで観ろとおっしゃるヴァーチャル・イベントなんだから、立ち並ぶのは関係者以外お断りの各種スポーツ専用仮設TV中継所なわけで、放送や報道を観なければ中央区江東区湾岸地区でやっていようがいまいが判りゃしない。トヨタの関係車両が月島駅上のエネオスに頻繁に出入りし、各県警警察ヘリが新帝都を我が物顔に舞い、大川に御上や民間の警備船がいつもの倍くらいに増えてるだけの
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住吉さん裏祭りの静かな夏がゆくばかり。深川も、水かけ祭りはないんだろうなぁ。いついなったら国際客船ターミナルのノマド場に戻れるんじゃろかい。

今更ながら、こんなご当地五輪になろうとは、晴海五輪招聘で盛り上がっていた頃の薬屋さんの町会長さんも、牛乳屋さんの副会長さんも、路地裏に住んでる区議会議員さんも、思ってもみなかったろーに。

電網の 彼方に臨む 夏祭り

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碧き衝撃は湾岸に至らず [ご当地五輪への道]

先程、狂気のコロナ&灼熱ご当地五輪開幕を宣言するニッポン軍空中広報部隊「碧き衝撃」先鋭チームが、銀座通り上空千メートルくらいを白いスモークを引きながら飛び抜けていきましたです。
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本日は朝から山口県警と熊本県警のパトヘリが立川ベースで新帝都上空を跳び始め、朝っぱらにはやくぺん先生縦長屋塒の向こうを山口県警と我らがトーキョー警視庁32号機が編隊で舞ってます。楽しそうに天樹周辺をぐるぐるしてみたりして。
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数日前から松島や入間近辺の長玉抱えたマニアさんたちからいろいろな話が流れ飛び、やっと本日の昼前に「入間12時20分離陸13時帰投」という公式発表があった。その前くらいから、半ダースもの報道ヘリがこの濃厚で暑い大気を掻き分けて高度2000メートルを超えるなんて、民間回転翼機の性能限界ギリギリまで慌てて上昇、必至に場所取りを行っておりまする。
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マニアさん都民好事家あちこちで空を見上げる真夏が始まった炎天下新帝都、やがてこの狂気のコロナ灼熱世界運動会唯一の都民が無料で見物出来るイベントの現場練習が始まったわけでありますがぁ…

千駄ヶ谷旧津田ホール辺りまで距離にして7キロくらいの大川端縦長屋、緊急事態宣言でいつものシン・ゴジラ視点勉強部屋が閉鎖中なんで、塒の窓から銀座東京駅エンペラー宮殿方向を望むに、東京駅八重洲口真ん前に建設中の超高層ビル上に乗っかる巨大クレーンの向こうを碧き衝撃T-4が突っ込んでくる。
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そしていよいよ描かれる、おお高度成長期懐かし1964年の再現、夢よもう一度の五輪の輪が、誰も居ないスタジアムの上に
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見えませんっ!

うううむ、かつての旭光号碧き衝撃部隊が開会式の最後を飾るクライマックスとして高度3000メートル秋晴れの大空に描いた五輪の輪の記憶に比べると…なんなんねん。報道ヘリの高度から推察するに、高度は64年五輪の輪の3分の1くらいなんじゃないかしらね。石原からアベバブル時代ににょきにょき建ち上がった高層ビル群の上に辛うじて一部が覗けるくらいじゃあないの。この一種の公式であろう広報記事でも、高度の話はしてないんですよねぇ。
https://dailydefense.jp/_ct/17466634

敢えて言います。このイベント、都民に対するお祭り開催の告知イベントとしてはどうだか知らんが、少なくとも膨大な数の競技施設ひしめき、管理運営施設がいっぱいあり、警備の各地県警や陸軍8500人ひしめき灼熱下に汗だくで働き、選手村に大壇幕掲げられる新帝都大川東南の湾岸人工島(元佃は天然だけど)地区の住民とすれば、ダメです。五輪の輪、五輪関係者からは見えません!せめて碧き衝撃部隊が、革命記念日シャンゼリゼ上空パトルイユ・ド・フランスみたいな白煙引いて、晴海から豊洲上空高度300メートルくらいをローパスでもしてくれれば盛り上がれるのにさぁ。

てなわけで、ご当地五輪、開幕しております。このキチガイ沙汰があと2週間も続くのか…

湾岸に 碧き衝撃 伝わらず

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新帝都戒厳令 [ご当地五輪への道]

すっかり夏になった空の下、こんなお仕事のために
http://www.millionconcert.co.jp/concert/detail/2021_09/guide/210923goldberg.html
旭倉庫仮オフィスに積み上げられたCD箱をひっくり返して必要なディスクを探し出した。さても、この作品についての世間での常識レベルで最も新しい情報をチェックしておかにゃならんなぁ、とはいえ緊急事態宣言下、上野は東京文化会館資料館はダメだし(開いていてもこんな定番曲では最新の楽譜を購入しているか判らないし)、手っ取り早いのは銀座のヤマハなりに行ってありったけの楽譜の解説部分を立ち読みしてくることであるなぁ。暑くて嫌だけど、チャリチャリ行ってくるか。

ってなわけで、炎天下、倉庫横の大川跨ぐ佃大橋越えて新帝都中枢方向に向かうやくぺん先生なのであった。こりゃ失敗した、大人しく地下鉄かバスに乗るんだった、と思いつつへこへことペダルを漕いでいると、佃大橋の上をこのところすっかり見慣れたトヨタのボックスカータイプの水素燃料車が追い越していく。先週来、やたらと見かけるようになったなぁ、と思ってたら、今度は聖路加側からトヨタ燃料電池乗用車タイプ五輪車が、やくぺん先生んち御用達の佃の佃煮名店田中屋さんの看板の前を、晴海豊洲側に突っ走っていく。
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へえ、あのタイプも動き始めたのか、おや、また来たぞ。へえ、青と赤の色違いがあるのか、スターフリートみたいに部署で色が違うのかしら。かくて佃大橋を渡り終えるまでのわずか3分程に、総計3台の五輪専用トヨタ車が往来したのであった。

ダラダラと佃大橋を下り、聖路加病院に向けて左折する交差点で待っていると、目の前を築地側からまたミライタイプがやってくる。中央区役所の手前、新大橋通りの築地寄りでも、ボックスタイプ。なんのかんの、昭和通りを越えるまでに総計1ダースほどの五輪トヨタ専用車に出くわすのであった。

流石に銀座有楽町に近づくと五輪裏方車は見かけぬわい…と思ったら、有楽町駅手前辺りから警官が目に見えて増えてくる。銀座通りに行くという本来の目的すっかり忘れ、有楽町駅北側ガードを潜って国際フォーラム前まで来れば、なぁんと、国際フォーラムは完全に封鎖状態。道も半分程度に規制されてら。おおおお、その向こう、旧GHQと帝劇の間を、我が軍のジープ系車両を迷彩服の兵隊が運転してやってくるではないかぁ。
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日比谷公園横から皇居前広場辺り、上空では総務省ビル屋上ヘリポートで埼玉消防に貸与されてる消防庁新型ヘリ
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隣の警視庁にはお馴染みパトヘリ12号機君が、相次いでやってきてはまた出て行く。お堀でケレケレケレと叫んでいるカイツブリの雄叫びも
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すっかりかき消す轟音が桜田門に鳴り響き、目の前を滋賀県警パトカーが曲がっていく。遙か市ヶ谷には入間のチヌークが降りていき、その上には午後3時をまわったか、羽田に向けて副都心上空をJFKからのJAL定期便が降下していく夏の午後。

南の風がそれなりに吹き抜ける皇居前広場、先週までの外に居るとまるでサウナみたいな不快感は流石にない、夏らしい夏ではあるぞよ。

いやはや、結局、新帝都の戒厳令風景眺めチャリチャリこんなところまで来てしまい、本来の目的は果たしていないものの、そろそろお友達のドバト三馬鹿トリオが待つ佃は縦長屋下レギュラーノマド場に戻り、久しぶりに挨拶でもしてやるかい。とはいえ、今や文字通りのオリンピック道路となっているらしい勝鬨橋よりも下流を物見遊山に渡ろうなんてアブナイことはしちゃならぬ。東京駅南側大ガードを潜って、八丁堀まわって湾岸に帰りましょ。

チャリンチャリンとペダルを踏んで、明治生命館横まで来れば、目の前をミライ型五輪車が抜けて行く。国際フォーラム北側もがっつり警備で、岩手県警パト2台がテロリストや反五輪主義者共の狼藉から重量挙げ選手を守るべく2ダースも警官動員して固めてら。
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鍛冶橋交差点では石川県警の車両が曲がってくるわい。フィルムセンターはいつまで休館なんだろーなぁ、と京橋ジャンクションに至れば、ボックスタイプのトヨタ五輪号が出てきて、湾岸方面に向かう。流石に首都高の東になるとトヨタ五輪車が目立つなぁ、と八丁堀交差点を築地方面に折れていくボックスタイプと乗用車タイプの編隊走行を見送ると
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おおおおおお、目の前を我が陸軍の兵隊を満載した冷房無し兵員輸送車が、梶橋通りを湾岸方向に曲がって行くではないかぁ。
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いやぁ、狂気のコロナ灼熱下で世界運動会強行の我が新帝都、冗談ではなく「パトレイバー2」の世界になってきておるわい。

警棒と 軍靴の中に 夏狂う

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恐怖のご当地五輪まさかの開幕っ! [ご当地五輪への道]

後の歴史の為に記しておきましょう。本日昼前、月島の南の端っこ、勝ち鬨に近い某所に用事で、今にも降りそうなアヤシげな21世紀新帝都梅雨末期の豪雨を齎す黒雲を見上げながらチャリチャリと佃から月島へと南下しようとしてたら、佃小橋の辺りから、ヤンキー治外法権高度程ではないにせよ、法定高度ギリギリくらいをTBS報道ヘリが轟音をたててぐるぐるまわってら。場所は月島の南端から晴海上空。
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なぁるほど、どうやら今や地域住民を恐怖に陥れている呪われた祭り、トーキョー、ってか、感覚的には中央江東区五輪のメイン施設にして、やくぺん先生の奪われたノマド場たる晴海埠頭地域の五輪選手村が開村なのであろう。世間の話題はコロナと大リーガーニッポン選手ばかりで、意図的に話題から避けられてるよーな気がしないでもないけどさ…

やくぺん先生の現在の仮オフィスたる旭倉庫の前、西仲通に平行する大川沿いの道をチャリチャリ下っていくと、向こうからマスクも付けないまっ黒なアスリートらしき異国の人っぽいお姉さんがたったったと走ってくる。そして、上空にはNHKのANA塗装報道ヘリもやってきて、西仲通の新しいランドマークになっちゃった新ハイライズの上をかすめてら。
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どうやらこれは小川会長が第一生命ホール横の現地事務所に乗り込んだか、開村式でガースーそーりが演説でもやってるか。ま、なんであれ、まるで原発か米軍基地みたいな隔離施設になってしまってる選手村近辺、近寄りたくもないので、どーなってるかなんてわかりゃしない。

とはいえ、このところ、トリトンの東側に仮設された京成BRTバス停留所周囲を埋め尽くしていた実質的にこの運動会をやってるトヨタさん提供の水素自動車が、大川跨いで島と新帝都中枢の間を盛んに行き来してたし
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これは月曜日昼過ぎの佃大橋上。佃側から聖路加方向に渡りきるまでの間に、上り下り1便づつ、トヨタ五輪水素車が吹っ飛んでいきましたとさ。

かくて、まさかまさかの「ご当地五輪」、とうとうホントに始まってしまった。世間ではどうも開会式がお祭りのスタートと信じてらっしゃるようだが、10数年来の恨み辛みが籠もったご当地五輪、もう数週間前から、すっかり始まっておりまする。

その後の報道に拠れば、どうやら開村式とかはなく、上空の報道ヘリはぐるぐると中をのぞき込む映像を収録していただけだったよーでありますな。

んで、この直後、何故か晴海地区を中心に勝ち鬨月島の南半径1キロくらいだけに、天が呆れてバケツひっくり返しちゃったみたいな猛烈な局地集中豪雨が襲い、報道ヘリ君達は早々に塒に退避したようでありました。ちなみに、島の北端の佃では、全く降らなかったとのことでありまする。

ご当地五輪、始まってしまった。知る人ぞ知る月島の老舗音楽スタジオのオーナーさん、土砂降りの空を眺めながら曰く、「ともかく出来るだけで外に出ないようにするしかないわよね。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1b69d26a1f84ecb358e018c2180008617194f6e9?tokyo2020

呪われた祭りが、新佃嶋界隈にやってきた。さあ、どーやってこれからの数週間を逃げ切るか。

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応援してはいけないレース [ご当地五輪への道]

数週間後の葛飾区民から中央区民への出戻りを記念し、まだまだしぶとくやりたがってる方がいらっしゃるような「ご当地五輪への道」カテゴリーを復活させましょうぞ。

本日、例年通り正月3日目に佃大川端の縦長屋から、京成電車に直結する最寄りの都営浅草線宝町駅まで歩き、年始のお仕事始めとゴミ出しのために葛飾巨大柿ノ木下オフィスに戻って参りました。

今年は大江戸線で運転手クラスターが出ているので利用しないという理由もあるけど、この道中で来ると、乗換無し一本で荒川放水路の彼方新開地葛飾まで来られるという利点だけではなく、新春風物詩たる讀賣新聞主催関東大学対抗箱根駅伝のゴール直前の沿線風景を見物出来るわけでありまする。

おせちも飽きてきた3日の昼過ぎ、ノコノコと大川端を出て、八丁堀を抜けて宝町まで歩くと、東京駅から有楽町に向かうJR高架線の側から銀座通りに向けて、相互館の前の交差点を曲がって日本橋、ゴールのナベツネの館讀賣新聞本社ビル前へと進むラストスパートのランナーの姿が、讀賣新聞の旗を振る何重にもなった観衆の向こうに見えたり見えなかったり。このPDFファイルの真ん中、東京メトロ京橋駅のところ。
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ランナーさんたちは警視庁丸ノ内警察署とある辺り、405と書かれた交差点を地図の下から来て、右に曲がり、京葉線の上を走り、京橋駅の上でまた左に曲がり銀座通りへと入っていきます。

で、この写真は、2020年1月3日、ぞろそろ先頭がやってくるという頃に、人々が次々と沿道に押し寄せているところ。上のPDF地図の京橋駅の2と記された出口のちょっと左側(東側)、鞄のマークの辺りから撮影したもの。
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あたしゃ、「ああ、今年はオリンピックに向けて人がいっぱい出てるなぁ、いやはや、これが夏の終わりまで延々続くのかぁ…」と既にウンザリしながら、ランナーが来るのを待つこともなく、京橋駅から銀座線で上野に行き、昇龍で餃子買って、葛飾へ向かったのでありましたっけ。まさかその先、半年も葛飾で蟄居することになるとは思いもせずに。

さて、これが2021年1月3日のほぼ同じ時間。場所は同じですが、お判りですかね、角のローソンがなくなってる。コロナでバタバタ閉店する変わり果てた新帝都で、もうすぐやってくるランナーを待ち受ける様子。撮影場所は道を挟んだ北側、京橋駅4番出口の辺り。
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政府官報と並びニッポンの「正しい報道」の基準たる天下の讀賣グループが「沿道に来るなぁ」と叫び続け、正義感溢れる自粛警察の皆さんがネット上でパトロールしているだけあって、閑散としている、というか、お正月のサラリーマンさんがいないこの辺りのこの時間、って感じですな。え、これからマラソンだかの選手が来るんですか、うっそー、って感じ。

流石に、銀座通りを渡った、選手が左折する潰れたローソン前の角には、例年の警備員さんとはちょっと違う、「沿道で応援しないで下さい」という立て看板を持ち、同じような趣旨の文字を着込んだスタッフもたくさんいる。
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沿線に居るのはダメなら、ってか、隣のスターバックス店内には、スマホ中継眺めながら激戦が目の前にやってくるのを待ってる人達がたくさん。とはいうものの、ギュウ詰めかと思ったら、席が丁度いっぱいになるくらいなもの。店の中からも、走ってる青山学院大学のランナーサンの姿がしっかり眺められる有様。
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うううむ、天下の讀賣グループが「沿線に出るな」と二日間叫び続けた試合のクライマックスをライヴで眺める人々は、これくらいなものでありましたとさ。

ってなぁ、ライヴで眺めるな、ってんなら、別にオリンピックとやらを無理にトーキョーでやらんでもいいじゃないの…としか思えぬ、何度も五輪に騙され続けた湾岸地域住民なのでありましたとさ。

大スポンサーの讀賣グループがなにをお考えか知らぬが、周囲の殆どの地元民は、もうオリンピックここでホントにやるとは思ってないけどねぇ。いやはや…

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選手村入り口でダイクが鳴る筈だった午後 [ご当地五輪への道]

敢えて音楽ネタやパンデミックネタではなく、ご当地ローカルネタ、ということで。こんなカテゴリー、あったんですよぉ。

本日、東京オリンピック&パラリンピック選手村入口に聳える晴海トリトン内第一生命ホールで、「トリトン晴れた海のオーケストラ第一生命ホールライヴ配信」が行われ、客席で拝聴する機会を得ましたです。こちら。まだ視聴可能のようですな。

去る火曜日のミューザ川崎の「再開に向けた試演会」のようなもので、ご当地関係者として表周りのテストに動員されるのだと思っていたら、どうやらちょっと違いました。入口は三本のタワーの間にポコンと入り込んだまあるぃみはるちゃんへと向かうエスカレーターをいっぱい昇ったいつものロビーからではなく、地上階の駐車場の片隅の楽屋口。お久しぶりのスタッフと挨拶すると、今やすっかり日常風景となった体温検査を受け、よろしー、ということで、ホールへのエレベーターに誘導されます。
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エレベーターは乗員2名まで、とのこと。このトリトンオケでベートーヴェン交響曲全集を収録しており、本来ならば本日は第九のライヴ収録があった筈の某レコード会社の方と一緒に上層階へと向かいます。佃の住吉さんが祀られている通路を通り、いつものロビーへと抜けると、こういう表示はあるものの
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導線がテープで示されているわけでもありません。スタッフの誘導で、ここでもまたエスカレーターならぬエレベーターでひとつ上の一階席階に上ります。

オーディトリアムに入る扉がひとつだけ開けられ、スタッフが立っている。指定された席はひとりづつ空けられてます。テレビマンユニオンの収録スタッフが5名ほど、最後の打ち合わせをしているところを、画面に収まらないように気をつけながら席に着く。
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本日から東フィルがライヴ聴衆入りコンサートを復活しているので、多くの同業者さんはそちらに向かったのでしょう。客席には同業者数名、演奏家関係者、スタッフなど1ダースほどが静かに座ります。

映像をご覧になればお判りのように、ステージ上はこれ見よがしに席を空けたりするわけではなく、モーツァルトのクラリネット協奏曲で参加した管楽器奏者がちょっと広めの間隔かなぁ、という感じ。譜面台もひとりひとつではありません。

というように、「第一生命ホールの再開に向けたテスト」というよりも、五輪で賑わい始めた選手村入口というご当地でベートーヴェン生誕250年と東京五輪開催をダブルで祝ってしまおう、というイベントの残念会、かしら。

21世紀に911直後にお堀端から東京湾を望む湾岸の永遠の未開地に移転してきたちょっとでぶっちょころころの「みはるちゃん」が、いろんなことがありながら、ともかく20年に近い時間を過ごしてきた。当初は人口10万を割っていた「区文化財団もまともに存在しない文化果つる場所」、「銀座東京駅から最も近い田舎」、そしてなにより「過去の万博五輪で御上に騙され続けた街」に、地域に根ざした音楽提供NPOとして誕生したトリトン・アーツ・ネットワークが、地域というやり方は維持しつつ、当初の日本で初めて邦人団体がベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲を演奏した弦楽四重奏の聖地のレガシーを引き継ぐ弦楽四重奏に絞ったオフブロードウェイ的展開から、新興住民も増えてきた状況に鑑み、イグレッグQ(と言われても、困るかも)の矢部氏を中心とした指揮者無し室内オーケストラをレジデンシィとする路線に転換。そのひとつの集大成的瞬間として、「ご当地五輪&楽聖生誕250周年記念指揮者無しダイク」が佃嶋の先っぽから客船ターミナルの先端までの島に響き渡る善き日だった筈が…パンデミックの数ヶ月が終わることを祈る作品135第3楽章へと凝縮されていく。

この場所を地元民として眺めてきたやくぺん先生とすれば、そんな音楽家の皆さんの祈りにエア拍手及び最後のホントの拍手で応じる要員として、席に座らせていただいたのでありましたとさ。舞台の上には、パンデミック騒動が始まった頃、やくぺん先生が最後に経験した巨大オーケストラで首席を弾いていた方などもいらっしゃり、遠くから手を振ったりして。

無粋なことを言えば、この演奏、奏者の多くは先週来上野の東京文化会館などでやられてきた様々な演奏再開に向けた実験を経験してきた皆さんで、そこで現場で得たノウハウを業界全体で共有する場でもあったようです。日本フィルのサントリーでの無観客ライヴでの現場からの情報なども演奏家レベルでは情報として共有されているみたい。どんな詳細な文章でのガイドラインよりも、実際に経験してきた実験の結果を直接舞台で演奏家どうしが分け与え広めていければ、それがいちばん良いに決まってますからねぇ。

終演後、エレベーターに乗り合わせた大晦日上野ベートーヴェン弦楽四重奏大会で中間走者を務めた某氏と、この数ヶ月のことなど一瞬の立ち話。バイバイし、トリトン1階の駐輪場を出て、チャリチャリと誰も住まない五輪の街の中へと漕ぎ入れる。
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「からっぽなんですよ」と手持ち無沙汰な警備員さんと立ち話をし通り抜け、「東京でいちばん空いている観光地」として名高い客船ターミナルに至れば、コロナで5時で閉まってしまう送迎デッキには数名の人々がノンビリ座るばかり。夏至の日暮れにここで撮影会をしようとしていたアマチュアカメラマンさんとモデルさんが、もう閉まっちゃうんだと困惑してら。

そして、オリンピックでの大増便を理由に始まったトーキョー新名物、副都心上空を通過し羽田に降りていく機械鳥たちの下を、三密を避け夕方の風に吹かれる客をこぼれんばかりに乗せたヒミコ型観光船が大川河口をのぼっていく、梅雨の合間の水無月の日暮れ前。
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第一生命ホールの再開公演は、東混「八月の祭り」からだそうな。Tディレクターに拠れば、おいおいアウトリーチ活動なども復活の予定とのこと。

やっぱりまた御上に騙された水に囲まれた街には、ふろいでしぇーねるよりも、ミズヲクダサイの方が似合う…

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東京新風景誕生 [ご当地五輪への道]

ドタバタと独伊仏を駆けまわり、昨日夕方、ぶっ倒れそうになって戻ってまいりました。明けて本日、やってきた取材のデータ10数ギガをクライアントさんにさっさと渡してしまわないと気持ち悪いので、大川端からチャリンチャリン、途中のカメラ量販店でUSBメモリーを購入するや再びチャリンチャリンと目の前の日比谷公園に乗り付け、お弁当開いてるじいちゃんばーちゃんの横に座ってパソコン開き、鷺さんがご飯をお食べになりセキレイたちが尻尾振りながら追いかけっこしてるのを眺めること半時間、やっとデータを全てメモリーに転送。またまたチャリンチャリンとどこに国やら知らぬ国旗たなびく外務省前を通り溜池某所まで至り、担当者さんに「ほいなぁ」とお渡し。かくて終わった終わったと、またまたまたまたチャリンチャリンと湾岸方向に戻る。

さてもさても、時差やっつけのためにも、少しは気持ちの良いところをグルッとしていこうかいな。日本財団前からJT、虎の門病院前とマッカーサー道路と一緒に整備された自転車道を進み、相変わらずネックとなってる虎ノ門ヒルズの北側を通って再びマッカーサー道路沿のコイケだったかマスゾエだったかもう訳が判らぬ都知事さんが「東京のシャンゼリゼにしたい」などと恥ずかしくて穴に入りたくなるようなことを仰った新開発地域を走破。新橋に至り、山手線潜って、電通やら共同通信やらの足下のグチャグチャな辺りを抜け、おおおサンクスギビング休暇なのに何を元気に帝都上空舞っとるんじゃ座間の黒鷹くん、と騒々しい姿を見上げ
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流石に車道横を抜けるのは気を使うわいなぁ、と浜離宮北西入口横で一息付いていると…
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なんじゃらほい、この道は?

朝日新聞南側と浜離宮の間の運河に沿って、仮設っぽいけど明らかに自転車道と歩道としか思えぬ道が整備されている。
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こんなもんあったっけ、どこに向かうのかしら、今日はもう頭も動かないし、ダメなら戻ってくれば良いだけ。ちょっくら行ってみるべえか。

ちょっと進むと、左手は築地市場跡地となり、どう見ても市場関係者とは思えぬ車両が走ってるぞ。
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あああ、なるのどなるほど、これこそが11月頭に開通すると言われていた築地市場跡地の隅をぐるりと強引に巡って新しい橋を2本跨ぎ新市場へと繋がる晴海通りのバイパスじゃあありませんか。その南側に沿って、自転車道と歩道とが仮設されてるということは、このままマッカーサー橋を越えて豊海に行けるということではないかぁ。
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かくて、地元住民の一部が勝手に「マッカーサー橋」と呼んでいる、大川最下流に数年前に架けられたはいいが、渡らずの橋となっていた場所に至ったのであった。
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東詰で橋の袂を眺めると、なるほど、正式名は「築地大橋」というのかいな。
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もうちょっとなんとかならんかとは思わんでもないが、まあ、まさか地元民の言う「マッカーサー橋」というわけにもいかないだろう。いちばん心配だったのは「オリンピック記念橋」とか「森喜朗橋」とかになることだったが、流石にそれはなかったので一安心じゃ。ま、御上がなんといおうが、これからも「マッカーサー橋」って呼ぶだろうけどさ。

案外と高さが感じられない不思議な橋の真ん中まで自転車を押し、どかんと駐めて、川上の勝ちどき橋側から周囲をぐるりと眺めれば…
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勝ち鬨の橋開閉部機械室の向こうに聖路加タワー、そして今や東京駅周囲に巨大な壁を巡らせつつあるアベバブルの高層オフィスビル群の間に天樹の真ん中から上、日本橋コレドから讀賣日経ら現在の日本の政治経済を実質支配する悪の巣窟大手町、皇居の森はビル群に隠れ、橋の西詰向こうに旧市場、奥には朝日新聞から汐留の電通共同通信ら新橋界隈吹き込んでいた東京湾の夕方の爽やかな浜風を完璧にブロックしてしまった醜悪な汐留再開発地区が浜離宮の背景を成す。
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そして、さらに奥には新五輪バブルの象徴虎ノ門ヒルズから、もっと奥なる六本木ヒルズ、そして東京タワー!なるほど、この角度が開いているということは、六本木ヘリポートに出入りする占領軍のマシン猛禽類もよく見えるということじゃな。まだまだ目を巡らせば、東京都内島嶼部に向かう艦船ターミナルの向こうにゆりかもめが走り、虹橋へと向かうお台場の芝品川側が眺められ、眼下を行き交うは今や同型艦3隻の大艦隊となった大川観光船ヒミコ丸タイプの新造艦じゃわい。
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大川河口は豊海水産埠頭の無骨な風景で切り取られ、そこからは新興住宅地区たる構想アパート並ぶ豊海地区。上空には豊洲越えて塒の東京ヘリポートへとファイナルアプローチしていく消防ヘリJA119シリーズのいるか君が走り抜けてく。視線もほぼぐるり、晴海トリトンから大川端リバーシティへと戻って、東京新風景ぐるり一周と相成るのであったぁ。

浜離宮に出入りする観光船を眺め、佃大橋辺りよりもなんだか妙に狭い感じの河口の真ん中に立って秋の終わりの風に吹かれていると、流石に腹も減ってくる。このままマッカーサー橋を突き抜け、今や指揮者として有名になりつつある某メイジャーレコード会社のご隠居録音プロデューサーさんお住まいの豊海タワーアパート足下のスーパーでなんか買い、帝都で最も淋しいメイジャー観光地、晴海水産埠頭までチャリチャリ行ってみましょか。

マッカーサー橋を自転車下り通路で下り、豊海のスーパーで見切り弁当を買い、朝潮運河を渡るこれまた晴海新住民悲願の新大橋を越え
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かつての晴海国際展示場跡に辿り着けば…

ななななな、なんじゃここわあああああああ!
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向こうに豊洲大橋が突き抜け、なんにもなく、防災演習やら、今世紀初め頃にはあっと言う間に失敗した観光遊覧飛行船基地だった原っぱは、巨大な住宅建設が行われており、虹橋どころか晴海客船ターミナルすらロクに見えやしない。
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https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2016-12-30
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2017-04-28
工事現場をチャリンチャリンとすり抜けて辿り着いたやくぺん先生のレギュラーノマド場のひとつ、豊洲新市場を川向こうに眺めるターミナルの隅っこからは、なんとなんと、トリトンの姿すら隠れちゃってるし。
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ご当地五輪へのろくでもない思惑詰まりっぱなしの道は、とうとうまるで新しい、そしてこの街が廃墟になるまで保たれてしまいそうな帝都新風景を生み出した。恐らくは、やくぺん爺さんが眺める帝都最後の変貌の姿であろー。なんせガキの頃は、ここにスケートしに来たわけだしさぁ…

東京新風景、皆の衆も是非ともご覧あれ。新橋方面から歩いても、晴海埠頭まで1時間程度。佃縦長屋からサントリーなんぞに行くのに、新橋銀座が混雑が見込まれタクシーをぶっ飛ばすなら、晴海通りを豊海まで下り、マッカーサー橋渡って旧市場横を抜け、浜離宮交差点を左折してもらうのがいちばん近くなるかも。

大川に 架ける新橋 道何処

[追記]

んで、これが佃縦長屋から眺めた大川端河口。いちばん奥がマッカーサー橋で
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勝ちどき橋をこえ、写真のいちばん下が佃大橋。

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豊洲大橋が稼働している [ご当地五輪への道]

まさかもう使うことはあるまいと思っていた「ご当地五輪への道」カテゴリー、風雪に耐え数年ぶりに復活パート2でありますっ!この話のまる4ヶ月後の続き。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2016-12-30

連休前に締め切りがある原稿を午前中に全部入れ、とはいえなんせ予定している校正がまだ来ない宙ぶらりん状態。気分は完全に「終わったおわったぁ」なんで、久しぶりにチャリンチャリンと大川端北の隅っこから遙か南の外れ、湾岸のど真ん中(?)、帝都トウキョウでもっと暇で閑散とした観光地であり、風が弱く天気の良い午後なら最高のノマド場として知る人ぞ知る(あまり知られても困るんだけど)晴海客船ターミナルまで詣でるのであった。

んで、清澄通り沿い月島駅上のHotto Mottoで弁当買って、運河渡ってちゃりんちゃりんと晴海島に入り、トリトン横を延々と埠頭まで下って行く。この辺り、今やすっかり湾岸の高層マンション街になりつつあり、まともな文化振興財団のない中央区という立地を逆に利用した民間NPOトリトンさんの地域文化活動展開も、今や不可欠なものとなりつつある。あれだけ文句を言っていた東京都が、オリンピックに向けてトリトン・アーツ・ネットワークに「地元で頑張ってて偉いで賞」みたいなもんを下さるなんて、ホントに時代はかわるものよなぁ、なーんて思いながら真っ直ぐ行くと、おおお、暫く来ぬうちに、国際展示場が撤去され更地になって四半世紀、銀座東京駅から最も近い僻地だった晴海埠頭脇にニョキニョキとクレーンが建ち上がっているではないかぁ。
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それどころか、まだ未開通の筈の豊洲大橋を渡って盛んにトラックが出入りしており
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ホテル・マリナーズコート側の歩道にはお歩道が設置されておらず、埠頭にアクセス出来なくなっている。おいおい、なんてこった。

しょーがないから反対のピカピカのガラス建築湾岸署側に渡り、豊海側のマッカーサー橋へと向かうこっちはまだ使われていない橋の前を抜けて埠頭へと向かう。四半世紀も放置された挙げ句、両側がすっかり工事現場になってしまった中を右へ左へ。防災訓練会場だった辺りはこんなん。
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ちなみに、この地域「オリンピック」なるもんに向けての開発のデベロッパーさんはこちら。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2016/07/20q7s300.htm
日本国の大手ゼネコンさん総ざらえでんがなぁ。これがオリンピック!

埠頭には海保も練習船も一切おらず、珍しくも、なのか、毎度お馴染みなのか、スッカラカン。ターミナルも、こちらは毎度お馴染みのスッカラカン。嗚呼、男がひとり、トランペットを対岸の寂しく佇む豊洲に向けて吹き鳴らすばかりなりぃ。
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都心部方向を眺めれば、すっかりしっかり「高層ビル建築現場」でんがな。
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180度振り向けば、そろそろみんな忘れてる豊洲なんだかしらない場。
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間を結ぶ豊洲大橋は、盛んにトラックやらミキサー車やらが往来する。
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これが21世紀17年目のトーキョー・チャチャチャ、オリンピック・チャチャチャ!

これといったオチはありません。無論、特に感想もありませんっ。キッパリ。

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