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話題の街の年の瀬 [ご当地五輪への道]

送り付けられてきた校正原稿をブンチョウくんたちに邪魔されずにじっくり読み込むにはどこが良いかと考え、佃月島住民が考えつくところといえば、「東京で最も寂しい観光地」として名高い、晴海客船ターミナルであるのは致し方ない現実でありましょうぞ。

かくて暮れも押し詰まった午後、もう実質会社も工場も休みでそれなりに澄み渡った師走の空の下、お台場の向こうからフジテレビのまん丸ドームの上で大きく右に旋回しつつ米軍空域を避けるべく東京湾岸から江戸川南総上空で必死に高度を取る帰省客を満載したエアドゥやら、はたまたラスベガスでカジノ見物かしらって観光客を詰め込んだデルタのLA便が消えていき、流石にここまで押し詰まると屋形船も減った大川河口にはひみこほたるなが虹橋下を行き交う様を眺める晴海客船ターミナル、相も変わらず、人っ子ひとりおりませぬ。
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ふうう…毎度ながら、てもちぶたさんの警備員さんと「暇ですねぇ」「ひまです」という会話を交わし、暮れゆく日が当たるベンチに陣取り、200枚を越えるプリントアウトを赤ペンを持って開き始める。

目の前に広がるのは、今年、東京湾岸で最も話題になったあの場所。
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なんだか、指定管理を巡って総務省と仁義なき戦いを続ける文部省が妙なことを言い出したお陰で、東京都がこの建築物をまるまるカジノ会社に経営権売りつけることだって可能な感じになって来てる怪しい雲行き、今や日本国で最もアヤシー場所が広がってます。いちばん河口側は大もうけした奴が成田までアウグスタウェストランド609で凱旋する為のヘリポートにでもなるのかしらね。

アヤシいのはそっち側だけじゃあない。眼を帝都中央方向に転ずれば、あらまぁ、いつからこんなことになったのか。
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埠頭ターミナルに向けて都バスがアプローチする道沿いの緑が全てなぎ倒され、かつて町会の防災訓練で走りまわらされたもっとかつての晴海見本市会場跡のコンクリートが剥がされて、すっからかんになってます。視点をバス通りまで下げると、こんなん。
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ここを拠点に飛行船で東京観光、なんて壮大なプロジェクトもわずか数ヶ月で頓挫したっけなぁ。いまや夕方に雀やムクドリのおうちとなる場所もなく、年末年始休暇の静けさに鳴くものもなし。

どうもこの辺り、今や数週間で道が付け替えられる有様で、埠頭にアプローチするには清掃工場が途切れたところで直ぐに左に曲げらるようになってます。御上に欺され続けた、今や帝都に対する加藤の怨念籠もる大手町の平将門首塚にも匹敵するアンチ帝都のパワースポットにすらなりかねない空間が、オリンピックなる内向き大散財に向けて再び三度悲惨に掘り返されている横を東西に突っ切る、これまた今や湾岸住民の怨念が大川を跨ぐような幻のマッカーサー大橋
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そして、豊洲大橋
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御上が強引に鎮守するかのような月島警察のモダンなガラスビルが、まるで「踊る大捜査線」のリアルセットみたいにマッカーサー橋東詰に聳える。

御上に裏切られ続けた街が、夕方の光を浴びてキラキラ輝き、年が暮れていく。さっさと2020が去ってくれることをだけを望みつつ、2016の年がゆく。

大川に 投げる恨みに 年よ逝け

Tokioベイに五輪旗はためかず [ご当地五輪への道]

朝の7時前。羽田空港第2ターミナルラウンジから、東京湾に朝日が昇ってくるのを眺めています。10月あたまとしてはちょっと湿気が多く、爽やかな朝じゃあない。すっかり陸地になったD滑走路の向こうは靄っていて、千葉の山は見えないし。
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東京湾の内側に、朝の光が射し始めている。たくさんの人工の島達が、さて僕たちの上で人間共は何をしてくれるのかな、ってつるっぺたく待ってら。

昨日まではかろうじてよれよれの姿を都営大江戸線月島駅に晒してくれてた幟たちも、一番電車を前に全部撤収されてた。町会の大壇幕は、昼にもたたむのかしら。ま、駅員さんの朝の仕事がひとつ減ったのは良ござんした。

また朝が来て、この湾岸にまた五輪は来なかった。

なお、後に「幻の東京オリンピック・パートⅡ」を執筆する未来の歴史家諸氏のために、2009年時に於ける開催予定地周辺住民の素朴な感想を記しておきましょう。晴海島や豊海近辺の様子は与り知らねど、為政者に振り回され無茶な夢を見てるふりをさせられた隣の佃・月島の北端近辺の空気とすれば、「イシハラ都知事の趣味で騒いだオリンピック騒動の最大の盛り上がりは、初夏のIOC委員現地視察のときだったねぇ、あのときは町会の動員なんかもあったしさ…」

かくて、「ご当地五輪への道」カテゴリー、一巻の終わり。

IOCが町にやってくる [ご当地五輪への道]

オリンピック誘致に関しては、平壌放送と良い勝負のマスメディアが特殊な日本語文化圏にのみ向け広く発信している歪んだ情報と、ご当地東京湾岸に流布する情報との間のバランスがまるで判らず、「みんなが知ってること」なのか「ローカルネタ」なのかがグチャグチャであーる。ま、それが「オリンピックを晴海で」たる由縁なんだから。

繰り返しますが、東京オリンピック誘致騒動は、小生にとってはあくまでも「ご近所ネタ」です。それ以上の関心はまるっきりありませんので、悪しからず。これが内藤新宿や渋谷ヶ原で起きてる騒ぎだったら、当壁新聞で伝えるのは東京都の予算問題と、文化関連事業についてのみであったでしょう。

さて、各所で報道されておりますように、IOC委員の皆々様が、本日、我らが田舎町佃月島勝ち鬨晴海近辺にやってまいります。この「銀座東京駅から最も近い田舎」地区が世界大運動会の会場に相応しいか、お調べにいらっしゃるわけですな。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090411k0000e040052000c.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009041602000061.html
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY200904090149.html
というわけで、英都から帰国後、春の交通安全運動のお手伝いなど一切出来ずに引越騒動で走り回る過労の目に写る薫風香る我が佃月島人工島には、春だ、いやもう初夏だとばかりに、いきなりニョキニョキとトンでもない色の幟が林立するに到っております。まるで春先まで残ってしまったケイトウのように暑苦しい、息苦しい緋色の洪水。ひとみちゃんでお馴染み、月島西仲通りの現状。
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なお、不確かな町の噂情報に拠れば、東京特別区には「盛り上げ資金」として我らが都民税から各区1千万円也が内藤新宿の御上から下され、主戦場たる我が中央区はさらに上乗せがあるそうな。で、この予算は、「経費節減トーキョー・オリンピック」の総予算には加えられていないそーであります。嗚呼、さっそくやっとるぞ!

昼前、通りを抜けた先の東京最古のボーリング場下に間借りするエクの練習場まで、真っ赤な幟で頭がクラクラしそうな西仲通りを突っ切り、来月のエク・ロンドン公演の現状説明会へとチャリチャリと走ってきたわけであります。と、なんと、ボーリング場の音がしない。それどころか、向かいの湾岸の老舗洋食店「月島亭」に閉店のお知らせが張られ、周囲は閑散としている。ほれ、ファースト夫人が西仲通りの方から麗しく爽やかにやってくる。
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話をきくに、やくぺん先生が英都で弦楽四重奏漬けになってたり、引越騒動で外部との連絡がちゃんと付けられないでいる間に、この月島地区最古の文化施設周辺の再開発計画がやっと動き始め、ボーリング場やレストランが廃業になったそうな。エクに練習場を提供してくれているリヒテルも訪れた湾岸地区の老舗スタジオ、ピアノアートサロンもどうなることやら。

ま、湾岸世界大運動会ゆえのことじゃなかろーし、昨日あったものがなくなり、素っ頓狂な新建築が瞬く間に普通の風景になっていくことを受け入れることが都会に住むことでありますから、文句は言いません。嫌なら世界には住むべき場所はいくらでもあるんだしね。新しいことをするとは、古いことを容赦なくぶっ壊し、捨てること。それが嫌で、懐かしんでるのがお好みなら、悪いことは言わん、わざわざこんなとこに住むべきじゃあない。月島亭がなくなるなんて、これはもう食文化の問題そのものだけど、それでも無くなるものを惜しまないのが街住まい。

無論、強がりですよ。あったりまえじゃん。

そんなこんなで、IOCご一行様に致しましては、恙無く美しき「カラ手形の島」の現状を見物なされますよう、地域住民として心からお祈りする次第であります。晴海は春、埠頭には日本海軍遠洋艦隊の若者達も今日明日まではいる筈だしさ。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2006-10-04

え、やくぺん先生は個人的にはリオ・デ・ジャネイロに一票ですよ。非国民と呼ぶなら呼べ!

湾岸に 決戦迫り 幟揺れ

町会詰め所跡 [ご当地五輪への道]

箱崎の東京シティエアターミナルのシティバンク銀行ATMが廃止になり、なんとこの銀行、とうとう山手線北東地区から完全撤退してしもーた。この辺には商売になる金持ちが住んでないと見切ったんだろうけど、中国やシンガポールではもの凄いシェアの銀行なんだから、東京東北部にゴッソリ住んでる中国人学生なんかは困るだろーになぁ。いやはや。

んで、もう未完原稿は持って歩くと腹を据え、出発30時間前にネットで貧乏人席にチェックインを済ませ、ああぁあ一足遅かったか、仕事が出来る席が取れなかったぁ、と嘆きながら、これまでだったら箱崎でリムジンバスに乗る前にシティバンクから出してたユーロ現金をつくるための日本円を引き出しに、西仲通りの某大手邦銀ATMまで、降り出した冷たい雨の中をサンダル突っかけてチョコチョコ向かうです。

と、来月末からは新厄偏庵への最寄りの地下鉄出入り口となる月島駅6番出口向かい、かつて佃二丁目町会詰め所があったところが綺麗に整地され、タイルなど貼られ、詰め所の跡形もなく、でっかくドカーンとオリンピック誘致巨大ペナントが掲げられております。ご丁寧にも、どなたが書いたらやら、「佃二丁目町会」ってサイン入り。なんでやねん。
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すっかり寂れた佃大通りを凌駕し、リバーシティに向けての我が町内最大の繁華街となってる佃仲通りの入りっ端。下の記事の真ん中当たりが、解体直前、在りし日の町会詰め所の風景。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2008-11-15
さてもこの細長い町会詰め所、なんでこんな仮設建築があったのか、お判りかな。解体直後のこの写真なら、ははぁ、と納得する方もいらっしゃるかな。
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地下鉄有楽町線が開通する前、はたまた佃大橋が架かる前から新佃地区に土地勘ある方なら、もうお判りじゃろて。そもそもこの詰め所の跡地には、新佃島と月島を隔てる堀割の船着き場に向け、現佃仲通りと月島西仲通りを繋ぐ橋の北詰から水辺へ下りていく細い坂道があったのじゃ。佃大橋が架かり、堀割が埋め立てられ、新佃島と月島がひとつの巨大な人工島となったとき、不要になった坂道をかさ上げした。結果生まれた道沿いの中途半端に細長い空き地に、町会詰め所が仮設されたそうな。なんせ昔は道だったので、あんなに細長かったんじゃな。

去る日曜日にはオリンピック誘致市民マラソンが島を跨いで越えていった大川向こうから晴海先端に到る大陸橋の下には、この前のオリンピック前までは、佃と月島を隔てる水が流れてました。その名残が、この佃二丁目町会詰め所だったわけです。以下の写真をじっくりご覧あれ。商船大学の方から渡ってくる相生橋で佃に入り、初見橋で月島に抜ける清澄通りの電車道がある。その北側に、もうひとつ橋が見え、橋のたもとの運河には船も浮かんでいる。そこに向かっていく細い坂道が、町会詰め所になったところ。下のURLがオリンピックの前年で、まだ佃大橋はありません。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M288&photono=49
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MKT636&courseno=C9&photono=23
この写真だと、もうしっかり町会詰め所の細長い姿が写ってる。新旧厄偏庵もあるし、佃オフィスの安マンションもまだ立派に輝いて建ってるぞ。
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1964年のオリンピック前に建った詰め所は、次のオリンピックを見ることもなく取り払われた。この場所にそんなものがあった記憶など、瞬く間になくなるだろう。

都会に住むとは、そういうこと。「遺せ」なんて言っちゃいけない。それが音楽ホールだろうが、郵便局ビルだろうが。

ちなみに、現在の佃二丁目には、船着き場は一切ありません。単なる、東京駅銀座から最も近い田舎町。

新佃 出口探せぬ 水の上

急いで走ろう東京マラソン [ご当地五輪への道]

優勝賞金一千万円を目指し初見橋陸橋でデットヒートを繰り広げる(のであろー)トップランナーへの嬌声が厄偏庵の寝床にまで響く春は曙(って、もう昼なんだが、昨晩ほぼ徹夜の御陰でこうなってる)、本来ならば町会のお手伝いで佃大橋から旧初見橋上で清澄通りを越える東京マラソンのハイライトの辺りでなにやらボランティア作業をしていなければならぬのだけど、スイマセン、なんせ、あと4日で実質締め切り4本あるんです。お許しを。

その〆切りのひとつ、プレアデスQを見物に、直ぐにも大雨になりそな湿った湾岸の空気を切ってチャリンチャリンと晴海に向かおうとすりゃ、おお、まだ陸橋上を人影が走っておるぞ、ってか、歩いとる。これも何かのご縁、市民ランナーの皆様の朝潮運河を跨ぐ三連橋で、最後の力走を見物してあげましょか。
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佃大橋からの最初の巨大な丘を下り切って、文化遺産「ライダー橋」の隣り、豊洲新開地へ向かう春海橋のところじゃ、東京ベイから吹き込む強風に立ち向かわんとばかりに、高校生のおじょーちゃんたちが太鼓叩いてら。

さあ、制限時間ももうすぐオシマイ。ゆっくり走ろう東京マラソン、なんてノンビリしたことは言ってられん。プレアデスQが作品131のアレグロに魂の嵐を奏でる頃にゃ、みなさん、全員ゴールしてなきゃいけんのですからね。

右を見ても左を眺めても、はためくはオリンピック誘致の旗ばかり。さても、来年は少しは「市民マラソン」らしいだらしなさが戻ってくるのかしらね。

晴海通り大掃除 [ご当地五輪への道]

来る10月2日に開催予定の運命のIOC総会に向け、一生懸命盛り上げようとしている我らがご当地晴海五輪。つきましては、当私設電子壁新聞としましても、後々の歴史家の方々のため、「2009年10月2日までに地元ではどんな動きがあったのか」を少しでも記録することにいたしましょう。

かくて、「新佃嶋界隈」カテゴリー番外編として、「ご当地五輪への道」をつくります。果たしてどの程度のエントリーがあるか皆目見当つかず。まさかこれっきり、ということはないだろうけど。また再びの夢と幻に終わった21世紀初頭の晴海五輪騒動の知られざる記録となるや、はたまた、21世紀のオリンピックを大きく変革したあの伝説の晴海五輪に向けてのサクセスストーリーの一部となるや。乞うご期待。

さても、税金作業も無事終わり、あとは明日の午前中に川向こうの京橋税務署に提出するばかりの日曜の朝10時、佃月島晴海、湾岸人工島に住まう善男善女、ワラワラと勝ち鬨橋東詰に集まり来たれり。その数、なんと300と50余。皆、中央区担当者から渡されたオレンジ色の襷を肩に、軍手に包んだ弓手にゴミ取り挟み、馬手にはビニール袋のいでたち。各町内の町会責任者が掲げる五輪誘致旗を先陣に、我らが佃&新佃町会構成員はその全能力を統合統一、真に一都一体となり、内外に断固たる五輪誘致の意志を示すべく、晴海通りから清澄通りにかけての歩道清掃作業へと邁進せり。視よ、勝ち鬨の橋に掲げたる都民の決意の証を!
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ってなわけで、そんな勢いで勝ち鬨橋東詰を出発。そこそこゴミはあるものの、どっちかってば「五輪に向けて都民も頑張ってるぞ」の意思表示のデモ行進気分で、もう春も近いポカポカの清澄通りを月島駅辺りまで北上。ぐるっと回ってまたかちどきまで戻ったのでありました。正直、思ったよりも歩道は綺麗で、何カ所か植え込みの辺りに集中的にゴミの投棄があったくらい。「オリンピックを晴海へぇ!えいえいおおおおお~!」とでも叫ばないと格好つかないような気分にすらなってくる長閑さ。
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とはいえ、これだけの人々が一斉にゴミ拾いをすればそれなりに集まるもので…ほれ、こんなに山になってら。
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一仕事終えたところへ、我らが中央区長、満を持しての登場です。瞳ちゃんやじーちゃんも、きっと清掃作業に参加した群衆に居るんでしょうねぇ。とにもかくにも、区長訓話、拝聴!
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要は、4月17日のIOC委員晴海通りから晴海五輪競技場予定地視察に向けて、見物される辺りを綺麗にしましょう、ってこと。

佃町民らが通りの掃除デモ行進をしている間、かちどき住民らは勝ち鬨橋にお花の鉢植え設置作業を担当しておりました。ほれ、こんなに素敵になりましたよ。
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だれじゃ、そこで「維持管理が大変だなぁ」などとぼやいているのはっ!

ちなみに、本日のイベントの予算は中央区ではなく東京都が出しているそうな。オリンピックに向けて各区に振り分けられた予算がいくらなのか、あたしゃ教えて貰いましたけど、こんなところで書いて良いのやら。知りたかったら、花見の後にでも酒持って厄偏庵においで。まあ、大手広告代理店にこれだけの規模のイベントを仕切らせるために必要な額から考えれば、思った程大きな額ではありません(新銀行東京に投入する捨て金に比べたら、微々たるものです)。っても、26日から来月7日まで、家主は遙か英都倫敦まで2012年五輪視察に詣でますので、悪しからず。

カラ手形の島 [ご当地五輪への道]

数日前から、晴海埠頭には日本丸と海王丸の姉妹巨大帆船が並んで停泊している。昨日、潜水艦母艦か強襲陸揚艦かと思うほど巨大な仏籍客船も入港、首都の国際港はたいそう華やいでます。

4日午後、海王丸はもう出港準備を始めてる。明日の昼にあとの2隻が相次いで出港しちゃえば、晴海はぺんぺん草と薄が揺れるいつもの「東京駅銀座に最も近い田舎」。

我が家のメインバンクたるシティバンクは一番近くが銀座4丁目で、クレジットカード引き落とし前にいろいろ小金操作をせねばならぬ。んで、ちょっくら港で帆船と客船の行列でも眺め、かちどき橋で大川越えて、このところまるっきり観光地状態の昼の魚河岸で丼飯あおってから銀座に抜け、ついでに来週の仙台・高岡ツアーの安チケットを捜しにオジサン天国新橋の金券ショップビルでも覗いてきましょ。チャリチャリと、1時間半くらいの行程。原稿煮詰まり状態の運動には丁度良い。

晴海大橋は相変わらず車閑散、オートバックスが取っ払われ国際見本市会場の面影皆無となりし晴海埠頭横には、このところの湿気っぽい空模様に広大な池が出来ている。数週間前、東京都がでっかい看板を立てました。皆の衆ご覧あれ。暦のひと還りを経て、またも振られたカラ手形。

遙か皇居の向こう、内藤新宿は浄水場跡地の上におわしますお役人やら、湘南からお通いの都知事さんが何をお考えか知らぬが、少なくとも佃月島晴海の住民どもは、こんな場所で世界大運動会が開催されるなんてだーれも信じてない。

なにせこの島は、皇紀二千六百年記念万国博覧会会場として埋め立てられたんだもの。かちどき橋を海に直進した晴海島の入口、今はトリトンの3連タワーが建ち、間にちょこんとデブの「みはるちゃん」こと第一生命ホールがはまり込んでいる場所こそ万博正面ゲート。博覧会終了後は客船居並ぶ国際港の傍らに新都庁舎が聳え、遙か豊洲運河の向こうの飛行場からは東亜の要衝、京城、大連、哈爾浜と帝都とを直結するユンカーやらDC3が次々と飛び立つ筈だったんだもの。
見よ、これが80年前の空手形想像図。手前が豊洲、真ん中が晴海と月島・佃。遙か霊峰富士を望む東からの帝都の眺望なるぞ。かの傑作「パトレイバー2」、最後のシーンを思い出しますね。

この島は、生まれたときから、カラ手形の上に浮いている。ぷかぁりぷかりカモメも浮かび、帆船群は虹橋をくぐり平穏の大洋へと消え、旧海軍軍艦を数多産んだ豊洲ドックも消え、明日から船橋ヘルスセンター、もとい、「ららぽーと」がやってくる。http://furuzuka.at.infoseek.co.jp/funabashi.html http://toyosu.lalaport.jp/

♪ながいきしたけりゃちょっとおいで、あ、ちょちょんのぱ、あ、ちょちょんのぱ~
http://www.youtube.com/watch?v=s9gaJzmOXcg

「東京駅銀座に最も近い郊外」が湾岸を浸食しはじめる。ファウスト風土の象徴、「美しくない日本」生産場が、我が田舎町佃の隣に出現する。柘植よ、君は皇紀2676年の湾岸に何を見るや。

晴海五輪 決まる前から 夢の跡


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