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ゴールドベルク翁ソナタ教室の伴奏専門家 [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

ご紹介が遅れましたけど、先月の終わり頃から、ホームページ上に「シモン・ゴールドベルク・メモリアル音楽祭」の公式ホームページが完成しており、情報がいろいろ上がっています。こちら。
http://www.szymon-goldberg.jp/index.html

さて、今年もまた行きがかり上の勝手連的ボランティアでいろいろと当湾岸の電子壁新聞でも情報を出させていただきますので、よろしく。ネタはいくらでもあるけど、まずは、講師陣の中で読者諸氏が全く知らないであろう名前を紹介させていたきましょう。ピアニストのリュウ氏です。経歴を音楽祭公式ホームページからまんま引用すると以下。

「マンチェ・リュウ 劉孟捷(ピアノ)
1971年台湾生まれのピアニスト。6歳でピアノを始め、直ぐに頭角を現し、12歳のころにはアジア太平洋地区の数多くの青少年音楽コンクールで優秀な成績をおさめた。13歳で渡米、カーティス音楽院で8年間学び、ジョージ・ボレット、エレノア・ソコロフ、クロード・フランクなどに師事。この間、室内楽の勉強のため、シモン・ゴールドベルクの教室で盛んに弦楽器との合奏を行っている。卒業直前にアンドレ・ワッツのリサイタルで代役を務め、その華麗な演奏は絶賛を受け、センセーショナルなデビューを果たした。
しかし、1995年のスポレト音楽祭出演後、原因不明の病気で手が不自由となり、長い闘病生活と苦しいリハビリテーションを経て、1998年末、リサイタルで奇跡の復活を果たした。
近年、北アメリカやヨーロッパ、日本などの東アジアで数多くのリサイタルやオーケストラとの共演を行っている。2002年にはエィヴリー・フィッシャー財団のキャリアグラント賞を受賞した。1993年からカーティス音楽院で教鞭をとっている。」

あちこちで見るような経歴だなぁ、とお思いでしょうけど、実はこの中にさり気なく猛烈に重要な事実が記されているのですね。 お判りですか。そおおお、この方、シモン・ゴールドベルク翁がカーチス音楽院でニックやらヴェスナやらパムちゃんやらを教えていた頃に、弦楽器の学生たちの相手をしてピアノを弾く専門家だったんです。ニックに言わせれば、「マンチェはゴールドベルク先生のレッスンで全部ピアノを弾いてて、誰よりも先生が室内楽について仰ることを吸収していた奴だよ」とのことです。これほど「ゴールドベルクの考えていたこと」を知っている人は現役世代ではいない。ですから、セミナーという意味では、最高の人材なわけですな。こういう人がいるんだなぁ。

ちなみにマンチェ氏、腕が恢復してからは極東にも屡々いらしていて、昨年夏は台湾のエヴァーグリーン響(長栄交響楽団)とブラームスの第2協奏曲を録音し、緩徐楽章の長大なチェロ独奏のために首席にはどうしてもボロメーオQのイーサン・キムに来て欲しいと要請、イーサンはバタバタと台北に向かっておりましたっけ。あの録音、どうなったのかしら。ラ・フォル・ジュルネにも来てるオケですから、日本でも少しは情報は入ってるかな。

ゴールドベルク・メモリアル・セミナーのご案内は、音楽祭公式ホームページからどうぞ。


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